今日は、放射線科の診察日。


肺への転移で放射線の追加治療から半年。


肺炎の可能性が症例にある為に

半年後と一年後に診察をするとのことで。





医師が言った。


「今日で診察は終わりです」


現在の状態を鑑みて肺炎の兆候は無いと

半年後の診察は無いと穏やかに。



いろいろ話した。


そして、医師は最後に言った。



「あの頃の辛い治療、お疲れさまでしたね。」


優しい目だった。




私は希少がんの「肛門管がん」


下腹部の放射線治療の時


デリケートゾーン広範囲皮膚爛れ

その痛みに心折れそうになって

リタイア者がいるかと問うたら

数秒あけ「1割くらい居る」と答えたのも


10年前だったら私は助からなかったことを

丁寧に話してくれたのも、この先生だった。



最先端の医療の現場にありながら

寄り添ってくださる放射線治療チーム

笑顔で歯を食いしばる私を支えてもらった。





中でも、自分のことみたいに

痛い声で痛い顔をしていた先生。





診察室を出ると


「最後の診察なんですね」


受付の優しい女性の目が更にキュッとなった。


この、言葉少なく目に込める感覚。


「お世話になりました・・・」


私の静かな卒業式。


(腫瘍内科と消化器内科の受診は続くけど)



会計を待つ間

医師との他の話を振り返り

ダーリンに要約して報告した。


予想はしていたけど

少なからずショックだったこともあったから。



*肛門と直腸のこと

放射線治療後の硬さは徐々に柔らかくなるが

以前のように元にもどる訳ではない。

病変のあったお股全体に関しても同じ。 


*人口肛門を閉じる可能性について

大腸の硬さがどこまで回復するか程度による。

閉じた後に便が通過することにより

治療部位の負担になることは考えられる。

閉じたことにより生じるリスクもある。



私が聞いて医師が答える様子からも

人口肛門を閉じる話は難しいのが伝わってきた。



診察室で一瞬凹みそうになった私に


奇跡はココから


頭の右上くらいから、言葉が降ってきた。

なんだかキラキラしていた。



もともと最初は

私は命尽きるまで人口肛門との話だった。

治って元に戻せる可能性があると聞いて

人口肛門の手術後、期待が膨らんだ。


全て

西洋医学での「治療」がはじまる前のこと。




可能性は低い、でもゼロじゃない。



人口肛門の執刀医は、

私以上に閉じる手術をワクワクして

待ち望んでくれていて

なんだか伝えにくいんだけど。。。。



プラムちゃんとは、

仲良くお付き合いを続ける。



ナノレベルで全身に散っているぽん細胞

集結しないように私を整えて


調子に乗りすぎる私の手綱を握りながら


戻す手術が終わったらの楽しみと

先延ばしをせず

やりたいことを少しづつ

出来ることを、ゆっくりしていこう。



今だから笑って言えるけど


昨年、終わりそうだった命の炎。

危うく繋がって今があるんだもん。


あ!死ぬ氣は全くなかったのよ私😆



奇跡はココから

って


どこから降ってきたんだろ。


私をサポートしてくれてる存在かなぁ。


未来の私からだったら笑えるなぁ。


そうだとしたらニヤニヤしてんだろなぁ、

未来の私😆




読んでくださってありがとうございます🙏



祈ってくださる方々

いつも

本当に

ありがとうございます❤️



ぽんサバイバーのあなた!

部位や治療法

また住まう場所が違えど

共に生きて参りましょう♪



またね

ちか😊