MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』3日目~4日目のまとめ。

 

【3日目】 2018年05月24日(木)放送 

 

旅の内容:●鳥取 投入堂 [山岳修行]▲鳥取の由緒ある湯治場■鳥取からバイオリン文化を全国へ★自然と一体となる山岳修行

 

スタートは鳥取県三朝町・三朝温泉。ゴールは鳥取県三朝町・三徳山三佛寺。約8キロのコース+デンジャラスな山道・1キロ。

 

午前8:00、鳥取県三朝町にある、三朝温泉河原風呂で、足湯に浸かりながらオープニング。早々に、本日の修行内容の説明をする河田アナ。

 山岳修行で、標高900メートルの三徳山の、標高520メートルの投入堂を目指す。国宝に指定されている投入堂は、断崖絶壁にあり、中に入ることは許されていない。

 投入堂の写真を見て、「ようこれ建てましたねぇ~・・・。人間が造ったんですか?」と不思議がるくっすん。

 

 三朝温泉は約850年前に開湯し、現在24軒の宿泊施設がある。はるか昔、修験者は三朝温泉で心身を清めてから、三徳山へ向かったとされる。

 

午前8:30、気温20℃でちょっと蒸し暑い。

 

スタートから1キロ、三朝バイオリン美術館を見学する。エントランスでお出迎えしてくれたのは、岡野館長。館長さんとは5年前に、むかえら『小京都めぐり』倉吉編で、1度会ったことがある。5年の歳月が流れ、館長さんの雰囲気が随分変わったと2人は感じる。

 

 5年前から岡野さんが館長を務めている、この美術館。1階では、バイオリンの製作工程や、材料・道具などが展示されている。

 展示品のバイオリンの各パーツは、バイオリンの中や構造が分かりやすく、来館者が自由に触れる。くっすんもパーツを持ち上げ、「ワカメくらい軽い。」と、変な例えをする。

 

 元は、三朝町の民芸品などを展示する美術館だったが、岡野さんがバイオリン製作の新たな拠点を探していたときに目をつけ、役場の方との話し合いを何度もした結果、バイオリンの美術館へ生まれ変わった。現在は、岡野さんが運営を、三朝町から任されている。

 かつての美術館は、休館日が週4日ぐらいとあまり開いてなかったので、館の隣りにある小屋を借りれないかと頼んだのが、事の始まり。

 

 2階のホールでは、収容人数70人ほどで、定期コンサートを行っている。月2回のランチタイムコンサートのうち、第1水曜日は、0歳から参加できるキッズコンサートを開催。(小さいうちから)本物の音を聞くことが大事だ、と岡野さん。

 くっすんがそれを聞いて、「パパならではの発想ですよね。」とコメントする。そんな話しを端緒に、岡野さんに現在、4人のお子さんがいることが判明する。5年前は2人だったのにと、たいそう驚く河田アナ・くっすん。「やはりまあ職人なんで、やっぱり楽器作りとガキ作りが得意・・・。」と、オチをつける岡野さん。

 

 バイオリン奏者の奥さんは、地元の幼稚園などで、演奏やワークショップを行っている。

 美術館の隣りにある、『鳥取バイオリン製作学校』では、岡野校長として、若い職人を育成している。

 

 鳥取からバイオリン文化の普及に、あれやこれと試みている岡野さん。5年会わないうちに着実に前進している、と感心する2人。「(それにひきかえ)我々5年でやってること、なーんにも変わってない。」と卑下する河田アナ。

 また5年後か、それより早く再開できたらと、お互いに願いつつ、美術館を後にする。

 

午前9:50、

スタートから2キロ、温泉に朝風呂へ向かう途中のおとうさんに出合う。毎日入っているという株湯は、三朝温泉の起源とされ、源泉100%掛け流し。

 これから投入堂に行く旨を伝えると、何十年も前に行ったことがあるとのこと。道中の山道は、木の根っこをつたっていくなど、大変なことになると、2人は不安をあおられる。

 

 三朝温泉街を抜け、東へ歩く。田植えの終わった田んぼを見て、季節の移ろいを感じる。

スタートから4.5キロ、田植え機で田植え中のおとうさんと、おかあさんに出会う。定年になってから、親の跡を継ぐ形で始めたとのこと。

 農業を始めて、いろいろ大変なことが分かった。除草剤をとっても、毎年同じモノを使っていると耐性ができて効かなくなるので、種類を変えないといけない。

 

 鳥取は、ちちんぷいぷい放送圏外なので、「大阪から農家の勉強に来られたんですか?」と間違われる。投入堂まで歩ていく旨を伝えると、けっこう事故が多くて、土日はしょっちゅうレスキュー隊が出動していると、さらに不安をあおられる2人。「がんばってください・・・。落ちんように。」と応援をもらった。

 

徐々にきつくなる坂道を、歩くこと3キロ、

午後0:10、スタートから7.5キロ、入山する手前、谷川天狗堂にて昼食。河田アナ・くっすんともに、『山菜天ぷら定食』を食べる。山の幸メインのヘルシーメニューで、地元の山菜をつかった天ぷらがたっぷり。三徳とうふはピリリとワサビをのせて、涼やかにいただく。

 

午後1:30、お店を出て、長々と続く石段を上る。

スタートから8キロ、修行場の三徳山三佛寺[本堂]に到着。三徳山は、706年に役行者が修行場とされる。849年に、慈覚大師が3体の仏様を祀り、三徳山三佛寺を創建したとした。

 

 本堂から投入堂までは、約1キロの道のり。ここから頼もしい助っ人・ご住職の息子さんの米田さんに同行していただく。米田さんは修験者の正装で、河田アナ・くっすんは半袖・ジャージ姿で登る。

 

 下山時刻は午後4:30までと決められていて、それを超えそうな場合は、途中で引き返す可能性もあると、あらかじめ注意を受ける。仮にくっすんがグズッたりしたら、投入堂を見ずに帰ることになるので、「を入れさせてもらいます。」と米田さん。

 

 入山前に、受付で手続きを行う。山道は危険がいっぱいなので、服装と靴のチェックと、入山届けに記入する。雨・雪の日は安全に配慮して、入山不可。 

 ちなみに、神聖な修行場・三徳山でポケモンGOを使っての、ポケモンGETは禁止。そして入山の際は、『六根清淨』と書かれている、輪袈裟をつける。

 

午後1:50、山岳修行開始。宿入橋(しくいのはし)を渡って、いざ修行場へ。まずは、役行者の石像がお出迎え。河田アナが役行者について解説していると、いつの間にか、木の根っこを手でつかみ足場にして登っていく、カズラ坂に入る。

 河田アナはスイスイと上がるが、くっすんは手間取る。「僕このままココで、自然と一体になっていますから、先・・・。」と早速グズるくっすんに、「修行の先に、(自然と)一体になるんですよ。」と米田さんの喝が入る。ついでに、怖がりながらゆっくりカズラ坂を登るくっすんに、「トークも足元も滑ってるよ。」と辛辣な河田アナ。

 

 続いて、かけ念仏の修行。『懺悔 懺悔 六根清浄』と大きな声で唱えながら、険しい道を登る。声を出しながらの山登りは難しく、息が続かないと立ち止まるくっすん。米田さんの「まだ、休憩と言ってないです。」の一声で、修行は続行。

 どんどんか細い声になるくっすんと河田アナ、かけ念仏10分を終えて、休憩タイムで座りこむ。

 

 まだまだ続く、険しい山道。

午後2:50、鎖を掴んで上り下りする、名物のクサリ坂へ入る。鎖にしがみつきながら、急な角度の岩を登り、落ちたら大変な狭い足場を進む。

 

 クサリ坂を越えると、三佛寺文殊堂にたどり着く。安土桃山時代に建立されたとみられ、国指定重要文化財。文殊堂は、木を組んだ高い土台の上にあり、その周りをビビりながら歩く。落ちたら大変なことになる、文殊堂の縁に腰を下して、役行者が見たかもしれない、周りの山々を見渡し、自然との一体に近づく。最初は、高所にビビっていただけのくっすんも、絶景を楽しむゆとりが出てきた。

 

午後3:20、時間の余裕がないので、ペースをあげる。

三佛寺地蔵堂に到着。室町時代末期に建立されたとみられ、国指定重要文化財。子供の成長を祈り、手を合わす。

 

 投入堂まで少しのところで、下山してきた一行に出会う。しんどい道のりだったが、登った甲斐があったと皆さんの感想。

 

 しばらく歩き、牛の背馬の背と呼ばれる、大きな石の道を進む。両サイドには、木々がうっそうとしているが、昔は生えていなかったので、足を踏み外すと大変なことになった。

 

 投入堂の手前に、三佛寺観音堂がある。江戸時代前期に、鳥取藩主・池田光仲が再建した。観音堂の裏にある岩の間を、感謝の気持ちで手を合わせながら通る(胎内くぐり)。

 

午後3:40、ついに投入堂に到達。写真で見るのと、実際に本物を見るのでは、感動や迫力が段違いで、胸を打たれる2人。

 標高520メートルの断崖絶壁にある、国宝・投入堂。山奥の不安定な場所にどうやって造ったのか、いまだに分かってないが、伝説によれば706年に、役行者が山の麓から投げ入れたといわれる。

 

 投入堂を支える柱は、新しい木材と古い木材が混ざっているのが、見てわかる。新しいのは大正3年に修理した後で、古いのは平安時代後期のままである。科学的にきちんと分かっている神社建築の中で、日本最古級に入る。

 

 大自然に囲まれながら、苦労して登ってきた道中。都会で生活していると忘れてしまいがちな、自然との共存・共栄を、再認識させてくれる、投入堂とその周りの自然。

 2人も自然の中で生かされていることを感じ、修行の成果を得た。

 

 道中お世話になった米田さんに感謝し、迫るタイムリミットに一息つく間もなく下山する。くっすんは、「ゴンドラとかないんですか?」と帰りのことをすっかり忘れていた。

 休憩なしに20分かけて、

午後4:20、時間ぎりぎり下山、現世へ帰還。最後に、麓の三仏寺で3か所目の御朱印を授かる。

 

■簡易チャート

スタート: 鳥取県三朝町・三朝温泉 [河原風呂]→ 三朝バイオリン美術館 (1km)  → [昼食]:谷川天狗堂 (7.5km) → ゴール:三徳山三佛寺[本堂] (8km) → 宿入橋  カズラ坂  クサリ坂 → 三佛寺文殊堂 → 三佛寺地蔵堂 → 三佛寺観音堂 → 投入堂 (9km)

 

 

 

【4日目】 2018年05月31日(木)放送 

 

旅の内容:● 奈良 世界遺産で写経金魚に彩られた町■高橋さんの聖地!?★写経でくっすんが魅せる!?

 

スタートは奈良県大和郡山市・矢田寺。ゴールは奈良市・東大寺。約17キロのコース。

 

午前9:00、奈良県大和郡山市にある矢田寺から、傘を差しながらオープニング。ロケ日の天気予報は、一日中雨。

 矢田寺はアジサイの寺として有名で、約60種・10,000株が植えられている。残念ながら、まだシーズン前で咲いていない。

 本日の修行は、東大寺にて写経。くっすんは楽そうだとたかをくくるが、いかに?・・・。

 

午前9:30、雨風が強まる中、カタールから帰ってきた娘さんと、お母さんに出会う。カタール航空でキャビンアテンダントをしていて、世界の大陸を制覇したとのこと。

 お母さんは、娘さんの入社当初は心配で寝られないこともあったが、楽しんで仕事をしているようなので、今は応援している。外国人といっしょに働くことが好きで、外国で遊ぶのも好きで、「仕事が遊びみたいな感じ。」と天職に就いて楽しんでいる。くっすんは「僕といっしょ~。」と、娘さんと握手を交わす。

 

スタートから5キロ、大和郡山市の中心部を歩く。

大和郡山市には約50の金魚養殖業者があり、年間約5,500万匹を販売している。毎年、金魚すくいの全国大会が行われる。

 

大和郡山と金魚

 1724年に、大和郡山に金魚が最初に持ち込まれた。幕末頃に、仕事を失った武士などが、農業用のため池を利用して金魚の養殖をはじめた。

 現在では、町のあちらこちらで金魚を見かける。金魚があしらわれたマンホールや、灯篭型の水槽で泳ぐ金魚等々。

 

 

 電気屋さんの店頭ディスプレイで、電子レンジの中の水槽に、金魚が泳いでいる。見とれていると、お店の方が出てきて、記念撮影をとる。ディスプレイは息子さんのアイデアで、通行人が足を止めていくとのこと。電子レンジの隣にはホットプレートがあり、その中の水槽で、郡山城の模型のそばで金魚が泳いでいる。

 

 奈良県大和郡山市を抜け、奈良市へ入る。

スタートから8.5キロ、日本で3番目に多い名字にゆかりある、高橋神社に到着。全国の高橋さんには有名だが、地元でもあまり知られていない高橋神社。

 御祭神として、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)を祀る。高橋姓のルーツを記した古文書・高橋氏文(たかはしうじぶみ)のよると、磐鹿六雁命の子孫が、朝廷から高橋の名を頂いたとされる。

 

 宮司さんに詳しいお話しをうかがう。磐鹿六雁命は景行天皇に仕えた料理人である。

 

高橋さんのルーツ

 磐鹿六雁命は景行天皇に同行して、船で関東の方へ行った。千葉の海にて、船底からガリガリと音がしたので、確認すると、大きなハマグリが出てきた。

 ハマグリを料理して、景行天皇に召し上がってもらった。景行天皇に料理を気にいられ、天皇専属の料理人となった。その後、磐鹿六雁命の子孫も天皇の料理番を務めた。

 

 また奈良時代には、高橋神社から50メートルほど離れたところに、立派な橋が架かっていて、『高橋』と呼ばれた。

 

 高橋神社で手を合わせ、現代建築となったウワサの『高橋』を渡る。奈良時代、橋の西側にある薬師寺と東側にある大安寺から、多くの修行僧が『高橋』を行ったり来たりしたのではないかと思われる。

 

午後0:05、くっすんが『タコライス』ののぼりを見て、メキシコ料理屋さんと勘違いする。たまたま通りかかった沖縄料理店・『コザタコス』は、沖縄出身の店主さんが結婚を機に奈良へ移住し、本場の味を伝えたいと2年前にオープンした。

 

 せっかくだから、『コザタコス』にて昼食。河田アナは『おきなわチーズバーガー スーパーフライセット』を、くっすんはメキシコ料理の『タコス』を食べる。どちらも野菜たっぷりでヘルシー。タコスは、皮がワンタン?を揚げたみたいで、パリパリの食感とくっすん。

 

スタートから12キロ、法華寺に到着。8世紀半ばに、光明皇后が創建したとされる尼寺。光明皇后が日本各地に建てた、国分尼寺の中で中心的な存在である。

 

 ご住職に案内され、2017年に国宝に指定された坐像を拝観する。本堂の入口脇に安置されているのが、『維摩居士坐像』。維摩居士は、出家せずにお釈迦さまの弟子となった、古代インドの富豪。

 

 2016年に、坐像を海外の展覧会へ出展するため調査した。X線で内部を調べると、これまで乾漆像と思われていた坐像が、木像だと判明した。

 展覧会では、エキゾチックな顔の坐像を見て、イタリアの首相が感激したとのこと。

 

午後2:15、秘仏で国宝に指定されているご本尊・『十一面観音菩薩立像』に、厨子ごしに手を合わせて、法華寺を後にする。

 

スタートから16キロ、外国人観光客・修学旅行生・鹿で賑わう東大寺前のメインストリートを通る。

 

 国宝・南大門をくぐって、

スタートから17キロ、修行場の東大寺[大仏殿]に到着。8世紀半ばに、聖武天皇が創建したとされる。

 奈良の大仏であまりにも有名な国宝・『盧舎那仏坐像』は、高さ約15メートルあり、観る者を圧倒する。とりあえず、大仏殿に入り盧舎那仏坐像に手を合わす。

 

 大仏殿の中で教学執事の上司さんに、東大寺の写経についてうかがう。東大寺で書いた写経は、大仏様の胎内に納めてもらえる。

 それを聞いたくっすんは、「僕らが(大仏様の)一部になるといっても過言ではないですよね?」と執事さんに同意を求める。ちょっと考えて、「そうかもしれません。」と返答される。「過言なら過言と言っていただいても大丈夫ですよ。」と河田アナ。

 

 写経は、毎年8月7日の大仏様お身ぬぐいのときに入れ替えられる。

 

 境内にある写経道場に移動する。小さな机がたくさん並べられた、畳敷きの部屋に入ると、書道教室のような雰囲気がある。普通に写経したい人が訪れ、東大寺所属の東大寺学園(中学・高校)に通うお子さんの保護者には、合格祈願に写経する方もいる。

 

 写経はただお経の字を書き写すだけであるが、書いているうちに心を無にしていく奥深い修行になる。くっすんは「ボーっとしている。」とよく言われるが、心が他の何かにとらわれているのだったら駄目。

 

 いよいよ写経開始。東大寺の一般写経体験に、厳しい心得はないが、今回はせっかくだから、昔の修行僧スタイルでおこない、特別に執事さんに指導していただく。

 足をくずして座っていた河田アナ・くっすんは、正座に座り直す。2人の手本となるよう、僧侶の清水さんにとなりで写経してもらう。

 

 今回は、日本で最も親しまれているお経・般若心経を写経する。写経では、『一字三礼』という言葉があり、一字書くごとに3回礼拝するくらいの気持ちをこめる、という教え。

 

 心を静めて、一筆一筆丁寧に書き始める河田アナ。一方くっすんは、かなりのスピードで筆を進める。

 写経の始まりは、印刷技術がない時代に、経典を書き写すことが目的だった。

 

 くっすんが字を間違えたので、どうすればよいかご教示願うと、間違った字の横に書いたら、と提案される。昔は写経生が印刷のかわりに写経していたが、どうしても書き間違いが発生してしまう。誤字脱字すると罰金が科せられた。くっすんは、再三『罰金』と言われたけど、もちろん罰金はありません。

 

 一般の方で、一時間ほどで終える、般若心経の写経。

10分経過で、河田アナが1行書き終えたのに対し、くっすんは4行目半ばまで進んでいる。写経には、早い遅いはなく、自分のペースで書くことが大事である。

 思わず「めちゃくちゃ早いな。」とこぼす河田アナに、「集中してください。」とくっすんが注意する。

 

20分経過、くっすんと河田アナは、東大寺まで17キロ歩いた疲労に加え、慣れない正座による足のしびれで、たまらず足を崩して休ませる。

 その後、くっすんは足のしびれを物ともせず、驚異的なスピードで写経していく。

 

40分経過、くっすんが般若心経を写し終える。墨で汚れた手を洗いにいこうと立ち上がろうとするが、足が完全にしびれていて言うことをきかない。ハイハイの形から、ふらふらと立ち上がり、壁に手をついてどうにか体を支える。

 

1時間経過、河田アナも写し終える。

 僧侶の清水さんは、1時間足らずで写し終え、完成した3人の写経を見比べてみる。

 河田アナは途中から足のしびれとの闘いになり、最後の方は苦しそうな字になっている。清水さんはさすがの達筆で、普段親しんでいる般若心経を読むように書き上げた。くっすんは、漢字を書くといつも『呪い』みたいと人から言われるらしいが、執事さんから「あ、呪いみたい。」とお言葉をいただく。

 

 くっすんと河田アナは、写経しているときに純粋な顔になってる瞬間があると、執事さんに褒めてもらう。とぼけたかんじのイメージを持たれていたくっすんは、瞬間瞬間にとても良い顔していたと、かなりの好感触を与える。

 

 最後に、東大寺大仏殿で4か所目の御朱印を授かる。

 

■簡易チャート

スタート: 奈良県大和郡山市・矢田寺 → 高橋神社 (8.5km)  → [昼食]:『コザタコス』→ 法華寺 (12km) 南大門  ゴール:東大寺[大仏殿] (17km) → 写経道場

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』1日目(初日)~2日目のまとめ。

 

【1日目】 2018年05月10日(木)放送 

 

旅の内容:●京都 本昌寺 [水行]歴史ある大学馬術部を見学■お釈迦さまのエリート弟子★本日は水行日和?!

 

スタートは京都府京都市左京区・鞍馬寺。ゴールは京都府京都市上京区・本昌寺。約15キロのコース。

 

午前8:00、京都府京都市にある、鞍馬寺の参道階段からオープニング。新章・修行場めぐり一発目ということで、ツライ・苦しい・大変な等、ネガティブなイメージが先行するくっすん。

 今回の修行テーマは、『水行』と河田アナが発表する。『すいぎょう』と聞いて、「美味しそうですね。」とくっすん。スタジオの桂南光さんと同じく、『水餃子』を思い浮かべた。発想が同じで、悔しがる南光さん。

 

午前8:10、気温13℃と、水行にはもってこい?の肌寒さ。ゴールでの水行が如何なるものか、不安をいだきつつ歩く。

 

スタートから1キロ、修行好きのおとうさんに出合う。河田アナが『修行場めぐり』について説明すると、修行のだいぶ足らんくっすんには、もってこいだという。おとうさんは、6月に大峯山で3泊4日の奥駈修行をする予定で、過去に5回ほど行った。

 大峯奥駈修行は、入社1年目の河田アナも体験した山岳修行で、熊野~吉野の山道を100キロほど歩く。

 

 しばらく歩くと、修行嫌いなおとうさんに出合う。完結したばかりの『近畿湯治場めぐり和歌山編』について、羨ましい・行きたいと感想をもらう。

 また、河田アナが『修行場めぐり』について説明して、修行のご経験があるかうかがうと、苦しいの嫌で、ないとのこと。おとうさんとくっすんは、楽な所・楽な所ばかり行く性質が同じだと意見が合い、握手を交わす。

 

午前9:30、京都市左京区から京都市北区へ入る。

 

スタートから5キロ、京都産業大学総合グランドにて、京都産業大学馬術部の取材をする。大学創立時の1965年に創部され、過去に全国優勝の経験がある。ちなみに関西では、13の大学に馬術部がある。

 馬術の競技には、コース上に設置された障害物を越えながらタイムを競う障害馬術、様々なステップを踏み演技の正確さや美しさを競う馬場馬術などがある。

 

 馬術部の水野監督に案内してもらい、体育の授業中での馬術を見学する。

 学生さんが乗る馬はすべて競技馬で、その中に異色な経歴を持つ馬がいる。知る人ぞ知る『ビッグウィーク』で、2010年のGI菊花賞を制覇した。競走馬引退後は、馬主さんの希望により、馬術で活躍するようにと馬術部へ預けられた。

 馬術部は他にも、上賀茂神社の神馬を管理・飼育している。

 

 部員の大学生に、馬場馬術を見せてもらう。一見して、乗り手が馬に指示を出しているようには見えないが、そんなところを審査されるので、あえて見えないようにしている。さりげなく、手綱や足などで馬に指示を送っている。

 監督さん曰く、周りの人は何もしていないのに、馬が好んでダンスを踊っているように見えるのが馬場馬術。

 

 乗馬経験のある河田アナが、乗馬服に着替えて、ちょっとだけ馬術体験。思ったより馬からの眺めは高く、お散歩する馬の鞍の上で踊らされただけであった・・・。

 

 馬術部の、4年生の杉本さんと2年生の森田さんに、インタビューする。杉本さんは中学生の頃から馬術を始めて、京都産業大学馬術部に入るのが夢だった。森田さんは小学4年生から始めて、最初は競馬のジョッキーを目指していたとのこと。

 京都産業大学には現在いないが、中学生・高校生のときから自分の馬を飼い始め、その馬を大学に連れてきて、パートナーを組む選手も多い。競技会には、その都度状態を見極めて、人と馬をベストな組み合わせで出場させる。

 

 最後に、馬術部で大切に受け継がれている宝物を拝見する。高級ブランドで有名となった、エルメスの鞍である。エルメスは、1837年にフランスのティエリ・エルメスが馬具工房として起ちあげた。

 日本馬術の創始者・遊佐幸平がアムステルダムオリンピック出場したときに、現地で購入して愛用し、馬術部初代監督に譲り渡した。それ以来大切に保管されている、年々革に味わいが増す鞍のように、馬術部も歴史を積み重ねていければいいなと思う監督さん。

 

午前10:40、鴨川沿いを南へ歩き、市街地へ入る。

 

午前11:10、スタートから9.5キロ、握手を求められたおかあさんに、泣いてばっかりとダメ出しされるくっすん。これから水行しにいくと伝えると、今日は寒いからやめた方が・・・とおっしゃる。

 

スタートから10キロ、畑の中にひっそりと建つ、『牛若丸生誕の地』の石碑前に到着。所在地は北区紫竹牛若町にあり、石碑の裏側に古井戸が残る。『牛若丸誕生井』で、ここの井戸水を産湯に使ったとされる。

 さらに畑の中にあるポツンと立つ、一本の木の下には、『牛若丸胞衣塚』があり、牛若丸のへその緒と母・常盤御前の胎盤が祀られている。

 

 畑を所有されている上野さんは、代々源家に仕えた上野家で、今もこの地を守っている。さすが京都、住宅地の真ん中に歴史ポイントが残っていると河田アナ。

 

午前11:50、お昼ご飯を食べるお店を探して住宅街を歩く。

 

 お店の前に座っているおとうさんが、絶対おいしいと太鼓判を押す冷めん目当てに、

午前0:10、『中華のサカイ 本店』にて昼食。河田アナ・くっすんともに、『冷めん焼豚入り定食』を食べる。冷めんはもちもちの太麺で、ゴマだれにカラシのアクセントが絶妙。

 

午後2:20、スタートから13.5キロ、千本釈迦堂・大法恩寺に到着。1227年に創建され、応仁の乱などの戦火を免れた本堂は、国宝に指定されている。

 

 境内にある歴史資料館・霊宝殿を、清水さんに案内してもらう。

快慶作の『十大弟子像』は、鎌倉時代に作られた。十大弟子はいわば、お釈迦さまにいた約1,250人の弟子の中で、トップ10のエリート。その中の一体を指さして、「このマッケンローさん南光さんに似てません?」とくっすん。正しくは、目犍連(もっけんれん)さん。

 

 十大弟子は人里離れた獣がいる場所で、21日間座禅の修行を行ったといわれる。座禅では、「今日は何をしたか、昨日は何をしたか。」と過去の記憶をたどり、生まれるときまで遡る。それが成就できたら、晴れてお釈迦さまの弟子になれるとのこと。くっすんは、「絶対、寝てしまいます。」とコメント。

 

 十大弟子の一人・阿那律さんにあっては、うかつにもお釈迦さまの説法中に寝てしまったという逸話が残る。やらかした阿那律(あなりつ)さん、「今後一切、眠ることは致しません。」という誓いをたてて、体に障るから寝なさいと、お釈迦さまに至極まっとうなことを言われた。それでも一度たてた誓いを守ると寝なかったので、失明した。その引き換えに、心眼を開いた。

 

 清水さんに、これからの修行場めぐりのアドバイスをお願いする。お釈迦さまの説いた、仏教の実践徳目・八正道(正見、正語、正思惟、正業、正命、正精進、正念、正定)に挙げられているような、正しい心づかいが身についていないと、修行できないという。

 それを聞いたくっすんは、まだ自分は修行するには早いと、水行の延期をうったえるが、河田アナに即却下される。

 

午後3:10、千本釈迦堂・大法恩寺を後にして、後は修行の場・本昌寺を目指すのみ。いつもは早くゴールしたい一心のくっすんも、水行を恐れ、ゴールしたくない気もする。しかも、水行日和の気温13℃。

 

スタートから7時間

スタートから15キロ、修行場の本昌寺に到着。1663年に創建された日蓮宗のお寺。修行の前に、ご住職の児玉さんに、一般人でも体験できる『水行』についてうかがう。

 水行とは、シンプルに水を被って、体と心を清める修行。体の内側・外側、仏教の六根(眼・耳・鼻・舌・身[体]・意[意識])を清める。

 

 日蓮宗の水行は、大荒行と呼ばれる修行で行われる。大荒行では、寒い時期の午前3時から始める、1日7セットの水行とお堂の中での読経を、百日間繰り返す。鎌倉時代に、日像上人が日蓮宗の布教を成就するため、鎌倉の由比ヶ浜で海に浸かり、100日間読経したのが、始まりとされる。

 ご住職は、今年で5回目の大荒行を終えたとのこと。荒行では、声がガラガラになったり、足が腫れ上がったりする。

 

 まだ修行の逃げ道を探すくっすん、水行の途中でのギブアップはありか聞いてみると、「なしですね。」と一喝するご住職。

 

 ジャージから白ふんどし一丁に着替えた河田アナとくっすんは、袈裟から白装束に着替えたご住職に先導され、境内のお庭へ移動する。大きな桶にたっぷりと汲んである本昌寺の井戸水を、ご住職が火打石の火花で清める。

 体を水に慣らすため、その水を手・足・体に軽くかけてゆく。この段階で、「冷たい」という2人に、「冷たいとか、言わない。」とご住職の喝。

 

 水行の基本動作は、大きな桶から手桶で水を汲み、首の後ろに勢いよくかける。水が首から背中を流れることで、体の気の流れも刺激するといわれている。

 お経の一部を唱えながら、基本動作を10数回ほど繰り返す。ご住職のお手本を見て、河田アナ・くっすんも水をかける。しっかり2人の様子を見ていたご住職は、「(水が)かかってない、かかってない。」と、くっすんの不正?に物申す。水は首を通り越えて、体に当たらず空気にかかっていたのだ。「だって後ろ言うから・・・。」と弁解するくっすん。

 

 仕切り直して、3人でお経を唱えながら、約2分間ひたすら水を被る。観念したくっすんもしっかり水をかけ、なんとか水行に耐えた。

 

 水行を終えてホッとする2人。水行中は無心になれた、と河田アナの感想。くっすんは体が震えているが、最初冷たかった付け根が温かくなってきたと感じる。

 一般の方々は、就職・結婚・子どもの誕生など、人生の節目節目で水行をする人が多いとのこと。

 

 水行の後、約20分の御祈祷を受け、修行体験を全うする。最後に、『昔の人は偉かった』で作ったオリジナルの御朱印帳に、本昌寺の御朱印を授かる。

 

■簡易チャート

スタート: 京都府京都市左京区・鞍馬寺 → 京都産業大学総合グランド (5km) → 『牛若丸生誕の地』 (10km) → [昼食]:『中華のサカイ 本店』 → 千本釈迦堂・大法恩寺 (13.5km) → ゴール:本昌寺 (15km)

 

 

 

【2日目】 2018年05月17日(木)放送 

 

旅の内容:●京都 萬福寺 [座禅]西郷どん直筆の掛け軸■伝統の宇治茶栽培を見学★出しっぱなしでデトックス?!

 

スタートは京都府京都市東山区・東福寺。ゴールは京都府宇治市・萬福寺。約14キロのコース。

 

午前8:00、京都府京都市東山区にある、東福寺の境内からオープニング。

 東福寺は鎌倉時代に創建され、東大寺の『東』と興福寺の『福』をとって名付けられた。紅葉の名所で、毎週日曜日の朝に座禅会を行っている(無料)。

 

 境内にある、西郷どんゆかりの場所へ移動する。普段は非公開となっている即宗院で、東福寺塔頭のひとつ。1387年に、薩摩藩大名・島津氏久によって建立された。それから薩摩藩の菩提寺であり、西郷隆盛も訪れたといわれる。

 

 薩摩の下級武士の家に生まれ、藩主の島津斉彬に取り立てられ、倒幕派として活躍した隆盛。清水寺の僧侶・月照とともに、即宗院で倒幕の密会を行った。しかし、江戸幕府に目をつけられ、2人は入水自殺を図る。そして、隆盛だけ生き残った。

 その後、隆盛は戊辰戦争を指揮するなど目覚ましい活躍をして、明治維新を果たした。

 

 前ご住職の杉井さんの案内で、即宗院にある隆盛直筆の掛け軸を拝見する。ふすまの前に掛けられている大きな掛け軸。書かれている文章を、杉井さんが歌いながら意訳してくれる。「いい湯だな、ハハハ。いい湯だな、ハハハ。ここは鹿児島、白鳥おん~せん~。」とドリフターズの名曲にのせて。

 

 実は、隆盛が明治6年に政府の役職を辞任し、鹿児島で温泉めぐりをしているときに描いた詩。温泉めぐりをしていたが、お金がなくてごちそうは食べられなかった。 そんな貧乏な隆盛を聞きおよんだ幕府側の勝海舟は、お金を渡そうとした。直接渡せば突っぱねられるのは目に見えているので、この詩を書かせて買い取る形でお金を渡し、隆盛のメンツを保った。

 

 敵同士でありながら、最後はお互いの実力を認め、納得した西郷と勝の美談。そんな美談を聞いたくっすんは、「(ライバルが)困ってたら、ニヒってしそう。」と喜んじゃうとのこと。杉井さんはそんなくっすんを、「その素直さも必要ですね。」と認める。

 

宇治市を目指し。南へ歩くこと10分、

午前9:10、お元気な90歳のおばあちゃんに出会う。元気の秘訣をうかがうと、好きなもんを食べて、デイサービスに行っていること。デイサービスでは童謡などを歌うのが好きで、朝起きたらすぐ歌うほど。

 

スタートから1.5キロ、観光客で賑わう、伏見稲荷大社へ通じるメインストリートを歩く。店頭で焼いている、うずらの丸焼きが目をひく。『稲福』の店主・本城さんに話をうかがうと、本当はすずめが稲荷の名物とのこと。

 伏見稲荷大社は五穀豊穣の神を祀っているので、五穀を食べるすずめを懲らしめるために、この地域では食べる風習があり、今も残っている。

 

 普段は店内でしか食べられないすずめの丸焼きを、お店の前で1串ずつ食べる。すずめを見てくっすんが一言、「この顔の面長な感じが、河田さんに似てますね。」。「なんでやねん。どこが似てんねん。」とツッコむ河田アナ。

 そのお味は香ばしく、骨までパリパリ美味しくいただける。通のお客さんは、一番おいしい頭から食べるそう。

 

午前9:50、外国人観光客が目立つ、メインストリートをさらに進む。伏見稲荷神社は旅行サイトのトリップアドバイザーで、『外国人に人気の日本の観光スポット』に4年連続1位に選ばれている。

 

 伏見稲荷神社の前で、ワシントンから旅行でやってきた3人連れに出会う。インスタグラムにのせる、ビデオや写真を撮っているとのことで、境内で撮ったフォトジェニックな写真を見せてもらう。

 神社の感想をうかがうと、アメリカと違う文化で、片言の日本語でも優しくもてなしてくれたので、素晴らしかった。ちなみに、うわさのトリップアドバイザーを見てやってきた。

 

午前10:20、深草飯食町を通る。くっすんは標識を『ふかくさ・めしくいまち』と読むが、正しくは『ふかくさ・いじきちょう』。名前から、近くに美味しいお店があると期待するくっすん。しかし、町内にそれらしい飲食店は見つからなかった。

 

午前11:30、スタートから6キロ、京阪電車『伏見桃山駅』前で、お昼ごはんを食べるお店を探す。あれこれ目移りするので、地元の方にオススメのお店を紹介してもらう常套手段をつかう。

 

 ランチをやっている焼肉屋さんが近所にあるとのことで、通りすがりのサラリーマンに案内してもらう。くっすんがお店に撮影許可をもらいに入ると、OK牧場。

午前11:50、『京ホルモン 蔵』にて昼食。河田アナ・くっすんともに、『ステーキ定食』を食べる。やわらかでボリューミーなステーキは、おろしポン酢のタレでいただき、さっぱりジュースィー。

 

スタートから9.5キロ、京都市と宇治市の境界線上にある道路を歩く。その道路で、くっすんは宇治市側に寄り、河田アナは京都市側に寄って歩く。

午後1:40、くっすんだけ宇治市に入る。道で会ったお方に、「宇治のくっすんです。」とあいさつする。

 2人が離れて、道の端っこを進むので、「もう、カメラさんがめちゃくちゃ撮りにくいから・・・。」と河田アナが言い、くっすんがもどってくる。

 

スタートから10キロ、宇治川を渡り、1.5キロ歩き、

道路の上から、黒いネットに覆われているお茶畑が見える。その先に、よしずとワラを被せたお茶畑が見える。よしずとワラを使った、伝統的なお茶の栽培・本ず被覆をおこなっている、山本さんに茶畑を見渡せる道路でお話しをうかがう。

 

 宇治茶の特徴は、茶畑に直射日光が当たらないように覆いをして、新芽を育てて栽培する。鎌倉時代に明恵上人が宇治で広めたのが、宇治茶の始まりとされる。

 

 元々は、露天でお茶を栽培していたが、室町時代に新芽を霜から防ぐため、よしずとワラで茶畑を覆ってみた。そのお茶を飲んでみると、意外に美味しかった。科学的に分析すれば、新芽を直射日光から防ぐことで、うま味成分のテアニンが増す。昔の人はいろいろな経験から、自然と美味いお茶の栽培方法を見つけたと、山本さんのお話し。

 

 緑茶(お茶)の畑は、大きく2つに分かれる。ワラや遮光ネットで覆いをする覆下圓は、抹茶・玉露・てん茶など、覆いをしない露天園は、煎茶・番茶・ほうじ茶などを作っている。宇治では両方の畑がある。

 覆下圓では、安くて設置の手間がかからない、遮光ネットを使う農家が多い。本ず被覆を行う農家は、少なくなっている。

 

 山本さんの茶畑の中を、特別に拝見させてもらう。外からでは見えなかったが、ワラの下では、青々と育ったお茶がびっちり茂っている。薄暗い中、僅かな日光を求めて、お茶の葉が大きく育つ。宇治茶が美味しいといわれる所以は、まさに覆いのおかげ。

 

 また、本ず被覆では、葉に当たる紫外線の量が普通より少なく、葉が薄くなるとのこと。その薄さが、抹茶を作ったときの色合いなどをよく見せる。

 河田アナとくっすんも触ってみて、薄い・・・気がする。「思ったより0.01ミリぐらい薄いです。」とおっしゃるくっすんに、「あなたにそんな繊細な感覚ありますか?」と、いぶかしがる河田アナ。

 

 山本さんが営むお店・『京杜氏工房 山本甚次郎』では、お茶っ葉の製造・販売も行い、できたお茶は高級茶として知られている。

 2人は茶畑の中で、山本さんが手ずから入れてくれたお抹茶をいただく。水出しの冷たいお抹茶で、お湯でたてたものより甘みが増す。濃い~味なのに、甘みが強く、お子様なくっすんの舌でも飲みやすい(失礼)、マイルドな苦さ。

 

 山本さんは今後も、伝統的な宇治茶の栽培方法・本ず被覆を守り、次の世代に引き継いでいきたいと夢を語る。

 

 後は修行の場・萬福寺を目指すのみ。

スタートから7時間30分、

午後3:40、スタートから14キロ、修行場の萬福寺に到着。1661年に、中国の僧・隠元隆琦により開創された。2人は、一般の人も体験できる座禅を体験する。

 

 執事の中島さんに、修行場の法堂(はっとう)に案内していただく。もともとは僧侶が須弥壇に上がって、説法を行う場所であった。最近では、説明・法話と合わせて約1時間の座禅体験を行っている。

 

 座禅とは、心を静めて、自分の内にある仏の心を見つめる修行である。初心者は、ざわざわと乱れる心を落ち着けていくところを目指す。

 座禅の起源は、お釈迦さまが7日7晩の間、瞑想をぶっ続け、8日目の朝に悟りを開いたことに由来する。

 

 2人は作務衣に着替えて、靴を脱ぎ、座って座禅のポーズをとる。足を組み方は、両足を互いの太ももに乗せ、両膝を床につける結跏趺坐(けっかふざ)で行うのがスタンダードだが、慣れてないとツライ姿勢なので、2人は片足だけ太ももに乗せる。

 

 座禅の代名詞ともいえるのが、修行者を叩く棒。正式には警策棒と呼び、肩・背中を打つ。警策棒の役割は、罰を与えることではなく、打たれて動くことで気分転換し、座禅に集中を促すことにある。

 

 座禅中に動いてはいけない・音をたててはいけないという掟には例外がある。くしゃみ・咳・おならなどの生理現象は、止めようとすれば無心ではいられないので、そのまま出るに任せる。

 修行中の僧侶は、座禅中にトイレに行きたくなっても、出しっぱなし・・・という話しを聞いて、唖然とする2人。「今日、我々出ちゃったらどう、大丈夫なんですか?」とトーンダウンする河田アナ。有無を言わさず『出しっぱなし』。

 

 不安をあおる?説明も終わり、いよいよ座禅開始。今回は、萬福寺の座禅体験と同様に、5分×2回の座禅を行う。座禅中、気持ちを集中させるため、息を吸うことより吐くことに集中し、呼吸を数える。

 開始から3分、くっすんが盛大にクシャミをして、ごほごほと咳を繰り返す。隣の河田アナの、集中が乱される。

 

 1回目終了のおりんが鳴らされ、一息いれる。河田アナが、いろいろと音たてるのやめてくださいと、くっすんに注意する。

 

 2回目開始。2人を見守っていた中島さんが、袈裟の袖をまくり上げ、警策棒を持って、おもむろにくっすんの前に立つ。互いに礼を交わし、体を低くしたくっすんに、立て続けに3発振り下ろされる警策棒。くっすんは、複雑に入り乱れた表情を作り、そして泣く。涙が頬をつたい流れ、鼻水が流れる。しかし、拭うことは許されない・・・『出しっぱなし』。

 

 出しっぱなしのまま、2回目終了。河田アナが隣のくっすんを見て、その泣きっぷりに目を疑う。小声で「めっちゃ泣いてますやん。」と聞くと、「だって我慢したらあかんのでしょ。」と袖で涙と鼻水を拭う。

 座禅を終えての、くっすんの感想・・・というか告白。「泣き虫とか、泣いたらアカンとか言われるじゃないですか。でも僕は、泣きたいんです。日頃から。でも43歳のおっさんやから、泣いたらアカンと思うじゃないですか。でもここでは、『出してもいいんだよ。』って言ってくださったので、なんか、全部出すことができて、すっごいすっきりしました。」

 

 座禅の効能として、自分が思ったことを素直に出すことが出来る。日頃の我慢の積み重ねは体に悪く、悩み・苦しみの原因となる。

 珍しく?河田アナがくっすんの話しに共感し、座禅の場では44歳のおっさんが簡単に泣いても、情けないことじゃないと思った。この座禅体験を、『人生で最も濃い5分』と、くっすんは振り返った。

 

 2人は最後に萬福寺の御朱印を授かり、2日目の旅を終える。

 

■簡易チャート

スタート: 京都府京都市東山区・東福寺 → 『稲福』(1.5km) → 深草飯食町 → [昼食]:『京ホルモン 蔵』 (6km) → 宇治茶畑 (11.5km) → ゴール:萬福寺 (14km)

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第15章『近畿 湯治場めぐり』和歌山編の27日目のまとめ。

 

【27日目】 2018年04月12日(木)放送 [最終日]
旅の内容:●旅の最終目的地・龍神温泉へ泣くのか?泣かないのか?■龍が如く?!日高川◆露天風呂で湯治場巡りを振り返る★旅の終わり・・・そして旅の始まり?!

 

スタートは和歌山県田辺市龍神村・薬師堂。ゴールは和歌山県田辺市龍神村・龍神温泉。約16キロのコース。

 

午前8:00、和歌山県田辺市龍神村にある、薬師堂の前からオープニング。湯治場巡り・和歌山編最終回ということで、元気よくあいさつする、のっけからテンションの高いくっすん。2017年10月に和歌山市の花山温泉からスタートした和歌山編は、現在歩いた総距離411キロ。有終の美を飾れ!

 

 朝から気持ちの良い快晴で、ロケ日の天気予報は、曇り時々晴れ。前日の夜は、大雨だった。

 歩き始めてすぐ、河田アナが「あなたいつも、最終回泣くじゃないですか。もう、あれやめてくださいね。」と釘を刺す。くっすんは、「やあまあ、ぼく43なんで・・・、涙は卒業します。」とフラグを立てる

 

スタートから2.5キロ、通行定員1名の高所恐怖症にはつらい、つり橋を発見する。せっかくだからと、河田アナがくっすんに橋の通行を譲る。カメラマンさんのカメラを携えたくっすん、おっかなびっくりで橋を進む。橋の横揺れに翻弄され、何故か寝転ぶ。奇妙な行動に、「何してんの?」といぶかしがる河田アナ。「寝たら揺れないんですよ。」と、やはりよく分からない

 

 龍神村は日高川を挟んで集落が点在しているため、橋は昔から、なくてはならないものであった。昭和25年~30年に多くの橋が作られ、現在38本の橋が利用されている。

 やっとこさ橋を渡り終えたくっすんの感想は、「命懸けの・・・、橋渡しでした。」。

 

 向こう岸にいるくっすんをよそに、河田アナとむかえらスタッフはさっさと歩き始める。置いてけぼりのくっすんは、慌てて橋を引き返し、「待ってくださいよ。」の声がこだまする。

 

午前9:05、毎週むかえらを視聴しているというおかあさんに出会う。龍神温泉に入ると、肌がツルツルになるとのこと。くっすんが、スベスベのお手てを握らせてもらうが、「駄目よ。」と笑顔で嫌がられる?

 もともと長い間、大阪府豊中市に住んでいたそうで、シティ―ボーイのくっすんにあっては、梅田のど真ん中の地下が一番落ち着くらしい。そんな地下は、苦手なおかあさんに、「引っ越しておいで、いくらでも空き家あるから。」と勧められる。

 

午前9:50、『付け根泣かせ坂(くっすん命名)』を登り、

スタートから6キロ、東光寺に到着。室町時代に創建され、薬師如来を祀っている。お堂の壁に、穴の空いた石がいくつか、ぶらさげられている。これらの耳の形をしている石を耳石と呼び、奉納すると、耳の病気が治るといわれる。

 

 くっすんは、「河田さんの言うことを一言一句すべて拾えるように・・・。」とお願いするという。それができないのは、耳が聞こえにくいのではなく、聞く気がないからと、指摘する河田アナ。願いが成就するのは、本人の努力次第と思われるが、少しでも叶うよう、如来様に手を合わせる。

 

 歩いていると、またもつり橋がある。

 

東光寺から歩くこと30分、

午後10:40、スタートから8キロ、『鮎おとり(500えん)』と聞きなれない言葉が書いてある、『つり吉(龍神釣梁山泊)』をアポなし取材する。平成9年にオープンした、おとり鮎の販売+お食事処、のお店で、ご夫婦で切り盛りしている。

 

 おとり鮎(鮎おとり)は、鮎の友釣りにつかう鮎のこと。友釣りでは、この鮎に針をつけ、野鮎の縄張りに侵入させ、攻撃してきたところを釣る。

 龍神村を流れる日高川は、鮎釣りの人気スポットで、アマゴも釣れる。鮎釣りは5月1日~12月末まで、アマゴ釣りは3月1日~9月末までがシーズン(※要入漁券)。

 

 お店にはカウンター・テーブル席とテラス席があり、店主さんが釣った鮎・アマゴをつかった料理を提供している。

午前11:20、せっかくだから、テラス席で川のせせらぎを聞きながら、昼食。河田アナ・くっすんともに『つり吉定食』を食べる。アマゴは塩焼きと唐揚げを、1匹づつ味わえる。両方骨までいただけて、栄養とカルシウムがたっぷり。

 毎回思うことであるが、その土地のモンをその土地でいただくのが一番の贅沢と河田アナ。くっすんも激しく同意する。


午後1:45、スタートから12キロ、日高川に架かる龍橋を渡り、龍集落に入る。

集落を蛇行する日高川の形が、龍に見えるところから名前が付いた。龍集落には、8世帯15人が住んでいる。

 

10分ほど坂を上がって、『子安地蔵堂』に到着。1702年に建てられ、大きなかやぶき屋根がトレードマークになっている。かやぶきの屋根を保護するため、トタンの屋根を被せている。

 

 お堂の管理人さんに、中を案内してもらう。中に入ると、トタンで外から見えなかった、屋根の構造が一目でわかる。天井の梁から上が、吹き抜けになっていてるため。

 子供は夏休みに勉強したり、大人は夏に涼を求めて休んだり、龍集落の集いの場となっている。

 

 お堂に祀られている子安地蔵は、江戸時代に疫病が流行り、地域の子どもが数が減ったため、また子宝に恵まれるようにと作られたといわれる。和歌山県内外の方々が、子宝を授かったとお礼参りにきた。

 

 くっすんの家では、ヤモリが出没したそう。ヤモリと言えば金運アップの象徴のイメージがあるが、くっすん調べでは子孫繁栄の暗示をもつとのこと。1男1女のパパ・くっすんは、ヤモリ効果で第3子、子安地蔵様に祈願するボーナスチャンス?でさらに第4子いけるかなっ、と思うのであった・・・。

 

午後2:40、『龍神温泉↑3km』の道路案内標識の下を通り、いよいよ最終目的が近いことを実感する。

 さらに、『龍神温泉 元湯→200m』の看板が出現で、気分が高まる。日高川に架かる橋を渡って、温泉街へ入る。

 

ゴール間近で、河田アナとくっすんを、ずっと待ってくれていた女性2人組に出会う。頑張って和歌山を歩いた2人へ、感謝状と金メダルのプレゼントを渡しにやってきたのだ。熱心に和歌山編をご覧になっているだけあって、感謝状の絵と文面にありがとうがこもっている。くっすんは、その感謝状をもらってすぐ読んで、万感極まり泣きだす(オープニングのフラグ回収だが、これはいい涙)。

 心のこもったプレゼントを受け取り、お礼を述べてお別れする。「こんな応援してくださる方が、いるぅコーナーやれて、幸せですね。」と河田アナの感激に、非常に激しく同意するくっすん。

 

 情緒ある温泉街を歩く。ここで湯治場巡り和歌山編総集編をダイジェスト映像で振り返る(こんなこともあったなあ・・・)。

 

午後3:40、スタートから16キロ、歩いた総距離427キロ、和歌山編19か所の湯治場、最終目的地の龍神温泉[上御殿]に到着。7軒の入浴施設が建ち並ぶ龍神温泉のなかで、2人が訪れたのは上御殿。明歴3年(1657年)に初代紀州藩主・徳川頼宣からその名を頂戴した、歴史あるお宿。

 

 玄関で、龍神の名字をもつ女将さんに出迎えてもらう。龍神さんの一族は、落ちのびた源氏の末裔で、7代目ぐらいから『龍神』を名乗るようになったとのこと。

 

 明治の初めから、一般の宿泊施設となった上御殿は、もとは頼宣の別荘として建てられた。湯治に訪れた頼宣は上御殿に泊まり、家来は下御殿に泊まった。

 上御殿にある、頼宣が泊まっていた部屋(復刻)を拝見させてもらう。『御成りの間』と呼ばれ、本当に泊まった部屋は火事で建物ごと消失したので、この部屋だけ再現された。 

 

 歴史ロマンあふれ、くっすんも泊まりたいという『御成りの間』は、2名様以上で宿泊可能。家族代々でこの部屋を予約する場合があり、リピーターも多いそう。

 奥様とのアニバーサリーやサプライズで、くっすん様のご利用お持ちしています・・・。

 

 頼宣が愛した、川のそばにある、龍神温泉の露天風呂に、御入浴。2人は、27日の和歌山編を無事終えた安堵と達成感に包まれる。これほどの気持ちよいお風呂があるだろうか?

 龍神温泉の泉質はナトリウム炭酸水素塩泉で、神経痛・関節痛・冷え性などに効く(日帰り温泉はなし)。

 

 温泉に浸かりながら、河田アナが龍神温泉の歴史を解説する。奈良時代に、役行者が見つけたのが、龍神温泉の起源とされる。平安時代に、弘法大師が夢のお告げに現れた龍神から、名前を付けて、龍神温泉を全国に広めた。

 また、島根県『湯の川温泉』・群馬県『川中温泉』と並び、日本三『美人の湯』に数えられる。

 

 龍神温泉の基礎を、視聴者とくっすんが学んだところで、スタッフさんから2人にお知らせ?がある。スタジオの桂南光さんが、口を酸っぱくして言っていた、龍神温泉でのゲストに橋本マナミさんを呼んでほしい、との案件である。橋本マナミさんが来ているかも、と思った2人は、いきなりの話しに、どうしようと慌てふためく。

 スタッフさんが、声のトーンをあげつつ発表する。「実はですね、この度、橋本マナミさんが・・・ダメでした。」と、まあそうだろうなという展開。ちいとばかり期待した2人も、思わせぶりなお知らせにガッカリ

 

 最後に、和歌山編で入った名湯・秘湯・ローカルな温泉での、2人の入浴シーンを、ダイジェスト映像で振り返る(白浜温泉・美女湯温泉・みなべ温泉・南紀勝浦温泉)。

 そして、和歌山編を応援してくれた方々に感謝の挨拶。「(2017年)10月から頑張って歩いてきた、近畿湯治場巡り和歌山編を、皆様にたくさん応援していただいて、無事にゴールすることができました。ホントにありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いします。」と、ここに15章完結

 

近畿湯治場巡り[和歌山編]

 

 

■簡易チャート

スタート: 和歌山県田辺市龍神村・薬師堂 → とあるつり橋 (2.5km)→ 東光寺 (6km)  [昼食]:『つり吉』(8km) → 『子安地蔵堂』 → ゴール:龍神温泉[上御殿] (16km)

 

 

 そして・・・新章始動。龍神温泉で疲れを癒していた2人に朗報?が入る。スタッフさんが掛け軸で、16章のテーマを発表する。そこに書かれていた言葉は『修行』の2文字。温泉とは真反対の厳しそうなテーマに、2人は声を荒げる。「最近ロケに対する姿勢がゆるんでいませんか?」とスタッフさんに問われ、そんなことはないと激昂する2人。

 

 荘厳な音楽とともに、16章のPVが流れる。16章は題して、日本修行場めぐり。乞うご期待?!

 

 修行というテーマの発表後、河田アナでさえ、心を取り乱す。湯治場巡りが始まったときはホクホクであったくっすんは、いわんや、放心状態・・・くっすんの運命はいかに?