ヨーグルヴェーダ (ヨーガとアーユルヴェーダ)

ヨーグルヴェーダ (ヨーガとアーユルヴェーダ)

ヨーガとアーユルヴェーダ
ヨーグルヴェーダ

お山の中腹でプライベートサロンをやっています


\ サロンメニュー /

・カウンセリング (健康相談)
・Detox FootBath (GOD CLEANER)
・リフレッシュエクササイズ



\ サロンにまつわるエトセトラ /
https://linktr.ee/hattori.r


2016年の春(初夏?)にOPENしたので、2026年は10年目のヨーグルヴェーダです💡

 

これまでにいろいろなことを学び、経験(体験)してきたけれど、ようやく本当の本当にやりたいことの土台がかたまって、ようやくスタート地点に立ったような感じがしています。

 

(アーユルヴェーダでいう)ダルマのSTEP8になる年なので、本当にそのようになっているなぁ、おもしろいなぁと感じています。いいぞ、いいぞ、自然の流れに沿ってるぞ!たのしいぞ!

 

改めて、ヨーグルヴェーダについてこれから投稿していこうじゃないか!というわけで、今回は『ヨーグルヴェーダ』という名前(屋号?)についてのお話を。

 

よく言われるのですが、ヨーグルトはなんの関係もありません(笑)。

 

教室(サロン?)を始めるにあたって、名前をつけよう!ということで、考えていました。

ヨーガ(当時はヨガと言っていた)のグル(師)とアーユルヴェーダのグル(師)から言葉をいただいて、それをミックスさせた名前にしたいと思っていました。

 

…ということを敬介どん(夫の人)に言ったらば、「じゃあ、『ヨーグルヴェーダ』だね!」というのです。

「チッ……!適当だなぁ!」と思ったけれど、それにしました。(なんでや!覚えてないぞ!笑)

 

当時は『YOGurveda』という表記で。

YOGAとAyurveda、YOGurveda

 

知人が「りょーこちゃん、グルメだからグルメもかけなよ!」ということで、

YOGAとgourmetとAyurveda、YOGurvedaと記載してました。

(注: ちなみに、私はグルメでもなんでもありません。好きなものを好きなだけ食べたい相当な偏食家と思います(笑))

〇で囲ったのは、〇は最も調和のとれた形だからというヴェーダの知識から。

(たしかに。シャボン玉をふぅーっと吹くとまあるいのができる。四角いのはできない(笑)(できたらおもしろいけどさ(笑))

角がない、滑らかな形、それが丸)

 

ちょこんとついているマグカップにはお白湯が入っている設定。

ハーブティでも可。

うちに来たらお白湯とハーブティを出していたので。

 

『YOGurveda』と記載すると、「…なんですか?ヨグ……ヨグル…なんて読むんですか?」と聞かれることが多く。

また、宅急便の人が困ってしまうことも多々あり、いろいろと煩わしいこともあったので、『YOGurveda』記載はやめて、カタカナで『ヨーグルヴェーダ』」と記載するようになりました。

あとは『YOGurveda』って書いた感じの字面のバランスがあんまり好きじゃないかも?ということにも気がついたのでシンプルに『ヨーグルヴェーダ』がいいじゃないのということで現在のスタイルに。

外部レッスン(グループレッスン)をもうしていないし、一般的なヨーガの体操に私は精通しているわけではないので、「ヨーガ」を入れているのはどうなんだ?ということがあったのだけど。

指導している体操の内容は完全に私(名前がりょうこ)のオリジナルということと、

私自身が「ヨーガ」というときにはそれは瞑想や身体・こころ・意識の“つながり”のことを指しているので、

「もう『リョーグルヴェーダ』でいいんじゃない!?」という話もあったのだけれども、

(実際に一部のZINEの著者のところには「リョーグルヴェーダ作」と記載している(笑))

他にビビビッ☆とくる名前もいまのところは思いつかないので『ヨーグルヴェーダ』で10年目を迎えることになりそうです。

 

 

|追伸|

ああ、そういえば、最初の頃は『YOGurvedaのびやかな家』だったわ。いま思い出した。

“のびやかな家”はどっから来たかというと、うちを設計してくれた方が「ヨガでのびる」とおうちの雰囲気、暮らす私たちの雰囲気から付けてくれた言葉です。(たしか……ˊᵕˋ;)

 

 

 

 

 

1巻の第2話「がんばれ!! ジョニー君」の話。

 

ざっくりあらすじ

コジコジたちが暮らしているのは“メルヘンの国”、

私たちが暮らしているのは人間界。

ジョニー君は人間界からメルヘンの国に来た人。

“来た”“メルヘンの国に“いる””には原因(理由)があるのだけどジョニー君は知らない(忘れている)。

 

ハレハレ君は陽気で、天真爛漫で、素直に笑えるような自分になりたいという憧れ(思い、理想)を持っている。

なぜそのような思いを持ったかというと、気の合う愉快な仲間が欲しいという思いがあるから。

その思いを形にするために“いま”自分に出来ることを自分なりに考えて、笑顔の練習をしています。

そこに“不思議の世界”からきたローズさんが現れてハレハレくんの「気の合う愉快な仲間が欲しい」という願望が叶うよう支援します。

でも、ハレハレ君はそれを素直に受け取らず、逃げてしまう。

 

ハレハレ君と気の合う愉快な仲間であるジョニーを人間界から連れてきたローズさんはハレハレ君が見当たらないのでジョニーだけ置いて不思議の国帰ってしまう。

ジョニーはハレハレ君の気の合う愉快な仲間になるために存在しているのだけどそれを知っているのはローズさんだけで、

ジョニー自身も自分の役割を知らないし、ローズさんが願望が叶うように支援してくれたことをハレハレ君も知りません。

自分で自分のことが分からないジョニーくんはいつも寂し気で自分に自信のない雰囲気です。

メルヘンの国のみんなが「思い出せるといいね」と励まします。

その様子をみてハレハレ君は「妬ましい」と思います。

でも、本来は「気の合う愉快な仲間」同士なので、お互いに惹かれ合っていきます。

その理由はふたりにはこの時点では分からないけれどね。いつか思い出すといいねˊᵕˋ

 

<< このストーリーのヴェーダ的ポイント >>

・「羨ましい」という感じは、自分の憧れや理想を知るためにある/知ることができる

・目の前で起こることはすべて自分が創造した結果である ということ

・ビックリしたり、不安になっていると、自分が本当に望んでいることを忘れてしまい、誤魔化すための行動をとってしまう

例えば、ハレハレ君は「気の合う愉快な仲間が欲しい」という思いを叶えるためにいま自分に出来ることとして、「笑顔」の練習をしています。その最中にローズさんが現れるのですが、ローズさんの見た目が怪しいので、ローズさんのいうことを疑い、その場から逃げてしまいます。ローズさんは自然からの支援だったのに・・・・・(ああ、勿体ない)

こころが緊張していると(つまりヴァータが乱れていると)自分が本当に望むものを見失ってしまうということ

リラックスしていることの大切さ、リラックスした感情でいれば常に意識的になれる ということ

自分で自分の人生を生きづらくしているということ

こじらせているのは、うまくいかないのは自分が緊張しているから

リラックスして、素直に受け取る それだけでラクにシンプルに生きていける

・みな自分がなぜ生きているのか、自分がここにいる理由を忘れている ということ

・思いをもち、その思いを叶えるためにいま自分にできることをやっていると自然の支援が得られるということ

・ひとりひとり役割がある ということ

・みんな「忘れている」ということ

・自分が創造しているということを忘れ、目の前で起こったことの表面だけをみると、自然の支援を素直に受け取ることができない

・自分のことを忘れていると不安である、自信がもてない ということ、どこか不満足げであるということ

こころの底からたのしいとは思えないということ

・自分にとって気になる人は本当の自分の思いに気づくため

例えば、ハレハレ君はジョニーがみんなにちやほやされているのをおもしろくないと感じています。

なぜそのように思うのかと言えば、ハレハレ君の中に「気の合う愉快な仲間が欲しい」という思いがあるからです。

人は他者によって自分のことを知ることができる。

 

 

 

いつも同じ道だとラクである。

↓ なぜなら、

頭を使わなくていいから☆ˊᵕˋ

 

 

違う道を通ってみたら、「いいかもー」と思っても 何かあれば元の道に戻っちゃう

↓ なぜなら、

そのほうがラク(安心安全)だからˊᵕˋ

 

※ 何か=イヤなこと、面倒なこと、不快と感じること

 

でも、本当はその道のほうが自分に合っているとか、自分にスゴくメリットがある

ということを「知っている」のなら、何かあったとしてもこっちを選ぶことができる。

 

「知っている」ということは、自分の人生を前に進めるときにとても大事なことで、「知っている」からこそ、どんなことが起こったとしても自分の進むべき方向を見失うことなく前に進むことができる。

 

 

ひとりひとり、毎日のルーティンというものがあって、

朝こーゆー風に過ごして、何時になになにをして、夜はこーゆー風に過ごして、寝るときはこんなで・・・とか

食事もひとりひとりこういうものを食べるとか、

朝は食べるとか/食べないとか、昼はこうで、夜はこうで・・・とか

それらひとつひとつの選択が「いま」をつくっている、

ひとつひとつの選択を積み重ねた結果が「いま」の自分である

「ひとつひとつの選択」を意識している/していない に関係なく、それらは全部原因となって、もれなく結果がついてくる

「結果」に満足している/していない に関わらず「ある」

 

いつもと違うことをすると疲れちゃう

というのは、当然というか、人間の生理機能にとってはとても自然なこと。

いつもと違う ということは頭を使うということ、

↓ つまり、

いつもと違う ということが刺激になって、神経系が緊張するからだ

 

それが「いつもと違うことをして疲れちゃった」の正体だˊᵕˋ

「疲れちゃった」という印象が、原因になって、「またいつもと同じようにしよう」という行動に繋がる。

これをカルマの法則という

これは、人間の「恒常性」ホメオスタシスという性質でもある。

元に戻そうという性質ねˊᵕˋ

 

例えば、「〇〇はとってもいいのだ」という話を聞いて、

「よーし、やってみよう!」と思い立って、やってみる。けど、面倒臭くなったり、忘れてしまったりして、3日ももたないで自然消滅してしまった みたいな。

今までやったことがないことをやるのだから、まだこころやからだにしみついていないのでそれは当然である。

 

スゴく大事なことは、まずは自分がどのようになりたいのか、何を大切にして生きていたいのかをまず決めること。

決めたら、それに必要なことをやって、必要のないことはしない(やめる) というとてもシンプルなこと。

めちゃめちゃ当たり前のことなんだけども 笑

 

生きていると、色んなノイズがあるので、うっかり つい 必要のないことをやってしまうもので。

ノイズがあり過ぎて、自分が本当に望んでいることを見失っちゃうってことね。

ノイズ=人から言われたこと、世の中的なこと、自分の中にあるこだわり、など

 

自分の中にあるこだわりっていうのは、自分にとっての当たり前とか、日々の過ごし方、食事の仕方とか全て

 

こんな風になりたいな、こんな状態の自分がいいな と思ったら、そうなると決める。

決めたら、一旦古い自分を終わりにする。

いまやっていることをやめる、手放す。

例えば、大学生になりたいな って思ったら、

中学生を卒業して、高校生になって、高校を卒業して、ってステップを踏まないとじゃない。

高校が楽しかったから、ずっと高校生でいたいよ ってなってたら本来の目的である大学生になりたいってことを見失ってしまう。本当の本当に望んでいる願望が叶わないままになってしまう。それって、スゴく自分にとってストレスなんだよね。本人が楽しいと思っていてもね。

人って、層構造になっていて、小さい私、大きい私っていうのがあるのよ。

小さい私に大きい私が覆われている状態。通常、小さい私のことを「自分だ」と思っている。

例えていうなら、着ぐるみみたいな。俳優さんみたいな。表面的にはキャラクターで、中身がいる みたいな。

↓ だから、

大きい自分が望むことのほうが大きい願望 強い願望なんだよˊᵕˋ 本物の願望なんだよ。

だから、小さい自分が楽しい!って思っていたとしても、大きい自分としては「まだまだちっちえよ! もっと先に行ってくれい!」モヤモヤ、イライラってなるわけさˊᵕˋ それが「本人が楽しいと思っていても、実はストレスになっている」の正体 笑

 

新しい自分になっていくときに、本物の願望を忘れないっていうのがスゴく大切なことで、

願望を叶えるために、なにかやってみて、ダメでもまたやる。その繰り返しで自分を前に進めていく。

どうしてダメでも前に進めるかって?それは、あたらしい自分をもう知っているから。

そうなることが自分で分かっているから。

よく聞くじゃない。最後まで諦めないでここまでこれたのは明確な目的があったからです みたいな話。

それと一緒で。自分で決めたことを忘れない ということがなにかをするときにイチバン大切なことだし、

イチバン早く達成する・叶える方法。

 

まとめると、

決めたことを忘れないこと

必要のないことはしないこと

これな。

 

 

自分にとっての当たり前を壊せるか っていうのは、自分がどれだけ柔らかいか ってことだと思う。

柔らかさは=素直さ、無邪気さ ってことなんだなーˊᵕˋ

 

自分の中で決めると、必要なことって、自然と集まってくるようになっていて、

それを素直に受け取れるかどうかってことだと思う。

 

例えば、もっと健康になりたい!って自分が決めたら、

自然とそういう情報に目が行くじゃない?

そこに意識が向いている。

そこで出会う人も自分にとって必要な人なんだよね。

必要なことを教えてくれる人というか。

でも自分の中の当たり前と違うことだと「受け取りにくい」

受け入れたくないとか、認めたくないとか っていうことが起こる。

せっかく教えてくれたのにチャンスを逃しちゃう。

 

素直さって謙虚さでもあるんだなーって思うし、

素直さっていかに自分を手放せるかってことだとも思う。

自分って、「小さい自分」のことね。

 

人間関係をスムーズにするのも素直さだなって思う。

みんな我慢して、本当の自分を隠しているから摩擦が起こるんじゃないかなー。

例えば、「いまつらい」とか「困ってる」とか「疲れている」とか、言うのをガマンしちゃってる人が多いんじゃないかなー。

「つらいのはみんな同じ」とか「みんな頑張ってるんだから、そんなこと言えない」とかさ´・ε・`

「オラオラ!こっちは仕事でストレス溜まってんじゃー!」とか言って横柄な態度とったり、人に当たったり、もの壊したりとか、そういうのって、そういう場面を漫画で見たんだけど、

言ってくれよ と思うよね 笑

「仕事大変なんだね、だからイライラしているんだね」とか、

それならそうと言ってくれたらいいのに って思うじゃん。

身近な人なら絶対そう思うじゃん。それがつらかったんだね とか

困ってるんなら、手を貸すよとか、とか。

言われた側も、自分も疲れてて、手が貸せないなら、こーゆーのあるよ とか教えてあげることだってできるじゃない。

つまりは、つまりは、みんなが素直になるってことは、お互いがお互いを尊重するってことでˊᵕˋ

お互いを認める、赦す ってことで、それができる世の中になったらいいねぇと思ったのですˊᵕˋ

 

まずは自分からˊᵕˋ 

 

「知っている」ってことで、知識と情報の違いっていうのは、

情報が溢れている世の中だけど、知識と情報を区別する方法は、全体性があるかないか ってこと。

〇〇はよい

だれにとってよいのか

どんな体質の人に合うのか、

どんな状態の人にとってよいのか、

男性か、女性か、

大人も?子どもも?高齢者はどう?

いろいろあるでしょ

 

それをどのようにとればいいのか

時間帯は? タイミングは?

量は?

 

食べ物であれば、調理方法とか、生でとるのか、火を通してとるのか とか

いろいろあるじゃない

 

そういうことを全部含んでいるものを選んで、自分にとって本当に必要なものか、必要のないものなのかを見極めて取り入れるのが◎

「元気があればなんでもできる」

何をするにも、健康があれば楽しめるよね と思っているので、健康がなによりも大事だと思っていますˊᵕˋ

 

よく私はアンパンマンを例にして話すんですが、

「食べてごらん、元氣が出るよˊᵕˋ♡」と言って、自分の顔を割って相手に差し出すアンパンマン。

でも、「食べて」「食べて」と言ってどんどん差し出していったら、自分が消えてなくなります 笑

自分が消耗してしまうということですね。

本人も言ってます「顔が欠けていて力が出ない」って 笑

自分が満タンなら、いつだって気持ちよく相手に差し出すことができるˊᵕˋ

そう、健康だからこそ、他者に与えることができる。他者を育むことができる。

要は、健康とは、自分が満たされているということであるˊᵕˋ

 

もし、自分が弱っていたり、つまりは具合が悪かったり、元氣がなければ

活動はできるかも知れないよ?体は動くかも知れないよ?けど、すぐ疲れちゃったりさ、なんとなく活動に集中できなくて、その分充実感が得られないとか。それでその分やらなくていいことをやってさらに自分を弱らせてしまったりね 笑

つまりは、本当の本当に元氣でなければ、活動は中途半端になって、自分を本当の意味で満たすことができないし、

他者になにか与えることもできないということであるˊᵕˋ

 

自分自身をちゃんと知って、

自分自身をちゃんと知るということは、生命とはなにか?っていうことをちゃんと知るってことˊᵕˋ

アーユルヴェーダでは、生命の本質は成長で、人生の目的は幸福の拡大である という風に「生命とは」という生命の定義を言っている。

私たちが生きる目的は、幸福を拡大することなので、健康が最も大切だということですˊᵕˋ

 

私たちは、誰でも自然の力をベースに成り立っています。

自然の力っていうと漠然としているけど、自然に呼吸をして、自然に血液が流れて、自然に内臓が働いて、自然に排泄がなされて って生きるためのシステムは全部自然の力だよね 笑

で、この自然の力は、秩序立っているので、その秩序に寄り添って生きていると、とても自然に生きられるわけです。

なんてシンプル 笑

だから、その秩序に沿って、

適切な睡眠をとり、適切な食事をして、っていうのはスゴく大切なことです。

でも、いまの時代 このご時世だと、その自然の力 秩序を乱す要因に溢れているし、

秩序とは合わない「いわゆる情報」知識ではなく情報 も溢れているので、生命に関する本当の知識が覆い隠されて見えなくなっているように感じます。

 

例えば、不適切な睡眠をして、起きて、なんとなく調子悪いなって感じるかも知れないけど、

別に動けるし、てことでさほど生活や仕事に支障はないわけです。

 

例えば、不適切な食事をしたとしても、すぐすぐ病気になったりするこはないでしょうˊᵕˋ

 

だって、私たちの肉体にはある程度の柔軟性や耐久性がありますから 笑

 

私たちの多くは、実際になんらかの症状やダメージとして現れてこない限り、日常での小さな不摂生に意識を向けることはほとんどありません。

が!

このちりつもが!笑

小さな不摂生こそが自分にもともと備わっている自然の力、 秩序を乱すことの始まりなんです。

 

「ま、いっか☆は節約の敵です」っていうセリフをドラマで聞いたけれど、

「ま、いっか☆」は健康の敵ですな 笑

 

私たち生命は、別になにかしていなくても、

ぼーっとしていたとしても、エネルギーを使っています。

だから、常に補う必要があるということです。

スマホも一緒ですよね 笑

別に触ってなくても、朝と夜の充電の量を比較したらいくらかは減っているよね 笑

 

で、何を補うのか?っていうと、適切な休息、適切な食事です。

逆にいうと、不適切な休息、不適切な食事ではエネルギーは補われませんよ って話。

最近知ったんだけど、充電器の相性ってのがあるらしくって、

スマホの話だけど、笑、この充電器だと充電してんのに充電が全然もたない

充電器を変えたらめちゃ長持ちするようになった☆ってことがあって、それと一緒だな って思ったˊᵕˋ

適切な休息、適切な食事でエネルギーのもちはよくなる!!ˊᵕˋ

 

不適切な休息、不適切な食事を長期間続けていて、消耗し切ってしまうと、それを取り戻すのってスゴい大変なことで、

これも充電の話に例えちゃうけど、充電を使い切ってから充電するよりも、こまめに充電するほうが電池の寿命が延びるってこないだ聞いたですよ・o・

でも、そうだよね、ちょこちょこ充電しとくほうが短い時間で充電完了するもんね・ε・

電源落ちるまで使い切ってから充電すると、スゴい時間かかるじゃん?´・ε・`

 

一般的に、最近の人はエネルギー切れになったら補充する という考え方をする。

でも、本来は というか、アーユルヴェーダ というかヴェーダという自然法則では

まず、適切な休息をとって、適切な食事をして、自然の力を常に補いながら活動する のが望ましいとしています。

そすると、私たちはいつだって持っている能力、持っている力を思う存分発揮することができる とˊᵕˋ

 

で、

休息というのは、睡眠と瞑想のことを指します。

それ以外は全部活動ってことです。

だから、今日は休みだから、のんびり読書を楽しんだよ のんびり音楽鑑賞をしたよ というのは「わたし」という小さい意味での生命としては休息かも知れませんが、大きい意味での生命としての「わたし」にとっては活動なワケです。

小さいわたし、大きい私 の話を始めると長くなっちゃうから、ユーチューブのヨーガスートラを聞いてください 笑

だから「のんびり」していたとしてもエネルギーは消耗しているので、その分に見合うだけの休息がとれていない限りこころとからだは弱っていきます。

多くの人が休息よりも、仕事や娯楽を優先してしまうので、現代人は慢性的な睡眠不足の人が多いと言われています。

是非これを聞いたら、瞑想するなり、「今日は早く寝よう」と決めて22:00までには横になってください 笑

 

瞑想は、さっき小さい自分、大きい自分 という話がチラリと出ましたが、

大きい自分を体験するためのものです。大きい自分 本来のあるべき姿の自分を思い出すためにやるのが瞑想です。

もともと「ある」ものなので、小さい自分に覆われて見えにくくなっているだけなので、毎日毎日瞑想して本来の自分との繋がりを取り戻す という作業をしているという感じですね。

 

 

エネルギーを補うふたつめは適切な食事です。

You are what you eat ということわざあるように、私たちは日々の食事によって維持されています。

食事は単に体力を保つためだけではなく、ダートゥという体の組織を強化して、神経系を養う役割も担っています。

肉、魚、乳製品、卵、小麦、砂糖など、消化の負担となるものを避けて、温かく、出来立ての食事で自分自身を育む というのが大事です。

思い出して、戻る

 

いまそれをやるかどうかは選択ができる

 

髪の毛を拾うのか、

 

プロ

大人の対応

 

つくるのは簡単(なぜなら自然にラクに(無意識に)やっているから)

破壊するのは大変(意識しないとできないから)

四季ってうまくできてるなぁˊᵕˋ

四季というか、自然

自然法則ってスゴいなぁˊᵕˋ

 

なんでそう思ったかっていうと、

春 夏 秋 冬 ってあって、

夏、消化力、体力がイチバン少なくなって、

冬、消化力、体力がMAXになる ように私たちはなっている(私たちはそーゆー仕様になっとる)

 

春は浄化の季節。

浄化ってもんのスゴく体力(エネルギー)を使う。

 

エネルギーをもんのスゴく使うと言えば、消化という工程も、エネルギーをもんのスゴく使う。

だからこそ、消化にいいものを食べることの大切さよ・・・・涙

自分を大切にするってそゆーことよねˊᵕˋ

消化の負担になるものを食べる ということは、自分自身を疲れさせている ということだˊᵕˋ

 

エネルギーをものスゴく使うときには、同時にエネルギーをものスゴく使うことをしない。

だから、よくいうのは、熱を出しているとき、無理に食べない ということ。

あとは、ものスゴく悲しいとき、無理に食べない ということ。

ものスゴくムカついているとき、ごはん食べない ということ。

これらはヴェーダで教えていることˊᵕˋ

熱を出す というのは解毒デトックスのために、悪いものを体の外に出すために熱 というエネルギーを使っている。

それを消化というエネルギーをものスゴく使うという余計な仕事をプラスして邪魔をするな ってことね。

でも、消耗しますから、とてもとても消化にいいものを食べて、エネルギーを補わないとねˊᵕˋ

だから、お粥なのねˊᵕˋ お粥もキツければ、重湯がいいよ というのを勉強したことがあるけれど、

残念ながら、試したことがないのです、わたくし。

なぜなら、「食欲がない」というのを経験したことがないからなのです!!!!笑

 

あとは適切に休息をとって、エネルギーを補う と。

適切な睡眠。

休息こそが、私にとってのチャージである。

休息とは、適切な睡眠をとることと、きちんとした瞑想法によるものを休息という。

休息があっての、活動だからねˊᵕˋ

休息の質が活動の質を決めるだよˊᵕˋ

 

で、悲しんでいるときは、徹底的に悲しむ。それが浄化になる。悲しみって自然と出てくるものだから、誤魔化したりしないで、

食べて誤魔化したり、忙しくすることで忘れようとしたり、しないで、ちゃんと悲しむ。自然と出てくるものを 出たがっているものをしっかり出させてあげる。すると、残らないから、ちゃんとその悲しみを手放すことができる。

「自然と出てくる」これも浄化だから、出ようとするほうにエネルギーが使われようと生理機能が働くようにカラダがなっているので、そこで食べ物を入れちゃうと、「そっちはいま休業中なんですけど!!?」ってことで、消化不良になってしまう。

悲しみを出す仕様になっているのに、そのために消化力は弱まってくれているわけだから、それを邪魔しないで、徹底的に悲しみと。

ほいで、食事というのは、作り手の状態が反映されるものなので、悲しみがある人が作れば、材料や調理法が消化に良い条件が揃っていたとしても、重い質になりがちである。

ほいでね、「じゃあ、どーすればいーんですか!?」「食うなってことかい!?」ってなるかもだけど、

これは、元氣な人に作ってもらう ってのがいいだよˊᵕˋ

悲しんでいる人はこころがタマスというエネルギーに支配されているので、こころがサットヴァ優位になっている人、サットヴァが多い人に作ってもらうこと。

そーゆー人に触れることだねˊᵕˋ

「ごはん作って」と言いにくくても、ちょっと会うとかねˊᵕˋ

 

そういえば、ヴェーダの文献だったか、先生の話だったか、忘れたけど、

悲しんでいる人がいたら、一緒に悲しまないでください と。

なぜなら、悲しみが2倍になってしまうからです。 っていう言葉があったのを思い出したˊᵕˋ

そりゃそうだˊᵕˋ

悲しんでいるのは悲しんでいる人の問題だから、それに同化してどうするっていう。

憐れみをもつ ということは大事だけれども、一緒になって悲しむ っていうのは違うよねって。

ひとりひとり、役割、やることがあるのだから、寄り添って、自分なりにして差し上げれることをすればそれで充分。

その人の問題はその人の問題。なんとかしようとすれば、自分を見失うかもしれないし、その人自身の気づきや成長の機会を奪うことになってしまう。

 

あ、また思い出したことだけど、

新卒で入った会社で、上司の人が、困ったことがあったら、上司に相談するようにしなさい 的なことを言ってくれた人がいたな。

友達とか、同期に話したところで、そこ止まり

「大変だよねー!」「ねー!」でおしまい。

なんの進歩もないじゃん?それって 

って。

それと同じこと言ってるよなぁ 

当時は、その上司のことが好きじゃなかったってのもあって、あんまり響かなかったけど 笑

いいこと言ってたなぁ と思うˊᵕˋ 笑

 

でも、基本的に「よく知っている人に聞く」っていうのが、基本スタンスになっているな、いまの自分は。

だっていちばん手っ取り早いじゃん 笑

ちゃんと知っている人、ちゃんと知に開かれている人に聞く そーゆー風にしている。

 

いつも通りスゴく脱線しているけど 笑、

ムカついているときも、同様で、怒り というエネルギーに支配されているときに食事をすれば、いくらいいものを食べたとしても、消化不良を起こすし、そーゆー人が作った食事はそーゆーエネルギーでいっぱいの食事になる。

食べないほうがまし 笑

そーゆーこと、過去にあって、家族に毎朝お弁当作っているのだけど、

スゴくピッタが乱れている時期があって、イライラしながら作っていた時期があって、「なんで作らなくちゃいけないんだよ」「作ってやってるんだ」やってやってる感みたいなことがあって、「やってやってる」って思うって、もう典型的なピッタの乱れなんだけど 笑

ふと、冷静になって、こんな私が作る弁当に純粋性 サットヴァはあるのか?いや、あるわけない 

こんな弁当食べないほうがいい と思って一時期弁当お休みしていた時期があった 笑

 

しっかり怒りを発散させて、スッキリしてから落ち着いて食事をする。

純粋な怒りっていうのは一瞬で終わる とヴェーダでは言っているねˊᵕˋ

ネチネチ、ずーっと恨む、憎む、ってのは、こころが というか、そもそも消化力が弱っている証拠 だとˊᵕˋ

 

ホントのホントに本題に戻って、

春は浄化の季節で、体力を使う季節。

だから、冬は、そのいっぱいエネルギーを使う春に備えて、英気を養う季節なんだ!と分かって。

だから、冬は消化力と体力がマックスになってくれてるんだな って。

エネルギーを貯めるのに最適な仕様になっているんだな って。

だからこそ、冬になると高カロリーなものが美味しく感じられるんだな って。

そいえば、私、手作りギーをオーダー受けて作るって活動もしているけど、冬のほうがみんな消費が早いみたい。

ギーはオージャスのかたまりだからねˊᵕˋ

でも、それなりにカロリーはあるからねˊᵕˋ

オージャスが多いものとして、甘い質のものっていうのがあるんだけど、

これを知に開かれていない状態で受け取ると、とにかく高カロリー!なもの、例えば、クリーミーなものとか、こってりとしたものとか、油使ったものとかね、甘いスイーツ的なものとか、そーゆーものに走っちゃうんだけど、

そーすると、ただの重いエネルギーを取り入れているだけだから、どんどん重くなっちゃうんだよねˊᵕˋ

どーゆーことかっていうと、

簡単に言えば、

デブる 笑

で、怠惰になる 怠け者になるというか、色々なことが億劫 面倒くさがりになる

後回し 後回し になったりとか

行動力が伴わなくなってくる

腰が重くなる

活動がダラダラした感じになって、家にいるとゴロゴロしていることが増えたり 笑

あったかくなったらやろう~的なね 笑

 

そういえば、例年「春になったら、暖かくなったら、また行きます~」っていう人が多いんだけど、今年は12月、1月来てくれる人が多い印象ˊᵕˋ

いわゆる「風の時代」ってやつだから??笑 知らんけど

 

食べ物もそうだけど、

冬はカパっていう冷たい、重いエネルギーに支配されているから、どうしても活動が重くなりがちで、睡眠も長く重くなりがち。

でも、エネルギーって、使わないと、ただあるだけになるんだよね。

使わないことには、生かされないというか。

貯めるためにあるんじゃなくて、使うためにあるんだよね!

休息が活動のためにあるってのと同じでね!

 

カパに支配される ということは、自分自身の意識が覆われる ということもあって、

すーぐ、自分の本来やっていきたいこと っていうのが忘れちゃう その思いが覆われて、隠されてしまう

例えば、朝、なかなか布団から出られないじゃないˊᵕˋ

うううううう寒い~ ぬくぬく~ つらい~ うううううう みたいな。

でも、それやってると、活動に移れないじゃない 笑

休息が大事とはいえ、私たちが欣びを得るためには活動が必要なわけですよˊᵕˋ

私たちは、願望を持ち、それを叶え、実現して、欣び 満足感を得て、どんどん成長して欣びを大きくしていくもの。

だけど、ふとんにくるまって、ぬくぬく♡幸せ って言ってるのは本当の幸せじゃないわけよ 笑

騙されるな!!!!って!

本当に本当に私がやりたいことはそうじゃないだろ!

騙さないぞ!とりゃー!!!!!!って布団を蹴散らして朝起きている 笑

負けないのね~!!!って 笑

 

不適切な食事、不適切な睡眠によって、無駄に有り余ったエネルギーは、春の浄化の季節を迎えると、ダルさとか、アレルギー症状とか、憂鬱とか、不安感とか、そーゆーものとして一気に現れる 笑

不適切な食事や不適切な睡眠なので、体力は養われていないので、その春の浄化に耐えられるだけの体力がなく、弱っていく・・・という 笑

弱っているので、「しっかり食べて、体力つけなくちゃ」とかで、また不適切な食事をして、さらに消化力を弱らせて、・・・・を繰り返す という悪循環になりがち 笑

 

 

冬は、適切に食べて、寝て、運動する。

運動することで、食べたものを消化して、消化力、体力をしっかり養っておいて、気持ちよく冬を過ごし、万全の体勢で春を迎えて、

快適な浄化ができる春を迎えられるように準備しておきたいものであるˊᵕˋ

浄化に耐えられる体力、浄化に耐えられる消化力でね!ˊᵕˋ

 

いつもこの季節言っている気がするけど、

この時期、

小麦グルテン

スイーツ的な甘いもの 砂糖

乳製品

には気をつけろ!!! ということと、

 

ダラダラ寝るな!

 

エネルギーは貯めるためにあるんじゃない、使うためにあるんだど!!!

貯金と一緒でね、

貯金することが目的になっちゃうと、なんかつまんないよね 笑

貯めたお金で何をしたいか 貯金の先を考えないとね、ただただ不安から貯めておくとかじゃね、ˊᵕˋ

欣びからすべてを始める 大事なことである。

 

昨日「オイルマッサージをすると、肌着が汚れる」というお話を聞いて。

 

思い出したことがあって、

何年か前に愛媛に長期で滞在していたときがあって、

ホテルで暮らしてたんだけど、1日だけ知人の家に泊めてもらうことがあって、

長期だから洗濯とかしなくて 笑(ホテルのコインランドリーですりゃあいいんだけどさ 笑)

その方が「洗濯したいのあったら一緒にしたげるよ~」というので、

「あら、ありがとう~ˊᵕˋ」(「帰ったら全部まとめてやればいいや」と思っていたので、「洗濯する」という考えがそもそも自分の中になかったので、「あら」という感じのリアクション 笑)

 

で、当時はオイルマッサージの仕方がこってりしていて、

お風呂の前にやって、お風呂上りにも塗る ということをしていたので、結構服にオイルがしみ込んでいたんだよね 笑

今思えば

だから、酸化した油の匂いだかなんだか、独特の快適ではない匂いがついていて、

「だから、ごめん~」って言いながら洗濯お願いして。

そしたら、彼女が、「分かる分かる。だから私、オイルマッサージやめちゃったんだよねー」って言ったのよˊᵕˋ

 

それを思い出したのよね、昨日。

 

服が汚れるから、もうやらない。

匂いが気になるから、もうやらない。

 

うん。

それもそれでいいと思う。

ひとりひとりの選択だから。

 

そこで、「そもそもなんで自分はオイルマッサージしてるんだっけ?」っていうところに立ち返ると、

自分がその日課を続けるのか、やめるのか ってのが非常に明確になるよねーと思ったˊᵕˋ

 

私は、なんでオイルマッサージしているかって言えば、

自分の浄化のためにやってるのよねˊᵕˋ

体の中をオイルでキレイに洗っている 洗いたい キレイにしたい って思ってるのよねˊᵕˋ

あと、オイマッサージって、スゴくヴァータというエネルギーが抜群に整うと聞いて、「そりゃあやらない手はないよねぇ」と思ってやっている。実際それは続けてきて実感している。

あとは、肌がキレイになる。

シンプルに全体的に若返る という。そりゃあやるよね 笑 やりたいよね 笑

 

服が汚れることよりも、服が臭くなることよりも、そっちのが自分にとって大事だって思うから、やる。

ただそれだけ 笑

 

美容家?タレント?のマットが、「カップラーメンとか食べないんですか?」って聞かれて、

「えー?肌をキレイにしておきたい それが自分にとって大事だから、別に魅力に感じない」的なことを答えていたけど、それと同じよね。

自分にとってイチバン大事にしたいことは何か?に立ち返れば、選択はシンプルになるよねˊᵕˋ

 

先日ユーチューブでバガバットギーターというヴェーダの文献の1節を紹介したけれども、

「五感の対象は、それを楽しまない人からは離れるが、その味わいは残存する。しかし、至高なるものを見れば、その味わいすらも消える」っていうねˊᵕˋ

そーゆーことだよねーって思うˊᵕˋ

至高なるもの ここでいえば、自分にとってなにが真実か、自分にとって何が最良であるか っていうのが分かっていれば、他のことはどーでもいいんだよね 笑

 

前に「肉や魚、甘いもの、いろいろ食べないものがあるけど、そんなんで人生楽しいの?」的なことを聞かれたことがあったけど、それも私自身がそーゆーものを食べるということに楽しみを見出していないってだけ。それらを楽しまなくても、いいんだ って思っているだけ。だってもっと大きな楽しみを知っているからね みたいな感じ。

 

どんどん話が脱線していくけど 笑、

山口智子さんが、「最近は外食が多いかな。結婚した頃に一生分の料理を作ったし」って言ってるのを見て、

あーそれ分かる分かるー!って思ったんだよね 笑ˊᵕˋ

肉、魚をやめたときに、あ、甘いもの、スイーツ的なものもそうか・・・「もう一生分食べたかな!」ってふっ!って思ったんだよね 笑

自然とそう感じたというか 笑

もう気が済んでいる 気が済むまで自分は楽しんだな って 笑

だからこの山口智子さんの言葉を聞いて、スゴい「分かるー!その感じ!」って思った 笑

 

話を戻すと、

確かに、オイルマッサージするようになって、首回りとか手首まわりとか服が黄色くなるなっていうのは、思う。

でもね、煮洗いすると、キレイ~になっちゃうんだよˊᵕˋ

それも面白くてね笑

ホントにキレイになるから 笑

それも含めて楽しんでいるかなˊᵕˋ

煮洗いができるように、なるべくコットン100%の服を選んでいるかなˊᵕˋ

ウレタンとか、ポリエステル入ってるやつもやっちゃって、しわっしわになっちゃったことあるよˊᵕˋ

いろいろやらかしながら楽しんでいる 笑

 

あとは、オイルマッサージして、お風呂入って、またオイル塗る必要ないな ってことに気づいて 笑

乾燥するから、ボディークリーム的な感じで塗っちゃってたのよね 笑

お風呂の前は、ちゃんとしたさっき言ったみたいな浄化のための正当な?オイルマッサージとしてのオイルマッサージをしていて、お風呂上りは保湿♡的な位置づけを自分なりによ?してたんだよねˊᵕˋ

そもそも、なんで肌が乾燥するかって言ったら、お風呂とかシャワーの温度が高過ぎたんだよね 笑

愛媛滞在中とか、ホント肌がカッサカサになっちゃって、

大浴場のお風呂温泉毎日朝に夕に使っていたから、温度高かったんだよね 笑

そら、カッサカサになるわ 笑

旅行中ってことでヴァータも乱れているし 笑

 

それら反省を生かして、もう今はお風呂前のオイルマッサージだけで、保湿剤とかは全然使ってない。

そういえばリップクリームも使わなくなったな。

これはね、最近気づいたんだけど、食べ過ぎると、唇荒れるな って。

だから、たまーに唇荒れることはあるけど、リップクリーム、ホント買わなくなったなぁ・o・

 

そんなところもシンプルになってるなぁという感じ。

 

服の匂いも黄ばみも、季節の変わり目に煮洗いして、普通に洗濯してれば、全然気にならなくなったかなˊᵕˋ

 

脱線しまくりながら話したけど、今回何がイチバン言いたかったのかと言えば、

「そもそも自分が大事にしたいことはなんだっけ?」ってことに立ち返ることって大事だよね って話ねˊᵕˋ

現代の医療と、ホリスティック医療の違いについて

ホリスティックというのは「全体」とか「つながり」とか「調和」「バランス」という意味の言葉

自分の専門はヴェーダ科学 アーユルヴェーダなので、アーユルヴェーダの話になるけども、

 

現代の医療は部分を見る

アーユルヴェーダは全体性があるかないかを見る

 

現代の医療は症状を「治す」ということはしない

治しているのではなく、症状を抑えている

 

私たちには自然の力というものが備わっていて、

「自然治癒力」ってやつねˊᵕˋ

自分で自分をよりよくする力というものがある。

 

いわゆる“自然派”の人がよくいうのは、熱が出ると、「浄化だね!」ということ。

それはアーユルヴェーダでも同じで、何か症状が出たときにはそれをなんとかしようとはしない。

出るなら出ろ 出しとけ というスタイル(?)

だってそれが自然なんだもの。

なんとかしようとしない。

自然に出てくるものを抑えるな!ということ。

勝手に 自然に出てくるものを抑えるというのは、とても不自然なことなので、こころやカラダが緊張する

つまりは神経系に負担がかかる

それをアーユルヴェーダではストレス という

 

何か症状が出ると、大抵「げげ!」って思うじゃない

つまりネガティブなものとして、不快なものとして、イヤなもの、厄介なものとして捉えるので、ついなんとかしようとしてしまうもの

でも、実はなんとかしようとすればするほど、出てくるものを抑えれば抑えるほど神経系にはストレスが溜まっていき、結果自分を苦しめることになる。

うまいこと食い止められたとしてもね、その場をしのげたとしてもねˊᵕˋ

また何かの拍子に同じか違うか形でまたやってくる。

だって抑えているだけだから。

 

覆水盆に返らず という昔の言葉があるように、やっちまったもんはしょーがない!

起こってしまったもんはしょーがない!ってことで、

そして、何が起こったとしても、それは日頃の行いの結果、いきなり始まったワケではなくて、自分が選んできた様々なことの結果だから、黙って受け取るだけであるˊᵕˋ

黙らなくてもいいけど 笑

チクショー!とか言ってもいいけど 笑

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる っていう昔の言葉もあるけど、

流れていくものだからˊᵕˋ

そのときはクソッと思っても、それがずっとじゃないからね。

 

で、医療の話に戻るけれども、

薬は症状を抑えるだけであって、治してはいない。

医者は薬は治してはくれない。

だって、治すのは自分自身なんだから。

検査で使う色々とか、薬というのは、結構気を付けたいなと思っていて、

私たちが持っている自然の力、全体性を破壊する という点である。

自分で自分を治す力を弱らせる ということである。

つまりは、オージャスという生命としてのエネルギー、消化力アグニというエネルギーを弱らせるということである。

 

なので、外に頼り切りになってしまう。

薬がやめられない、薬が増えていく というのは、そーゆーことでもある。

自分には自然の力がある ということを確信できなくなる

完全に忘れてしまう

 

アーユルヴェーダにも薬があるけれども、現代医療の薬との違いは、

オージャスを増やす、全体性を整える という意図をもって作られているという点である。

そもそもそもそも病気を治す という観点でつくられていないのよ。

オージャスが増えるとか、全体性を上げる 整える というのは、つまりは自分が本来持っている自然の力を思い出させる、強化する ということである。

なので、それを摂ることによって症状の根本的な原因が消えるので、症状が消えるのはもちろん、オージャスが増え、消化力が上がるので全体的に元氣になるのである。

 

ある方が、しょっちゅう突発性難聴で医者にかかって薬を飲んでいるという。

それで、最近は子宮の筋腫にポリープができて手術をしなければならないという。

もともと筋腫はあったと聞いていたけど、良性というか、経過観察する形だったのだけど、大きくなって、それにポリープまでできて手術になってしまったという。

聞くと、かなりヴァータの乱れた生活を送っていて。仕方ないのかなと思いつつ、

瞑想もきちんと日に2回やって、オイルマッサージも欠かさずしているらしい。

「んー?」と思っていたけど、

あるときピーンときて。

耳の不調というのは、ヴァータの乱れなので、

ヴァータというのは軽いというエネルギーを持っているので、現代医療的にはその症状を抑えるために重さを与える薬になっているわけですよ。

つまりカパの重さによってヴァータの乱れを抑え込むという手法(?)である。

性質が重いのもあるけど、薬を飲むという時点で消化力は落ちるので、食事を気を付けていたとしてもアーマという毒素ができやすい状態になっているのだよˊᵕˋ

科学的に作られたもの、それ由来の毒素って子宮にたまりやすいのよね。

だから、急に子宮のできものが大きくなったんじゃないかしら?っていう まぁ私の推測でしかないけども。

その人の生活全てを見ているわけじゃないからね。

で、子宮筋腫の というか、不正出血とか、生理前の不調が出てくるからそれを抑える薬を飲むじゃない。

それはね、ヴァータが非常に乱れるんですよ。

だから、ヴァータが乱れるから、より耳の不調が出やすくなるじゃない。

で、耳の不調を抑えるために薬のんで、カパが乱れるじゃない。

で、また重くなって、具合悪くなって薬飲むじゃない

 

・・・・・・って繰り返していると、もうずーっとその繰り返しで

その連鎖をひょいと飛び出して、ね!

まずは冷静になって

ヴァータを整える。

ヴァータが乱れているときには、睡眠の質が悪くて、寝るのしんどいとは思うけど、コツコツちょっと忍耐して寝る練習をするですよˊᵕˋ

とにかく休息です。

休息が私たち生命の基盤だからね。

そして、温かくして、食事の内容に気を付けて

少しずつ少しずつ自分の自然の力を立ち上げていく。

再起動ですよ!

 

そんなことを伝えたんだけれど。

 

他の誰かの参考になれば。ねˊᵕˋ♡

デトックス足湯に通ってくださっている方で、ガンの治療中の方がいる。

 

ガンというのは、ガン細胞 ガンという塊の正体はアーマ つまり毒素、

毎日の食事、毎日の生活でコツコツコツコツ、塵も積もればで出来上がった結果 塊である。

 

アーマが出来る主な原因は、食べたものがちゃんと消化できなかったってこと。

そもそもの消化力が弱っているということ。

消化力が弱っていると、何を食べたとしても、いくら世の中的に“体にいい”とされているものを食べたとしても消化されなければ

なんの意味もない(小島よしお風に 笑)

 

消化力という観点がそもそもそもそもの大前提にあるとして、

 

消化しにくいものを食べているということもあるわけで。

カパが多い食材は

カパというエネルギーは、重い、冷たい、脂っこい、鈍い という質の総称だけれども、

そーゆー食材を食べていると、体は重く、冷たく、太った感じになっていくし、

当然こころも重く、どんより、なにかに執着しやすくなったり、落ち込みやすくなったり、するワケで、

その原因は消化力が重く、鈍くなっているからである。

アーユルヴェーダ ヴェーダの考え方の基本は、内側から外側 なので、内側の状態 つまりは消化力の状態がその外側のこころ、からだに影響するのであるˊᵕˋ

 

その方は、子宮の癌なので、女性特有の胸や生殖器の病気で気を付けたいのが、大豆である。

それを知らなかったので、

前回来る前に「検査の結果が悪くなってしまって・・・」って連絡がきたので、

「もしや」と思って、「大豆食べてないですか?」って聞いたら、

「納豆とか、一生懸命食べてます!」って来たので、

説明して、気を付けるといいかも~って伝えて、で、その後良くなったって言っていたのね。

 

で、今回来て、スゴく良くなってきて♪ って言って、

あー良かったね~ˊᵕˋ  なんて話してたんだけど、

来るなり「トイレ貸してください!」って「トイレが近くって!!!!!!」って。

まぁ冬だからねぇˊᵕˋ 寒いもんねぇヴァータ乱れるからトイレ近くなるよねぇ

なんて思ってたんだけど、

「最近冷えて冷えて!」っていうのよね。

「あれ・・・そんな寒がりだったっけ?」と思って

で、夜もおしっこで何回も目が覚めてしまって というのよね。

 

治療で毎回東京まで電車で通っているから、ヴァータ乱れているんだろうなぁと思ってたんだけど。

 

 

で、最近は、デトックス足湯の前に「温熱」ってのを導入して、20分間脚を温めるのをやってもらってからの、デトックス足湯って流れで受けてもらってて、

温熱は40度前後で設定しているのだけど、「あつい/ぬるい どうですか~?」って聞いたら、「ちょっとぬるいかも。普段熱めのお風呂に慣れているから」っていうので、50℃ 55℃くらいまで上げたのよ・o・

 

20分終わって、「あ~汗かいた」って言って、足湯してもらって。

 

で、足湯終わって、片づけるときに、足見たり、手の平見たら、見たらというか、自然と目に入る状況だからだけど、

あまりにも黄色くておったまげたワケですよ・o・!

「随分、皮膚が黄色いから、熱がこもってるのかも知れないですね~」って言ったら、

「そうなんです!熱がこもってるんです!」と・o・

うちに来たときから、口元になんかあるな~と思ってたけど、「もともとあった?よな~??」と思ってたけど、

「口角炎がひどくて!」とのこと。口角炎でしたか・・・

かなり大きい。しかも両端!ひょんえ~!!!

相当なピッタの乱れがあるもよう。

ピッタというのは、火のように熱い、辛い、鋭い、という質をもったエネルギーの総称である。

それで、うちにあるカイラジュジーバンっていう、炎症に効く軟膏みたいなクリームがあるので、それを塗ってもらったんだけど。

実は、歯医者にも行きたいんだけど、口角炎が痛くて口が大きく開けられないから、行けないんだ とのこと。

虫歯かな?と思ったんだけど、歯がボロボロになってしまったとのこと。

欠けちゃうってことだと思うんだけど。あららら

 

で、その日は「婦人科系の疾患にオススメだよ~」ってシャタバリのカプセルを3日分お試しでお土産に渡して、お別れしたのだけど。

 

見送ってから、ふと・・・

お風呂入り過ぎなんじゃないか?と思って。

温泉巡りしてて、かなり熱い風呂が好みなんだよね。

で、ガンだから冷やしちゃいけないって、かなり長く入ってるみたいで、それじゃね?!って思ったんだよね。

ピッタが乱れている原因って!

ピッタが乱れているけど、ヴァータも乱れていて、便秘で頻尿、冷えがつらくて、歯がボロボロ・・・・

これは風呂だ!ガンを宣告される前だったら、辛いものめちゃ大好きで食べてるって聞いてたから、それも濃厚な原因のひとつだったかも知れないけど・・・でも、そのときからピッタとヴァータの乱れを蓄積していたのだと思うけれども・・。原因といえば原因であるが。

 

というわけで、

「熱がこもりやすい原因のひとつでお風呂もあるかもなぁって あの後思いました・o・
40度くらいで20分くらいで小汗をかくくらいで出るのがベストだとアーユルヴェーダではいいますˊᵕˋ
冷えていて全然汗が出ない場合はMAXでも40分くらい。
熱い湯だったり、長~く入ると、火のエネルギーが増え過ぎて消耗し、風のエネルギーが乱れてしまうからです・o・
風のエネルギーが乱れると、便秘気味になったり、より冷えやすくなったり、組織(主に骨、爪、毛など)が脆くなります。」

っていう風にね、メールしておきましたˊᵕˋ

 

ピッタが乱れて、ヴァータが乱れるという連鎖を簡単に説明すると・・・・

 

 

お湯で手を洗い続けると、潤いがなくなってカッサカサになるでしょ?

そーゆーことよ

ピッタ 火のエネルギーの「熱い」という質は、油分や水分を奪っちゃうのよ・o・

油分や水分がなくなると、どうなるか?

カッサカサ・・・つまり乾燥する 「乾燥・乾いている」ヴァータ 風のエネルギーの性質だよね 

↓ つまりは、

ピッタが乱れると、ヴァータももれなく 自動的に自然に乱れるってことよˊᵕˋ

今日YouTubeにUPしたヨーガスートラ50で、なぜ純粋な知識を学ぶのかって話をしたのだけど、それにリンクして。

 

私は「無知は罪」という言葉が嫌いです。 それだと無垢で無知な子供にも罪があることになってしまう。 むしろ、知ろうとする意欲がある限り、無知であることは「希望」です。 なぜなら、「無知なる自分を博識にさせる余地が残されている」ということなのですから。 そうやって人は一生勉強をし続け、新たなことを知っていくことができるのです。 一方で、良い大人が「知ろうとしない」ことは、罪なことだと言えるかもしれません。 それ以上に、知ろうとしない人は一生無知のまま、騙され続ける人生を歩むことになるやもしれません。 まあ「知らぬが仏」という諺通り、無知のまま死ねれば本人にとっては幸せなのかもしれませんが・・・。 しかし、そんな人生は真平ごめんだという人は、飽くなき探究心を忘れずに、知ろうとする努力をし続けましょう!!

 

ヨーガスートラ50「知識を学ぶことがなければ、人は苦しむことができない

聞くことによって、「そうか、そーゆーのが見えてきたら、自分は進んでいるんだな」って分かるのである。

ここで学んでいる階層というのは、自分が進んできたことを確認するための階層である」

進むためには、その先に何があるか知らなければならないそのための知識だ・o・!」

 

知らなかったんならしょーがないよねˊᵕˋというのが、基本スタンスでいる。

他者に対して、実家の人たちに対して、憎しみ、恨み、苛立ちとか、怒りとか、そういうものを持っていたけれど。

「知らなかったんだから仕方ないよね」と思うようになったので、そのような感情はなくなった・ε・

逆に分かっててやってた、知ってたのにやらなかった っていうのには、非常にこころがザワつく。

でも、それはそれで、その人が自分自身の保身のためにやったのだなと思うし、そういうこころの状態なんだなと思うと同時に別の点で無知なんだな という

つまりは、それをしない、言わないことでどうなるかってことについて分かることができなかったということだˊᵕˋ

 

あとは人を見下したり、バカにするということも無知ゆえにできることだˊᵕˋ

例えば、オタクをバカにするとか、なにかに夢中になっている人を軽蔑するとか、

それはきんにくんのYouTubeで「オートミールを食べるなんて、鳥のエサ食ってるみたい」みたいなコメントがあって、それ見て

「貴様トリのエサ食ったことあるんかい!?」って言ってやりたいみたいないこと言ってたけど、そーゆーことだ。

「あんたちゃんとやったことあるんかい?」っていうことだˊᵕˋ

その人にしか分からないよろこびや楽しみとか魅力があるのだから、やったこともない人があーだこーだいうことじゃない。

世の中の誹謗中傷を見ているとそんなことも思うのである。