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ジャック天野のガンダイジェスト

スモールアームズ(小火器)に関するエッセイです。同じアメブロで書いていたブログを継続して、不定期で更新して行きます。

自動拳銃はトリガーを引くと、実包が激発して弾丸が発射され、そのガス圧の反動により、スライド(遊底、またはボルト)が後退して次弾を弾倉から送り込み、スプリングによって元の位置に復座します。これがブローバック方式で、強力な実包にはスライドと同時にバレルも少し後退(傾斜)するショートリコイル方式が採用されています。ところが、ブローバックとは逆の発想で、バレルを前後に動かすことで、次弾の装填や激発の準備(コッキング)を行う方式、つまりブローフォワード方式の自動拳銃がありました。オーストリア・ハンガリー帝国の正式拳銃だったマンリッヒャーM1894がこの方式のパイオニアだったのですが、1908年に日本で日野熊蔵によりブローフォワード方式の自動拳銃が開発されました。ちなみに同じ年にドイツ・プロイセンのシュワルツローゼもブローフォワードの自動拳銃を開発しています。さて、この日野式自動拳銃はバレルを前方に引くことで発射の準備をします。すると、コッキングされて、次弾が弾倉から薬室に送り込まれるのです。トリガーを引くとバレルは後退して実包を激発し、弾丸が発射され、コッキングされます。その時、ガス圧によってバレルは前進するため、ブローフォワードと呼ばれるわけです。この方式はユニークでしたが、バレルを前方に引くときにうっかりトリガーに触って自分の指を撃ってしまうなどの欠点がありました。口径は8x22mmナンブ(南部式自動拳銃の実包を使用)または32ACPでした。なお、販売は小室銃器によって行われたため、海外ではHino-Komuro M1908とも呼ばれます。いずれにしても、現存する個体がほとんどなく、コレクターの間では高価で取引されているようです。

 

 

 自動拳銃の黎明期にはいくつかの独創的なオートピストルが登場しました。マウザーC96もそうですし、ボーチャード(ボルクハルト)もそうですし、パラベラムピストル(ルガー)もそうですし、マンリッヒャーM1894もそうでした。そんな中で堅実な設計で完成度が高かった自動拳銃がシュヴァルツローゼM1898です。ロータリーボルトのショートリコイル式で、外観もスマートなものでした。設計したのはプロイセン(ドイツ帝国)のアンドレアス・ヴィルヘルム・シュワルツローゼで、軍用拳銃として設計しました。使用弾薬は7.65X26mmボーチャードまたは7.63X25mmマウザーでした。ただ、この自動拳銃は軍用を目指した割にはグリップが短く、弾倉に装填できる装弾数も6発でした。後に8発装填のモデルも作られますが、これがこの拳銃の弱点であり、同時代のマウザーやパラベラムほど人気が出ず、やがて忘れ去られることになるのです。このシュヴァルツローゼM1898はオレンジ自由国を設立してイギリスと戦ったボーア人が軍用拳銃として採用したほか、ロシア帝国にも売られたようです。いずれにしてもマウザーやパラベラムに比べれば、成功した自動拳銃とは言えませんでした。

 

 

初期の自動拳銃のうちで成功をおさめ、有名になったのはマウザーC96が嚆矢だと思っています。1895年に開発され、1896年にドイツ(プロイセン)の正式拳銃となりました。ドイツ皇帝(プロイセン王)のヴィルヘルム2世がC96の試射会に招待され、その性能に感銘を受けて、ただちに量産をするように命じた、という逸話が残っています。C96はドイツ軍だけでなく、各国に輸出されてベストセラーとなります。とくに騎兵用として広く使われるようになったのです。そのC96のコピーを製造したのがスペインのアストラ・ウンセタ・イ・シア社で、1927年のことです。スペインの拳銃メーカーは海外製品のコピーを数多く生産しましたが、このアストラのC96コピーである900シリーズは本家より一歩先を行くことになるのです。それはアストラ900シリーズの2番目のモデルである901は単射と連射(フルオート)のセレクティブファイアとなっていたのです。じつは本家マウザーも1926年にフルオートのC96を試作しているのですが、量産はされず、市販されませんでした。ところが、アストラ901は市販され、小型のマシンピストルとして話題になったのです。しかし、アストラ901の弾倉は7.63X25mm弾を10発しか装填できませんでした。このため、フルオートだとあっという間に弾を撃ち尽くしてしまうことになったのです。そこで、アストラは弾倉を20発装填のタイプに変えたアストラ902を発売しました。これで装弾数の少なさはある程度解決されたのですが、弾倉が固定式で、上部からクリップを使って装填する方法は変わっていませんでした。そこで同社は着脱式の20発弾倉を持つアストラ903を市販し、マシンピストルとしての評価が高くなってきました。このアストラ903はマウザーがM712シュネルフォイアー(速射銃)として1932年に発売したものとほぼ同等でした。アストラの進撃はこれで止まらず、連写時に銃のコントロールがしやすいように回転数を250rpmに落としたアストラ・モデルFを発売しました。このモデルFは9X23mm弾(9mmラルゴ)弾と、より威力の高い実包を採用していました。このアストラ900シリーズは中華民国にもかなり輸出され、国民党軍にもかなり使用されました。アストラ900と本家との区別はフレーム左側に大きくアストラの銘板が付いていることです。

このようにC96を上回った面もあるアストラ900シリーズですが、映画などの登場シーンは少ないようです。有名なところでは、ロジャー・モーア主演の007シリーズ「私を愛したスパイ」("The Spy Who Loved Me"、1977)で、悪役のジョーズ(リチャード・キール)が007に向けてフルオートのアストラ900シリーズ(おそらくアストラ903)を連射するシーンがあります。

 

 

 

ジョン・モーゼス・ブラウニング(ブローニング)は天才的な銃器設計者でしたが、同時期にベルギーのFN(ファブリック・ナシオナル社)とアメリカのコルト社に自動拳銃を設計しています。ブラウニングがFNのために二番目に設計したのがM1903で、同じ年にコルトのためにもM1903を設計しました。このため、両者の外観は似ていますが、FN M1903は9mmブラウニング・ロング(9X20mm SR)という強力な実包を使用するため、サイズは大型化していますし、より強固な作りとなっています。このFN M1903は軍用制式拳銃として設計されたもので、実際ロシア帝国を始め、多くの国で制式採用されました。作動方式はシンプルブローバックで、トリガーはシングルアクション、ハンマーは内蔵式となっています。グリップ内の弾倉に7発の9mm弾を収納することができました。黎明期の軍用自動拳銃としては成功した部類に入るでしょう。

ヨーロッパの映画にはよく登場する自動拳銃で、有名どころではジャン・ギャバン主演の「筋金を入れろ("Razzia sur la Chnouf"、1955)で主人公が使っています。

 

 

 

J.M.ブラウニング(ブローニング)が手がけた自動拳銃はFN M1900が最初ですが、じつは同時期にコルト社のためにも自動拳銃を設計していました。アメリカ軍がそれまで使用してきたコルト社のリボルバーでは装弾数が6発で不足と感じていたため、自動拳銃で装弾数を増やすアイディアを出し、制式拳銃のトライアルを開始したからです。もちろん、その頃にはヨーロッパでいろいろなメーカーから自動拳銃が出始めたという背景もありました。アメリカ軍は小銃も自動化しようという計画を持っていましたが、とりあえずサイドアームである拳銃から自動化に手をつけようとしたのでした。こうして設計されたのがM1900で、.38ACP(オートマチック・コルト・ピストルの略)という実包を使用する自動拳銃でした。.38ACPは9mmX23mmSR(セミ・リムド)とも呼ばれる強力な実包で、明らかにヨーロッパで普及し始めた9mmパラベラム(9mmX19mm)を意識したものでした。M1900はこの.38ACP弾をグリップ内の弾倉に7発装填することができました。M1900の作動方式は独自のショートリコイルで、トリガーアクションはシングルアクションでした。大きな特長として、スライド(遊底)を手動で引く時に指がかりとなるセレーション(刻み目)がスライドの前部に刻まれていることでした(写真上)。しかし、M1900の後期型ではセレーションがスライド後部に移され、通常の自動拳銃と同じようになりました。

しかし、アメリカ軍はこのM1900を制式拳銃として採用することはありませんでした。その大きな理由は.38口径(9mm口径)では米西戦争の時にフィリピンのモロ族を相手にしたコルトやS&Wの.38口径リボルバーではストッピングパワーが足りないと戦場からの声が強かったせいです。このため、アメリカ軍は.45口径のロングコルト弾を使用するコルトニューサービスリボルバーを制式拳銃として採用しました。M1900は小改良され、装弾数も8発に増やしたM1902ミリタリーが開発されましたが、結局採用されませんでした(写真中)。このため、M1902は民間用のM1902スポーツとして市販されました。M1902スポーツは撃鉄がラウンドハンマーになっているのが特長です。結局、M1902、M1903と改良されましたが、.45口径信仰は根強く、M1905でようやく.45ACP実包を採用しました(写真下)。これがM1911の原型となって、M1911A1でアメリカ軍の制式拳銃となるのです。

映画での登場は少ないのですが、M1900は「キングコング:髑髏島の巨神」(2017年)でアメリカ兵がこのM1900を使う珍しいシーンが出てきます。また、ニック・ノルティ主演の「アンダー・ファイア」(1983年)ではニカラグア内戦の際の反政府ゲリラがM1902スポーツを持っているシーンがありました。

 

 

 

 

 

 

 

SIGと言えば、いまでは自動拳銃から自動小銃まで手広く製造販売しているスモールアームズの有名メーカーですが、創業は第二次世界大戦後の1940年代と比較的新しい銃器メーカーなのです。そのSIGの基礎を作ったのがSIG P210で前に書いたようにフランスSACMがフランス軍用に製造していたM1935Aをベースにしたものでした。機構が複雑で、外装はスイス工業の手本とも言える精密な仕上げで、当時は「工芸品のハンドガン」と呼ばれたのでした。このために価格も高く、それほど普及はしませんでしたが、スイス陸軍や西ドイツ国境警備隊(Grenzschutz)に採用されました。メーカーはスイス工業株式会社(Schweizerische Industrie-Gesellschaft)であり、その略号としてSIGが使われていたわけですが、2001年にSIGが正式社名となったのです。P210はフレンチM1935Aがベースですから、当初は7.65mmX22mm弾(7.65mmロング弾)で設計されました。しかし、軍用としてより威力が高く、またヨーロッパで最も普及している実包として、9mmパラベラム弾(9mmX19mm弾)を選択し、このほうがメインになりました。後に.22LR弾の派生モデルも作られています。また、ダブルコラム(並列弾倉)の試作も行われましたが、グリップが太すぎて、グリップしにくく、命中率が下がるということで採用されませんでした。このようにSIG P210はあくまでも精度や命中率にこだわって作られた自動拳銃なのです。作動方式はショートリコイル、トリガーアクションはシングルアクション、シングルコラムの弾倉には9mmパラベラム弾を8発装填することができました。

映画でのメジャーな登場は意外と少ないのですが、印象に残っているのは「ワイルド・ギース」("The Wild Geese"、1978年)で、傭兵部隊副官のロジャー・ムーアがP210を使っている冒頭のシーンでした。

 

 

 

Manufacture d' Armes des Pyrénées Françaises(フランス領ピレネー造兵廠)が1960年代に開発した一連の自動拳銃がユニークです。ユニークとは独創的な、とか風変りなという意味ですが、このメーカーの作った自動拳銃にユニーク性は見当たりません。ただ、1965年に発売されたユニーク・モデルLはコンパクトなシャーシに.380ACP弾(9mmショート弾、9mmX17mm)をグリップ内弾倉に6発装填できる実用的な自動拳銃でした。フランスの私服警官は前回紹介したMABとともに、このユニーク・モデルLを愛用した時期があります。.380ACPのほか、.32ACP(7.65mmX17mm)弾を7発装填、あるいは.22LR弾(5.5mmロングライフル弾)を10発装填するモデルもありました。作動方式はシンプルブローバックで、トリガーアクションはシングルでした。現代のサブコンパクトオートの先駆け的存在と言えるでしょう。

映画ではマイナーなフランス映画にしか登場していなくて、女性が使うシーンが多いようです。代表的なところでは、"Secret Defense"(1998年、日本未公開)があります。

 

フランスには多くの小火器メーカーがありましたが、その中でもMAS(サン・テティエンヌ造兵廠)と並び立つ存在だったのがMAB(Manufacture d'Armes de Bayonne、バヨンヌ造兵廠、Manufacture d'Armes Automatique de Bayonneとも呼ばれます)でした。バヨンヌは古来から武器の製造で有名な都市で、銃剣を意味するバヨネットの語源となっているくらいです。この地に1920年に創立された同社は25口径、32口径、380口径の自動拳銃を順次発売し、好評を得ました。とくに1933年に発売したMAB Model Dは刑事用拳銃として、フランス各地の警察で使用されました。FNのM1910の影響を受けたシングルアクション、シンプルブローバックの自動拳銃で、.32ACP弾を8発装填することができました。外観もFN M1910に似て優美なフォルムをしています。1940年にはナチスドイツ軍に占領されてしまいますが、フランス解放後はふたたびModel Dの製造を再開し、1940年代から1950年代にはフランスの私服警官の標準装備品となったのです。そして、MABがフランス軍の制式拳銃を目指して開発したのがMAB PA-15(バックナンバー)でした。1966年に発売されたPA-15は残念ながらフランス軍には採用されず、MABは経営不振に陥りました。そして、1970年代にはFNハースタルの下請け工場となったのですが、結局は1983年に倒産してしまいました。操業から63年という歴史を駆け抜けた自動拳銃メーカー、それがMABでした。

MAB Model Dはフランスの映画にはよく登場し、ジャン・ギャバンなどが使うシーンが多く見られます。時代考証が正確なのは、アラン・ドロン主演の「フリック・ストーリー」("Flic Story"、1975年)で、刑事たちはいずれもMAB Model Dを使います。また、イブ・モンタン主演の「真夜中の刑事」("Police Python 357”、1976年)でも、同僚刑事がMAB Model Dを使うシーンが出てきます。なお、イブ・モンタンは原題のようにコルト・パイソン357マグナムを使います。これはダーティー・ハリーのS&W M29 44マグナムの向こうを張ったものでした。

 

 

フランス軍の制式拳銃はSACM M1935AとMAS M1935Sでしたが、第二次世界大戦から戦後にかけて混乱期が続きました。M1935AおよびM1935Sは7.65mmロング弾を使用する自動拳銃でしたが、ドイツ占領下で多用されたワルサーP38を戦後も使い続けていました。しかし、P38は9mmパラベラム弾なので、M1935とは互換性がなく、問題となっていました。そこで、フランス軍は1950年に新しい制式拳銃のトライアルを行い、MAS(Manufacture d'Armes de Saint-Etienne、サン・テティエンヌ造兵廠)のM1950を制式拳銃として、9ミリパラベラム弾へ統一することを決定しました。1952年にはフランス軍の制式拳銃として採用されました。ただし、MASでは製造能力に限界があったため、当初はMAC(Manufacture Nationale d'Armes de Chatellerault、シャテルロー造兵廠)で製造されました。このため、MAS M1950はMAC M1950とも呼ばれます。M1935Sをベースにしていますが、グリップの形状などにワルサーP38の影響が見られます。装弾数は9発で、トリガーはシングルアクション、作動方式はショートリコイルです。

MAS M1950は「ル・ジタン」(”Le Gitan"、1975年)でアラン・ドロンが使い、イブ・モンタン主演の「真夜中の刑事」("Police Python 357"1976年)でも同僚刑事が使用しました。

 

 

1935年のフランス陸軍次期サイドアーム・トライアルでSACM M1935Aと争ったのがM1935Sでした。フランス陸軍の要求は7.65X22mm(7.65mmロング弾)を8発収納する自動拳銃ということだったので、スペック上はSACM M1935Aとあまり変わりません。外観上の大きな違いはM1935Aがハンマー内蔵式なのに対して、M1935Sはハンマー露出式(ラウンドハンマー)という点ぐらいでしょう。作動方式はショートリコイル、トリガーはシングルアクションでした。ただ、SACM M1935Aのようにトリガー、ハンマー、シアなどがひとつのユニットになっているわけではないので、製造が容易でした。そして、この点がフランス陸軍のトライアルで最終的に勝者となった理由だったのです。トライアルではSACM M1935Aに当初は軍配が上がりました。しかし、ナチスドイツとの戦争が不可避となってきた段階で、SACMの製造能力はフランス陸軍の要求をはるかに下回るものだったのです。そこで、フランス陸軍は1938年に国営企業であるManufacture d'Armes de Saint-Etienne(サン・テティエンヌ造兵廠、略称MAS)にM1935Sの製造を依頼したのでした。しかし、1940年にはドイツ軍がフランスに侵攻し、MASの工場は占拠されてしまいます。ただ、さすが国営企業だけあって、MASの工場労働者たちはドイツ軍が工場に到着する以前に工作機械を破壊したり、持ち去ったりしていました。このため、ドイツ軍はSACMのように(あるいはベルギーのFNのように)、拳銃の製造を続けさせることができませんでした。フランスが解放されると、MASはふたたびM1935Sを生産しました。その後、M1935SはManu-France(MF)、Manufacture Nationale d'Armes de Chatellerault(MAC)、Manufacture National d'Armes de Tulle (MAT)などでも製造されました。