wiggin's truth -108ページ目

おきらくごくらく


じぶん いがいの いのちについて
とくいげに かたってしまうってのは
もっとも こうしょうなしゅみだと
おもうのです。

そして もっとも あくしゅみだとも
おもうのです。

しんだものは もんくをいわないから
いえるのでしょう?

そんげんとか
いのちのとうとさとか。

そんなのは
いきてるおまえが
いきてるうちに
おまえじしんのからだで
おまえじしんのことばで
ひょうげんすればいいのです。

こうしょうも あくしゅみも
たいしたちがいではないですよ。

いのちを
たんなる ねた に
おとしめているのだから。

ほかのいのちで わらいをとるな。





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颶風


風が 花を揺らし
花びらを散らす。

舞い上がる風に
舞い散る花。

時に風は種を運び
時に蹂躙する。

風は生殺与奪を司る。

はてさて
いま俺の心に吹く風は
生か 死か
はたまた撹拌なのか。

わからぬよ
わからぬさ
だから、
いまはただひたすらに
ゆらゆらと揺れるのみにしておこうか。


こたえは 知っているのだがね。






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単なる記号ではないから


伝えようとして言葉を発しても
伝わらないことはある。

敢えて言葉を発しなくても
伝わってしまうこともある。

だからといって
// 言葉は要らない //
なんて 思ったことは一度たりとも無い。

決して便利なものではないのだけれど
俺にとって それは大切なもの。

裏切られても 決して手放せない。





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罪悪感という無礼


罪悪感ってのは単に「罪を犯した感じ」であって
実際に罪を贖う、つまり 贖罪と同義ではない。

罪を犯したつもりになってただ嘆くくらいなら
地面を這いつくばってでも罪を贖えばいい。

罪悪感ってヤツのベクトルは
概ね自分自身に向いている。
自己憐憫と抱き合わせのようなもの。

そもそもさ、「自己完結出来る罪」ってのは
一体どーゆーシロモノなんだ?
そんな概念が在り得るのか?

自分以外の何ものかに害悪を与えるのが罪であろう?
本当に罪を犯した自覚があるのなら
自分を哀れむより先に、誠意を撒き散らして贖え。

俺が思うに、
罪悪感ってヤツは、ほとんどの場合
単なる勘違いか、方向性を誤った自己顕示に過ぎない。

「それは本当に罪なのか。」
身も蓋もないかもしれんが、そこをよーく考えてみることだ。
もし、本当に罪を犯しているのなら、すぐさま贖え。

どちらにしても、
「罪悪感」なんて犬も食わぬ様なシロモノは
この世から消えてなくなってしまえばいいと思う。
誰の為にもならないどころか、
それこそが、害悪の素である、とも言えるから。





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おしとおる


今朝はカリカリに晴れている。

だから今日は、
数日振りに半袖だ。
世のモードは長袖だが、
流行よりも体感が優先。

世間の冷たい風は、
俺の代謝にはまったく影響しない。
この汗は確かに
冷や汗ではなくて、フツーの汗だ。




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