「知っている」 | ヨーグルヴェーダ (ヨーガとアーユルヴェーダ)

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いつも同じ道だとラクである。

↓ なぜなら、

頭を使わなくていいから☆ˊᵕˋ

 

 

違う道を通ってみたら、「いいかもー」と思っても 何かあれば元の道に戻っちゃう

↓ なぜなら、

そのほうがラク(安心安全)だからˊᵕˋ

 

※ 何か=イヤなこと、面倒なこと、不快と感じること

 

でも、本当はその道のほうが自分に合っているとか、自分にスゴくメリットがある

ということを「知っている」のなら、何かあったとしてもこっちを選ぶことができる。

 

「知っている」ということは、自分の人生を前に進めるときにとても大事なことで、「知っている」からこそ、どんなことが起こったとしても自分の進むべき方向を見失うことなく前に進むことができる。

 

 

ひとりひとり、毎日のルーティンというものがあって、

朝こーゆー風に過ごして、何時になになにをして、夜はこーゆー風に過ごして、寝るときはこんなで・・・とか

食事もひとりひとりこういうものを食べるとか、

朝は食べるとか/食べないとか、昼はこうで、夜はこうで・・・とか

それらひとつひとつの選択が「いま」をつくっている、

ひとつひとつの選択を積み重ねた結果が「いま」の自分である

「ひとつひとつの選択」を意識している/していない に関係なく、それらは全部原因となって、もれなく結果がついてくる

「結果」に満足している/していない に関わらず「ある」

 

いつもと違うことをすると疲れちゃう

というのは、当然というか、人間の生理機能にとってはとても自然なこと。

いつもと違う ということは頭を使うということ、

↓ つまり、

いつもと違う ということが刺激になって、神経系が緊張するからだ

 

それが「いつもと違うことをして疲れちゃった」の正体だˊᵕˋ

「疲れちゃった」という印象が、原因になって、「またいつもと同じようにしよう」という行動に繋がる。

これをカルマの法則という

これは、人間の「恒常性」ホメオスタシスという性質でもある。

元に戻そうという性質ねˊᵕˋ

 

例えば、「〇〇はとってもいいのだ」という話を聞いて、

「よーし、やってみよう!」と思い立って、やってみる。けど、面倒臭くなったり、忘れてしまったりして、3日ももたないで自然消滅してしまった みたいな。

今までやったことがないことをやるのだから、まだこころやからだにしみついていないのでそれは当然である。

 

スゴく大事なことは、まずは自分がどのようになりたいのか、何を大切にして生きていたいのかをまず決めること。

決めたら、それに必要なことをやって、必要のないことはしない(やめる) というとてもシンプルなこと。

めちゃめちゃ当たり前のことなんだけども 笑

 

生きていると、色んなノイズがあるので、うっかり つい 必要のないことをやってしまうもので。

ノイズがあり過ぎて、自分が本当に望んでいることを見失っちゃうってことね。

ノイズ=人から言われたこと、世の中的なこと、自分の中にあるこだわり、など

 

自分の中にあるこだわりっていうのは、自分にとっての当たり前とか、日々の過ごし方、食事の仕方とか全て

 

こんな風になりたいな、こんな状態の自分がいいな と思ったら、そうなると決める。

決めたら、一旦古い自分を終わりにする。

いまやっていることをやめる、手放す。

例えば、大学生になりたいな って思ったら、

中学生を卒業して、高校生になって、高校を卒業して、ってステップを踏まないとじゃない。

高校が楽しかったから、ずっと高校生でいたいよ ってなってたら本来の目的である大学生になりたいってことを見失ってしまう。本当の本当に望んでいる願望が叶わないままになってしまう。それって、スゴく自分にとってストレスなんだよね。本人が楽しいと思っていてもね。

人って、層構造になっていて、小さい私、大きい私っていうのがあるのよ。

小さい私に大きい私が覆われている状態。通常、小さい私のことを「自分だ」と思っている。

例えていうなら、着ぐるみみたいな。俳優さんみたいな。表面的にはキャラクターで、中身がいる みたいな。

↓ だから、

大きい自分が望むことのほうが大きい願望 強い願望なんだよˊᵕˋ 本物の願望なんだよ。

だから、小さい自分が楽しい!って思っていたとしても、大きい自分としては「まだまだちっちえよ! もっと先に行ってくれい!」モヤモヤ、イライラってなるわけさˊᵕˋ それが「本人が楽しいと思っていても、実はストレスになっている」の正体 笑

 

新しい自分になっていくときに、本物の願望を忘れないっていうのがスゴく大切なことで、

願望を叶えるために、なにかやってみて、ダメでもまたやる。その繰り返しで自分を前に進めていく。

どうしてダメでも前に進めるかって?それは、あたらしい自分をもう知っているから。

そうなることが自分で分かっているから。

よく聞くじゃない。最後まで諦めないでここまでこれたのは明確な目的があったからです みたいな話。

それと一緒で。自分で決めたことを忘れない ということがなにかをするときにイチバン大切なことだし、

イチバン早く達成する・叶える方法。

 

まとめると、

決めたことを忘れないこと

必要のないことはしないこと

これな。

 

 

自分にとっての当たり前を壊せるか っていうのは、自分がどれだけ柔らかいか ってことだと思う。

柔らかさは=素直さ、無邪気さ ってことなんだなーˊᵕˋ

 

自分の中で決めると、必要なことって、自然と集まってくるようになっていて、

それを素直に受け取れるかどうかってことだと思う。

 

例えば、もっと健康になりたい!って自分が決めたら、

自然とそういう情報に目が行くじゃない?

そこに意識が向いている。

そこで出会う人も自分にとって必要な人なんだよね。

必要なことを教えてくれる人というか。

でも自分の中の当たり前と違うことだと「受け取りにくい」

受け入れたくないとか、認めたくないとか っていうことが起こる。

せっかく教えてくれたのにチャンスを逃しちゃう。

 

素直さって謙虚さでもあるんだなーって思うし、

素直さっていかに自分を手放せるかってことだとも思う。

自分って、「小さい自分」のことね。

 

人間関係をスムーズにするのも素直さだなって思う。

みんな我慢して、本当の自分を隠しているから摩擦が起こるんじゃないかなー。

例えば、「いまつらい」とか「困ってる」とか「疲れている」とか、言うのをガマンしちゃってる人が多いんじゃないかなー。

「つらいのはみんな同じ」とか「みんな頑張ってるんだから、そんなこと言えない」とかさ´・ε・`

「オラオラ!こっちは仕事でストレス溜まってんじゃー!」とか言って横柄な態度とったり、人に当たったり、もの壊したりとか、そういうのって、そういう場面を漫画で見たんだけど、

言ってくれよ と思うよね 笑

「仕事大変なんだね、だからイライラしているんだね」とか、

それならそうと言ってくれたらいいのに って思うじゃん。

身近な人なら絶対そう思うじゃん。それがつらかったんだね とか

困ってるんなら、手を貸すよとか、とか。

言われた側も、自分も疲れてて、手が貸せないなら、こーゆーのあるよ とか教えてあげることだってできるじゃない。

つまりは、つまりは、みんなが素直になるってことは、お互いがお互いを尊重するってことでˊᵕˋ

お互いを認める、赦す ってことで、それができる世の中になったらいいねぇと思ったのですˊᵕˋ

 

まずは自分からˊᵕˋ 

 

「知っている」ってことで、知識と情報の違いっていうのは、

情報が溢れている世の中だけど、知識と情報を区別する方法は、全体性があるかないか ってこと。

〇〇はよい

だれにとってよいのか

どんな体質の人に合うのか、

どんな状態の人にとってよいのか、

男性か、女性か、

大人も?子どもも?高齢者はどう?

いろいろあるでしょ

 

それをどのようにとればいいのか

時間帯は? タイミングは?

量は?

 

食べ物であれば、調理方法とか、生でとるのか、火を通してとるのか とか

いろいろあるじゃない

 

そういうことを全部含んでいるものを選んで、自分にとって本当に必要なものか、必要のないものなのかを見極めて取り入れるのが◎