わたしの母は、若いころ、ダンスが大の得意でした。
演劇部で、ミュージカルが好きだったため、よく大きな鏡の前で、ダンスの練習をしていたそうです。
実際に、母が使っていた鏡を祖母宅で見たことがございますが、金の額縁のとても大きな鏡で、美しいなあと感じました。
「鏡は大事だな」と感じたことを覚えております。
母は、感情表現を伴ったダイナミックな動きの踊りが好きなようでしたが、
母の母(わたしから見て祖母にあたります)は、それとは真逆で、日本舞踊をしておりまして、決められた型をまもりながらしっかりと踊るタイプの方でした。
形式に沿った繊細な所作を大切にする、美しい祖母と、
心の底から楽しんで動くことを大切にする、可愛い母と、
それぞれから「美しい動き」をわたしは学んだような気がしております。
ちなみに、わたしは、幼いころはダンスが得意でしたが、成長してからは、まったく踊れなくなりました。
「自分はどんなダンスが踊りたいのか?」をかんがえると、よくわからなくなってしまったようです。
そして、ツインレイに出逢い、性エネルギーが活性化するようになってからは、人前で歌って踊ることに、とても抵抗が出るようになりました。
最近のわたしは、わたしにとって、うたとは何なのだろうか?躍りとは何なのだろうか?わたしは、神様から与えられたこのからだを、どうつかってあげたいのか?ということを
真剣にかんがえつつ、
「あーもうめんどくさい!かみさまおしえてー!」と、
神様に丸投げでチャネリングする感じで、生きております。
それに対する神様の答えが、「好きに生きろ」でした。
「神の掌の上で踊る」のではなく、「自分の光を思うままにあつかい自由自在に動け」という意味でした。
もはや「踊り」という形にとらわれるな、ということですね。
愛に導かれるままに、自由に動くだけで、それは神様からみたら「うつくしい踊り」に、見えるのかもしれません。
自由に踊った写真です🌟