夏は終わり、9月10月11月と居酒屋は売上が低迷するとき。
キャッシュアウトは止まらなかった。少しずつキャッシュが流出する。
10月。長戸氏からのミッションで業態転換をすることに決まった。
この時、自分は社長になった。代わりに肥後氏は副社長になった。
社長が、副社長になる。外側から見れば降格だった。しかし、実質的には依然、社員は肥後氏についている。
肥後氏は宴会シーズンに向けての準備を進めている。
僕は、新規業態へのテストケースを作成し、それも着々と進んだ。
場所は恵比寿店。恵比寿にアップスケールな店舗を作成した。ただでさえキャッシュアウトしている現状に資金需要はひっ迫している。
自分は当然ながら、資金調達に動くわけだが、資金は簡単に調達できなかった。
赤字が続いた実績。リースを踏み倒していたため、リースもおりない。資金を何とか自らのキャッシュで創出するしかなかった。
肥後氏が少しずつためた資金を使った。
業態転換はした。しかし、突然の金融不安で、アップスケールな店は苦戦した。
オープンしてから、客が4人、10人などと、ひとけたの日々が続いた。
今までランチや夜に来ていたお客さんは変わったメニューに残念がって帰って行った。
恵比寿の店はここで15年も営業してきた店だった。
固定客がいた店だった。それを変えてしまった。
付きに数百万単位で損失を出す店になってしまった。修正を施したが、なかなかすぐにはお客は増えなかった。
売上が回復し、黒字転換するために6ヶ月がかかった。
その間、他店の黒字を食べていった恵比寿店。一気に変わらなければいけない。
一気に変わった結果の惨敗だった。
一気に変わって新しいお客さんをもらった、一気に変わって今までのお客さんを捨てた。
一気に変わって、今まで付いてきた従業員に、会社の方向性が不明確になることで動揺を与えた。
この間、長戸氏は一度も店には来なかった。
役員会において、役員を罵倒することはあっても、店には来なかった。
長戸氏の構想においては、店は大繁盛するはずだった。居酒屋ではなく高級店になり、飲食業界で再び脚光を浴びたいと願っていた。
しかし、アップスケールを出すことによって、長戸屋は長戸屋でなくなった。
再生は、清算一歩手前まで来ていた。
業態転換へのジャッジ。ここには当然に自分の責任はある。
他のやり方や、他の出店の道はあったのだ。自分は社長の席にあった。
自分がしたジャッジ。人のせいにはできない。自分は長戸氏に選ばれて、長戸氏の意思に沿うジャッジをした。
結論はどうあれ、肥後氏がそれを支えてくれた。
この会社はどうなるのか?それを自分は示せなかった。
「最後はおれが責任を取るのだから、業態転換をやらせてくれ、頼む」、長戸氏の懇願があった。
肥後氏も僕も折れた。
でも、腑に落ちなかった。
「この会社は、おれが出資して作った会社なんだ。」
だれの会社か?
時代遅れの業界というのは、多分たくさんある。
ただ、成熟産業=時代遅れではない。今回はコレクションブランドというビジネスについて、少し考察。日本の中でそのビジネスをやることがどれだけ難しく、アゲインストであるかどうかを再考する必要があるし、やり方も大きく変えるべきだと思う。
基本的に、コレクションブランドは弱者の戦略にて戦わなければいけない。つまりは、大きくすることを求めてはいけないし、ニッチで高収益。少人数で高効率を目指さなければいけないビジネスなのである。
先週金曜日、久しぶりにファッション関連の集まりに言ってきた。
ファッション関連の集まりで、本気で何かビジネスを考えるケースは少ない。
自分はファッションが好きだったこともあり、今でも洋服やおしゃれは好き。自分はDCブランド世代ではなく、インポートブランド世代、アントワープ6が世の中を席巻し、自分自身はコスチュームナショナルがとても好きだった。今では考えられないが、何十万円もするコートを買ったりした。
その当時、ハイファッションという雑誌があって、コレクション情報に紙面に穴があくほど何度も見返したのを思い出す。いつか自分でもそういうクリエーションができるのではないか?なんて思いながら、よりよい工夫が何かできないか?なんていつも考えてました。
そういう意味で、コレクション等を見に行くのは、一大イベントであったが、それも今は昔。そういう時代ではない。
前回かいたような気がするが、今の若者はユナイテッドアローズ等を知らない。ユニクロでも、ZARAでも最先端のファッションは手に入る。時代が大きく変わったが、僕と同じ年代くらいの人々が、現在アパレルの中でやっと企画のポジションを掘り当ててきている。
当時と今とで一番大きく変わって点は、アプローチの視点。ファッションは典型的なプロダクトアウトであったが、今はマーケットインなのだ。だれが買うかを想定して、企画を進めていく企業が結局はかっているのだ。
さて、そこでコレクションブランドはというと、、、、、、
相変わらずの手法で物を作り、パブリシティに出して、販売をしている。そんなブランドがこの世にあったんだといまさらながらに思った。
先週金曜の話しだが、日本でのプロモーションのため、洋服を展示し、時にファッションショーを行い、パーティをやって関係者を集め、デザイナーが登場し、拍手する。。。。
こんなものを見ちゃった。
今の世の中、こんなことでビジネスうまくいくんなら、だれでもやるわ。。。
単なる打ち上げならそれも良しなのだが、、、、金の無駄遣いだな。来ている人間を見回しても、関係者といっても日本のディストリビューターがいるくらい。後は、とても重要顧客とは思えない人々。。。それにまったく関係のない僕まで居るんだから、なおさらだわ。
プレスの人々は大立ち回りをしているが、はっきり言って企業の金を使って、パーティやっているだけ。。
僕なら、即刻プレスを首にしますね。
コレクションビジネスは、日本には結局のところ成り立たない。
日本でい一番成功しているのは僕はFOXYだと思っている。それ以外は、、どっちでもいい。特に海外のブランドを引っ提げてくる人は、ほとんどがパーティ屋さん。
派手さは必要だけど、ロイヤルカスタマーを作ることとは関係がないように思う。
お客に真摯に向き合い。大事にし、という地道な白兵戦を行っている企業が、大きなブランドに結局なったのだ。
セールスと切り離した、テクニックだけのプレスはもう時代遅れの販売手法だろう。
ただ、成熟産業=時代遅れではない。今回はコレクションブランドというビジネスについて、少し考察。日本の中でそのビジネスをやることがどれだけ難しく、アゲインストであるかどうかを再考する必要があるし、やり方も大きく変えるべきだと思う。
基本的に、コレクションブランドは弱者の戦略にて戦わなければいけない。つまりは、大きくすることを求めてはいけないし、ニッチで高収益。少人数で高効率を目指さなければいけないビジネスなのである。
先週金曜日、久しぶりにファッション関連の集まりに言ってきた。
ファッション関連の集まりで、本気で何かビジネスを考えるケースは少ない。
自分はファッションが好きだったこともあり、今でも洋服やおしゃれは好き。自分はDCブランド世代ではなく、インポートブランド世代、アントワープ6が世の中を席巻し、自分自身はコスチュームナショナルがとても好きだった。今では考えられないが、何十万円もするコートを買ったりした。
その当時、ハイファッションという雑誌があって、コレクション情報に紙面に穴があくほど何度も見返したのを思い出す。いつか自分でもそういうクリエーションができるのではないか?なんて思いながら、よりよい工夫が何かできないか?なんていつも考えてました。
そういう意味で、コレクション等を見に行くのは、一大イベントであったが、それも今は昔。そういう時代ではない。
前回かいたような気がするが、今の若者はユナイテッドアローズ等を知らない。ユニクロでも、ZARAでも最先端のファッションは手に入る。時代が大きく変わったが、僕と同じ年代くらいの人々が、現在アパレルの中でやっと企画のポジションを掘り当ててきている。
当時と今とで一番大きく変わって点は、アプローチの視点。ファッションは典型的なプロダクトアウトであったが、今はマーケットインなのだ。だれが買うかを想定して、企画を進めていく企業が結局はかっているのだ。
さて、そこでコレクションブランドはというと、、、、、、
相変わらずの手法で物を作り、パブリシティに出して、販売をしている。そんなブランドがこの世にあったんだといまさらながらに思った。
先週金曜の話しだが、日本でのプロモーションのため、洋服を展示し、時にファッションショーを行い、パーティをやって関係者を集め、デザイナーが登場し、拍手する。。。。
こんなものを見ちゃった。
今の世の中、こんなことでビジネスうまくいくんなら、だれでもやるわ。。。
単なる打ち上げならそれも良しなのだが、、、、金の無駄遣いだな。来ている人間を見回しても、関係者といっても日本のディストリビューターがいるくらい。後は、とても重要顧客とは思えない人々。。。それにまったく関係のない僕まで居るんだから、なおさらだわ。
プレスの人々は大立ち回りをしているが、はっきり言って企業の金を使って、パーティやっているだけ。。
僕なら、即刻プレスを首にしますね。
コレクションビジネスは、日本には結局のところ成り立たない。
日本でい一番成功しているのは僕はFOXYだと思っている。それ以外は、、どっちでもいい。特に海外のブランドを引っ提げてくる人は、ほとんどがパーティ屋さん。
派手さは必要だけど、ロイヤルカスタマーを作ることとは関係がないように思う。
お客に真摯に向き合い。大事にし、という地道な白兵戦を行っている企業が、大きなブランドに結局なったのだ。
セールスと切り離した、テクニックだけのプレスはもう時代遅れの販売手法だろう。
人事考課という言葉がある。
自分自身は、人事考課についてはいろいろあってもいいと思う。公平か不公平かは人によって受け取り方が違うし、会社にとって、どんな人を重要として、どんな人を重要でないと思っているかを示すのが人事考課や人事制度の使い道だと思う。
ナショナルミニマムとして労働法があるので、それには従うとして、それ以外に関しては、僕は会社の方針次第だと思う。何かの制度変更をするとき、制度変更は常に必要だと考えるが、それも公平に思われるか、思われないかは、そこにいる社員次第だと思う。
現在は、人材市場も少しずつ、勢いを取り戻しているが、日本全体の労働市場の賃金水準は落ちた。そのため、比較的低賃金で、今まで以上の能力を持つ人材を獲得することはしやすくなったように思う。
しかし、即戦力や一線級はそれなりの対価を必要とすると思う。これらの人々、特に営業の即戦力は、チームごと買うようなM&Aに近い形以外で、僕は賛成できない。もちろん、業種によって、たとえば金融や不動産、人材紹介等のブローカレッジは別なのだが、通常の事業を営む企業の営業は如何に育てるかであると思う。
そのため、それらの企業には成果主義というか結果主義?が合うのだろうが、それ以外の企業であれば、結果に応じた報酬など経営を知らない人間がやることだとおもう。
経営や管理職の一番大きな仕事は、人を育てることだと自分は思っている。自分以外に組織をまとめ上げられる人間を作ることが第一の課題。当然、マネージャーになるのであるならば、当該職務についての市場動向や会社組織内部にどのような貢献が必要かが分かっているうえでなるのであるから、チームとして予算なり目標値の達成値に向けての貢献ができることにプラスしての機能がマネージャーなのだと自分は思っている。
人事部は、その意味ではより戦略的な業務を行うことを求められていると思う。
その意味で、人事考課は非常に、戦略的なツールになる。
今の会社と目指したい会社の姿が違うのが当たり前であるが、目指すところに行きつくためには当然にいくつものリソースの変更が必要になる。キャッシュもためなきゃいけないし、設備等も必要かもしれない。しかし、どちらにしてもそれを付加価値のあるものに変えていくのが人的資産に他ならないのだから、どういう人がどのくらいほしいか、今の組織に足りないもの、今の組織を勢いつけるものなど、それぞれに応じた人=人材が必要になる。
その人材は外から持ってきても、必ずメンテナンスが必要になる。
そしてメンテナンスには必ず時間がかかる。
社内にリソースが現在少ないとしても、qualityを上げることはできる。両方のアプローチが必要だが、qualityのチェンジやブラッシュアップによって会社は成り立つと思っている。
企業は、分断できるものではないと思っている。
各機能のモジュールを組み合わせるものではなく、各パーツパーツが絶妙なバランスの上でパフォーマンスを発揮するのが企業体だと自分は思っている。なので、とにかく早くいくことが大事な企業もあれば、持久力を追求する組織もある。感性や個性などを重視する企業もある。それらの組み合わせで、企業は成り立つのだ。
だから、人事考課をこの組織にフィットする形にして、アナウンスメントできるものにし、その運用で例外を出さず、会社の意思として運用をしていくこと、これが肝要であり、どんな設計がいいか悪いかはどちらでもよい。それ以上に運用が機能していれば、会社の判断基準、ひいては各従業員の仕事上の判断基準が明確になるのだ。
それによって、会社にとって重要な人材をより伸ばし、そうでない人は重要な人間となるために進化し、それでも駄目な人は居づらくなる。
健全な人事考課はこういうものだと思う。
自分自身は、人事考課についてはいろいろあってもいいと思う。公平か不公平かは人によって受け取り方が違うし、会社にとって、どんな人を重要として、どんな人を重要でないと思っているかを示すのが人事考課や人事制度の使い道だと思う。
ナショナルミニマムとして労働法があるので、それには従うとして、それ以外に関しては、僕は会社の方針次第だと思う。何かの制度変更をするとき、制度変更は常に必要だと考えるが、それも公平に思われるか、思われないかは、そこにいる社員次第だと思う。
現在は、人材市場も少しずつ、勢いを取り戻しているが、日本全体の労働市場の賃金水準は落ちた。そのため、比較的低賃金で、今まで以上の能力を持つ人材を獲得することはしやすくなったように思う。
しかし、即戦力や一線級はそれなりの対価を必要とすると思う。これらの人々、特に営業の即戦力は、チームごと買うようなM&Aに近い形以外で、僕は賛成できない。もちろん、業種によって、たとえば金融や不動産、人材紹介等のブローカレッジは別なのだが、通常の事業を営む企業の営業は如何に育てるかであると思う。
そのため、それらの企業には成果主義というか結果主義?が合うのだろうが、それ以外の企業であれば、結果に応じた報酬など経営を知らない人間がやることだとおもう。
経営や管理職の一番大きな仕事は、人を育てることだと自分は思っている。自分以外に組織をまとめ上げられる人間を作ることが第一の課題。当然、マネージャーになるのであるならば、当該職務についての市場動向や会社組織内部にどのような貢献が必要かが分かっているうえでなるのであるから、チームとして予算なり目標値の達成値に向けての貢献ができることにプラスしての機能がマネージャーなのだと自分は思っている。
人事部は、その意味ではより戦略的な業務を行うことを求められていると思う。
その意味で、人事考課は非常に、戦略的なツールになる。
今の会社と目指したい会社の姿が違うのが当たり前であるが、目指すところに行きつくためには当然にいくつものリソースの変更が必要になる。キャッシュもためなきゃいけないし、設備等も必要かもしれない。しかし、どちらにしてもそれを付加価値のあるものに変えていくのが人的資産に他ならないのだから、どういう人がどのくらいほしいか、今の組織に足りないもの、今の組織を勢いつけるものなど、それぞれに応じた人=人材が必要になる。
その人材は外から持ってきても、必ずメンテナンスが必要になる。
そしてメンテナンスには必ず時間がかかる。
社内にリソースが現在少ないとしても、qualityを上げることはできる。両方のアプローチが必要だが、qualityのチェンジやブラッシュアップによって会社は成り立つと思っている。
企業は、分断できるものではないと思っている。
各機能のモジュールを組み合わせるものではなく、各パーツパーツが絶妙なバランスの上でパフォーマンスを発揮するのが企業体だと自分は思っている。なので、とにかく早くいくことが大事な企業もあれば、持久力を追求する組織もある。感性や個性などを重視する企業もある。それらの組み合わせで、企業は成り立つのだ。
だから、人事考課をこの組織にフィットする形にして、アナウンスメントできるものにし、その運用で例外を出さず、会社の意思として運用をしていくこと、これが肝要であり、どんな設計がいいか悪いかはどちらでもよい。それ以上に運用が機能していれば、会社の判断基準、ひいては各従業員の仕事上の判断基準が明確になるのだ。
それによって、会社にとって重要な人材をより伸ばし、そうでない人は重要な人間となるために進化し、それでも駄目な人は居づらくなる。
健全な人事考課はこういうものだと思う。
M&Aの価値という大げさなタイトルになっているが、他人と話をして、自分が抱えていたことが氷解したことがあったので、書き留めておこうと思っている。
M&Aには、そのケースごとに各々目的があるのであるが、売る立場に立って考えてみると、
自分が未上場ではオーナーであり、上場企業では経営者であるとする。その立場から、なぜM&Aを踏み切るかといえば、今後この会社を発展させるためには、もしくは死なせないために、自分ではできないことを行うために、売却をするという立場になる。
買う立場になれば、今後の自社の発展のためには、足りないものがあり、それを補うために会社を買うのだ。会社を買うのは、事業の中身や、ブランド、販売網だったり、技術であったり様々だが、それだけをピンポイントで買えるのであれば、いいのだがそれ以外の負の遺産も引き継ぐことになる。
負の遺産とは何かというと、負債など認識しやすいものもあるが、見えにくい、認識しにくい何かも存在する。
その最たるものは、previous managementという話しをしてくれた人がいた。
なるほど、、、、、とすごく納得した。そうそう、これを表現したかったんだよと。。。。
僕自身はPEにいて、買収を行っていたが、成功する案件もあれば、成功しない案件もある。
事業を買うので、ビジネスモデルそのものを買うのだが、被買収会社も何らかのビジネスモデルが存在し、それが機能していたのだから今まで存在し、売りに出される。
つまり、M&Aに上がる事業には何らかの価値を生み出す仕組みが存在する。
最も、分かりやすいM&Aは不動産の売買。つまり、そこには資産があり、収益を生み出す価値がある=レント。
もしくは債権も同じだが、資産があり、収益を生み出す価値=金利がある。
だから、金融会社や、不動産会社や、ホテル、アパート、マンションなどはだれにでもわかる価値を持っているという点で、分かりやすいし、金利やレントロールは相場があるために測定しやすい。ホテルなどは、宿泊料金など事業的な要素を多分に含むため、難しい部分はあるが、通常はそれでも読みやすい。
この構図は、どんな事業の売買でも同じだと思っている。
そんな中で、自分は最も成功確率の高いM&Aは成熟産業の中にあると思っている。
なぜ成熟産業かというと、成熟産業は伸び代が少ない産業である。成熟する過程では何らかの加速度的な成長があったじきがある。その時には成功方程式を持ち合わせていた。
その成功方程式に合わせて、攻めていない市場に、市場を拡大していけばいい。そういう時期があった。
しかし、その成功方程式はいずれガタがくる。
なぜガタが来るかといえば、飽和するからだし、消費者やユーザーはそこから成長する。その変化に、コピー&ペーストを繰り返してきた企業には、戦略の根本的な見直しを行わなければいけない瞬間があるのだが、その見直しをなかなかできないし、できる人間が少ない傾向にある。
いくつもそういう根本的な変化にさらされてきた企業群はその変化を生み出すために優秀な人材をもち、フレキシブルな組織運営を行うのだが、本業一本できた企業にはそれを行うだけの環境も人材も少ないのが普通だ。だから、経営者の交代や継承に伴って、次世代経営者を育てなければパフォーマンスは悪くなるばかりなのだ。
だからこそ、そこにM&Aの買う側の価値が存在する。
そういう思いで、成熟産業がいいと思っていた。
逆にいえば、外から見て、違和感を感じる部分に企業を自分が経営すればあれも治せると思える事業は買いなのだ。自分は卓越した能力を持っているわけではないし、アマゾンのようなイノベーションに合わせて新しい市場を開拓する発想もない。しかし、経営をきちっと行うことには自信がある。
だから、previous managementが悪ければ、自分が行うことによって、収益は改善することができる
逆に、、previous managementが非常に優秀で、いろんな試みをしたが失敗している場合は、相当に難しい。
ビジネスモデルそのものが崩壊している例であり、ここに買収価値はない。
M&Aには、そのケースごとに各々目的があるのであるが、売る立場に立って考えてみると、
自分が未上場ではオーナーであり、上場企業では経営者であるとする。その立場から、なぜM&Aを踏み切るかといえば、今後この会社を発展させるためには、もしくは死なせないために、自分ではできないことを行うために、売却をするという立場になる。
買う立場になれば、今後の自社の発展のためには、足りないものがあり、それを補うために会社を買うのだ。会社を買うのは、事業の中身や、ブランド、販売網だったり、技術であったり様々だが、それだけをピンポイントで買えるのであれば、いいのだがそれ以外の負の遺産も引き継ぐことになる。
負の遺産とは何かというと、負債など認識しやすいものもあるが、見えにくい、認識しにくい何かも存在する。
その最たるものは、previous managementという話しをしてくれた人がいた。
なるほど、、、、、とすごく納得した。そうそう、これを表現したかったんだよと。。。。
僕自身はPEにいて、買収を行っていたが、成功する案件もあれば、成功しない案件もある。
事業を買うので、ビジネスモデルそのものを買うのだが、被買収会社も何らかのビジネスモデルが存在し、それが機能していたのだから今まで存在し、売りに出される。
つまり、M&Aに上がる事業には何らかの価値を生み出す仕組みが存在する。
最も、分かりやすいM&Aは不動産の売買。つまり、そこには資産があり、収益を生み出す価値がある=レント。
もしくは債権も同じだが、資産があり、収益を生み出す価値=金利がある。
だから、金融会社や、不動産会社や、ホテル、アパート、マンションなどはだれにでもわかる価値を持っているという点で、分かりやすいし、金利やレントロールは相場があるために測定しやすい。ホテルなどは、宿泊料金など事業的な要素を多分に含むため、難しい部分はあるが、通常はそれでも読みやすい。
この構図は、どんな事業の売買でも同じだと思っている。
そんな中で、自分は最も成功確率の高いM&Aは成熟産業の中にあると思っている。
なぜ成熟産業かというと、成熟産業は伸び代が少ない産業である。成熟する過程では何らかの加速度的な成長があったじきがある。その時には成功方程式を持ち合わせていた。
その成功方程式に合わせて、攻めていない市場に、市場を拡大していけばいい。そういう時期があった。
しかし、その成功方程式はいずれガタがくる。
なぜガタが来るかといえば、飽和するからだし、消費者やユーザーはそこから成長する。その変化に、コピー&ペーストを繰り返してきた企業には、戦略の根本的な見直しを行わなければいけない瞬間があるのだが、その見直しをなかなかできないし、できる人間が少ない傾向にある。
いくつもそういう根本的な変化にさらされてきた企業群はその変化を生み出すために優秀な人材をもち、フレキシブルな組織運営を行うのだが、本業一本できた企業にはそれを行うだけの環境も人材も少ないのが普通だ。だから、経営者の交代や継承に伴って、次世代経営者を育てなければパフォーマンスは悪くなるばかりなのだ。
だからこそ、そこにM&Aの買う側の価値が存在する。
そういう思いで、成熟産業がいいと思っていた。
逆にいえば、外から見て、違和感を感じる部分に企業を自分が経営すればあれも治せると思える事業は買いなのだ。自分は卓越した能力を持っているわけではないし、アマゾンのようなイノベーションに合わせて新しい市場を開拓する発想もない。しかし、経営をきちっと行うことには自信がある。
だから、previous managementが悪ければ、自分が行うことによって、収益は改善することができる
逆に、、previous managementが非常に優秀で、いろんな試みをしたが失敗している場合は、相当に難しい。
ビジネスモデルそのものが崩壊している例であり、ここに買収価値はない。
無職になって、はや4ヶ月世の中は、厳しいものだと思っていました。夏休みをたっぷりとし、久しぶりに休養をしたという気分になっています。
永い間、無職なので、ずーっと夏休みじゃないかと思うのだけど、家族で一緒に現実から飛び出るとそれはそれで、「夏休み」という感じがするのです。
さて、夏休みは15日で終わり、16日からいろんな話が舞い込んできて、なかなか楽しい。
中国での化粧品販売のコンサルに、M&A案件、日本での新規ブランド開発と、、、まあ少しづつ景気は良くなっているんですね。
財務的な余裕もカウントできるほどに残りわずかになったので、そろそろインカムを増やしていかなければと思っています。
そんな折、社長候補ポジションの面談に行きました。
売上は10億位のメーカー商社です。母体は加工下請け、創業35年の会社です。
従業員は20-30人。
ここの社長は、まだ40代と若く、親父さんから引き継いだ2代目社長。この社長の経営手腕は分からないものの、会ってみて非常にいい人だと思いました。
心理学や社会科学に精通しており、言葉の定義から説明をして、理解を深めようとするタイプで、すごく自信のある方だった。
なぜこの人が、社長をやらず、社長候補を探しているかといえば、彼にはやりたい事業があり、現業を任せられる誰かを探しているとのことだった。
彼の人柄はすごく好きだし、人間的にもすごく好き。でも、違和感を非常に覚える。
その違和感は、タイトルにある通り、経営は科学かアートかという問題。
僕自身はアートだと思う。
しかし、彼は科学だという。科学は技術で構成されており、この技術を使う限り会社は繁栄するというものだった。
僕はしかし、科学では解明できない部分はあると思うし、人間も科学だけでなんとかなるわけではない。
だれでも理解できることは、基本的にないと思っている。
話をして、自分も理解はできるのだが、納得ができないという部分が多分にある。
科学的に経営を行えば、解にたどり着くという。
僕自身は経営に解答はない、正解はないという立場で、あるのは成功か失敗かという結果だけ。
間違った解答はあるものの、正しい解答はないというのが経営だと思っている。
どういうことかというと、
芸術というよりも、スポーツに近いのかもしれないが、パフォーマンスを評価するにはルールがある。
そのルールから逸出したとき、間違った決断(=間違った解答)となる。逆にそのルールの中でのアクションであれば、何らかの点数がもらえる。だから、正しい決断(=正しい解答)は経営にはない。
結果として、企業のパフォーマンスに良い悪いはあるが、決断の段階でより正しい、正しくないは存在しないと思っている。
しかし、その決断から発揮されたパフォーマンスは、結果として企業体にのしかかる。悪ければ、最悪倒産し、良ければ繁栄し、企業のステークホルダーのすべてが潤うそういう仕組みだと思っている。
彼はそれを科学的に解明し、ある程度の公式に当てはめれば、うまくいくとの主張を行うのだ。
彼も、ある程度という含みを持たせているので、自分の言っていることと同じようなことを言っているようにも思うのだが、その結果としての形に違和感を感じるのだ。
わずか20-30人の組織にdivisionが6つもあり、sectionにすれば、従業員の数を超えてしまう。
少人数の場合、やはり多能工を育てる必要があり、総合格闘技を行う必要があるのだ。
マネジメント体制にしても、一人で50人レベルであればみることができる。
彼がそこから、人間のパフォーマンスにしても、本人の心の持ちようから出発して心理学的にアプローチする。
結果として、どんな従業員を採用するかという設問に、僕も彼も「素直さ」を求めた、答えが一致。
人間のことをよく観察して、それを皆に分からせようとするために、定義と3段論法を使い、説明する。
一つ、どうしても違和感を感じることは、役割の問題だ。
経営と被雇用とは全く違う。しかし、それを彼は分かってもらおうと思っていること。
僕自身は決して分からないと思っている。
さて、どうしたものか?
永い間、無職なので、ずーっと夏休みじゃないかと思うのだけど、家族で一緒に現実から飛び出るとそれはそれで、「夏休み」という感じがするのです。
さて、夏休みは15日で終わり、16日からいろんな話が舞い込んできて、なかなか楽しい。
中国での化粧品販売のコンサルに、M&A案件、日本での新規ブランド開発と、、、まあ少しづつ景気は良くなっているんですね。
財務的な余裕もカウントできるほどに残りわずかになったので、そろそろインカムを増やしていかなければと思っています。
そんな折、社長候補ポジションの面談に行きました。
売上は10億位のメーカー商社です。母体は加工下請け、創業35年の会社です。
従業員は20-30人。
ここの社長は、まだ40代と若く、親父さんから引き継いだ2代目社長。この社長の経営手腕は分からないものの、会ってみて非常にいい人だと思いました。
心理学や社会科学に精通しており、言葉の定義から説明をして、理解を深めようとするタイプで、すごく自信のある方だった。
なぜこの人が、社長をやらず、社長候補を探しているかといえば、彼にはやりたい事業があり、現業を任せられる誰かを探しているとのことだった。
彼の人柄はすごく好きだし、人間的にもすごく好き。でも、違和感を非常に覚える。
その違和感は、タイトルにある通り、経営は科学かアートかという問題。
僕自身はアートだと思う。
しかし、彼は科学だという。科学は技術で構成されており、この技術を使う限り会社は繁栄するというものだった。
僕はしかし、科学では解明できない部分はあると思うし、人間も科学だけでなんとかなるわけではない。
だれでも理解できることは、基本的にないと思っている。
話をして、自分も理解はできるのだが、納得ができないという部分が多分にある。
科学的に経営を行えば、解にたどり着くという。
僕自身は経営に解答はない、正解はないという立場で、あるのは成功か失敗かという結果だけ。
間違った解答はあるものの、正しい解答はないというのが経営だと思っている。
どういうことかというと、
芸術というよりも、スポーツに近いのかもしれないが、パフォーマンスを評価するにはルールがある。
そのルールから逸出したとき、間違った決断(=間違った解答)となる。逆にそのルールの中でのアクションであれば、何らかの点数がもらえる。だから、正しい決断(=正しい解答)は経営にはない。
結果として、企業のパフォーマンスに良い悪いはあるが、決断の段階でより正しい、正しくないは存在しないと思っている。
しかし、その決断から発揮されたパフォーマンスは、結果として企業体にのしかかる。悪ければ、最悪倒産し、良ければ繁栄し、企業のステークホルダーのすべてが潤うそういう仕組みだと思っている。
彼はそれを科学的に解明し、ある程度の公式に当てはめれば、うまくいくとの主張を行うのだ。
彼も、ある程度という含みを持たせているので、自分の言っていることと同じようなことを言っているようにも思うのだが、その結果としての形に違和感を感じるのだ。
わずか20-30人の組織にdivisionが6つもあり、sectionにすれば、従業員の数を超えてしまう。
少人数の場合、やはり多能工を育てる必要があり、総合格闘技を行う必要があるのだ。
マネジメント体制にしても、一人で50人レベルであればみることができる。
彼がそこから、人間のパフォーマンスにしても、本人の心の持ちようから出発して心理学的にアプローチする。
結果として、どんな従業員を採用するかという設問に、僕も彼も「素直さ」を求めた、答えが一致。
人間のことをよく観察して、それを皆に分からせようとするために、定義と3段論法を使い、説明する。
一つ、どうしても違和感を感じることは、役割の問題だ。
経営と被雇用とは全く違う。しかし、それを彼は分かってもらおうと思っていること。
僕自身は決して分からないと思っている。
さて、どうしたものか?
いくつかの会社を見てきて、典型的に死ぬパターンは、「現実を直視しない」というキーワードでつづられる。
自分は思うのだが、経営戦略ってそもそも何なのだと思う。
金集めにしても、決算発表にしても戦略という言葉を使われるけれど、どう見ても計画であり、希望的観測にしか見えないケースがある。
自分が決算発表することもあったが、その時に来期の予想を立てていた。なぜ、予想通りに進まないのか?と投資家には非常に詰められたけど、なぜ進まないのか?の答えは、常に環境の変化としか言いようがないし、環境の変化も何もない状況などビジネスではあり得ないのだ。
逆にいえば、計画を作る段階では、予想しきれないファクターが非常に多いのだ。それらの変化の中には、プラスもあればマイナスの変化もあるだろうが、それらを迅速かつ的確に対応していかなくてはいけない。
迅速かつ的確というが曲者であるが、的確か否かはふたを開けてみなければわからないので、迅速に対応することを心がけた。迅速に対応した結果間違うこともあるが、間違いを迅速に訂正することの方が、間違わないように判断しないことの方がダメージが大きいというのが、自分の経験則だ。
そして間違ったらすべて間違っていたことを、はっきりと説明することがアカウンタビリティだと思っている。
死ぬ会社を何度か見てきたが、やってすぐダメな場合は論外であるが、どの企業も一番初めは何らかの成功をする。その成功モデルを今度は効率よく遂行するための内部組織を作る。
内部組織は作業のルーティン化を行い、新たな人員は標準化・マニュアル化された作業をこなすことになる。定型業務に当てはまらない問題を管理職が自らの経験と知識でジャッジして処理をしていく。
①この管理職の養成もしくは、引き抜きに見合わないのに、売上が拡大していく状況で、企業としての齟齬が出るのが一つ。
③成功体験に引きずられ、定型作業だけしていても売上が伸びなくなったとき、処方箋を編み出せなくなる。なぜなら今までの経験上のお客さんのニーズにしか答えられない組織になっており、それ以上のことをしようと今までの指標である効率性を犠牲にし、組織上の評価が悪くなるからだ。特にある程度の売上がある場合は、売上の鈍化をコスト削減で対応するため、余計に顧客ニーズの変化に気付かないケースが、多い。
③最後に、定型の作業をどんなに効率化しても、結果として利益がでない時がある。
この時に、組織は無責任になる。
いろんなことを試す、人を動かしたりする。しかし、すぐに効果が出ない。
そして効果が出なかったことを「組織としてのいい解決策が出なかった」として、個人の責任を問わなくなる。
何やってもうまくいかないので、リスクヘッジだけを考えるようになる。
ようするに、だれもリスクも責任もとらない組織になるということだ。
どれにしても、経営者が現実から逃げたから起こった出来事である。
①は社内の現実を直視しないことであり、
②は社外の現実を直視ないこと
③の直面の課題を直視しないこと
から起因する。
社内であろうが、社外であろうが、経営には極力生のデータがあるべきだと思う。
そして、自らの責任で行わなければいけないことを常に念頭に置いておくべきだ。
戦略とは、不確実に発生するイベントに対し、どのような判断を下していくかという方針のようなものである。と僕は思っている。なので、判断方針であり、何が(what)ほしい対象で、なぜ(why)それを行わなければいけないかを示すこと。when、how、whoに関しては、常に変更の可能性があると思っている。
計画に沿って行える経営判断は基本的になく、常に置きあがるイベント(現実)と計画と見比べ、計画上のhowや、whenを修正していく作業なのである。
自分は思うのだが、経営戦略ってそもそも何なのだと思う。
金集めにしても、決算発表にしても戦略という言葉を使われるけれど、どう見ても計画であり、希望的観測にしか見えないケースがある。
自分が決算発表することもあったが、その時に来期の予想を立てていた。なぜ、予想通りに進まないのか?と投資家には非常に詰められたけど、なぜ進まないのか?の答えは、常に環境の変化としか言いようがないし、環境の変化も何もない状況などビジネスではあり得ないのだ。
逆にいえば、計画を作る段階では、予想しきれないファクターが非常に多いのだ。それらの変化の中には、プラスもあればマイナスの変化もあるだろうが、それらを迅速かつ的確に対応していかなくてはいけない。
迅速かつ的確というが曲者であるが、的確か否かはふたを開けてみなければわからないので、迅速に対応することを心がけた。迅速に対応した結果間違うこともあるが、間違いを迅速に訂正することの方が、間違わないように判断しないことの方がダメージが大きいというのが、自分の経験則だ。
そして間違ったらすべて間違っていたことを、はっきりと説明することがアカウンタビリティだと思っている。
死ぬ会社を何度か見てきたが、やってすぐダメな場合は論外であるが、どの企業も一番初めは何らかの成功をする。その成功モデルを今度は効率よく遂行するための内部組織を作る。
内部組織は作業のルーティン化を行い、新たな人員は標準化・マニュアル化された作業をこなすことになる。定型業務に当てはまらない問題を管理職が自らの経験と知識でジャッジして処理をしていく。
①この管理職の養成もしくは、引き抜きに見合わないのに、売上が拡大していく状況で、企業としての齟齬が出るのが一つ。
③成功体験に引きずられ、定型作業だけしていても売上が伸びなくなったとき、処方箋を編み出せなくなる。なぜなら今までの経験上のお客さんのニーズにしか答えられない組織になっており、それ以上のことをしようと今までの指標である効率性を犠牲にし、組織上の評価が悪くなるからだ。特にある程度の売上がある場合は、売上の鈍化をコスト削減で対応するため、余計に顧客ニーズの変化に気付かないケースが、多い。
③最後に、定型の作業をどんなに効率化しても、結果として利益がでない時がある。
この時に、組織は無責任になる。
いろんなことを試す、人を動かしたりする。しかし、すぐに効果が出ない。
そして効果が出なかったことを「組織としてのいい解決策が出なかった」として、個人の責任を問わなくなる。
何やってもうまくいかないので、リスクヘッジだけを考えるようになる。
ようするに、だれもリスクも責任もとらない組織になるということだ。
どれにしても、経営者が現実から逃げたから起こった出来事である。
①は社内の現実を直視しないことであり、
②は社外の現実を直視ないこと
③の直面の課題を直視しないこと
から起因する。
社内であろうが、社外であろうが、経営には極力生のデータがあるべきだと思う。
そして、自らの責任で行わなければいけないことを常に念頭に置いておくべきだ。
戦略とは、不確実に発生するイベントに対し、どのような判断を下していくかという方針のようなものである。と僕は思っている。なので、判断方針であり、何が(what)ほしい対象で、なぜ(why)それを行わなければいけないかを示すこと。when、how、whoに関しては、常に変更の可能性があると思っている。
計画に沿って行える経営判断は基本的になく、常に置きあがるイベント(現実)と計画と見比べ、計画上のhowや、whenを修正していく作業なのである。
企業の力というものは利益という形で、はっきりと出てくる。
しかし、各社にいる個々の人間の力の差はそれほどないと思う。同じ10人の営業マンがいる会社Aと会社Bの社員の一人ひとりの力の差はなくても、組織としては大きな力の差になると思う。
逆にいえば、個々の人間の力に頼るのではなく、組織の力の発揮の仕方によっては、大きな差がつく。
うちには力のある営業マンがいないから、とか、営業力が弱いなどという言葉があるけれど、個々の力で差が付いているわけではないということを再認識する必要がある。
自分はいくつかの組織を横目で、時に内部から観察した時に、物理法則は企業力にも表れると思う。
物理の力の公式だが、力=質量×スピードの2乗。
質量10、スピードが10であれば 1000の力
質量20、スピード10 =2000 しかし、スピードが2倍になった時、力は4000と4倍になる。
企業の中でも、それは同じだと思う。
営業人員数 x 商品力の2乗=売上 これなんかは当てはまると思う。
また企業も同じで、企業力=人員の数 x スピードの2乗
これなどは、近いような気がする。
スピードとは何を意味するかというと、企業に置いては、作業効率というものも製造業の中ではあるけれど、生産量はスピードに普通比例するだけだが、2乗に比例するスピードはジャッジの早さであると思う。
ジャッジのボトルネックになるのは基本的には管理職だけだ。つまり営業力はジャッジの早さの2乗に比例すると考える。
ラインでも、スタッフでも毎日のように判断すべき課題はでてくるが、先送りにすればするだけ状況は、まずくなる一方で、課題は山積してくる。
しかし、各社にいる個々の人間の力の差はそれほどないと思う。同じ10人の営業マンがいる会社Aと会社Bの社員の一人ひとりの力の差はなくても、組織としては大きな力の差になると思う。
逆にいえば、個々の人間の力に頼るのではなく、組織の力の発揮の仕方によっては、大きな差がつく。
うちには力のある営業マンがいないから、とか、営業力が弱いなどという言葉があるけれど、個々の力で差が付いているわけではないということを再認識する必要がある。
自分はいくつかの組織を横目で、時に内部から観察した時に、物理法則は企業力にも表れると思う。
物理の力の公式だが、力=質量×スピードの2乗。
質量10、スピードが10であれば 1000の力
質量20、スピード10 =2000 しかし、スピードが2倍になった時、力は4000と4倍になる。
企業の中でも、それは同じだと思う。
営業人員数 x 商品力の2乗=売上 これなんかは当てはまると思う。
また企業も同じで、企業力=人員の数 x スピードの2乗
これなどは、近いような気がする。
スピードとは何を意味するかというと、企業に置いては、作業効率というものも製造業の中ではあるけれど、生産量はスピードに普通比例するだけだが、2乗に比例するスピードはジャッジの早さであると思う。
ジャッジのボトルネックになるのは基本的には管理職だけだ。つまり営業力はジャッジの早さの2乗に比例すると考える。
ラインでも、スタッフでも毎日のように判断すべき課題はでてくるが、先送りにすればするだけ状況は、まずくなる一方で、課題は山積してくる。
東証の取引時間に時間に関して、斎藤社長がコメントをしていた。
僕は、ところんやるべきだと思う。
東証は株式会社かもしれないけど、日本経済そのもののインフラを提供している会社でもあるんだ。
しかし、本日のTVインタビューの映像を見ると。ちょっと残念だった。
以下 日経より
東京証券取引所は26日、株式売買の取引時間延長について議論を始めると正式発表した。昼休みの撤廃や夜間取引の導入が主な論点。世界中で発信される株価 材料に投資家が対応しやすくなるほか、時間の制約があるサラリーマンなどの売買機会を広げる狙いだ。ただ証券会社にはコスト増などへの懸念から延長に反対 する声も多い。東証は年内に結論を出す方針だが、一般からの意見募集などを踏まえて慎重に議論を進める考えだ。
まあ、分かるけど、「証券会社はコスト増等への懸念から延長に反対する声も多い」というくだりを映像で見たが、相当自信なさそうだった。確かに、証券会社からの収益が大きいから分かるけど。それでも、東証の役割はこれ!!っていう目指すべきビジョンを示して、進んでほしいと思う。
駄目だと言われた産業再生機構での大役はしっかり果たしたのだから、今回もやってほしいと思う。
各国の証券取引所の様子を見ても、東証が追い付けない運営条件ではない。東証がどういう市場でいたいのか分からないが、多くを外国人投資家に頼るのであれば、もっとプレーヤーを増やすべきだし、増やせる器を作るべきだと思う。
僕は、ところんやるべきだと思う。
東証は株式会社かもしれないけど、日本経済そのもののインフラを提供している会社でもあるんだ。
しかし、本日のTVインタビューの映像を見ると。ちょっと残念だった。
以下 日経より
東京証券取引所は26日、株式売買の取引時間延長について議論を始めると正式発表した。昼休みの撤廃や夜間取引の導入が主な論点。世界中で発信される株価 材料に投資家が対応しやすくなるほか、時間の制約があるサラリーマンなどの売買機会を広げる狙いだ。ただ証券会社にはコスト増などへの懸念から延長に反対 する声も多い。東証は年内に結論を出す方針だが、一般からの意見募集などを踏まえて慎重に議論を進める考えだ。
まあ、分かるけど、「証券会社はコスト増等への懸念から延長に反対する声も多い」というくだりを映像で見たが、相当自信なさそうだった。確かに、証券会社からの収益が大きいから分かるけど。それでも、東証の役割はこれ!!っていう目指すべきビジョンを示して、進んでほしいと思う。
駄目だと言われた産業再生機構での大役はしっかり果たしたのだから、今回もやってほしいと思う。
各国の証券取引所の様子を見ても、東証が追い付けない運営条件ではない。東証がどういう市場でいたいのか分からないが、多くを外国人投資家に頼るのであれば、もっとプレーヤーを増やすべきだし、増やせる器を作るべきだと思う。
今日、ブログ書いていたんだけど、なんとなくあいまいで嫌だなと思った。
経営と管理職との関係は、指示され従う関係ではないと自分は思っている。
役割が違う。あくまでも経営の方針を示すのは経営の仕事であり、管理職はその方針に従わざるを得ない。
その方針自体に意見を述べることは可能であるし、そういう会話ができない会社は不健全だと思うが、決定権者は違うところにいる。
管理職は、与えられた経営方針の範囲の中で、予算案を上程する。そこに経営が注文を入れ、上方下方の修正を施す。当然にその予算が実行可能だという説明をするのは、経営であり、予算案の提案者ではない。
管理職と、経営とではその意味において予算の攻防を行うという印象を持つが、予算案が決定に行く過程において、経営も管理職も経営方針の実現に向けて互いに知恵を出し合うという作業が存在する。
そこで議論を尽くしたうえで、決定権者(=経営)が決定を行うのだ。
そこで出てきた予算なりの目標値の進捗の報告は当然に管理職の義務になる。
大事なことは、予算に対してどれくらいの差異が出ており、その差異を埋めるためにどのようなアクションを取るべきか等のコミットメントをしてくことなのだ。
予算どおりもしくは、予算以上の成果を上げることが目的ではない。予算を組んだときにはその予算を組んだ理由があり、達成可能であろうという根拠があった。その根拠自体は過去に推測したものであり、未来を言い当てるわけではない。だから、「なぜ当該部署が予算が達成できない」ではなくて、「どのくらいの差異が発生し、どの根拠をよみ間違えたのか」を報告する関係である。
もちろん、それも仮説にすぎないが、そこから予算を修正するべきなのか?人員を増やすべきなのか?広告費を投入するか?等の判断をその場で行い、予算を運用していくことが求められるのだと思う。
特に今の経営環境に置いては、予算を1年先まで読むのは難しいこともある。
「前例がないほど不確か」な時代なので、どれだけフレキシブルに運用するかがポイントだと思う。たとえ結果変更しなくても、常に何らかの競争環境が変化しているという前提で、結果を見ていかないと経営は間違えてしまう。
経営と管理職との関係は、指示され従う関係ではないと自分は思っている。
役割が違う。あくまでも経営の方針を示すのは経営の仕事であり、管理職はその方針に従わざるを得ない。
その方針自体に意見を述べることは可能であるし、そういう会話ができない会社は不健全だと思うが、決定権者は違うところにいる。
管理職は、与えられた経営方針の範囲の中で、予算案を上程する。そこに経営が注文を入れ、上方下方の修正を施す。当然にその予算が実行可能だという説明をするのは、経営であり、予算案の提案者ではない。
管理職と、経営とではその意味において予算の攻防を行うという印象を持つが、予算案が決定に行く過程において、経営も管理職も経営方針の実現に向けて互いに知恵を出し合うという作業が存在する。
そこで議論を尽くしたうえで、決定権者(=経営)が決定を行うのだ。
そこで出てきた予算なりの目標値の進捗の報告は当然に管理職の義務になる。
大事なことは、予算に対してどれくらいの差異が出ており、その差異を埋めるためにどのようなアクションを取るべきか等のコミットメントをしてくことなのだ。
予算どおりもしくは、予算以上の成果を上げることが目的ではない。予算を組んだときにはその予算を組んだ理由があり、達成可能であろうという根拠があった。その根拠自体は過去に推測したものであり、未来を言い当てるわけではない。だから、「なぜ当該部署が予算が達成できない」ではなくて、「どのくらいの差異が発生し、どの根拠をよみ間違えたのか」を報告する関係である。
もちろん、それも仮説にすぎないが、そこから予算を修正するべきなのか?人員を増やすべきなのか?広告費を投入するか?等の判断をその場で行い、予算を運用していくことが求められるのだと思う。
特に今の経営環境に置いては、予算を1年先まで読むのは難しいこともある。
「前例がないほど不確か」な時代なので、どれだけフレキシブルに運用するかがポイントだと思う。たとえ結果変更しなくても、常に何らかの競争環境が変化しているという前提で、結果を見ていかないと経営は間違えてしまう。
今日クローズアップ現代というNHKの番組を見ていた。なるほどなぁと勉強になることがあった。
以下、NHKウェブサイトから番組紹介のコピペ
日本のモノづくりが、中国や韓国などの勢いに押されつつある中、日本特有のココロ“おもてなし”を武器に、海外でビジネス展開しようという動きが広がりつつある。石川県の純和風旅館・加賀屋は、今年11月、台湾企業と共同で現地に旅館を開業する。接客係の徹底したもてなしで客に感動を与えてきた経験を生かし、その極めて日本的なもてなしで新たな市場を開拓しようというのだ。またヤマト運輸は今年1 月、宅配便サービスで上海に進出。“運送業ではなくサービス業”という理念のもと、同業他社とは一線を画した丁寧で細やかな心配りで評判を高めている。さ らに資生堂は、得意の“おもてなし”接客術で、積極的に中国内陸部へも営業網を拡大中だ。生活習慣や意識が異なる海外で、日本流の“おもてなし”はどこま で通用するのか。現地のスタッフに“おもてなしの心”をどう伝えるのか。広がり始めた“おもてなしの輸出”。その可能性と課題を見つめる。
きいていてなるほどなぁと思ったのは、資生堂とヤマト運輸の取り組み。
単純に、なぜ資生堂がおもてなし接客にこだわるのか?なぜヤマトが運送業ではなく、サービス業になるのか?
という根っこの部分だと思う。そもそも論である。
だから、この番組の前段の加賀屋でフォーカスを当てられている①和服姿の人が深くお辞儀をしている映像と、②商品を売るのではなくて顧客の肌のトラブルにいかに対応するかをコンサルする接客とはフォーカスポイントがずれている。
加えて間違えるのは、今回のコメンテーターが、国際観光マーケティング、ホスピタリティ・マネジメントで、日本を如何に売るか?に焦点を当ててしまっているために、資生堂とヤマトの取り組みを「生活習慣が違う国で日本流のサービスは通用するか?」という問いにしてしまっている。
資生堂もヤマトも、日本を売るなんてこれっぽッちも考えていない。
ブランドとして、日本語やひらがなをロゴやトレードマークにすることはあっても、日本で売っている商品サービスをコピーすればいいなんて思ってないし、もっというのであれば、日本で商売するにあたっても一つの成功法則にずっとしがみついているマネジメントはしていない。
どんなヒット商品であっても、時代によって味が変わったり、何かが変更されているのだ。
ここで僕が改めて、思ったことは、おもてなし=顧客志向と翻訳可能いうこと。
だから、資生堂はオモテナシをここまで押しているんだということ。
ヤマトはさすがにおもてなしとは言っていないけど、「モノを届ける」ことが自分たちの商品ではなく、そのサービスを通じて気持ちを届けたり、思いを伝えたりするのが自分たちの提供できる付加価値である。だからこそ2時間おきに配達時間を指定できるし、冷たいものを冷たく、できるだけ新鮮な状態で届けようという努力をするのである。
日本流のおもてなしとあるけれど、日本でもどこでもそれは変わらない。
みるべきは顧客が何を求めていて、どんな問題を解決したいと思っていて、顧客が期待する以上の何かをすることで感動をつくるために、自らが何ができるかという日本流のサービス業における改善活動そのものなのだ。
以下、NHKウェブサイトから番組紹介のコピペ
日本のモノづくりが、中国や韓国などの勢いに押されつつある中、日本特有のココロ“おもてなし”を武器に、海外でビジネス展開しようという動きが広がりつつある。石川県の純和風旅館・加賀屋は、今年11月、台湾企業と共同で現地に旅館を開業する。接客係の徹底したもてなしで客に感動を与えてきた経験を生かし、その極めて日本的なもてなしで新たな市場を開拓しようというのだ。またヤマト運輸は今年1 月、宅配便サービスで上海に進出。“運送業ではなくサービス業”という理念のもと、同業他社とは一線を画した丁寧で細やかな心配りで評判を高めている。さ らに資生堂は、得意の“おもてなし”接客術で、積極的に中国内陸部へも営業網を拡大中だ。生活習慣や意識が異なる海外で、日本流の“おもてなし”はどこま で通用するのか。現地のスタッフに“おもてなしの心”をどう伝えるのか。広がり始めた“おもてなしの輸出”。その可能性と課題を見つめる。
きいていてなるほどなぁと思ったのは、資生堂とヤマト運輸の取り組み。
単純に、なぜ資生堂がおもてなし接客にこだわるのか?なぜヤマトが運送業ではなく、サービス業になるのか?
という根っこの部分だと思う。そもそも論である。
だから、この番組の前段の加賀屋でフォーカスを当てられている①和服姿の人が深くお辞儀をしている映像と、②商品を売るのではなくて顧客の肌のトラブルにいかに対応するかをコンサルする接客とはフォーカスポイントがずれている。
加えて間違えるのは、今回のコメンテーターが、国際観光マーケティング、ホスピタリティ・マネジメントで、日本を如何に売るか?に焦点を当ててしまっているために、資生堂とヤマトの取り組みを「生活習慣が違う国で日本流のサービスは通用するか?」という問いにしてしまっている。
資生堂もヤマトも、日本を売るなんてこれっぽッちも考えていない。
ブランドとして、日本語やひらがなをロゴやトレードマークにすることはあっても、日本で売っている商品サービスをコピーすればいいなんて思ってないし、もっというのであれば、日本で商売するにあたっても一つの成功法則にずっとしがみついているマネジメントはしていない。
どんなヒット商品であっても、時代によって味が変わったり、何かが変更されているのだ。
ここで僕が改めて、思ったことは、おもてなし=顧客志向と翻訳可能いうこと。
だから、資生堂はオモテナシをここまで押しているんだということ。
ヤマトはさすがにおもてなしとは言っていないけど、「モノを届ける」ことが自分たちの商品ではなく、そのサービスを通じて気持ちを届けたり、思いを伝えたりするのが自分たちの提供できる付加価値である。だからこそ2時間おきに配達時間を指定できるし、冷たいものを冷たく、できるだけ新鮮な状態で届けようという努力をするのである。
日本流のおもてなしとあるけれど、日本でもどこでもそれは変わらない。
みるべきは顧客が何を求めていて、どんな問題を解決したいと思っていて、顧客が期待する以上の何かをすることで感動をつくるために、自らが何ができるかという日本流のサービス業における改善活動そのものなのだ。