私は現在タシケントの工科大学で副学長をしている。脱サラして大学の教員となってはや9年も経つのが信じられない。
私は、日本で大学の教員をしていた頃から、留学生として日本に来ている外国人を相手にしてきた。タシケントでは私も外国人なわけだが、こういった背景もあり、ウズベキスタン人を相手にすることにあまり違和感は覚えない。
大学教員をやっていると、たまに、別の大学に進学するための推薦状を書いて欲しいということを依頼されることがある。自分は直接学生を指導するといった立場からは若干アウェイな立場なので、指導教員と若干うまくいかなくなった人が、頼ってきたりする。
正直、能力的に推薦するのが厳しいかもしれないなとか、なんとなくその学生が指導教員とうまく行っていないなということがわかっている場合、その指導教員を差し置いて自分が書いちゃって良いのかなと思ったこともあった。結局のところ、今のところは断ったことはない。
研究を指導している学生がいないので、自分にかけることには限界になる。ということで、描ける範囲で、その人の良いところを書くことにしている。例えば、その人のことを、アホだけど良い奴だと思っていた場合、アホであると自分が思っていることについては触れず、良い奴であることのみを記述するといった具合である。
こんな推薦状に意味があるのかな、などとたまに考えたこともあったが、自分に推薦状を頼みに来ている学生は、少なくとも自分のことを頼ってきてくれているわけで、やはり、力にはなってやりたいと思う。
結局、最後に評価するのは、推薦状を受け取る大学であり、私の推薦状を含むその他の書類を総合的に判断して、評価を下すのは先方である。実は、私の推薦状で結構合格している学生もいて、推薦状が学生の合否に与える影響は思ったより少ないのかなとも思っている。
ということで、推薦状を依頼されたときは、良い推薦状を書くことによって力になるというよりは、その学生が自分の未来を切り開くプロセスに参加することで協力していると考えれば、まぁ、相当嫌いな奴でない限りは力になってやるということで良いのだと思う。