『フラッシュ・ゴードン』第二のブレランと呼ばれた隠れた名作 | トンデモ・シネマの開祖

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『フラッシュ・ゴードン』サム・ジョーンズ主演版



1930年代に同時にコミックと映画化された活劇映画のリメイクで、ディノ・デ・ラウレンティスの製作で1980年に公開された。主演はサム・ジョーンズ。

二言目には本作を【クソ映画】だのいう日本人のネットウジ虫(ネットウヨの下)の節穴ぶりには嫌気がさす時がある。

本作は「TED」でも取り上げられたが、近年、海外では多くの評論家や研究者が本作の魅力に気づき、再評価されている。
今ではメイキング本なども発売されて、日本でも翻訳されている。
第二ブレランとまで言われる隠れた傑作SFだ。

この作品は何も考えずにも観れるが、細かく分析すると非常に良くできている。
しかしながら当時は評価が低かった。
その評価をいまだに日本人の多くが鵜呑みにしている。
そう言う点からもネットウジ虫は四十代以上が多く、後は評価に左右される洗脳されやすい意志と良心を持たない若者だろう。



批評の多くはポップカルチャー的なノリのセットと衣装のせいだと言われている。
また、何より古典的名作に対する冒涜と取った評論家が多かった。

当時はポップカルチャーは若者の文化で、受け入れられない年配が多かった。
すぐに消える文化とまで言われた。
しかし、今やポップカルチャーは海外ではアートとして成立し、巨額の絵画が飛び交うようになった。

また、衣装は全てジョルジュ・アルマーニー・デザインで今では超高級品。

「赤いシャツが笑えるー」とバカな批評を書いている日本人が、フラッシュ・ゴードンモデルのシャツが買える値段ではないのを全く知らないと思う。
ハッキリ言って、笑えない値段である。

アルマーニーがデザインしたので、全体が赤と金を基調にしているが、これは今見ても神々しいほど、派手でSFファンでも、地味派は嫌う。



当時から古典映画の冒涜のように言われたが、よく考えて欲しい。

もう既に「スター・ウォーズ」などの作品が発表された後なのに、わざわざ金ピカの円形を用いたレトロな要塞やロケットは、古典名作へのオマージュなのだ。

また、博士が美人を人質に子孫を残すために、地球を離れると言うオープニングは、完全に漫画チックでリアリティのカケラもない。
しかし、そこが狙いなのだ。
「フラッシュ・ゴードン」は子供の描く夢で、大人のリアリティな世界ではない。
むしろ、ファンタジーなのだ。

つまり全体が古典的芸術への敬意があり、当時の60年代の世代が白黒の新聞のコミックであった「フラッシュ・ゴードン」を軌道修正した夢の映画なのだ。

そこには、子供が夢見たセクシーに対する勘違いの思い込みも含まれている。

それにヒーローは単純で無謀、子供そのもの。



だから、今見てもこの「フラッシュ・ゴードン」は面白い。

僕も若い頃、この映画を観て、衝撃を受け、映画館に3回も通って朝から晩まで繰り返し観た。

よく「フレッシュ・ゴードン」を引き合いに出す者がいるが、全く違う。
あの映画は単なるおバカ映画でエロを題材にしているだけの映画で、本来なら何十年も持て囃される映画ではない。(内容も面白くない)


また、古典のモノクロ版「フラッシュ・ゴードン」は連続もので、面白いが今見ると退屈する。

当時の子供向けに作ったからだ。

それに比べて、本作が飽きないのは、当時の大人が子供の頃、夢見たSFの世界を巨額の予算で再現したからだ。
だから、出てくるのは女性は全員美女で愛欲強め。
男はみんなムキムキでワイルド。
何かというと殴り合って、時には友情を育む。
こんな、イケてる映画は滅多に出会わない。

だって映画はエンタメなのだ。
無茶苦茶で良い。
リアリティや暴力満載の血だらけが面白いという変態映画趣味なんてクソ喰らえだ。

イカれた博士と宇宙船に乗って、美女と戯れ、宇宙人と酒飲んで暴れる。
時には地球まで救ってしまう。
掛かっている曲はクィーンだ!

最高じゃないですか?!
難しい事なんか、この世にはないとさえ、思ってしまう。

今度、この映画の悪口を僕の前で言う奴がいたら、ミン皇帝の前に差し出してやる!