MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』3日目~4日目のまとめ。
【3日目】 2018年05月24日(木)放送
旅の内容:●鳥取 投入堂 [山岳修行]▲鳥取の由緒ある湯治場■鳥取からバイオリン文化を全国へ★自然と一体となる山岳修行
スタートは鳥取県三朝町・三朝温泉。ゴールは鳥取県三朝町・三徳山三佛寺。約8キロのコース+デンジャラスな山道・1キロ。
午前8:00、鳥取県三朝町にある、三朝温泉の河原風呂で、足湯に浸かりながらオープニング。早々に、本日の修行内容の説明をする河田アナ。
山岳修行で、標高900メートルの三徳山の、標高520メートルの投入堂を目指す。国宝に指定されている投入堂は、断崖絶壁にあり、中に入ることは許されていない。
投入堂の写真を見て、「ようこれ建てましたねぇ~・・・。人間が造ったんですか?」と不思議がるくっすん。
三朝温泉は約850年前に開湯し、現在24軒の宿泊施設がある。はるか昔、修験者は三朝温泉で心身を清めてから、三徳山へ向かったとされる。
午前8:30、気温20℃でちょっと蒸し暑い。
スタートから1キロ、三朝バイオリン美術館を見学する。エントランスでお出迎えしてくれたのは、岡野館長。館長さんとは5年前に、むかえら『小京都めぐり』倉吉編で、1度会ったことがある。5年の歳月が流れ、館長さんの雰囲気が随分変わったと2人は感じる。
5年前から岡野さんが館長を務めている、この美術館。1階では、バイオリンの製作工程や、材料・道具などが展示されている。
展示品のバイオリンの各パーツは、バイオリンの中や構造が分かりやすく、来館者が自由に触れる。くっすんもパーツを持ち上げ、「ワカメくらい軽い。」と、変な例えをする。
元は、三朝町の民芸品などを展示する美術館だったが、岡野さんがバイオリン製作の新たな拠点を探していたときに目をつけ、役場の方との話し合いを何度もした結果、バイオリンの美術館へ生まれ変わった。現在は、岡野さんが運営を、三朝町から任されている。
かつての美術館は、休館日が週4日ぐらいとあまり開いてなかったので、館の隣りにある小屋を借りれないかと頼んだのが、事の始まり。
2階のホールでは、収容人数70人ほどで、定期コンサートを行っている。月2回のランチタイムコンサートのうち、第1水曜日は、0歳から参加できるキッズコンサートを開催。(小さいうちから)本物の音を聞くことが大事だ、と岡野さん。
くっすんがそれを聞いて、「パパならではの発想ですよね。」とコメントする。そんな話しを端緒に、岡野さんに現在、4人のお子さんがいることが判明する。5年前は2人だったのにと、たいそう驚く河田アナ・くっすん。「やはりまあ職人なんで、やっぱり楽器作りとガキ作りが得意・・・。」と、オチをつける岡野さん。
バイオリン奏者の奥さんは、地元の幼稚園などで、演奏やワークショップを行っている。
美術館の隣りにある、『鳥取バイオリン製作学校』では、岡野校長として、若い職人を育成している。
鳥取からバイオリン文化の普及に、あれやこれと試みている岡野さん。5年会わないうちに着実に前進している、と感心する2人。「(それにひきかえ)我々5年でやってること、なーんにも変わってない。」と卑下する河田アナ。
また5年後か、それより早く再開できたらと、お互いに願いつつ、美術館を後にする。
午前9:50、
スタートから2キロ、温泉に朝風呂へ向かう途中のおとうさんに出合う。毎日入っているという株湯は、三朝温泉の起源とされ、源泉100%掛け流し。
これから投入堂に行く旨を伝えると、何十年も前に行ったことがあるとのこと。道中の山道は、木の根っこをつたっていくなど、大変なことになると、2人は不安をあおられる。
三朝温泉街を抜け、東へ歩く。田植えの終わった田んぼを見て、季節の移ろいを感じる。
スタートから4.5キロ、田植え機で田植え中のおとうさんと、おかあさんに出会う。定年になってから、親の跡を継ぐ形で始めたとのこと。
農業を始めて、いろいろ大変なことが分かった。除草剤をとっても、毎年同じモノを使っていると耐性ができて効かなくなるので、種類を変えないといけない。
鳥取は、ちちんぷいぷい放送圏外なので、「大阪から農家の勉強に来られたんですか?」と間違われる。投入堂まで歩ていく旨を伝えると、けっこう事故が多くて、土日はしょっちゅうレスキュー隊が出動していると、さらに不安をあおられる2人。「がんばってください・・・。落ちんように。」と応援をもらった。
徐々にきつくなる坂道を、歩くこと3キロ、
午後0:10、スタートから7.5キロ、入山する手前、谷川天狗堂にて昼食。河田アナ・くっすんともに、『山菜天ぷら定食』を食べる。山の幸メインのヘルシーメニューで、地元の山菜をつかった天ぷらがたっぷり。三徳とうふはピリリとワサビをのせて、涼やかにいただく。
午後1:30、お店を出て、長々と続く石段を上る。
スタートから8キロ、修行場の三徳山三佛寺[本堂]に到着。三徳山は、706年に役行者が修行場とされる。849年に、慈覚大師が3体の仏様を祀り、三徳山三佛寺を創建したとした。
本堂から投入堂までは、約1キロの道のり。ここから頼もしい助っ人・ご住職の息子さんの米田さんに同行していただく。米田さんは修験者の正装で、河田アナ・くっすんは半袖・ジャージ姿で登る。
下山時刻は午後4:30までと決められていて、それを超えそうな場合は、途中で引き返す可能性もあると、あらかじめ注意を受ける。仮にくっすんがグズッたりしたら、投入堂を見ずに帰ることになるので、「喝を入れさせてもらいます。」と米田さん。
入山前に、受付で手続きを行う。山道は危険がいっぱいなので、服装と靴のチェックと、入山届けに記入する。雨・雪の日は安全に配慮して、入山不可。
ちなみに、神聖な修行場・三徳山でポケモンGOを使っての、ポケモンGETは禁止。そして入山の際は、『六根清淨』と書かれている、輪袈裟をつける。
午後1:50、山岳修行開始。宿入橋(しくいのはし)を渡って、いざ修行場へ。まずは、役行者の石像がお出迎え。河田アナが役行者について解説していると、いつの間にか、木の根っこを手でつかみ足場にして登っていく、カズラ坂に入る。
河田アナはスイスイと上がるが、くっすんは手間取る。「僕このままココで、自然と一体になっていますから、先・・・。」と早速グズるくっすんに、「修行の先に、(自然と)一体になるんですよ。」と米田さんの喝が入る。ついでに、怖がりながらゆっくりカズラ坂を登るくっすんに、「トークも足元も滑ってるよ。」と辛辣な河田アナ。
続いて、かけ念仏の修行。『懺悔 懺悔 六根清浄』と大きな声で唱えながら、険しい道を登る。声を出しながらの山登りは難しく、息が続かないと立ち止まるくっすん。米田さんの「まだ、休憩と言ってないです。」の一声で、修行は続行。
どんどんか細い声になるくっすんと河田アナ、かけ念仏10分を終えて、休憩タイムで座りこむ。
まだまだ続く、険しい山道。
午後2:50、鎖を掴んで上り下りする、名物のクサリ坂へ入る。鎖にしがみつきながら、急な角度の岩を登り、落ちたら大変な狭い足場を進む。
クサリ坂を越えると、三佛寺文殊堂にたどり着く。安土桃山時代に建立されたとみられ、国指定重要文化財。文殊堂は、木を組んだ高い土台の上にあり、その周りをビビりながら歩く。落ちたら大変なことになる、文殊堂の縁に腰を下して、役行者が見たかもしれない、周りの山々を見渡し、自然との一体に近づく。最初は、高所にビビっていただけのくっすんも、絶景を楽しむゆとりが出てきた。
午後3:20、時間の余裕がないので、ペースをあげる。
三佛寺地蔵堂に到着。室町時代末期に建立されたとみられ、国指定重要文化財。子供の成長を祈り、手を合わす。
投入堂まで少しのところで、下山してきた一行に出会う。しんどい道のりだったが、登った甲斐があったと皆さんの感想。
しばらく歩き、牛の背・馬の背と呼ばれる、大きな石の道を進む。両サイドには、木々がうっそうとしているが、昔は生えていなかったので、足を踏み外すと大変なことになった。
投入堂の手前に、三佛寺観音堂がある。江戸時代前期に、鳥取藩主・池田光仲が再建した。観音堂の裏にある岩の間を、感謝の気持ちで手を合わせながら通る(胎内くぐり)。
午後3:40、ついに投入堂に到達。写真で見るのと、実際に本物を見るのでは、感動や迫力が段違いで、胸を打たれる2人。
標高520メートルの断崖絶壁にある、国宝・投入堂。山奥の不安定な場所にどうやって造ったのか、いまだに分かってないが、伝説によれば706年に、役行者が山の麓から投げ入れたといわれる。
投入堂を支える柱は、新しい木材と古い木材が混ざっているのが、見てわかる。新しいのは大正3年に修理した後で、古いのは平安時代後期のままである。科学的にきちんと分かっている神社建築の中で、日本最古級に入る。
大自然に囲まれながら、苦労して登ってきた道中。都会で生活していると忘れてしまいがちな、自然との共存・共栄を、再認識させてくれる、投入堂とその周りの自然。
2人も自然の中で生かされていることを感じ、修行の成果を得た。
道中お世話になった米田さんに感謝し、迫るタイムリミットに一息つく間もなく下山する。くっすんは、「ゴンドラとかないんですか?」と帰りのことをすっかり忘れていた。
休憩なしに20分かけて、
午後4:20、時間ぎりぎり下山、現世へ帰還。最後に、麓の三仏寺で3か所目の御朱印を授かる。
■簡易チャート
スタート: 鳥取県三朝町・三朝温泉 [河原風呂]→ 三朝バイオリン美術館 (1km) → [昼食]:谷川天狗堂 (7.5km) → ゴール:三徳山三佛寺[本堂] (8km) → 宿入橋 → カズラ坂 → クサリ坂 → 三佛寺文殊堂 → 三佛寺地蔵堂 → 三佛寺観音堂 → 投入堂 (9km)
【4日目】 2018年05月31日(木)放送
旅の内容:● 奈良 世界遺産で写経▲金魚に彩られた町■高橋さんの聖地!?★写経でくっすんが魅せる!?
スタートは奈良県大和郡山市・矢田寺。ゴールは奈良市・東大寺。約17キロのコース。
午前9:00、奈良県大和郡山市にある矢田寺から、傘を差しながらオープニング。ロケ日の天気予報は、一日中雨。
矢田寺はアジサイの寺として有名で、約60種・10,000株が植えられている。残念ながら、まだシーズン前で咲いていない。
本日の修行は、東大寺にて写経。くっすんは楽そうだとたかをくくるが、いかに?・・・。
午前9:30、雨風が強まる中、カタールから帰ってきた娘さんと、お母さんに出会う。カタール航空でキャビンアテンダントをしていて、世界の大陸を制覇したとのこと。
お母さんは、娘さんの入社当初は心配で寝られないこともあったが、楽しんで仕事をしているようなので、今は応援している。外国人といっしょに働くことが好きで、外国で遊ぶのも好きで、「仕事が遊びみたいな感じ。」と天職に就いて楽しんでいる。くっすんは「僕といっしょ~。」と、娘さんと握手を交わす。
スタートから5キロ、大和郡山市の中心部を歩く。
大和郡山市には約50の金魚養殖業者があり、年間約5,500万匹を販売している。毎年、金魚すくいの全国大会が行われる。
大和郡山と金魚
1724年に、大和郡山に金魚が最初に持ち込まれた。幕末頃に、仕事を失った武士などが、農業用のため池を利用して金魚の養殖をはじめた。
現在では、町のあちらこちらで金魚を見かける。金魚があしらわれたマンホールや、灯篭型の水槽で泳ぐ金魚等々。
電気屋さんの店頭ディスプレイで、電子レンジの中の水槽に、金魚が泳いでいる。見とれていると、お店の方が出てきて、記念撮影をとる。ディスプレイは息子さんのアイデアで、通行人が足を止めていくとのこと。電子レンジの隣にはホットプレートがあり、その中の水槽で、郡山城の模型のそばで金魚が泳いでいる。
奈良県大和郡山市を抜け、奈良市へ入る。
スタートから8.5キロ、日本で3番目に多い名字にゆかりある、高橋神社に到着。全国の高橋さんには有名だが、地元でもあまり知られていない高橋神社。
御祭神として、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)を祀る。高橋姓のルーツを記した古文書・高橋氏文(たかはしうじぶみ)のよると、磐鹿六雁命の子孫が、朝廷から高橋の名を頂いたとされる。
宮司さんに詳しいお話しをうかがう。磐鹿六雁命は景行天皇に仕えた料理人である。
高橋さんのルーツ
磐鹿六雁命は景行天皇に同行して、船で関東の方へ行った。千葉の海にて、船底からガリガリと音がしたので、確認すると、大きなハマグリが出てきた。
ハマグリを料理して、景行天皇に召し上がってもらった。景行天皇に料理を気にいられ、天皇専属の料理人となった。その後、磐鹿六雁命の子孫も天皇の料理番を務めた。
また奈良時代には、高橋神社から50メートルほど離れたところに、立派な橋が架かっていて、『高橋』と呼ばれた。
高橋神社で手を合わせ、現代建築となったウワサの『高橋』を渡る。奈良時代、橋の西側にある薬師寺と東側にある大安寺から、多くの修行僧が『高橋』を行ったり来たりしたのではないかと思われる。
午後0:05、くっすんが『タコライス』ののぼりを見て、メキシコ料理屋さんと勘違いする。たまたま通りかかった沖縄料理店・『コザタコス』は、沖縄出身の店主さんが結婚を機に奈良へ移住し、本場の味を伝えたいと2年前にオープンした。
せっかくだから、『コザタコス』にて昼食。河田アナは『おきなわチーズバーガー スーパーフライセット』を、くっすんはメキシコ料理の『タコス』を食べる。どちらも野菜たっぷりでヘルシー。タコスは、皮がワンタン?を揚げたみたいで、パリパリの食感とくっすん。
スタートから12キロ、法華寺に到着。8世紀半ばに、光明皇后が創建したとされる尼寺。光明皇后が日本各地に建てた、国分尼寺の中で中心的な存在である。
ご住職に案内され、2017年に国宝に指定された坐像を拝観する。本堂の入口脇に安置されているのが、『維摩居士坐像』。維摩居士は、出家せずにお釈迦さまの弟子となった、古代インドの富豪。
2016年に、坐像を海外の展覧会へ出展するため調査した。X線で内部を調べると、これまで乾漆像と思われていた坐像が、木像だと判明した。
展覧会では、エキゾチックな顔の坐像を見て、イタリアの首相が感激したとのこと。
午後2:15、秘仏で国宝に指定されているご本尊・『十一面観音菩薩立像』に、厨子ごしに手を合わせて、法華寺を後にする。
スタートから16キロ、外国人観光客・修学旅行生・鹿で賑わう東大寺前のメインストリートを通る。
国宝・南大門をくぐって、
スタートから17キロ、修行場の東大寺[大仏殿]に到着。8世紀半ばに、聖武天皇が創建したとされる。
奈良の大仏であまりにも有名な国宝・『盧舎那仏坐像』は、高さ約15メートルあり、観る者を圧倒する。とりあえず、大仏殿に入り盧舎那仏坐像に手を合わす。
大仏殿の中で教学執事の上司さんに、東大寺の写経についてうかがう。東大寺で書いた写経は、大仏様の胎内に納めてもらえる。
それを聞いたくっすんは、「僕らが(大仏様の)一部になるといっても過言ではないですよね?」と執事さんに同意を求める。ちょっと考えて、「そうかもしれません。」と返答される。「過言なら過言と言っていただいても大丈夫ですよ。」と河田アナ。
写経は、毎年8月7日の大仏様お身ぬぐいのときに入れ替えられる。
境内にある写経道場に移動する。小さな机がたくさん並べられた、畳敷きの部屋に入ると、書道教室のような雰囲気がある。普通に写経したい人が訪れ、東大寺所属の東大寺学園(中学・高校)に通うお子さんの保護者には、合格祈願に写経する方もいる。
写経はただお経の字を書き写すだけであるが、書いているうちに心を無にしていく奥深い修行になる。くっすんは「ボーっとしている。」とよく言われるが、心が他の何かにとらわれているのだったら駄目。
いよいよ写経開始。東大寺の一般写経体験に、厳しい心得はないが、今回はせっかくだから、昔の修行僧スタイルでおこない、特別に執事さんに指導していただく。
足をくずして座っていた河田アナ・くっすんは、正座に座り直す。2人の手本となるよう、僧侶の清水さんにとなりで写経してもらう。
今回は、日本で最も親しまれているお経・般若心経を写経する。写経では、『一字三礼』という言葉があり、一字書くごとに3回礼拝するくらいの気持ちをこめる、という教え。
心を静めて、一筆一筆丁寧に書き始める河田アナ。一方くっすんは、かなりのスピードで筆を進める。
写経の始まりは、印刷技術がない時代に、経典を書き写すことが目的だった。
くっすんが字を間違えたので、どうすればよいかご教示願うと、間違った字の横に書いたら、と提案される。昔は写経生が印刷のかわりに写経していたが、どうしても書き間違いが発生してしまう。誤字脱字すると罰金が科せられた。くっすんは、再三『罰金』と言われたけど、もちろん罰金はありません。
一般の方で、一時間ほどで終える、般若心経の写経。
10分経過で、河田アナが1行書き終えたのに対し、くっすんは4行目半ばまで進んでいる。写経には、早い遅いはなく、自分のペースで書くことが大事である。
思わず「めちゃくちゃ早いな。」とこぼす河田アナに、「集中してください。」とくっすんが注意する。
20分経過、くっすんと河田アナは、東大寺まで17キロ歩いた疲労に加え、慣れない正座による足のしびれで、たまらず足を崩して休ませる。
その後、くっすんは足のしびれを物ともせず、驚異的なスピードで写経していく。
40分経過、くっすんが般若心経を写し終える。墨で汚れた手を洗いにいこうと立ち上がろうとするが、足が完全にしびれていて言うことをきかない。ハイハイの形から、ふらふらと立ち上がり、壁に手をついてどうにか体を支える。
1時間経過、河田アナも写し終える。
僧侶の清水さんは、1時間足らずで写し終え、完成した3人の写経を見比べてみる。
河田アナは途中から足のしびれとの闘いになり、最後の方は苦しそうな字になっている。清水さんはさすがの達筆で、普段親しんでいる般若心経を読むように書き上げた。くっすんは、漢字を書くといつも『呪い』みたいと人から言われるらしいが、執事さんから「あ、呪いみたい。」とお言葉をいただく。
くっすんと河田アナは、写経しているときに純粋な顔になってる瞬間があると、執事さんに褒めてもらう。とぼけたかんじのイメージを持たれていたくっすんは、瞬間瞬間にとても良い顔していたと、かなりの好感触を与える。
最後に、東大寺大仏殿で4か所目の御朱印を授かる。
■簡易チャート
スタート: 奈良県大和郡山市・矢田寺 → 高橋神社 (8.5km) → [昼食]:『コザタコス』→ 法華寺 (12km) → 南大門 → ゴール:東大寺[大仏殿] (17km) → 写経道場