自分が採用する側、される側の両方の体験があるが、採用には3つの方式があると思う。
①安さを売りにする=時間と服従を売る。
②クオリティで売る=技能や能力を売る。
③キャラで売る= 実力と可能性とを売る。
①は大量に均整のとれた部隊を組織したいときには必要になる。おもに営業、事務スタッフがここに入る。
②は、需給バランスがあるけれど、専門知識を売りにするケース。いないと困るので、必ず雇わなければいけない。
③は、会社にとって、最も必要でありかつ最も必要のない人材。
企業文化や経営者の気質にもよるけれど、組織は均質でもいけないし、玉石混交すぎてもいけない。
自分はそう思ったし、そうでなければ、活性化もしないし、ブレークスルーも出来ない。より優秀な人材も必要であるが、優秀な人々だけでなんとかなるかというとそういうわけでもない。
きれいな仕事もあれば、あまりきれいでない仕事もあるし、スマートに仕組みを作り調整するだけでなんとかなるときもあるが、力技でねじ伏せなければいけない。
一人の人間で、すべてを兼ね備えればいいのだけど、そんなことはないし、経営者も万能ではないので、雇用をするのだ。
いずれにしても、雇われる時は、自分は何を売れるのか、そして得たいものは何なのか?
逆に雇う方は、何を従業員に提供し、何を得たいかをそれぞれ提示して、両者が納得すれば、雇用契約ということになる。
多くの場合は、人事の人々もそこまでの構想はない。構想を持つのは経営者であり、大会社であればあるほど、「とりあえず優秀そうなやつを採っておけば、使えるやつがいるだろう」とか「営業で何人必要だと言っているから、何人採用しなければ」というくらいの戦略しか持っていない。最も、今は企業を取り巻く環境が読めないため、なおさら短期でかつフレキシブルに採用は運用されているように思う。
新入社員に求めることは、多くの場合は①②③をひっくるめた総合力だが、分からないので、①が重視される。
そもそも、あらかじめ賃金が提示されるのだから、報酬の額は決まっている。
学歴の差によって差がある企業はあるものの、能力的にはヨーイドンスタートなのだ。
その中で、頭角を現すやつを見つけて、全社的に活用するというのがほとんどの企業だと思う。
補充で採用するところでは、おそらく頭角を現しても、管理職になるまでは全社的に活用されることはない。
なぜなら、営業部などで囲ってしまい、経営陣にまでその情報は伝わることはないし、部署が離さない。
会社の中の新入社員でやらせる仕事のほとんどは、そんなに能力のいる仕事ではない。だから、キャリアを積みたいと願うのであれば、入ってから本当の勝負であり、そこでいかに力を出すかを考えるのが重要であり、職を得ることではないと思う。
というのは、中途採用は即戦力を求めることが多いので、その時に何をしてきたかがとても重要になる。
そこまで、何をどれだけやったかが重要になる。
そこまでを考えながら、新卒は動かないと非常に損をすると思う。全然違う業界に行くとき、売るものは①か③なので、③で行ける自信があるなら、問題ないが時間もかかる。②は資格などを取ればそこそこまではいけるので、これも一つのキャリアチェンジには生かしやすい。
今日は、松下政経塾に行ってきました。
ここには志ある人があつまり、次世代のリーダーを輩出するべく、故松下幸之助氏が設立した私塾である。
ここからは何人もの国会議員、地方自治体の議員、首長などの政治家を輩出していることで有名だ。
なぜここまでの人材を輩出出来る組織になったのか?非常に興味がある。
行ってみて答えはなんだと言われたら、松下幸之助が答えだと思った。
僕らが選挙権を持つくらいの時、すでに彼はこの世にいなかったので、僕にとっては伝説のような感じがするが、多くの人が素晴らしいと思い、彼についていき、彼を師と仰ぎ、彼の言葉を欲した時代があった。
そして、事実として、彼は非常に大きな企業を作った。
今でもその企業はパナソニックと社名は変わったとしても残っているし、彼が残した遺伝子は残っている。
彼がなにを作りたかったのか?と言えば、僕は「日本人」だと思った。
日本人とはどんな人?
この問いにはおそらく、100人いれば100通りの答えがあると思うのだけど、松下幸之助の作った会社、パナソニックは日本が誇れる企業である。それを成し遂げた人はそう沢山はいない。しかもその人は、戦前、戦中、戦後と日本における、歴史における日本を内側から見つめ、社会に実践をしてきた人間が求めてきた日本の姿、日本人像の姿は、多かれ少なかれ、真実をついていると思う。
彼の思い描く日本人像は、いささか古臭く思うも知れないけど、僕には非常にしっくりくる。
特に自修自得という言葉を使うけど、体得していく何か、つまり言葉ではうまく伝えにくいけれど、感じ取っていく何かを教えようとしていると思うし、そもそも今の制度や枠組みの中では解決できないような問題にたいして、解決していく道筋を作るのが、政治であり、非常に難しくストレスのたまるような状況に置いて決断をしていくわけで、
という感じがした。そして、素直で質素でありながら、心の中では大義に燃え、志を固く持ち、そこへの努力は不断に行えるそういう精神的な部分を含めての日本人を作りたいという感じがした。
今日の参加者には、いろいろ不満を持つ人もいたし、この松下政経塾を踏み台にしようとする人もいたし、自分の主義主張をぶつける人もいて、まあまあ面白かった。
ただ、自己顕示欲の異常拡大したような人もいるので、まあ、政治とはイデオロギーも重要なのだけど、アジテーターになるだけの人は、悲しいなと思いました。
僕は、こういう施設が日本にあって非常にいいと思ったし、学校教育でもこういう部分は必要なんじゃないかと思った。ただ一つ、現在の塾生の話しを聞いていて、残念だなと思ったのは、知識だおれになっているような気がした。
論文を書くとか、制度をこうやって変更すればどうのこうのとか、そういう話しがあって少しがっかりした。どんな現場であれ、政治的な法制度を変えることによってすべてが変わるとは思わない。
それが実際に運用されているかというところまで国会は目を配らせなければいけない。
そうであるならば、もう少し実践に重点を置いてもいいような感じがする。
現場といいながら、総花的な社会見学に近いものになっていたのは改善した方が良いのではないか?と思った。
ここには志ある人があつまり、次世代のリーダーを輩出するべく、故松下幸之助氏が設立した私塾である。
ここからは何人もの国会議員、地方自治体の議員、首長などの政治家を輩出していることで有名だ。
なぜここまでの人材を輩出出来る組織になったのか?非常に興味がある。
行ってみて答えはなんだと言われたら、松下幸之助が答えだと思った。
僕らが選挙権を持つくらいの時、すでに彼はこの世にいなかったので、僕にとっては伝説のような感じがするが、多くの人が素晴らしいと思い、彼についていき、彼を師と仰ぎ、彼の言葉を欲した時代があった。
そして、事実として、彼は非常に大きな企業を作った。
今でもその企業はパナソニックと社名は変わったとしても残っているし、彼が残した遺伝子は残っている。
彼がなにを作りたかったのか?と言えば、僕は「日本人」だと思った。
日本人とはどんな人?
この問いにはおそらく、100人いれば100通りの答えがあると思うのだけど、松下幸之助の作った会社、パナソニックは日本が誇れる企業である。それを成し遂げた人はそう沢山はいない。しかもその人は、戦前、戦中、戦後と日本における、歴史における日本を内側から見つめ、社会に実践をしてきた人間が求めてきた日本の姿、日本人像の姿は、多かれ少なかれ、真実をついていると思う。
彼の思い描く日本人像は、いささか古臭く思うも知れないけど、僕には非常にしっくりくる。
特に自修自得という言葉を使うけど、体得していく何か、つまり言葉ではうまく伝えにくいけれど、感じ取っていく何かを教えようとしていると思うし、そもそも今の制度や枠組みの中では解決できないような問題にたいして、解決していく道筋を作るのが、政治であり、非常に難しくストレスのたまるような状況に置いて決断をしていくわけで、
という感じがした。そして、素直で質素でありながら、心の中では大義に燃え、志を固く持ち、そこへの努力は不断に行えるそういう精神的な部分を含めての日本人を作りたいという感じがした。
今日の参加者には、いろいろ不満を持つ人もいたし、この松下政経塾を踏み台にしようとする人もいたし、自分の主義主張をぶつける人もいて、まあまあ面白かった。
ただ、自己顕示欲の異常拡大したような人もいるので、まあ、政治とはイデオロギーも重要なのだけど、アジテーターになるだけの人は、悲しいなと思いました。
僕は、こういう施設が日本にあって非常にいいと思ったし、学校教育でもこういう部分は必要なんじゃないかと思った。ただ一つ、現在の塾生の話しを聞いていて、残念だなと思ったのは、知識だおれになっているような気がした。
論文を書くとか、制度をこうやって変更すればどうのこうのとか、そういう話しがあって少しがっかりした。どんな現場であれ、政治的な法制度を変えることによってすべてが変わるとは思わない。
それが実際に運用されているかというところまで国会は目を配らせなければいけない。
そうであるならば、もう少し実践に重点を置いてもいいような感じがする。
現場といいながら、総花的な社会見学に近いものになっていたのは改善した方が良いのではないか?と思った。
僕も、僕の嫁もなのだが、田舎育ちの2人なのです。
地方出身で、地方でであい、東京で結婚した。
僕は、中学校の進路指導で40人クラスのうち、4人しか「大学に行きたい」に○をしなかったところの出身。
嫁の子供のころの写真は男の子にしか見えない。
そんな田舎だからこそ、人づきあいが重要であり、だれが重要人物で、だれに嫌われてはいけないかをなんとなく二人ともわかる。しかし、嫁の方が数段上だ。会社の中でもだれが重要人物で、だれを落とせば物事が決まるのかを分かることが出来る。僕の両親ともうまくやってくれているので僕的には助かる。
そういう意味で、力のある人、自分にとって利益のある人には気に入られなければいけないのだ。
この家を比較的安く、手に入れたのも、不動産屋の知り合いが教えてくれたのだ。
子供が保育園にはいれたのも、昔選挙応援していた議員に口利きしてもらったからだ(と思う)
高級バックを嫁がもらったのも、当該ブランドファッション企業に知り合いがいるからだし、
僕が職をうまく見つけてこれたのも、こんな僕を気に入ってくれた人がいたからだと思う。
これらをきいていると、えこひいきという人もいるが、えこひいきは普通のことだと思うし、それをうまくつかめる人はやっぱり何かをつかむ。評価をする方だって、好きか嫌いかは非常に重要なポイントなのだ。
逆に何かつかめない人は、どこかで残念な人なのだと思う。
余計なひと言で嫌われてしまったり、打っても響かない受け答えだったり、ポイントがずれた回答しか出来なかったり、無愛想だったり、、頑張っている姿をアピールするのが苦手だったり。
そんなことで判断されるのは理不尽だという人も多く存在するが、この人たちは残念な人たちなのだ。
世の中は理不尽でできているという、あたりまえの真理を知らないからだ。
突き詰めれば、なぜそう判断したかということに純粋に明確に論理づけて答えることは出来ない。
多くは直感だったり、好き嫌いで物事は決まるのだ。
最後のさじ加減で好き嫌いがあるわけではない。初めに好き嫌いがあってそこに理論が載ってくるのだ。
地方出身で、地方でであい、東京で結婚した。
僕は、中学校の進路指導で40人クラスのうち、4人しか「大学に行きたい」に○をしなかったところの出身。
嫁の子供のころの写真は男の子にしか見えない。
そんな田舎だからこそ、人づきあいが重要であり、だれが重要人物で、だれに嫌われてはいけないかをなんとなく二人ともわかる。しかし、嫁の方が数段上だ。会社の中でもだれが重要人物で、だれを落とせば物事が決まるのかを分かることが出来る。僕の両親ともうまくやってくれているので僕的には助かる。
そういう意味で、力のある人、自分にとって利益のある人には気に入られなければいけないのだ。
この家を比較的安く、手に入れたのも、不動産屋の知り合いが教えてくれたのだ。
子供が保育園にはいれたのも、昔選挙応援していた議員に口利きしてもらったからだ(と思う)
高級バックを嫁がもらったのも、当該ブランドファッション企業に知り合いがいるからだし、
僕が職をうまく見つけてこれたのも、こんな僕を気に入ってくれた人がいたからだと思う。
これらをきいていると、えこひいきという人もいるが、えこひいきは普通のことだと思うし、それをうまくつかめる人はやっぱり何かをつかむ。評価をする方だって、好きか嫌いかは非常に重要なポイントなのだ。
逆に何かつかめない人は、どこかで残念な人なのだと思う。
余計なひと言で嫌われてしまったり、打っても響かない受け答えだったり、ポイントがずれた回答しか出来なかったり、無愛想だったり、、頑張っている姿をアピールするのが苦手だったり。
そんなことで判断されるのは理不尽だという人も多く存在するが、この人たちは残念な人たちなのだ。
世の中は理不尽でできているという、あたりまえの真理を知らないからだ。
突き詰めれば、なぜそう判断したかということに純粋に明確に論理づけて答えることは出来ない。
多くは直感だったり、好き嫌いで物事は決まるのだ。
最後のさじ加減で好き嫌いがあるわけではない。初めに好き嫌いがあってそこに理論が載ってくるのだ。
世の中には、いろんな欲があるものの、欲は良くもあり、悪くもあると僕は思う。
使命感という言葉がある。使命とは人生に与えられた重要な任務であるが、たとえば社長でも、総理大臣でもいいのだが、彼らには役職があり、そこにはしなければいけない任務がある。しかし、この役割は本当に与えられたものなのだろうか?役職に就くことには、欲がなければいけないと思う。名誉欲なのか、自己顕示欲なのか良くわからないけど、なりたいと思わなければどうやったってなれない職種であると思う。
なりたくなくてもなってしまったケースは、まあ一人しかいなくなったときだけではないか?と思う。2代目社長だって、なりたくなければならなきゃいいんだから。
自分は、当然他薦もあって自分は社長になった。
そして、その時の僕のパートナーと先日久しぶりにあった。話の内容は他愛のないものだが、いろんな部分でにじみ出てくるものがある。彼はまだ会社の中にいて、僕は外にいる。僕の代わりに来た社長はどうのこうのといってくれる。そういう話しを聞けば、未練がましくいろいろ意見を言いたくなるのだが、いえる立場でもないし、言ったところで、なんなのか?と思う。
僕にはやり残したこともあるし、未練もある。正直に言ってしまえば、またあの会社には戻りたいし、社長に返り咲いてみたいが、辞任という選択肢を選んだ以上、辞めたかったのであり、自らの意思で辞めたのである。
そんな自分に向けられている目はどんな目なのか?自分はとても気になるし、今でも会社のことは気になるので、新聞やら、ネットやらで検索してしまう。
そんな僕に、とある人間がよってきた。
30歳そこそこで、ある会社の上場をやったとか、新規事業を立ち上げたとか、の経歴を披歴するのだが、胡散臭いブローカーにしか見えない。その人が
「前いた会社を買いませんか?」と降ってきた。彼らがなぜその会社に興味があるのか分からない。
聞いてみると、その人は、僕が着任する前にその会社にはいたという。
きいてみると、僕が清算した子会社にいたようだ。
子会社の社長はもともと本社の副社長であったが、オーナーと不仲になったがために子会社の社長になった人だった。彼はその人に雇われ、新規事業の立ち上げをやったのだ。その新規事業は結局、5億近く債務超過になり、清算した。ただ、立ち上げただけの事業だった。計画はだれでも書けるし、企画に関しても、小売だったので適当なコンセプトさえ作れれば、店ぐらいは簡単に出来てしまう。しかし、軌道に乗せるのが難しいのだ。
そんな経歴を持つ彼がなぜ、僕に買収の話を持ってくるのか分からない。
彼曰く、自分には私心はないというが、そんなことがあるわけがない。
何らかの彼の目的があり、それを満たすために話しに来たとしか思えない。
僕が見るかぎり、それは野心とエゴに見える。
恨みがあるのか分からないが、直感的にこの人にかかわるべきではないと思った。
スポンサーになるといっても何10億円も必要なのだ。彼がそんなもの持てるわけないし、もしもそれだけのお金を引けるのであれば、もっと別のことに僕なら使う。
こういう人間にあうと、欲が恐ろしく感じ、気分がめいる。
使命感という言葉がある。使命とは人生に与えられた重要な任務であるが、たとえば社長でも、総理大臣でもいいのだが、彼らには役職があり、そこにはしなければいけない任務がある。しかし、この役割は本当に与えられたものなのだろうか?役職に就くことには、欲がなければいけないと思う。名誉欲なのか、自己顕示欲なのか良くわからないけど、なりたいと思わなければどうやったってなれない職種であると思う。
なりたくなくてもなってしまったケースは、まあ一人しかいなくなったときだけではないか?と思う。2代目社長だって、なりたくなければならなきゃいいんだから。
自分は、当然他薦もあって自分は社長になった。
そして、その時の僕のパートナーと先日久しぶりにあった。話の内容は他愛のないものだが、いろんな部分でにじみ出てくるものがある。彼はまだ会社の中にいて、僕は外にいる。僕の代わりに来た社長はどうのこうのといってくれる。そういう話しを聞けば、未練がましくいろいろ意見を言いたくなるのだが、いえる立場でもないし、言ったところで、なんなのか?と思う。
僕にはやり残したこともあるし、未練もある。正直に言ってしまえば、またあの会社には戻りたいし、社長に返り咲いてみたいが、辞任という選択肢を選んだ以上、辞めたかったのであり、自らの意思で辞めたのである。
そんな自分に向けられている目はどんな目なのか?自分はとても気になるし、今でも会社のことは気になるので、新聞やら、ネットやらで検索してしまう。
そんな僕に、とある人間がよってきた。
30歳そこそこで、ある会社の上場をやったとか、新規事業を立ち上げたとか、の経歴を披歴するのだが、胡散臭いブローカーにしか見えない。その人が
「前いた会社を買いませんか?」と降ってきた。彼らがなぜその会社に興味があるのか分からない。
聞いてみると、その人は、僕が着任する前にその会社にはいたという。
きいてみると、僕が清算した子会社にいたようだ。
子会社の社長はもともと本社の副社長であったが、オーナーと不仲になったがために子会社の社長になった人だった。彼はその人に雇われ、新規事業の立ち上げをやったのだ。その新規事業は結局、5億近く債務超過になり、清算した。ただ、立ち上げただけの事業だった。計画はだれでも書けるし、企画に関しても、小売だったので適当なコンセプトさえ作れれば、店ぐらいは簡単に出来てしまう。しかし、軌道に乗せるのが難しいのだ。
そんな経歴を持つ彼がなぜ、僕に買収の話を持ってくるのか分からない。
彼曰く、自分には私心はないというが、そんなことがあるわけがない。
何らかの彼の目的があり、それを満たすために話しに来たとしか思えない。
僕が見るかぎり、それは野心とエゴに見える。
恨みがあるのか分からないが、直感的にこの人にかかわるべきではないと思った。
スポンサーになるといっても何10億円も必要なのだ。彼がそんなもの持てるわけないし、もしもそれだけのお金を引けるのであれば、もっと別のことに僕なら使う。
こういう人間にあうと、欲が恐ろしく感じ、気分がめいる。
本日とっても嬉しかった。
子育てをしつつ、家事をしつつ、人にあいつつ、頼まれれば仕事をしつつ、自分を探す日々です。
無職という立場で、子供を保育園に迎えに行くと、男性は僕ぐらいで、少しだけ肩身が狭い思いは自分の中にある。しかし、最近の保育園には、男性の保育士もいらっしゃり、そこまで肩身が狭いということはない。
さて、職探しをしている中で、自分のポジションはなかなか見つけられない。
確かに、自分が経営者であれば、元社長を受け入れる度量を見つけられるかどうかはわからない。それに、船頭多くて山に登るとあるように、あまり指導の軸は多くない方がいい。まあ、会社によるけれど。。
とある有名外資系コンサルティングファームの元代表を務めていたひとにお会いした。
彼には、前の会社で顧問になってもらったりと、大変お世話になったし、見識も深く、論理的な洞察力も優れ、非常に尊敬する人間の一人である。
職探しに意外と苦労している僕の姿を見て、きついことばかりを言ってくれる、これまた素晴らしい人なのだ。
「竹田君さ、企業に行くのであれば、指揮命令系統の中にいなければいけないし、あまりにもすごいやつだと、オーバースペックでだれもほしがらないんだよ。」
「特にあなたは、偉そうに物を語るのが得意だから、話を聞く方に回らないと。」
「駄目な奴だったと思われる方が、オーバースペックなポジション持っていた場合には役に立つんだ」
「駄目な奴だと言われて、腹を立てるプライドを立てるなら、自分で事業を起こせと」
まあ、きついこと言いますね、彼の実績やポジションに比べれば、うーん。そうですね。と、うなずかざるを得ない恩人でもあるので、いつもありがたく聞いています。
そんな中で、キャリアアップというものを考えていくと、サラリーマンになって、今よりも給料を上げていくのは至難の業だと思う。次の機会があるのであれば、もう一生いるくらいの覚悟で行かないと難しいなと思うようになった。
自分は10年目のキャリアになるけど、転職は1回だけ。もちろんサラリーマン経験の方が長いので、長く務めることに違和感はないけど、自分は今までどうやってキャリアを作ってきたかを考えると、あることに気付いた。
自分はポストを作って、そこに自らを入れてきたのだ。
商社時代、営業という部署では部長がいて、課長がいて、課員がいる。管理職は部長・課長もプレイングマネージャーであり、部下に指揮はするが、得意先と商品の割当てであり、手法に関しては個人に任されている状況だった。そこに、営業の本部機能を付加するために営業予算を持たないサポート部隊を作り、そこの仕事を自らがやった。
営業機能のない組織で、売上を作るため新規事業を行り、独立できるほどの規模にまでした。
PEにいるときは、投資案件をモニタリングするだけでなく、対象会社に入り込んで、業容をよくすることで、株式価値の向上に取り組んだ。
今回も自分の市場価値を上げたければ、空いているポストを作るのではなくて、自分という人間が必要であること、自分を使うことによって、企業価値の向上に資することを示していけばいいのだと思った。
子育てをしつつ、家事をしつつ、人にあいつつ、頼まれれば仕事をしつつ、自分を探す日々です。
無職という立場で、子供を保育園に迎えに行くと、男性は僕ぐらいで、少しだけ肩身が狭い思いは自分の中にある。しかし、最近の保育園には、男性の保育士もいらっしゃり、そこまで肩身が狭いということはない。
さて、職探しをしている中で、自分のポジションはなかなか見つけられない。
確かに、自分が経営者であれば、元社長を受け入れる度量を見つけられるかどうかはわからない。それに、船頭多くて山に登るとあるように、あまり指導の軸は多くない方がいい。まあ、会社によるけれど。。
とある有名外資系コンサルティングファームの元代表を務めていたひとにお会いした。
彼には、前の会社で顧問になってもらったりと、大変お世話になったし、見識も深く、論理的な洞察力も優れ、非常に尊敬する人間の一人である。
職探しに意外と苦労している僕の姿を見て、きついことばかりを言ってくれる、これまた素晴らしい人なのだ。
「竹田君さ、企業に行くのであれば、指揮命令系統の中にいなければいけないし、あまりにもすごいやつだと、オーバースペックでだれもほしがらないんだよ。」
「特にあなたは、偉そうに物を語るのが得意だから、話を聞く方に回らないと。」
「駄目な奴だったと思われる方が、オーバースペックなポジション持っていた場合には役に立つんだ」
「駄目な奴だと言われて、腹を立てるプライドを立てるなら、自分で事業を起こせと」
まあ、きついこと言いますね、彼の実績やポジションに比べれば、うーん。そうですね。と、うなずかざるを得ない恩人でもあるので、いつもありがたく聞いています。
そんな中で、キャリアアップというものを考えていくと、サラリーマンになって、今よりも給料を上げていくのは至難の業だと思う。次の機会があるのであれば、もう一生いるくらいの覚悟で行かないと難しいなと思うようになった。
自分は10年目のキャリアになるけど、転職は1回だけ。もちろんサラリーマン経験の方が長いので、長く務めることに違和感はないけど、自分は今までどうやってキャリアを作ってきたかを考えると、あることに気付いた。
自分はポストを作って、そこに自らを入れてきたのだ。
商社時代、営業という部署では部長がいて、課長がいて、課員がいる。管理職は部長・課長もプレイングマネージャーであり、部下に指揮はするが、得意先と商品の割当てであり、手法に関しては個人に任されている状況だった。そこに、営業の本部機能を付加するために営業予算を持たないサポート部隊を作り、そこの仕事を自らがやった。
営業機能のない組織で、売上を作るため新規事業を行り、独立できるほどの規模にまでした。
PEにいるときは、投資案件をモニタリングするだけでなく、対象会社に入り込んで、業容をよくすることで、株式価値の向上に取り組んだ。
今回も自分の市場価値を上げたければ、空いているポストを作るのではなくて、自分という人間が必要であること、自分を使うことによって、企業価値の向上に資することを示していけばいいのだと思った。
鳩山首相が辞任して、昨日本日とメディアの大半は辛口コメントばかりが載っている。
続投すれば続投したで、おそらく非常にたたかれる毎日だったんだと思う。メディアは野党だなと思った。
「わずか数カ月で、役職を無責任に放り投げる」などという言いぶりを何度も見たが、放り投げることは、むしろ批判者の望んでいたことであり、歓迎するメディアなんてどこにもない。
それに、この政権を生んだのは、国民であり、国民の責任を迫る論調がどこにもないメディアは、結局この国の傍観者になっているような気がする。
国民も傍観者であると、メディアは批判するが、メディアもそうなんじゃないかと思う。いいわけはメディアの公共性ということになるんだが、公共性=玉虫色と言い換えてもいいので、批判する人もされる人も似たようなものではないかと思ってしまう。
メディアは何の成果もないというが、本当だろうか?せっかく自民党政権から歴史的な変化があったのだ、もう少しそれを育ててもいいのではないかと思う。世界の勢力図は変わりつつある。そして歴史的な出来事は日々起こっているのだ。政治をもっと本来の仕事に専念させるのが、メディアの役目であり、国民の役目だと思う。ゴシップにすがって人の悪口言って、それはそれで楽しいし暇つぶしにはなるものの、それで部数は稼げるかもしれないけど、そんなことばっかりやっていると、日本のメディアのものもが国際競争力をなくす。本当にメディア企業が経営を行おうと思ったら、どんな未来を描いて、業界に置いてどのような地位にいたいのであるかをもっと彼ら自身がスタンスを決めるべきではないかと思う。劇場型政治の終焉なんて、メディアは言うけれど、煽るやつらがいるからそうなるわけで、こういう混沌とした状態を民主主義が機能しているなんて、美辞を並べるほど、危機は遠くないし胡坐をかいているわけにはいかないのが今の日本じゃないかと思う。
そういう意味で、鳩山首相も辞めることに関して、もっと違う言い方があるように思う。
普天間の問題で知事会議を開いたが、橋下知事の言葉に、響くものを感じなかったのか?安全のただのりを大阪はしている。そうかもしれない。
それはそれで受け止め、具体策をどう構築するか?そういう議論をもっと促すメディアであってほしいし、この辞任劇をどういう方向性へ議論を展開するかの触媒役こそをメディアはやらなければいけないし、政治家もそれをメディア側にやるべきなのだ。大手の新聞がそれをひっぱり、ゴシップなどは他に任せておけばいいのだ。
続投すれば続投したで、おそらく非常にたたかれる毎日だったんだと思う。メディアは野党だなと思った。
「わずか数カ月で、役職を無責任に放り投げる」などという言いぶりを何度も見たが、放り投げることは、むしろ批判者の望んでいたことであり、歓迎するメディアなんてどこにもない。
それに、この政権を生んだのは、国民であり、国民の責任を迫る論調がどこにもないメディアは、結局この国の傍観者になっているような気がする。
国民も傍観者であると、メディアは批判するが、メディアもそうなんじゃないかと思う。いいわけはメディアの公共性ということになるんだが、公共性=玉虫色と言い換えてもいいので、批判する人もされる人も似たようなものではないかと思ってしまう。
メディアは何の成果もないというが、本当だろうか?せっかく自民党政権から歴史的な変化があったのだ、もう少しそれを育ててもいいのではないかと思う。世界の勢力図は変わりつつある。そして歴史的な出来事は日々起こっているのだ。政治をもっと本来の仕事に専念させるのが、メディアの役目であり、国民の役目だと思う。ゴシップにすがって人の悪口言って、それはそれで楽しいし暇つぶしにはなるものの、それで部数は稼げるかもしれないけど、そんなことばっかりやっていると、日本のメディアのものもが国際競争力をなくす。本当にメディア企業が経営を行おうと思ったら、どんな未来を描いて、業界に置いてどのような地位にいたいのであるかをもっと彼ら自身がスタンスを決めるべきではないかと思う。劇場型政治の終焉なんて、メディアは言うけれど、煽るやつらがいるからそうなるわけで、こういう混沌とした状態を民主主義が機能しているなんて、美辞を並べるほど、危機は遠くないし胡坐をかいているわけにはいかないのが今の日本じゃないかと思う。
そういう意味で、鳩山首相も辞めることに関して、もっと違う言い方があるように思う。
普天間の問題で知事会議を開いたが、橋下知事の言葉に、響くものを感じなかったのか?安全のただのりを大阪はしている。そうかもしれない。
それはそれで受け止め、具体策をどう構築するか?そういう議論をもっと促すメディアであってほしいし、この辞任劇をどういう方向性へ議論を展開するかの触媒役こそをメディアはやらなければいけないし、政治家もそれをメディア側にやるべきなのだ。大手の新聞がそれをひっぱり、ゴシップなどは他に任せておけばいいのだ。
日本の首相はまた変わるのか?というのが初めの印象だった。
社民党の福島氏が罷免され→これは総理大臣として当然の行為
福島率いる社民党は連立離脱→これも当たり前、選挙だなんだといって、連立を維持するという意見があること自体が不健全な政治だ。
辞める福島氏を「信念を貫く」とマスメディアは評し、何を言ってんだと思った。
信念などで連立を組んだわけではないでしょう。
辻元副大臣の涙が示し、悔しいという言葉があったとおり、政権運営をして実際に物事を動かす時は、国益にとって何がよりベターなのかの判断をしていくのが閣僚の役目なのだ。まじめに仕事をすれば、涙もでる。それが遠い未来の非現実的だというのであれば、それに代わる代替案を示さねばならない。ましてや、北朝鮮が不穏な状況なのだ。命を守るのであれば、まず足元の喫緊の課題にも現実論を示すべきだ。ビジョンも示すが、足元も行うことことがトップ、為政者の仕事なのだ。
説明責任をより果たし、閣内でも意見を公表し、政府方針をしっかりと示せなかった全閣僚に責任があるのだ。次を狙っている管氏とか、他の民主党の閣僚も議論をし、方針を出せず、自分のエゴや保身を優先するなら、そいつらこそ辞任すべきだ。仮にも同じ党で閣僚であるならば、トップを支えるのが閣僚の仕事だと思う。
そこへ、この辞任劇。内閣も改まるのだと思うが、どういうコンセンサスがこの党にはあるのだろうか?
小沢幹事長も党の役員すべてが退陣する。加えて後継者の育成もしてこなった小沢氏なので、民主党はこれで解散だ。
自民党政権が倒れたのが歴史的なことであるならば、この民主党政権もその変遷の第一幕の役割なのだと思う。
国家の課題は明確に見えている。
そうであるならば、今は党などは逆に必要ないのだと思う。
いまこそ、政治改革のチャンスであり、国民も望んでいる。そして国民は客人ではなく、この国の主体者として、行動し、発言し、義務の履行をしていかなければいけない。
やっぱり、参議院選挙出ようかな?
さておき、僕が鳩山首相なら何をするのかといえば、僕なら辞任は選ばなかった。なぜなら、辞任は自ら道を譲るということ。仮にも、国民の変化・変革への熱望があって初めて成立した非自民の政権なのだ。確かに迷走はしたものの、これからじゃないかと思う。支持率が低かろうと何だろうと衆議院での過半数を手に入れているんだから、やれることはたくさんある。成長戦略に関しても本日新聞の記事になっていたし、具体策は落ち着くところに落ち着いている。政治は常に実験の連続なので、やってみるしかない。その結果が駄目なら政治責任をとればいいのだ。
所詮、鳩山さんは議員辞めても食べていくことに一生苦労することはないのだから、やったらいいんだよ。
保身とか、考えずに、彼が考える友愛をどれだけ具体化させられるか、試してみたらいいんじゃないかと思う。
社民党の福島氏が罷免され→これは総理大臣として当然の行為
福島率いる社民党は連立離脱→これも当たり前、選挙だなんだといって、連立を維持するという意見があること自体が不健全な政治だ。
辞める福島氏を「信念を貫く」とマスメディアは評し、何を言ってんだと思った。
信念などで連立を組んだわけではないでしょう。
辻元副大臣の涙が示し、悔しいという言葉があったとおり、政権運営をして実際に物事を動かす時は、国益にとって何がよりベターなのかの判断をしていくのが閣僚の役目なのだ。まじめに仕事をすれば、涙もでる。それが遠い未来の非現実的だというのであれば、それに代わる代替案を示さねばならない。ましてや、北朝鮮が不穏な状況なのだ。命を守るのであれば、まず足元の喫緊の課題にも現実論を示すべきだ。ビジョンも示すが、足元も行うことことがトップ、為政者の仕事なのだ。
説明責任をより果たし、閣内でも意見を公表し、政府方針をしっかりと示せなかった全閣僚に責任があるのだ。次を狙っている管氏とか、他の民主党の閣僚も議論をし、方針を出せず、自分のエゴや保身を優先するなら、そいつらこそ辞任すべきだ。仮にも同じ党で閣僚であるならば、トップを支えるのが閣僚の仕事だと思う。
そこへ、この辞任劇。内閣も改まるのだと思うが、どういうコンセンサスがこの党にはあるのだろうか?
小沢幹事長も党の役員すべてが退陣する。加えて後継者の育成もしてこなった小沢氏なので、民主党はこれで解散だ。
自民党政権が倒れたのが歴史的なことであるならば、この民主党政権もその変遷の第一幕の役割なのだと思う。
国家の課題は明確に見えている。
そうであるならば、今は党などは逆に必要ないのだと思う。
いまこそ、政治改革のチャンスであり、国民も望んでいる。そして国民は客人ではなく、この国の主体者として、行動し、発言し、義務の履行をしていかなければいけない。
やっぱり、参議院選挙出ようかな?
さておき、僕が鳩山首相なら何をするのかといえば、僕なら辞任は選ばなかった。なぜなら、辞任は自ら道を譲るということ。仮にも、国民の変化・変革への熱望があって初めて成立した非自民の政権なのだ。確かに迷走はしたものの、これからじゃないかと思う。支持率が低かろうと何だろうと衆議院での過半数を手に入れているんだから、やれることはたくさんある。成長戦略に関しても本日新聞の記事になっていたし、具体策は落ち着くところに落ち着いている。政治は常に実験の連続なので、やってみるしかない。その結果が駄目なら政治責任をとればいいのだ。
所詮、鳩山さんは議員辞めても食べていくことに一生苦労することはないのだから、やったらいいんだよ。
保身とか、考えずに、彼が考える友愛をどれだけ具体化させられるか、試してみたらいいんじゃないかと思う。
辻元氏の辞任の際に、涙を流しているのが印象的であった。
彼女も党に所属しており、党が掲げる目標値と、彼女のやりたい目標値というものが多分幾分ずれていたんじゃないかと思う。それ以上に、政治家になり、日本を変えるとか、いい国にするとか志を持ち続けてきたんだろうと思うのだが、ずっと野党であった。野党ゆえ、ある程度無責任な発言は許されるし、提案が通ることもない。志を実現するためには、実力を伴わなければいけない。その実力行使を出来うる立場を今回の連立ではもらい、副大臣という立場ながら、多分一生懸命に仕事をこなした人の顔をしていたと僕は勝手に思っている。
政治家というのは、結果責任により身体を選ばれる立場にあるが、党というものにも大きく左右されるものだということが分かった。彼女には、辞めるという選択肢以外にはなかったのだから、余計に無念さというか、悔しさというかそういうものがあったんだと思う。
今後は、野党として行くのであるが、彼女の今後の発言はちがったものになっていくような気がする。
福島氏は誇張が多くて、詭弁というか悪口を言うのがうまいというか、そういう風にしか見えないけど、彼女は実際に国の仕組みづくりをしていたんだ、仕事をしてたんだと感じがする。だからこそのあの涙なんだと勝手に思っている。
自分自身っもそうだったが、仕事をしたと思える時、ものすごい達成感がある。完成していなくても、この会社の仕組みが変わり、新しい歯車の組み合わせで、売上が伸びる。売上の質も押売りの売上から、感謝されてもらう売上に変わったなんて、思えてくる。滞留していた腐敗物を取り除いて、その組織が持つ本来のエネルギーやアウトプットが生み出されていく瞬間は本当に自分のことよりも、その組織の方が可愛くなるし、この組織のために、今まで以上の何かをやらなきゃなと思う。
仕事とは、僕はこうだと思う。個人の利害も当然あるが、それ以上の上位組織や自分が属している何かが、大きく変わっていくき、自分の今まで以上に生かされ、それに従い、組織もより強くなっていく、そういう循環が得られたとき、そこに属している人々の最大多数が幸福と感じ、幸福の総和を増やす時なのではないか?それこそが仕事なんじゃないかと思う。
彼女も党に所属しており、党が掲げる目標値と、彼女のやりたい目標値というものが多分幾分ずれていたんじゃないかと思う。それ以上に、政治家になり、日本を変えるとか、いい国にするとか志を持ち続けてきたんだろうと思うのだが、ずっと野党であった。野党ゆえ、ある程度無責任な発言は許されるし、提案が通ることもない。志を実現するためには、実力を伴わなければいけない。その実力行使を出来うる立場を今回の連立ではもらい、副大臣という立場ながら、多分一生懸命に仕事をこなした人の顔をしていたと僕は勝手に思っている。
政治家というのは、結果責任により身体を選ばれる立場にあるが、党というものにも大きく左右されるものだということが分かった。彼女には、辞めるという選択肢以外にはなかったのだから、余計に無念さというか、悔しさというかそういうものがあったんだと思う。
今後は、野党として行くのであるが、彼女の今後の発言はちがったものになっていくような気がする。
福島氏は誇張が多くて、詭弁というか悪口を言うのがうまいというか、そういう風にしか見えないけど、彼女は実際に国の仕組みづくりをしていたんだ、仕事をしてたんだと感じがする。だからこそのあの涙なんだと勝手に思っている。
自分自身っもそうだったが、仕事をしたと思える時、ものすごい達成感がある。完成していなくても、この会社の仕組みが変わり、新しい歯車の組み合わせで、売上が伸びる。売上の質も押売りの売上から、感謝されてもらう売上に変わったなんて、思えてくる。滞留していた腐敗物を取り除いて、その組織が持つ本来のエネルギーやアウトプットが生み出されていく瞬間は本当に自分のことよりも、その組織の方が可愛くなるし、この組織のために、今まで以上の何かをやらなきゃなと思う。
仕事とは、僕はこうだと思う。個人の利害も当然あるが、それ以上の上位組織や自分が属している何かが、大きく変わっていくき、自分の今まで以上に生かされ、それに従い、組織もより強くなっていく、そういう循環が得られたとき、そこに属している人々の最大多数が幸福と感じ、幸福の総和を増やす時なのではないか?それこそが仕事なんじゃないかと思う。
本日は、もと同じグループの元役員(彼も現在無職)と久しぶりに会った。
彼は、金融出身で、その後実業の世界に入り、ファンドの世界に戻っていったひと。
彼は事業会社にいたからだと思うが、非常に事業の話をしてもしっくりくる。ただ、金融畑出身のせいか、いつも管理的な側面の話しになりやすい。実際に営業やらせても、そこそこはやるんだろうと思うけど、実業のモノやサービスを売っている営業と、実態の見えにくい証券を売る世界とは違うといつも言っている。
逆に自分は、商社出身で、どぶ板営業の出身。
物を行商のように売ったこともあれば、小売で店頭に立ったり、卸売りでバルクでドカーンと売ったこともあれば、エージェントを使ってBtoBとCの形態もある。営業には当然予算があって、予算とはPLを変形させたものであり、それに慣れていた。また、金融的に特殊なスキームや、欧米のようにエクイティに関する資金調達の経験も少ないので、IR担当をしていたものの、どちらかといえば、PLの説明をするだけでよかった。
それに、あまり事実を反映しない決算書類というのが大嫌いという性格から、常に保守的な基準のもとで決算数値は出していた。
なので、あまりBSを気にしたことはなく、P/Lの結果がB/Sを作るものだと僕は思っていたし、会社のエンジンとはP/Lででてくる利益であり、それら利益がCFにも変化をもたらすという考えを持つ。
彼と話をしていると、B/Sのことを特に力を入れて話す。PL上の利益は会計的な利益であり、操作可能。
クレジットで調達し、デビットで運用する。クレジットとデビットのコスト(金利)の差が利益として、純資産を増加させる。そんな考え方をする。
確かに、資産の運用益-調達コストが利益と考えることも可能だ。
企業の資源はすべて金銭的な価値に還元されるため、どんな事業をしようと持っているリソースを活用(=運用)し、利益(運用益)を創出させるのだから、そうとも言える。
まあ、銀行会計から生まれたのが複式簿記なので、そう考えるほうが、プリミティブなように思う。また、帳簿を始める時、現金と資本しかないのがスタートなので、B/Sからビジネスがはじまり、B/Sに終わるという彼の論拠は納得の出来るものだった。
それでも、事業はPLに魂があると思うし、どういうリソースの活用の仕方をしたかというのが、経営者の手腕ではないかと、思ってしまう。
やっぱり僕は、金融には向かないのだろう。
彼は、金融出身で、その後実業の世界に入り、ファンドの世界に戻っていったひと。
彼は事業会社にいたからだと思うが、非常に事業の話をしてもしっくりくる。ただ、金融畑出身のせいか、いつも管理的な側面の話しになりやすい。実際に営業やらせても、そこそこはやるんだろうと思うけど、実業のモノやサービスを売っている営業と、実態の見えにくい証券を売る世界とは違うといつも言っている。
逆に自分は、商社出身で、どぶ板営業の出身。
物を行商のように売ったこともあれば、小売で店頭に立ったり、卸売りでバルクでドカーンと売ったこともあれば、エージェントを使ってBtoBとCの形態もある。営業には当然予算があって、予算とはPLを変形させたものであり、それに慣れていた。また、金融的に特殊なスキームや、欧米のようにエクイティに関する資金調達の経験も少ないので、IR担当をしていたものの、どちらかといえば、PLの説明をするだけでよかった。
それに、あまり事実を反映しない決算書類というのが大嫌いという性格から、常に保守的な基準のもとで決算数値は出していた。
なので、あまりBSを気にしたことはなく、P/Lの結果がB/Sを作るものだと僕は思っていたし、会社のエンジンとはP/Lででてくる利益であり、それら利益がCFにも変化をもたらすという考えを持つ。
彼と話をしていると、B/Sのことを特に力を入れて話す。PL上の利益は会計的な利益であり、操作可能。
クレジットで調達し、デビットで運用する。クレジットとデビットのコスト(金利)の差が利益として、純資産を増加させる。そんな考え方をする。
確かに、資産の運用益-調達コストが利益と考えることも可能だ。
企業の資源はすべて金銭的な価値に還元されるため、どんな事業をしようと持っているリソースを活用(=運用)し、利益(運用益)を創出させるのだから、そうとも言える。
まあ、銀行会計から生まれたのが複式簿記なので、そう考えるほうが、プリミティブなように思う。また、帳簿を始める時、現金と資本しかないのがスタートなので、B/Sからビジネスがはじまり、B/Sに終わるという彼の論拠は納得の出来るものだった。
それでも、事業はPLに魂があると思うし、どういうリソースの活用の仕方をしたかというのが、経営者の手腕ではないかと、思ってしまう。
やっぱり僕は、金融には向かないのだろう。
本日の2人目のアポに行ってきた。
この人も尊敬する経営者なのだが、このひとも破天荒。普通ではないという意味では非常にいいのだけど、今日この人からいくつもの発見をもらった。
ブランディングという言葉を見聞きするが、この人ほどブランディングを行い、引き際をわきまえて、プロジェクトを遂行する人は僕の中ではいないという人。もともとは僕と同じでアパレル出身だったが、現在は食の世界にいる。
ファッションで行ってきたブランディング手法を食の世界に持ち込み、ブランディングを成功させている。
その人いわく、ブランディングとはお手軽な価値のかさ上げという。
ファッションの世界では、欧州のように1世紀以上続く歴史的な重みのようなものも当然にあるのであるが、日本ではそれほど歴史のあるファッションの会社はあまりない。あったとしても、エルメスのようになるのは難しいし、日本の場合デザイナーズブランド=ブランドのケースが多かったので、デザイナーが年を重ねれば、当然、世相やその時の経済環境やマインドによって変更される。デザイナーの新旧交代、屋号の継承ということは少なく、ハナエモリの意思を森いすみが継承しているかといえば、そんなことはない。モデルも、デザイナーも消費されて、新しいものが生み出される環境というのが、日本のアパレルの特徴である。
そんな中、彼はブランディングは賞味期限のあるものを扱ってきた。そういう意味で時間軸の取り方が非常にうまい。加えて、その経営者も当然に年齢を重ねるため、多少のずれを如何に機敏に感じ取り、謙虚になるのかを考え、アクセルを踏める=この事業はいけるというときに、思いっきりアクセルを踏むタイプの人だ。
今日この人と話をしていて、「正直、食の商売はしんどい」と行っていた。関西人特有の受け答えなのかもしれないが、この人に地道に続けていくというのが結構しんどいのだろうなと感じ取った。
企業経営をするにあたり、IPOはEXITなのだという考え方も僕は悪くはないと思う。むしろ、制度として残されているのであるから、それをどんなふうに利用しようとそれは、所有者の勝手だと思う。だから、これにとやかく言うつもりはない。しかし、上場する=継続企業であるという前提に立つのであれば、続けていかなければいけないことは明白で、続いていくことを作らなければ、いけないと思う。
今は日本経済の環境と、IPOおよびエクイティマーケットの盛り上がりがないので、理解できないこともない。しかし、IPOに置いてあれだけの審査を行うのは、経営者が凡庸であってもある程度は継続されることが前提になる。そういう意味で、僕はどういう経営者が好きかというと、創業者がいなくなっても会社として存在し続ける会社の方が素晴らしい会社だと思うし、僕がやりたいことはそういうこと。
仕組みを作れなどというけど、そんな高等なテクニックではなくて、自分がいなくてもまわっていく状況を作るのが経営者の仕事であり、特別なことが起きない限り会社は大丈夫という状況を作り出すことが、経営者の務めなのではないかと思う。そのための若返り装置だったり、社員のモチベーションを上げる装置だったり、新陳代謝を促す装置であったり、そういうものを組み込み、会社が自分が作った最も偉大な成果です。と言えなければ、経営者としては、及第点ではないのころだと思う。
以上のような考え方はもしかしたら古いのかもしれないけれど、僕はそれが正しいことだと思う。
前回、実業の役員をやるのと、金融をやるのとでは、リスクとリターンが釣り合わない実業という話しをファンドの人間としたが、僕はリターンの考え方がたぶん違うのだろうと今日非常に思った。
何が違うのかといえば、自分に跳ね返る対価は何か?ということだと思う。経済的な価値だけではなく、それ以外のリターンというものもある。しかし、それらは経済的な測定が出来ないので、リターンと聞いてその的からは外れてしまうだけなのだ。しかし、夢中になるとか、うれしいとか達成感の源は僕にとってはお金を稼いだ時ではない。何かをやり遂げたときであり、達成した時。
金銭的なリターンがいくらになったということは、数字で表す結果であって、それを目標としてやってきたわけではない。目的はあくまでもその事業を通じて何を実現するかであり、実現した何かが何の役に立っているかということだと思う。
この人も尊敬する経営者なのだが、このひとも破天荒。普通ではないという意味では非常にいいのだけど、今日この人からいくつもの発見をもらった。
ブランディングという言葉を見聞きするが、この人ほどブランディングを行い、引き際をわきまえて、プロジェクトを遂行する人は僕の中ではいないという人。もともとは僕と同じでアパレル出身だったが、現在は食の世界にいる。
ファッションで行ってきたブランディング手法を食の世界に持ち込み、ブランディングを成功させている。
その人いわく、ブランディングとはお手軽な価値のかさ上げという。
ファッションの世界では、欧州のように1世紀以上続く歴史的な重みのようなものも当然にあるのであるが、日本ではそれほど歴史のあるファッションの会社はあまりない。あったとしても、エルメスのようになるのは難しいし、日本の場合デザイナーズブランド=ブランドのケースが多かったので、デザイナーが年を重ねれば、当然、世相やその時の経済環境やマインドによって変更される。デザイナーの新旧交代、屋号の継承ということは少なく、ハナエモリの意思を森いすみが継承しているかといえば、そんなことはない。モデルも、デザイナーも消費されて、新しいものが生み出される環境というのが、日本のアパレルの特徴である。
そんな中、彼はブランディングは賞味期限のあるものを扱ってきた。そういう意味で時間軸の取り方が非常にうまい。加えて、その経営者も当然に年齢を重ねるため、多少のずれを如何に機敏に感じ取り、謙虚になるのかを考え、アクセルを踏める=この事業はいけるというときに、思いっきりアクセルを踏むタイプの人だ。
今日この人と話をしていて、「正直、食の商売はしんどい」と行っていた。関西人特有の受け答えなのかもしれないが、この人に地道に続けていくというのが結構しんどいのだろうなと感じ取った。
企業経営をするにあたり、IPOはEXITなのだという考え方も僕は悪くはないと思う。むしろ、制度として残されているのであるから、それをどんなふうに利用しようとそれは、所有者の勝手だと思う。だから、これにとやかく言うつもりはない。しかし、上場する=継続企業であるという前提に立つのであれば、続けていかなければいけないことは明白で、続いていくことを作らなければ、いけないと思う。
今は日本経済の環境と、IPOおよびエクイティマーケットの盛り上がりがないので、理解できないこともない。しかし、IPOに置いてあれだけの審査を行うのは、経営者が凡庸であってもある程度は継続されることが前提になる。そういう意味で、僕はどういう経営者が好きかというと、創業者がいなくなっても会社として存在し続ける会社の方が素晴らしい会社だと思うし、僕がやりたいことはそういうこと。
仕組みを作れなどというけど、そんな高等なテクニックではなくて、自分がいなくてもまわっていく状況を作るのが経営者の仕事であり、特別なことが起きない限り会社は大丈夫という状況を作り出すことが、経営者の務めなのではないかと思う。そのための若返り装置だったり、社員のモチベーションを上げる装置だったり、新陳代謝を促す装置であったり、そういうものを組み込み、会社が自分が作った最も偉大な成果です。と言えなければ、経営者としては、及第点ではないのころだと思う。
以上のような考え方はもしかしたら古いのかもしれないけれど、僕はそれが正しいことだと思う。
前回、実業の役員をやるのと、金融をやるのとでは、リスクとリターンが釣り合わない実業という話しをファンドの人間としたが、僕はリターンの考え方がたぶん違うのだろうと今日非常に思った。
何が違うのかといえば、自分に跳ね返る対価は何か?ということだと思う。経済的な価値だけではなく、それ以外のリターンというものもある。しかし、それらは経済的な測定が出来ないので、リターンと聞いてその的からは外れてしまうだけなのだ。しかし、夢中になるとか、うれしいとか達成感の源は僕にとってはお金を稼いだ時ではない。何かをやり遂げたときであり、達成した時。
金銭的なリターンがいくらになったということは、数字で表す結果であって、それを目標としてやってきたわけではない。目的はあくまでもその事業を通じて何を実現するかであり、実現した何かが何の役に立っているかということだと思う。