MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』9日目~10日目のまとめ。

 

【9日目】 2018年07月05日(木)放送 

 

旅の内容:●京都市 明暗寺[尺八]▲くっすんは地獄行き?!■初夏の風物詩は観音様の化身?!★尺八で虚無僧の歴史も学ぶ

 

スタートは京都府京都市北区・尺八池。ゴールは京都府京都市東山区・明暗寺。約12キロのコース。

 

午前8:00、京都府京都市北区・尺八池の畔からオープニング。尺八池は、平安時代は綿子池と呼ばれ、灌漑用の池として造られた。名前の由来は、水の流れる音が尺八に似ているからともいわれる(諸説あり)。

 今回の修行は、虚無僧の尺八修行。一般の人は行っていないが、特別に体験させてもらう。

 

 千本通を南へ歩き、佛教大学の横を通る。

 

スタートから2キロ、佛教大学3回生のとても慇懃な女性に声をかけてもらい、いっしょに記念撮影する。将来の夢を聞くと、有休休暇がとりやすそうな、自分のペースで働ける所を探すとのこと。

 女性と別れた後、くっすんが「河田さんはどんな大学生やったんですか?」と尋ねる(台本?)。するとやっぱり、スタッフさんが隠し持っている、大学時代にラガーマン姿でロン毛の河田さんの写真が、画面にインサート。

 

スタートから3キロ、『千本ゑんま堂 引接寺』に到着。小野篁が平安時代に、閻魔法王を祀るため建立した。小野篁には、この世とあの世を行き来する力があり、昼は朝廷に、夜は閻魔様に仕えていたという伝説が残っている。

 

 ご住職に案内され、御本尊の閻魔法王像を拝観する。閻魔様の御前には扉があり、

閉ざされている。閻魔様の顔の前の部分だけ、扉に穴があって、普段は顔だけしか見えない。毎月16日のみ御開帳だが、特別に扉を開けてもらう。

 

 閻魔像は1488年に再現安置された、高さ2.4メートルの坐像で、恐い表情をしている。閻魔様は地獄行きか極楽行きを決める。例えば、「くっすん、地獄行き~。」といった感じだと、ご住職が嬉しそうに話す。

 また、閻魔様は地獄の沙汰でウソを一番嫌うという。その話しを聞いて、ウソをついた心当たりのあるくっすんは、ドキッとする。先日4連休だったとき、ヨメに「仕事行ってくるわ~。」と言っときながら、なにわの湯(日帰り温泉)に行ったのだ。家族を安心させるため、そして家族の頼まれごとを避けるためで、ご住職と河田アナにちっぽけなウソだと笑われる。

 

 閻魔様の真正面で手を合わせ、ゑんま堂を後にする。

 

午前10:10、気温31℃に上がり、暑さに参る。

 自転車に乗った昔偉ファンのおかあさんに声をかけてもらう。コテコテの関西のおばちゃんで、一方的にしゃべってくっすんをペチペチ叩いて、台風のように過ぎ去っていった。

 

午前11:10、千本通から四条通を東へ進む。日光に体力をじりじり奪われ、ガードレールで休憩する2人。河田アナは座って、くっすんは奇妙なストレッチを行い、ふとももの筋肉を伸ばす。

 

午前11:40、四条河原町にて、昼ご飯の店を探す。よりどりみどりの食べ物屋さんの中で、くっすんはメニューポスターの『の夏味』のフレーズに魅かれ、お店へ取材交渉に乗りこむ。交渉に少々手間取ったが、無事オッケー。

 

 『京風スパゲッティー 先斗入ル(ポントイル)四条河原町本店』にて昼食。河田アナは『京のもち豚の冷しゃぶとしば漬けのスパゲッティー(鴨川セット)』を、くっすんは『合鴨と加茂なすと蓮根のもろみ醤油香味野菜添え(鴨川セット)』を食べる。くっすんは、洋風にした焼きそばみたいだとコメントし、焼きそばのごとく箸ですすって食べる。

 

午後1:10、四条大橋を渡っていると、河田アナの後輩のスポーツアナで、B'sの大ファンである、金山アナにばったり出会う。ちちんぷいぷいの駅前シャーターチャンスのコーナーで、これから大友康平さんと、この界隈をぶらっとするとのこと(2018年7月11日放送)。大友さんはまだ現場入りしてなくて、もうすぐ到着予定。

 金山アナに行く先を聞かれ、「修行するんですよ。」と簡潔に答える。「あーあー。」と返す金山アナに、見下されていると思う河田アナ。

 

 河田アナが「どうなの、駅前シャッターチャンス・・・。最高なの。」とパスを出し、「駅前シャッターチャンス・・・。サイコー。」とB'sのモノマネで答える金山アナ。

 

午後1:30、四条通から花見小路通へ入り、

スタートから9キロ、建仁寺に到着。副住職に、境内にある両足院を案内していただく。両足院は、1357年に創建された建仁寺の塔頭で初夏の特別拝観中。

 

 両足院の縁側からお庭を眺めると、半夏生が見頃。さらに畳の部屋に移動して、座ってじっくり観賞する。半夏生の白く美しい部分は、花びらではなく葉っぱである。葉っぱが半分、化粧をしているように見えることから、半化粧とも書く。

 

 両足院では、仏教的な観点から、当て字で汎下生と呼んでいる。その意味は、観音様が池辺へ降りてきて、まるで御身の姿を緑から白へ変化させているようだというもの。

 人は人生で多くの出来事に直面するが、その状況に応じて、自分の姿を変えていけばよいと、汎下生は教えてくれると副住職。そこで、「伸び悩んでいるのは、どうしたらいいですか?」と副住職にくっすんが教えを乞うが、「それは自分で考えてよ。」と河田アナに一蹴される。

 

スタートから12キロ、東福寺に到着。そして境内にある、修行場の明暗寺へ向かう。明暗寺は普化正宗の総本山で、尺八根本道場。

 門前で立っていると、虚無僧がどこからともなく現れ、尺八を吹きながらゆっくり近づいてくる。そのまま2人の前を素通りして、明暗寺の方へ進む虚無僧。門の前で頭にかぶっていた天蓋をとり、お顔が見えた。くっすんが無視した理由をうかがうと、虚無僧がお寺の門を出て天蓋をかぶると、世俗の世界から修行の世界へ入って、人と話すことも禁じられるとのこと。

 

虚無僧

お経の代わりに尺八を吹き、お米や金銭をうけて回る、托鉢を行う僧侶。その元祖が、南北朝時代の武将・楠木正勝。顔を隠すために天蓋をかぶり、尺八を吹いて行脚したのが始まりとされる。正勝の法名だった『虚無』が、虚無僧の由来とされる。

 

 門前で虚無僧の深田さんにお話しをうかがう。昔は半分武士・半分僧侶の『半武半僧』スタイルで、現代は半分僧侶・半分一般人の『半僧半俗』になった虚無僧。深田さんも、普段は高校の先生をしていて、生徒さんにに虚無僧をやっていることは秘密にしている。河田アナが「テレビでビックリしているちゃいます?天蓋とったら、『先生や~。』なってるんちゃいます?」とコメント。

 

 明暗寺のお庭に移動し、そこに『吹禅』と書かれた石碑がある。尺八を吹くことは禅の修行になり、1つの音に一所懸命に徹することで悟りを開けるという考えを示している。

 尺八を吹くのは容易ではないが、くっすんは「僕はやっぱり、耳コピとかできるタイプなので・・・(吹ける)。」とDJ風タレントな部分をアピールする。

 

 室内に移動し、尺八修行開始。ここからは、虚無僧の小林さんにも参加してもらう。河田アナに深田さん、くっすんに小林さんが横につき、一対一で教えてもらう。

 

 まずは、尺八のイロハを知る。今回使うのは、スタンダードな一尺八寸(約54センチ)の尺八。尺八には表に4つ穴があって、裏側に1つ穴がある。尺八の基本の音、ロ・ツ・レ・チ・ハ・イを吹いてもらう。

 

 くっすん・河田アナは見よう見まねで、尺八に息を吹きこむが、カスカスの音・スースーの音で、全くなって(鳴って)ない。実は、尺八の息を吹きこむ先端部分が、少し斜めに切り落としてあり、その部分で息は外と内側に分かれて、音を出す。それを踏まえて吹いてみると、一応音が少し出た。

 ここからが尺八の難しいところ。俗に『首振り三年ころ八年』といい、マスターするには8年は最低でもかかるとされる。一朝一夕で音が出るワケないが、それでも果敢に挑戦する2人。

 

 2人とも尺八で音を出すだけなのに、あまりの難しさに挫折しそうになる。

 

修行すること30分、息の吹き過ぎで疲弊し、ちょっと休憩する。河田アナは「ロケとして大丈夫かしら・・・。」とテレビ的な心配をさっきからしていたという。そいう邪念を捨てて、一矢報いたい。

 

 打開策として、2人は天蓋を被って環境を変えてみる。見た目はどこからどうみても虚無僧だが、「でも、この姿で音スースーいってたら、すっごいダッサイね。」と河田アナ。

 江戸時代、顔がばれずに托鉢できたため、偽物虚無僧が横行した。偽物とばれると、二度と尺八が持てないように手の指を切り落とされた。という小林さんの話しを聞いて、「我々完全に偽虚無僧です。」と自らツッコむ河田アナ。

 

修行するすること1時間、河田アナは、微かに1音を奏でることができた。そして、最後の最後でくっすんが覚醒、きれいに聞きとれる音を数音奏でる。河田アナ・虚無僧のお二人もビックリの上達で、思わず拍手で祝福。才能か、諦めない努力か?結果が実った。尺八でただ音を出すという修行は、一生懸命1つのことに集中する忍耐力を磨き、それを乗り越えたときの達成感を味わわさせてくれる。それを生かすのは・・・、くっすん次第?

 

 おしまいに9か所目の御朱印、明暗寺の御朱印(吹禅の文字入り)をゲットし、9日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府京都市北区・尺八池 → 『千本ゑんま堂 引接寺』(3km) → [昼食]:『京風スパゲッティー 先斗入ル四条河原町本店』 → 建仁寺 [両足院] (9km) → ゴール:東福寺 [明暗寺] (12km) 

 

 

 

【10日目】 2018年07月12日(木)放送 

 

旅の内容:●福岡県 圓應寺[礼拝行]▲ういろう売りの河田?!■くっすん不老不死になる?!★心身虚脱の境地へ

 

スタートは福岡県福岡市博多区・福岡空港。ゴールは福岡県福岡市中央区・圓應寺。約9キロのコース。

 

午前8:30、福岡県福岡市博多区・福岡空港の建物軒下からオープニング。本日は朝から快晴で、河田アナもにっこり。くっすんは、「やあもうほんとに、しろしかじゃなくて、よかったばってん。」と博多弁であいさつし、河田アナはハテナの顔。しろしか=うっとうしい(雨のとき・特に梅雨)の意味で、おそらく使い方は間違っていないであろう。

 福岡空港は、市街地から約4キロと近い場所にあり、『日本一アクセスの良い空港』といわれる。

 今回の修行は、礼拝行(らいはいぎょう)。一般的にあまり知られてない通な修行であるが、くっすんの辞書にも『らいはい』の文字はなく、いくら考えてもイメージすら浮かばない。

 

 歩道橋を歩いていると、河田アナが思わせぶりに立ち止まる。何事かとくっすんに尋ねられたら、セミが鳴いていただけ。

 

 セミも元気いっぱいな暑い朝、2人は迫りくる大きな飛行機を指さし、子供のように大興奮。まるで翼に手が届きそうな低い位置で、2人を通り越し滑走路へ降りてゆく。

 福岡空港は滑走路が1本しかないので、短時間で効率よく離発着を見ることができる。ド迫力な飛行機の着陸を見る機会はあまりないので、「せっかくなんで、もう1機だけ見ていいですか?」と河田アナがおかわりプリーズ。結局15分かけて、さらに3回の着陸シーンを楽しんだ。

 

午前9:10、スタートから3.5キロ、京都出身で社会人2年目の女性に声をかけてもらう。現在は大分県在住で、出張で福岡に来ているとのこと。社会人になってから実家を離れて、寂しい(特にお腹が空いたとき)。

 実家で『昔偉』を見ているお父さんお母さんに向けて、「がんばってます。」とビデオレターを送る。

 

スタートから4キロ、妙楽寺に到着。1316年に創建されたお寺で、鎌倉時代の博多周辺が書かれている『博多古図』を見ると、海のすぐそばにあった。

 

 和菓子の『ういろう』が伝来した場所とされ、前住職の渡辺さんに詳しいお話しをうかがう。室町時代に中国から、透頂香(とうちんこう)という名前の薬が伝えられ、後に日本で『ういろう』と呼ばれるようになった。ちなみに薬のういろうは、消化器系・呼吸器系など体のあらゆる疾患に効く万能薬で、滋養強壮効果もある。

 

ういろうを伝えた陳さん

中国が明の時代、陳延祐は日本に亡命した。妙楽寺に身を寄せ、『陳外郎(ういろう)』と名乗った。陳が日本に伝えた『透頂香』は、いつしか通り名のういろうの名前で呼ばれるようになった。

 

 透頂香は非常に苦かったため、その口直しにお菓子のういろうが作られた。当初は売るためではなく、大事なお客さんをもてなす接待用であった。

 室町時代に陳延祐の子孫が小田原に移住し、薬とお菓子の『ういろう』を販売した。江戸時代には両方のういろうが、東海道・小田原宿の名物になった。

 

 河田アナは渡辺さんのお話しを聞いて、アナウンサーの駆けだし時代に練習した、歌舞伎の演目・『外郎売』の早口言葉を思い出す。同じく、くっすんもタレントの駆けだし時代、DJスクールで練習したという。

 そこで、くっすんのお手並み拝見。「拙者親方と申すは、寿限無寿限無、五劫の擦り切れ・・・。」と間違っていたので、河田アナがストップをかける。

 続いて、河田アナのターン。「拙者親方と申すは、お立会いのうちにご存じのお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして円斉と名乗りまする。元長から大晦日までお手に入れまするこの薬は、昔ちんの国の唐人・外郎という人わが朝へ来たり。帝へ参内の折りから、この薬を深く籠めおき、と用いるときは一粒ずつ、冠の隙間より取り出す。よって、帝・・・よってその名を帝より”とうちんこう”と申す・・・。」と、スラスラ言葉が出てくる。

 

 昔かなり練習したと見受けられる、河田アナの淀みない口上を聞いて、自分もやりましたとくっすん。本当にやったのか疑う河田アナに対して、DJスクールに週5で通ってそんなしゃべりの練習をしたとのこと。そんなDJスクールのがんばりで、今のくっすんがあるんだって。

 

午前11:15分、スタートから4.5キロ、龍宮寺に到着。まずは、境内にある人魚のお墓の前に向かう。

 もともとは浮御堂という名前のお寺で、もっと海のそばにあった。浮御堂の近くの海にて、漁師の網に人魚がかかった。人魚を食べれば不老不死になるといわれていたが、「人魚は国家繁栄の吉兆。」と陰陽師の占いで出たので、浮御堂に手厚く葬った。龍宮の使いとされる人魚にあやかり、1222年に浮御堂から龍宮寺に名を改めた。

 

 そんな河田アナの解説を聞いて、胸に貝殻のブラジャー(水着)を付けた人魚をイメージするくっすん。しかし、江戸時代に描かれた人魚の絵図はグロテスクで怖くて、そんな可愛らしくはない。

 

 ご住職に案内してもらい、龍宮寺の本堂にて人魚関連の品々を拝見する。

 まずは、室町時代に描かれたとされる、想像で描いた人魚の掛け軸。魚の部分が多く、胸のすぐ下あたりから、ウロコが生えている。

 

 さらに、無造作に置かれているのは、龍宮寺に埋葬された人魚の骨。ガラスケースに入れられているわけなく、厳重に封がされているわけでもなく、手ですぐ触れるような雑な扱いである。

 がっちりとしていて、骨の形をしっかり保っている。ご住職にお骨を手渡され、観察する2人。人魚の骨を専門家に鑑定してもらったことはないとのこと。


 明治の初めまで、不老長寿のご利益があるとして、この骨をタライに入れて水を張り、その水を参詣者にふるまっていた。

 くっすんも「飲んでみたいなぁ。」とぼやいたら、ご住職は大きな骨から発生した骨の粉が入った水ならよいと、特別に許可してくれた。チャレンジ精神旺盛なのか、生への執着が強いのか、くっすんはコップに入った水に採取した骨粉をごく少量つまみ入れ、一気に飲み干す。飲んで一呼吸置くと、「肩が軽くなったような・・・。」気がする。
 ご住職が「800年長生きします。」とおっしゃるので、「800年間、(昔偉で)毎週歩きます。」と人魚の骨に期待するくっすん。「いやいやいや。誰と歩くんや、800年。」と河田アナにツッコまれ、「いやもう、代々河田家の方と・・・(歩きます)。」と壮大な物語を語る。

 龍宮寺を出たところで、関西人の男性に声をかけてもらう。その昔、福岡の大学に通っていて、今は大阪で勤めている。会社が休みで、かつての同級生や後輩とともに、遊びにきているとのこと。

 MBSで2018年6月13日に放送された、『吉本陸上競技会 THE GOLDEN 2018』にて、ちちんぷいぷいチームの1員として出場したくっすんを見て、T.K.が出ていると思ったそう。「U.K.です。」と訂正するくっすん。

午後0:30、スタートから5.5キロ、川端商店街のアーケード下を歩く。商店街の通路のど真ん中に、アーケードの天井に届きそうな高さの、ド派手な飾り山笠が置いてある。実際に博多祇園山笠のお祭りで走る本物。

 毎年7月1日~15日まで行われる博多祇園山笠は、鎌倉時代から始まった伝統あるお祭りで、300万人もの観客が集まる。開催期間中は、町のあちらこちらに豪華絢爛な山笠が置かれる。
 クライマックスの『追い山笠』では、7つの地区それぞれの山笠を、男衆が粋なふんどしに半被姿で担いで、博多の街中を疾走する。

 商店街を歩いていると、お祭り男3人組(お祭り関係者)に出会う。3人の中に、現在北海道で勤めていて、祭りのために3週間休みをとって博多に滞在している猛者がいた。毎年、北海道から帰省して参加しているとのこと。それほど、博多っ子は山笠命。

 

スタートから6キロ、専用の駐車場に止められている、屋台群の前を通る。夜の中洲で活躍する屋台たちも、昼間は駐車場で静かに眠っている。他では、なかなかお目にかかれない珍百景。

 中洲の屋台は、第二次世界大戦で店を失った人たちが始めたといわれる。現在、約100店舗の屋台・約2600店舗の飲食店などが、中洲で軒を連ねる。

 

 中州側から、昭和通りが通る、那珂川に架かる橋を渡り、天神方面へ歩く。

 この橋は、江戸時代に福岡藩主・黒田長政(黒田官兵衛の子)が、城下町・福岡と商人の町・博多をつなぐために中洲に架けた。

 

スタートから7キロ、午後2:05、スタッフさんが予約を入れていたお店・『元祖博多めんたい重』にて昼食。河田アナは『めんたい煮こみつけ麺 煮こみ焼豚付き』を、くっすんは看板メニューの『元祖博多めんたい重』を食べる。

 

 河田アナのつけ麺はもっちりとした太麺で、トマトの他10種類以上の野菜と明太子をブレンドしたつけ汁をつけて食す。

 丸ごと大きな明太子がのっかったお重は、かけるタレを4つの辛さのレベルから自分で選べる。くっすんは、小旨辛タレをチョイス。食レポでは、めちゃめちゃ美味しい明太子+めちゃめちゃ美味しいタレ=、結果全部めちゃめちゃ美味しいとのこと。

 

午後3:10、夏の苛烈な日差しを浴びながら歩き、

スタートから約7時間30分

スタートから9キロ、修行場の圓應寺に到着。1602年に創建された浄土宗のお寺。姫路出身の武将・黒田官兵衛の妻・照福院殿が建立した、黒田家の菩提寺。

 

 一般の方でも参加できる礼拝行体験を、隔月第2日曜日に実施している。礼拝行について、副住職にお話しをうかがう。

 礼拝の基本動作は、座った状態から立ち上がりまた座って深く拝む。拝むときは、両ひざ・両肘・額を地面につける五体投地を行う。その動作を、煩悩の数・108回繰り返す。平たく言えば、スクワット運動的な修行。

 さらに、これを『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えながらするかをら大変。

 

 7世紀に中国の僧・善導大師がこの礼拝行を編み出し、その後に日本へ伝わったとされる。副住職も、修行で礼拝行をさせられたとのこと。

 一般の方で、108回の礼拝セットを、平均40~45分で達成する。礼拝行中の人は、最初の50回はまだまだ終わらないなと考えてしまいがちだが、後半になるにつれて、ランナーズハイのように気分が高揚する。最後には、心身脱落の境地に達するという。

 

 今回は、普段から礼拝行をされている、副住職の奥さんもいっしょに参加してもらい、御本尊の阿弥陀如来様の前で、いざ修行開始。副住職がマイクで唱える、『南無阿弥陀仏』にリードされながら、五体投地を1回行う間に、念仏を3回唱える。五体投地の際、てのひらは上に向け、頭より高く揚げる。そのてのひらに、足をのせる仏様から功徳をいただく。

 座禅が静の瞑想ならば、礼拝行は動の瞑想である。

 

修行開始から18分、序盤の50回を乗りきる。くっすんに疲れの色が見え始め、河田アナの目が澄んでくる。ここからどんどん身も心も疲弊してゆき、しまいに心身脱落へなるはず・・・。

 

修行開始から28分、80回を達成。河田アナがますますキリリと男前の表情になり、くっすんは念仏の声がか細くなり、体がついていかない。

 

修行開始から36分、ついに100回を達成。くっすんはすでに、全てが限界寸前の極限状態。河田アナは心身脱落の境地に入ったのか、隣のくっすんを全く気にせず、首筋をつたう汗も気にせず、礼拝を続ける。

 

 そして108回を達成し、礼拝行は終了。

 

 修行を終えての感想。河田アナは、途中までしんどいという思いが強かったが、やっているうちにそんな気持ちも忘れることができた。

 くっすんは、呼吸が浅くなって気絶しそうになったが、隣の河田アナを見るとちゃんと礼拝していたので、ついていかないとマズイと思い、気が付けば終わっていた。副住職が、「とにかくついてこなアカンというような、一心にというところがね、やっぱり大事ですよね。」とくっすんを称える。

 

最後に10か所目の御朱印、圓應寺の御朱印をいただき、10日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:福岡県福岡市博多区・福岡空港 → 妙楽寺 (4km) → 龍宮寺 (4.5km) → 川端商店街 (5.5km) → [昼食]:『元祖博多めんたい重』 (7km) → ゴール:圓應寺 (9km) 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』7日目~8日目のまとめ。

 

【7日目】 2018年06月21日(木)放送 

 

旅の内容:●栃木県日光市 [滝行]▲丹精込めて作った天然氷■徳川の偉功を示す世界遺産不動明王のパワーで煩悩を洗い流す

 

スタートは栃木県日光市・JR日光駅。ゴールは栃木県日光市・マックラ滝。約10キロのコース。

 

午前8:00、栃木県日光市のJR日光駅舎の真ん前からオープニング。遠路はるばる、大阪から新幹線を乗り継いで4時間半。本日の修行内容は、滝行。ロケ日の予想最高気温は20℃・最低気温は12℃。水行のとき同様に、なぜか水関係の修行の日は気温が寒い。

 

スタートから0.5キロ、埼玉から千手ヶ浜へ、クリンソウを見にきたという一行に出会う。河田アナとくっすんは『不倫』と聞き間違える。「(不倫を)考えてるからだろ。」とおとうさんにツッコまれる。

 日光駅からバスを乗り継いで約1時間半、千手ヶ浜はクリンソウの群生地。今がベストシーズンとのこと。

 

午前8:30、東武日光駅の前を通る。

 

スタートから1.5キロ、山の麓にある、人口のため池へやってくる。冬場に山の湧き水をため池に流しこんで、固めて製造しているのは、天然氷

 

 氷を作って4代目となる、徳次郎さんにため池の前でお話しをうかがう。

 日光では、明治時代から天然氷の生産が始まった。氷は1日で厚さ約1cmになり、2週間かけて厚さ約15cmの氷を作る。天然の氷の特徴は不純物が少なく、硬くて溶けにくい点にある。

 氷の形成に最適な温度は、マイナス6~7℃ぐらい。さらに、ため池の周りに雪があって、氷の上に雪がない状況がベスト。そのため、雪が降ったら、やむまで氷上の雪かきを行う。2017年は、16時間ぶっ続けで雪かきをしたこともあった。仮に雪除けに屋根をつけたなら、寒さがため池に伝わず、凍らない。

 

 1つの池で、およそ1,000枚の氷を作る。氷の貯蔵庫・氷室(ひむろ)に合計4,000枚の氷を貯めて、出荷まで日光杉のおがくずをかけて保存する。

 2人は氷室の中へ案内してもらう。おがくずをシャベルで少しすくうと、氷がお目見え。

 

 おがくずが氷の水分を吸収し蒸発させるので、氷の融解を最小限に止めてくれる。昔の人の科学的な知恵に、感心する河田アナ。

 おがくずが氷を溶けさせず、氷はおがくずを腐らせない、まさにウィンウィンの関係。4代目が河田アナとくっすんのようだとジェスチャ―で示すと、河田アナは自分が一方的に恩恵を与えていると主張し、くっすんは『相乗効果』だと言い張る。

 

 天然氷の製造は全国で5軒しかなく、そのうち3軒が日光に集中している。

 氷室を出ると、4代目の息子さんが立方体に切り分けた天然氷を持ってきてくれた。普段使っている氷と比べて、透き通りが半端ない。

 

 氷をほお張る2人。普通の氷より冷たく感じるのか、やっぱりくっすんが知覚過敏で悶絶する。

 関西では、滋賀県にある『 匠壽庵』[寿長生の郷・草津店の2店舗]にて、夏の間にこの氷をつかったキンキンのカキ氷が提供されている。2人も食べてみたい。

 

午前9:40、日光の霊験あらたかな風景に目を奪われつつ歩き、

スタートから3キロ、多くの参拝客で賑わう、日光東照宮に到着。1617年に徳川秀忠(2代将軍)によって創建され、徳川家康を祀る。1636年には、徳川家光(3代将軍)によって建造物をリニューアルした。

 

 日光東照宮のことならお任せの、堂者引きの春日さんに案内していただく。堂者引きは、1655年に徳川家綱(4代将軍)によって結成された、歴史ある日光東照宮のガイドさん。

 

 境内には、国宝8棟・重文34棟、全部で55棟の建造物がある。

 重文の『上神庫』の屋根に、『想像の象』と呼ばれるゾウの彫り物がある。日本の動物園で見られるゾウと見比べると、外見がかなり異なる幻想獣。

 将軍家光の時代には、江戸にゾウはいなかったので、狩野探幽が想像して作った。ゾウを知らない江戸時代に人を、興味津々にさせたであろう。

 

 続いて、河田アナもご存じの三猿(右から見ざる・言わざる・聞かざる)。神厩舎にある8面ある猿の彫刻の1つで、重文指定。8面の彫刻には、16匹の猿が登場し、猿の一生を描いている。

 

 1枚目は、木の上から、赤ちゃん猿を抱えて遠くを見渡している親猿の図で、親は子どもを守らなければならないと諭している(育児)。

 2枚目が、子供の猿3匹の三猿で、子供のうちは大人の悪い部分を見せたり、言わせたり、聞かせたりしては教育上よろしくないと諭している(幼児教育)。

 3枚目は、親からの独立を考える猿。4枚目は、若く希望にあふれた青年期の猿2匹。5枚目は、失敗した猿を励ます猿。6枚目は、恋をして決断を迫られるカップルの猿。7枚目は、2匹で力を合わせて荒波を越えていく夫婦猿(結婚)。8枚目は、子どもを授かり、母となる猿(妊娠)。

 

 国宝の陽明門は、一辺10センチの金箔を約24万枚使用している(金閣寺は約20万枚)。また508の彫刻が施されていて、1つ1つ丁寧に観ていくと、時間がかかる。終には日が暮れてしまうからと、別名『日暮の門』と称される。

 という堂者引きさんの解説を聞いて、「へぇ~。」と感心する河田アナ。「一応塀ではなくて、門なんですけども・・・。」とツッコまれ、通りがかりのおかあさんにもウケる。

 

 陽明門を抜けると、国宝の拝殿と本殿(平成の大修理中)。その隣の東回廊にあるのが、あの有名な『眠り猫』の彫刻。左甚五郎の作とされ、その役目は諸説ある。薄眼で寝ているようにも起きているようにも見えるが、前足を踏ん張りいつでも飛びかかれる姿勢で、この先にある徳川家康の墓・奥宮を守っているともいわれる。

 

 徳川の権力を見せるため、豪華絢爛に作られた日光東照宮。参拝者に「すごいな、立派だな。」と思わせることが徳川家の目論見であり、それが今なお続いている。河田アナ・くっすんも家康公のスゴさを実感した。分かりやすい解説とダジャレに感謝して、春日さんとお別れする。

 本殿の前で手を合わせ、日光東照宮を後にする。

 

午前11:20、日光東照宮での喧騒がウソのように、人気がなく静か。

 気温は14℃と、相変わらず肌寒い。

 

スタートから5キロ、午前11:50、『そばダイニング 幸庵』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『ゆばそば』を食べる。ぐるぐる巻きのゆばロール・揚巻ゆばが2つ入っている。内陸にある日光では、魚の代わりの貴重なタンパク源として、ゆばが食べられてきた。

 お出汁を含んだボリューミーな揚巻ゆばを食べて、こんなにたくさんのゆばをいっぺんに食べるのは初めてで、贅沢だとくっすん。

 

午後1:30、お店を出ると、ゲリラ豪雨に見舞われる。上り坂の道路の端っこを、川のような勢いで雨水が流れてくる。増水で滝行が中止にならないか、心配する河田アナ。

 

スタートから8.5キロ、雨が多少マシになってきたけれど、長々とアップダウンの山道は続く。

 

スタートから10キロ、午後3:10、修行場のマックラ滝に到着。けっこう水量のある本格的な滝で、もっとショボい滝を想定していた2人。

 標高800メートル地点にあるマックラ滝は、日中でも薄暗いことからその名が付いた。ここで滝行を行っているのが、栃木県宇都宮市にある東海寺

 

 ご住職に滝行の指南をしてもらう。

 大雨で平素の倍の水量とのことで、テレビ的にはおいしい。滝は落差30メートルで、途中折れている箇所があるので、実際は20メートル上から水が落ちてくるかんじ。滝の水は山の雪解け水で、非常に冷たく、修行にはもってこい。

 

 山に囲まれた日光で、奈良時代以降山伏が修行を行い、山に入る前に身を清めるため滝行をした。滝行で体の穢れを払い、心の煩悩を払う。

 

 2人は滝行衣に着替え、滝の下へむかう。とにかく『寒い』と河田アナが視聴者に訴える。小川に架かる簡易な橋を渡れば、そこはもう修行場。滝のそばにある不動明王像の前で、般若心経と不動明王真言を唱え、修行の安全を祈願する。

 滝行中、修行者は『南無遍照金剛』とお経を唱える。

 

 滑りやすい岩場を50メートル進んで、滝つぼに到着。ご住職がほら貝を吹き鳴らし、御酒と塩で滝を清め、密教の呪法・九字を切って、準備は万端。

 

 まずは、斬りこみ隊長の河田アナが滝に打たれる。傍らでご住職が見守るなか、『南無遍照金剛』を唱えながら、目をつぶって手を合わし、ひたすら耐える。約1分間、何も考えらないような激しい滝の水を浴び、心を無にして、不動明王に煩悩を流れ落としてもらう。何とか標準の1分を持ちこたえた河田アナ。

 続いてくっすんの番。おふざけする余裕もなく、必至のパッチで滝に打たれる。だんだんと経文の声が小さくなるが、力を振り絞って唱え続ける。1分耐えることは出来なかったが、なんとか形になった。

 

 最後はご住職の粋なはからいで、河田アナ・くっすんコンビで同時に滝に打たれる。河田アナの側に、滝の水が偏っていたけれど、いい絵が撮れた。

 

 滝行を終えて、2人ともスッキリとした表情になる。昔から行われてきた滝行の、不思議な効果を体感することができたと思う河田アナ。

 くっすんは、河田アナの頑張って滝に打たれている姿を見て、ここで逃げたら人間としてクズやと思って覚悟を決めた、と告白する。河田アナはくっすんの表情を見て、「こいつ、逃げる気やな。」と逃亡の気配を察知していたが、なんとか行動で思いとどまらせた。

 

 修行後は生まれ変わったような素敵なお顔をされていると、今までの修行と同様にご住職に褒められる。

 

■簡易チャート

スタート:栃木県日光市・JR日光駅 → 東武日光駅 → 製氷の池 → 氷室 → 日光東照宮 (3km) → [昼食]:『そばダイニング 幸庵』(5km) → ゴール:マックラ滝 (10km) → 滝つぼ

 

 

 

【8日目】 2018年06月28日(木)放送 

 

旅の内容:●岐阜県関市 [戒壇めぐり]▲趣味が人を生かす?!和凧職人■徐々にワイルドになる?!円空仏置いてかないでよ河田さん?!

 

スタートは岐阜県関市・迫間不動尊。ゴールは岐阜県関市・関善光寺。約12キロのコース。

 

午前8:30、岐阜県日関市にある、迫間(はさま)不動尊の滝の前からオープニング。「アメニモマケナイ、カゼニモマケナイ、くっすんです。」と威勢のいいあいさつ。朝からドシャ降りで、ロケ日の天気予報は一日雨。

 迫間不動尊は、迫間山の中腹にある修行場で、約1200年前に円珍によって岩窟と滝が発見された。今日でも、修験者が修行を行っている。

 河田アナから本日の修行を『かいだんめぐり』と聞かされたくっすんは、怪談?or階段?とピンとこない。

 

 前々回・前回に引き続き、3回連続の雨オープニングを嘆く2人。河田アナが雨男ではなく、梅雨だからしょうがない。くっすんは、雨の日は人に会わないとつくづく思う。

 

スタートから3.5キロ、案の定出会いが全くないので、撮れ高もない。

午前9:40、ただただ歩いているだけで、「盛り上がらへんね。」とありのままを述べる河田アナ。

 

 この日の最初の出会いは、民家のコンクリート塀に張りついているカタツムリ。河田アナが、「コンクリート食べてるらしいよ。」と豆知識を披露する。くっすんの生き物への興味は、食べられるか食べられないかで、「カタツムリも美味しいですよね。」とコメント。

 

スタートから4.5キロ、凧揚げの世界チャンピオンが営むお店・『凧義の小屋』を取材する。お店のドアを開けると、一面の壁やら天井やらに凧が飾ってある。凧を作って36年の小川さんにお話しをうかがう。

 

 『凧義の小屋』は凧作り専用の小屋で、小川さん一人で凧作りのすべての工程を行っている。

 三年前にゲットした、凧揚げ世界チャンピオンの認定書を見せてもらう。マレーシアにて開かれた世界大会で、約30か国・200人が出場する中、優勝した。凧の揚がった高さの他、衣装やパフォーマンスも審査される。

 

 小川さんはもともと、フェリーで40年間調理師の仕事をしていた。33才のとき、長男の初節句に、手作りの凧をプレゼントしたことがきっかけで、和凧に興味をもった。以来、仕事のかたわら凧を作り続け、定年を機に奥さんの地元・岐阜に工房を建てた。

 そんな小川さんのヒストリーを聞いて、「ホント、趣味が人を生かすんだなっと思いました。」とくっすん。くっすん独自の見解かと思いきや、小屋に『趣味が人を生かす』という小川さんのキャッチフレーズが書かれた横断幕があって、しれっとパクった模様。

 

 和凧で一番肝心なところは、凧の骨組みの上の竹が左右均等の重さと曲がり方になるように作ること。そのためには、竹を小刀で少しずつ削って微調整する。

 和凧の良いところは、和紙に好きな絵が描けること。海外では、各色ごとのビニール素材を縫い合わせて作るソーイング凧なので描けない。

 

 小川さんはお客さんから依頼を受けて、一から手作りで凧を製作して販売している。今後も、和凧文化を後世に伝えるため、絵を描き続ようと考えている。

 

午前11:15、雨があがって、やれやれ。「なんか、幸先いいですね。」とビミョーな日本語を使うくっすん。

 

 「河田さんはいいですよね。肩幅もあって。」と、くっすんが唐突に河田アナを褒めだす。何の話しかよく分からない河田アナに、「ホンマ、けなるい。」と続けるくっすん。河田アナは意味が分からない。

 くっすんがハマっている、NHK連続テレビ小説『半分、青い。』の舞台の一つが岐阜で、登場人物が『けなるい』という方言をよく使っているのだ。河田アナが意味を聞くと、くっすん本人も分かってない・・・が、どうやら褒めているようなニュアンスだという。岐阜の人に、けなるいを使いたくてうずうずしている。

 

スタートから6.5キロ、畑で梅を着色する紫蘇を収穫しているおかあさんに出会う。自家製の梅干しを作っているおかあさんに、これはチャンスとばかりに、「ホントにけなるいですね。」と言ってみるくっすん。するとちゃんと意味が通じた。けなるいはこの辺りでもよく使われる方言で、羨ましいという意味。

 梅干しの味をうかがうと、田舎の梅干しで、塩っ気多めとのこと。くっすんが紫蘇を手摘みして試食させてもらう。「もう、すごい野生の味です。・・・めっちゃ、しそ~っていう・・・。」と斬新な食レポ。

 

午後0:15、お腹が空いてきた2人。

スタートから8キロ、午後0:30、一昔前の歌の歌詞にもあった、『茶茶茶』にて昼食。店名は、店主さんが思いつきで付けたとのこと。

 くっすんは『味噌カツ定食』を、河田アナは『日替わり定食(焼肉)』を食べる。両定食とも、ボリューミーでお手頃価格。くっすんは、「めちゃめちゃ美味しい味噌カツです。」と、定番のコメント。

 

午後1:30、スタートから9キロ、天徳寺に到着。室町時代に創建され、円空作の仏像が残っている。円空は美濃国出身で、江戸時代初期の僧侶。全国を行脚して、訪れた土地の木を使い、鉈で仏像を彫った。64年の生涯で、約12万体の仏像を彫ったといわれ、約5,000体が現存している。

 河田アナがくっすんに円空のことを覚えているか聞くと、やっぱり忘れていたので、思い出させる。

 

 ご住職に案内され、大小2体の円空仏を拝観する。大きい方は『釈迦如来坐像』で、円空が34歳のときに彫ったとされる、初期の仏像。小さいてのひらサイズの方は『聖観世音菩薩裳懸坐像』で中期の仏像。

 円空は、より多くの仏像を彫って、より多くの人に仏教を伝えるため、作業工程を簡略化してワイルドな作風に変えていった。

 

 1650年に起こった長良川の大氾濫で、母親を失ったことをきっかけに、仏像作りの旅を始めたとされる。修験道の中の修行の一つ・造仏であった。

 大氾濫のあったころ、ちょうど天徳寺が再興され、その後に円空がちょくちょく訪れたと思われる。円空を見習って、自分たちの修行の旅をがんばろうと、本堂で手を合わす2人であった。

 

スタートから10キロ、下校中の小学生の集団に出会う。『戒壇めぐり』を知っているか聞いてみると、みんな知っていて、経験者ばかりでリピーターもいる。さらに小学生たちから情報を得る。真っ暗だけど怖くなくて、鍵があって触ると願いがかなうらしい。『戒壇めぐり』は小学3年生でも体験できると知って、安心するくっすん。

 

スタートから7時間、

修行場の関善光寺に到着。1753年に創建された天台宗のお寺。正式名称は宗休寺であるが、長野にある善光寺のお堂を模した本堂を建立したのを機に、関善光寺と呼ばれるようになった。

 大日堂に祀られている宝冠大日如来像は、約1200年前の作といわれ、手で結んでいる印が、ラグビー元日本代表の五郎丸選手のルーティンポーズと似ていると話題になった。

 

 ご住職に戒壇めぐりについてうかがう。

 本堂の内内陣の下に、真っ暗な地下通路と通じる入口・出口がある。入口からロープを頼りにつたって進み、暗闇の恐怖に打ち克ち戻ってくるという修行。通路の長さは49メートルで、所要時間は5分程度。

 地下通路の途中、御本尊の阿弥陀如来の真下に、如来像と繋がった金属の錠前がある。その錠前に触れると、生前の罪を消し去り、死後の極楽浄土行きが約束されるといわれる。もし地下通路で迷ったならば、立ち止まって心を落ち着かせ、「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。」と手を合わせると、阿弥陀如来様が極楽浄土へ導いてくれる。河田アナとくっすんは、まだ現世に未練たらたらなので、そこへ逝くワケにはいかない。

 

 戒壇めぐりは善光寺をはじめ、全国のお寺で行われている修行。戒壇めぐりを達成すると、精神が生まれ変わるともいわれる。

 くっすんは、自らのコメント力を不甲斐なく思い、修行で生まれ変わって、最高の返しができるようになりたい。ご住職もくっすんの願いが叶うであろうと言ってくれる。河田アナは、ぷいぷい金曜日をアナウンサー・司会者として充実させ、また父親として精進できるように、修行に臨む。

 

 いよいよ修行開始。本来撮影禁止の地下通路内を、特別に暗視カメラで撮影させていただく。今回は、いつも修行で先陣を切る河田アナが、くっすんに前を譲る。突入前は威勢が良かったくっすん、完全なる暗闇に狼狽し、息遣いも荒い。

 恐怖をごまかそうとするくっすんの一人言?を、河田アナはうるさいと注意する。

 

 通路の中はあの世を表しているともいわれ、昔の修行僧は念仏を唱えながら、錠前を探すことに集中し、悟りを開いたとか。相変わらず、ビビってしゃべりまくっているくっすん、その情けない顔が暗視カメラによって写し出される。

 

修行開始から3分、入口から15メートル地点、くっすんが錠前を探り当てる。くっすんは錠前を握りしめ、『南無阿弥陀仏』を一生懸命唱える。2人とも生まれ変われるよう錠前に願ったところで、くっすんが怖気づいてしゃがみこみ、河田アナの足にすがりつく。

 くっすんにすっかり修行のペースを乱された河田アナは、くっすんの手が離れるや否や、さっさと一人で出口の方へ進んでいく。

 

修行開始から6分、河田アナは意外とすんなり出口へたどり着く。

 一方暗闇に残されたくっすん、頼みの綱の河田アナに逃げられ、ひたすら念仏を唱えながら、べそをかきかき歩を進める。

 

修行開始から10分、くっすんも、てこずったがなんとか出口へたどり着き、生まれ変わった?

 

 修行を終えて、戒壇めぐりの真っ暗で、光のありがたみ・目の見えるありがたみを実感した2人。くっすんは出口で光明を浴びたとき、「これが生まれ変わりなんだと思ったので、いやあこれからホントに躍進すること間違いないなと・・・。」と次週からのコメントが期待できる。

 

 最後に8か所目御朱印、関善光寺の御朱印をゲットして、8日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:岐阜県関市・迫間不動尊 → 『凧義の小屋』(4.5km) → [昼食]:『茶茶茶』(8km) → 天徳寺 (9km) → ゴール:関善光寺 (10km) 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』5日目~6日目のまとめ。

 

【5日目】 2018年06月07日(木)放送 

 

旅の内容:●東京から埼玉へ [護摩行]▲江戸時代の大火事の真相は?■完全アウェイ?!の東京★不動明王のパワーで煩悩を焼き払う

 

スタートは東京都豊島区巣鴨・地蔵通り商店街。ゴールは埼玉県和光市・清龍寺不動院。約13キロのコース。

 

午前8:00、東京都豊島区巣鴨の地蔵通り商店街からオープニング。「てやんでえぇ、くっすんでぇ。」とくっすんは江戸っ子的なあいさつ。

 冒頭から、くっすんが河田アナのしゃがれ声をツッコむ。先週のむかえらロケ[写経]のおり雨がずっと降っていて、その影響か、声の調子が悪いという。アナウンサーとしては聞きにくい河田アナのガラガラボイスを、普段の甲高い声?より男っぽくていいとくっすん。

 

 スタートの巣鴨は、お寺への参拝やショッピング目当てのお年寄りで賑わう、『おばあちゃんの原宿』として知られている。

 

 商店街を歩いていると、証券会社の閉まったシャッターに、旅人で賑わう昔の街道の絵が描かれている。実は商店街を、旧中山道(なかせんどう)が通っている。中山道は江戸時代初期に整備された、東京から京都を結ぶ街道で、69の宿場があり、総距離530キロにおよぶ。商店街の隣りを通る国道17号が新しい中山道である。

 また巣鴨は、日本橋から中山道を歩いた旅人が、最初に休憩をとった場所。

 

午前8:40、スタートから1キロ、本妙寺に到着。1571年に創建され、境内には、江戸の町奉行として活躍した、遠山の金さんこと遠山景元のお墓がある。本妙寺は、明治時代に巣鴨に移され、江戸時代は今の東京都文京区本郷にあった。

 

 1657年に起きた明歴の大火は、本妙寺が出火元だったとされる。江戸の大半を焼いた明歴の大火で、犠牲者が10万人以上出たともいわれる。本妙寺から南へ南へ燃え広がり、火は丸2日間鎮まらなかった。

 

 最初は、ただお寺の火の不始末が大火事の原因と思われた。しかし、江戸の町を再整備したかった幕府の陰謀説が、まことしやかに広まった。

 本妙寺の田邉さんに、陰謀説の根拠となる事実を教えていただく。明歴の大火で、江戸城の天守閣まで消失してしまった。にも関わらず、本妙寺は数年で再建して、おとがめ無しだったといわれる。

 

 もう1つ幕府陰謀説として考えられる。大名の屋敷から火が出てしまい、世間に知られるとマズイので責任逃れのため、本妙寺に火元を引き受けてもらったという説である。

 

 そもそも本妙寺が出火元とされているのは、昔から言い伝えられてきたからで、江戸東京博物館の資料には、本妙寺から出火と記されている。

 

午前9:30、歩きながら、くっすんが河田アナに声の調子をうかがうと、相変わらずガスガスでかすれている。そんな河田アナに代わって、くっすんが次の歴史ポイントでの解説を志願する。

 スタッフの不安をよそに、昔から母に「やればできる子」と言われ続けたくっすんは、やる気満々。タレント15年くらいやっているから、さすがに解説できるであろうと、容認する河田アナ。

 

午前10:20、東京都・豊島区から板橋区へ入る。

スタートから4.5キロ、くっすんさんの解説するポイントへ到着。スタッフさんとの打ち合わせで、中山道を『なかせんどう』と読み間違える体たらく。

 

 打ち合わせの最中、京都から息子さんの世話にきている、お母さんに声をかけてもらう。1週間だけの東京滞在で、むちゃくちゃになっている息子さんの部屋の片付けを手伝いにきたとのこと。

 息子さんはお母さんの滞在に、「来んでもええのに。」いう感じでそっけない態度をとる。でも、息子さんが社会人になって苦労したら、お母さんのありがたみをほんとに感じるだろうと、実体験から語る河田アナと同意見のくっすん。

 アウェイの東京で、関西の方に声をかけてもらい、とても嬉しい2人であった。

 

 さてさて、くっすんが解説し、河田アナが聞き手となる・・・非常にレアな場面。昔の旅人が、中山道で日本橋をスタートしてから、最初の宿場町が板橋であった。

 板橋の名前の由来となった場所が、今回たまたま止まっていたトラックを越えたところにある”板橋”という名前の橋。昔と同じ場所に今も橋が残っており、現在の橋は、コンクリート製。

 少々たどたどしい、ぎこちないくっすんの解説であったが、河田アナのフォローもあって、一応形になって大役を果たした。

 

午前11:10、お昼ご飯を食べる店を探す。くっすんが意気揚々と、オススメのお店を通行人から聞きだす役を買ってでる。と・こ・ろ・が、声をかける方々は、一様に急いでいるからと足早に去ってしまう。なかなか聞き込みがうまくいかず、消極的になるくっすん。

 すると、「毎日放送や。」と”むかえら”をご存知の関西人のおとうさんに出会う。救世主到来に助けを求め、美味しいお店を聞きこむ。東京にあんま美味しいモンないというおとうさんに、『ときわ台』の駅前にいけば美味しいモンにありつけるとアドバイスされる。

 

 すっかり聞きこみで疲れたくっすん。

歩くこと500メートル、スタートから7キロ、東武鉄道『ときわ台』駅前で聞きこみ再開。デジャビュの、急いでいるからと足早に去ってしまう通行人の方。「もうねえ・・・、ここまできたら、連敗記録、伸ばしてほしい・・・。」と見守る河田アナ。

 すぐに白星を1つ増やした後、河田アナがちょっと状況を楽しみだした矢先、くっすんが自力でお食事処を発見する。

 

午後0:10、肉そば総本店・『麺屋 宗』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『特製ませそば』を食べる。大阪では珍しい、汁なしのまぜそばでしょうゆ味。

 「やっぱり、結果自分で決めた店が、やっぱ一番良かったですね。」とおっしゃるくっすんに、「人に聞こうって言いだしたの、あなたでしょ。」とツッコむ河田アナ。

 

午後1:10、東京都練馬区を歩く。

 河田アナ・くっすんのことを知っていて、手を振ってくれる女性に出会う。関西出身で、『ちちんぷいぷい』のむかえらのコーナーだけ録画して、実家から送ってもらい、見ているコアなファンの方。旦那さんの都合で、東京に住んでいるとのこと。

 そこまでして視聴してくれるファンに出会えて、とても嬉しい2人。

 

スタートから10キロ、とある神社にお邪魔して、境内にあるミニミニ山を登る。富士塚と呼ばれる富士山を模した塚の1つで、江戸時代に造られた。

 造形には、本物の富士山の溶岩を運んできて使う凝りよう。頂上に近づき、「ちょっと空気が薄くなってきましたねぇ、標高が高いから。」というくっすんに、気のせいだと伝える河田アナ。

 

 北町浅間(せんげん)神社にある、富士塚の頂上に到達。北町浅間神社の富士塚で、毎年7月1日に山開きの例祭が行われる。この富士塚は、富士山まで行けなかった参拝者のために造られた。現在、練馬区には4つの富士塚が残っている。

 

 富士山は、平安時代に修験者の修行場となり、江戸時代以降には一般民衆の信仰を集めた。

 

 富士塚の頂きの片隅に、富士山・Mt. Fujiと書かれた、小さな平べったい山のマークが埋められている。そのマークの天辺が指す方向に、昔は富士山が見えたという(現在はアパートが建っていて見えない)。

 

 富士塚の頂上で、神社の総代の大木さんに、富士講についてうかがう。

 農家の人たちが主体となる富士講(富士信仰の集団)。そのメンバーでお金を積み立てた。東京から富士山までなかなか行けないので、毎年クジ引きで代表者を決め、積み立てたお金で代表者が富士山を参拝し、皆の健康祈願をした。

 そんな説明を聞いて、「どうやって(代表者を)決めるんですかねえ?」と話しを聞いてないくっすん。

 

 最近、富士塚の整備をした際、驚きの事実が判明した。専門家が富士塚の標高を測ると、本物の富士山のほぼ100分の1だと分かった。

 富士塚の頂上に、”標高37.76mのプレートが埋めてある。本当は、約1.6cm高さが足りなかったので、プレートの厚みを1.6cmにして帳尻を合わせた。くっすんが「ズルじゃないですか。」と、物言いをつける。

 

 江戸時代末期に造られた富士塚の高さが、実物のほぼ100分の1だったのは、出来過ぎた偶然なのか、それとも何らかの方法で測量したのか?とても不思議な話しだと関心する2人であった。

 

午後2:20.パラつく雨の中、修行場を目指す。修行時に苦痛を伴うと予想される、正座を心配しつつ歩く。

 

午後3:10、東京都から埼玉県和光市へ入る。

 

 埼玉県へ入ってすぐ、

スタートから13キロ、修行場の清龍寺不動院に到着。830年に慈覚大師によって創建された。ご本尊として不動明王を祀る、真言宗のお寺。日露戦争の出陣にあたり、乃木将軍が修行しに訪れた。

 

 本堂の前で、立派なおヒゲをお持ちの、ご住職の森田さんとご対面。あいさつして、河田アナがお年をうかがうと、「私?仙人にあなた、歳なんかないです。」とのこと。

 

 2人は白装束の護摩着に着替え、頭には白いハチマキを締める。

 本堂(3F)で行う護摩行では、ご住職を筆頭に不動院の僧侶3人が力を合わせて祈願してくれる。ご住職の左右におわす、サポート役の僧侶2人を見て、「あまりにも対象的でビックリしました。」とコメント。がっちりした体で男性の田口さんと、ダンサー?のような女性の虹橋さんである。

 そして、河田アナの顔をまじマジマジ見て、「松岡修造さんに見えてきました。」と続ける。河田アナは、そんなに熱くないと否定する。

 

 ご住職に、「お2人とも煩悩は多そうなお顔・・・。」とズバリ言われる。誰しも煩悩をもっているが、不動明王の炎によって焼き払ってもらう。

 

 護摩行は、弘法大師が中国から日本に伝えた密教の修行である。まずは、護摩木に名前と願い事を記入する。河田アナは自身の健康を、くっすんは子どもたちの健康を祈願する。

 河田アナはガラガラ声で1日ロケをして、当たり前に出ていた声が出なくなると、自分は苦労するし、周りにも迷惑をかけてしまう、と痛感した。 そんな河田アナのしゃがれ声を聞いて、セクシーで良い声とご住職。でも、アナウンサーとしては不本意なので、是が非でも治したい。

 

 厳粛に、清龍寺不動院の護摩行開始。ご本尊の不動明王が降臨されるよう、ご住職が中央の護摩壇を清め、皆で20分間般若心経と不動明王真言を唱える。

 護摩壇に火を入れ、2人は三礼し、中央の護摩壇に膝がつくまで近づく。清龍寺不動院は、ご住職と同じ距離、護摩壇から離れた場所に座って護摩行を体験できる、全国的にも珍しい修行場である。

 

 願い事を書いた護摩木を本人が護摩壇にくべて、不動明王の力を全身に擦りこむ。ここから30分間、護摩壇の赤い炎に照らされ、不動明王にパワーをいただく。修行者は体感温度80℃の中、正座でじっと耐える。

 燃え上がる護摩の火で、煩悩として108本の護摩木を燃やす。

祈り続けること30分、ご住職の「心願成就。」の声で護摩行終了。

 

 くっすんは足がしびれて立ち上がれない。そして、なんとか立って元の席へ座ろうとするが、足のしびれから後ろへ転がる

 ご住職から、「なかなか見事な修行ぶりでした。」とお褒めの言葉をいただく。

 

 護摩行を終えての感想。河田アナは、初め護摩の炎の熱さにビックリしたが、合掌して目を閉じると、不動明王の存在を確かに感じた。

 くっすんは、子どもたちの健康成就のためなら、熱い炎でも耐えられる。さらに、もっともっと熱くなって、願いがますます叶えばと思えた、とカッコいいお父さんっぷり。

 

 最後にご住職の総括と祝福。

「炎を熱いと感じるとき、煩悩を不動明王様が焼き払ってくださっている、尊い時間なんです。不動明王様のパワーをいただき、今度はお2人がテレビを通じてパワーを流してあげてください・・・。おめでとうございました。」

 

 そして多分、5

 

■簡易チャート

スタート: 東京都豊島区巣鴨・地蔵通り商店街 → 本妙寺 (1km)  → 板橋 → [昼食]:『麺屋 宗』(7km) → 北町浅間神社 (10km) → ゴール:清龍寺不動院 (13km) 

 

 

 

【6日目】 2018年06月14日(木)放送 

 

旅の内容:●奈良から大阪へ [岩窟めぐり]どしゃぶりにうんざり■?!★暗いよ狭いよ恐いよ?!岩窟めぐり

 

スタートは奈良県生駒市・生駒山上遊園地。ゴールは大阪府交野市・磐船神社。約10キロのコース。

 

午前9:00、奈良県生駒市にある生駒山上遊園地から、どしゃぶりの雨の中、カッパを着て傘を差しながらオープニング。風も強いし、寒いという惨状で、「もう、すでにこれ自体が、修行みたいになってますけど。」と河田アナ。ロケ日の天気予報は、一日中雨。

 生駒山上遊園地から、本来は大阪を一望できるはずが、盛大に霞がかって残念ながら真っ白で見えない。

 

 生駒山上遊園地は、生駒山の頂上にあり、小さなお子さん向けアトラクションが多い、ファミリー向けの遊園地。

 

 台風に見舞われたかのような悪天候の中、遊園地を出発し、生駒山を下る。

 生駒山は標高642メートルで、奈良と大阪の府県境に位置する。その昔、役行者が修行した場所といわれる。

 

役行者と2匹の鬼

 生駒山の辺りに、ヤンチャな鬼が2匹住んでいて、麓の村の子どもをさらっていった。事情を知った役行者は、鬼を懲らしめるため、逆に鬼の子どもをさらった。

 子どもをさらわれる痛みを知った鬼たちに、役行者は二度と悪さをしないよう説教した。改心した2匹の鬼は、役行者の弟子となった。めでたし、めでたし。

 

 雨でぬかるんだ山道を、悪戦苦闘しながら下ること40分、

午前9:50、スタートから1.5キロ、民家が建ち並ぶ、山の中腹にでる。山頂との温度差を感じつつ、さらに石段を下り、山の麓へたどり着く。2人は、ヘヴィな雨で膝がガクガクになった。くっすんは、「素晴らしいバイブレーション。」と自身の膝の震えを表現する。

 

午前11:15、生駒の住宅街へ向かう。

スタートから4.5キロ、なかなか手に入らない、『幻のラムネ』を製造している、生駒製菓本舗を取材する。住宅街のなかにある生駒製菓本舗は、1964年に創業し、レインボーラムネの製造を専門におこなっている。

 

 レインボーラムネの生みの親・社長の平口さんにお話しをうかがう。レインボーラムネをゲットするには、3月と9月の年2回、ハガキによる応募から抽選をおこなっている。1回の抽選で3,500人が当選するが、競争倍率は40倍にもなる狭き門。約12年前に、女性のSNS投稿から、人気に火がついた。

 

 レインボーラムネの製造工程を、特別に見学させてもらう。材料を混ぜてから成形し、乾燥させるだけのいたってシンプル。ラムネは色とりどりに着色されているものの、全てピーチ味。7人の従業員で、1日約10万粒のラムネを製造している。

 

 社長曰く、人気の秘訣は食感という。外側はカリカリで中はジューシーな、タコ焼きの食感を目指しているとのこと。天候や気温、乾燥時間によって、製品の食感が微妙に異なる。

 2人はレインボーラムネを試食させてもらい、人気の食感を確かめる。

 

 レインボーラムネの出来栄えは、現状で70パーセントと、満足していない社長さん。10年ほど前に、1回だけ奇跡的に100%のラムネができたという。その100パーセントの味を再現したい。

 工場を拡大し、ラムネを増産してほしいという声も多いが、社長さんは自分の目指すラムネを作るべく、成型の作業などを他の人には任せたくない。「私が作ったん以外は、レインボーラムネじゃない、いうて・・・。」と言い切る、頑固な職人気質の社長さんであった。

 

午後0:10、工場を後にして、社長さんの生き様に感動したくっすんは、「おとうさんのように、僕しかできない、昔偉。がんばろうと思います。」とコメント。

 

 幻のラムネがとてもほしい、おかあさんに出会う。毎年50枚くらいハガキを出しているが、なかなか当選しないとのこと。ついでに、お昼ご飯を食べるオススメの店を聞くと、若者に人気のあるラーメン屋を紹介してもらう。

 

 早速行ってみると、いきなりの来訪でお店の方はビックリしたが、取材を快諾。

午後0:40、『らぁめん トリカヂイッパイ』にて昼食。河田アナは『アゴ出汁らぁめん(塩)全部のせ』を、くっすんは『味噌らぁめん 味玉のせ』を食べる。

 このお店は、『ミシュランガイド奈良2017特別版』に選ばれた、ナウでポップな飲食店である。

 

午後2:15、雨脚が強まる中、奈良県生駒市をゆく。

スタートから6.5キロ、下校中の小学生の女の子たちに出会う。雨が降っているのに、暑いからと傘を差していない。河田アナが「カゼひくで。」と心配すると、「カゼひいたことない。」というたくましい女の子。

 彼女たちと進む方向がいっしょだったので、ちょっと会話を続ける。河田アナが「おっちゃんたち、何の仕事している人に見える?」と聞いてみると、芸能人と答えが返ってくる。普段あまり子どもたちから言われないほぼ正答に、ちょっと感心するも、「でも、売れてない。」という言葉が添えられ、ズッコケそうになる河田アナとくっすん。

 

 雨降りの田んぼ道を歩きつつ、移ろう季節を感じる。ロケ日の6月6日(水)は関西地方で梅雨入りが宣言されたと河田アナ。

 

午後2:45、奈良県生駒市から大阪府四条畷市へ入る。

スタートから7.5キロ、正傳寺(しょうでんじ)に到着。江戸時代に創建されたと伝わる、融通念仏宗のお寺。

 ご住職に本堂の奥へ案内される。『和尚のつぶやき』と書かれた小さな廊下で、部屋の四方の壁や天井にまで、びっちり短冊が貼られている。

 短冊には、参拝者・思い悩める若い人たちに生きてほしいという、想いが込められた詩が書かれている。ご住職は15年間で800枚以上の短冊を書いた。

 

 詩の内容を少し見てみる。「崖っぷちをチャンスと思える者は成功する」という詩

を読んで、2人は崖っぷちはピンチと思っちゃうタイプと自己分析する。

 ご住職のこの取組みがSNSなどで拡散して、参拝者が年々増えている。

 

 ある女の子は『和尚のつぶやき』に触れて、「私やっぱり生きていきます。」と悩みの重荷を下ろすことが出来たみたい。思い悩んで人生の視野狭窄となっている者たちに、他人の考えを参考にしてもらうことで、もっと楽に生きていけばいいんだと、言葉たちが気づかせてくれる。SNS全盛のこの時代、アナログなつぶやきこそ、最上の癒しとなる・・・のかもしれない。

 

午後4:35、大阪府四条畷市から交野市に入る。

 

午後4:50、スタートから10キロ、修行場の磐船神社に到着。古墳時代以前に創建されたとの記録が残る。神社の御神体は、天磐船(あめのいわふね)と呼ばれる、12メートル四方ある巨石。この巨石に乗って、祈祷の祖といわれる饒速日命(にぎはやひのみこと)が降臨されたと伝わる。

 磐船神社には、御神体の他にも多くの岩があって、岩窟めぐりにつかわれる。

 

 宮司さんに岩窟めぐりについてお話しをうかがう。

 岩窟めぐりは、無数の岩が積み重なってできた、天然のトンネルを潜り抜ける修行である。

 元々は、修験者のみが入ることを許された場所で、籠って座禅や読経の修行をおこなった。昭和8年頃、修験者以外の一般人にも開放された。

 

 途中で、非常に狭い穴を通り抜けなければいけない。その穴をくぐれば、生まれ変わることができるといわれている。くっすんはヘタレ卒業を期待し、挑戦する。

 

 普段は、悪天候での岩窟めぐりは、危険なので中止されるが、特別に体験させていただく。裸足に草鞋と、神社のタスキを着用し、いざ修行開始。

 入口の階段から、暗さでビビるくっすん。岩窟の中は、岩と岩のすき間でできた神秘的・幻想的な空間となっていた。岩漏れ日が差す岩窟は、全長300メートルほどの長さ。

 

 岩に描かれている矢印の順路に従い、進む。岩窟は広くて楽なところ、狭くて苦労するところがあり、人生の波を表しているといえる。過去の自分の人生を見つめ直し、未来への新しい自分に生まれ変わることが、この修行の目的になる。

 

20分経過で、岩窟を半分まで進む。そしてついに、最難関の狭い穴が出現。あまりに狭いので、「引き返しましょう。」と、さっきの威勢はどこへのくっすん。

 まずは、河田アナが先陣を切る。ゆっくりゆっくりと慎重に、足から穴に入りこみ、騒ぎながら抜ける。続いて無理だ無理だとわめき、恐慌状態のくっすんの番。河田アナが、下から支えるからと安心させる。くっすんは、滑る落ちるように穴に吸いこまれ、河田アナにキャッチされる。

 

 これで一安心・・・かと思いきや、暗くて狭い穴はさらに続く。岩の圧迫感に恐怖しながら、河田アナが先に2段目の穴を通り、続いてくっすん。しかしその入口に足を突っこんだ矢先、足がつって苦しみだし、どのタイミングで?と思う河田アナ。

 気を取り直して、それなりに騒ぎながら2段目を突破する。

 

 しばらく狭いところを進んだ後、ちょっと明るい、広い空間に出て開放感を感じる。ホッとしたのも束の間、狭いところがまだまだ続くよ。残り140メートルを30分かけて進み、出口へ到達。自分たちの思っていたより、長~く長~く感じられた、岩窟修行であった。

 

 2人はご住職の元に戻り、岩窟めぐりの感想を伝える。想像以上の圧倒的スケールと神秘さを感じ、「1つ1つの難所を越えるたびに、運気が、ワンポイントずつ上がっていってるような気が・・・。」するくっすん。

 最後に、ご住職の総括。

 「昔の人と同じ空間を体験していただいて、この下界とは違う空気感をね、感じていただくと、より神さんの世界に近づいたっていうんですか、そういう気持ちになるじゃないんですか。」

 ちょっと岩窟をめぐり体験しただけでも、普通の人には日常生活では味わえない、異質な世界を見せてくれる。昔の修験者は、そんな岩窟でこもりっきりで修行して、偉かった

 

 6か所目となる、磐船神社の御朱印を授かり、6日目を無事終える。

 

■簡易チャート

スタート:奈良県生駒市・生駒山上遊園地 → 生駒製菓本舗 (4.5km) → [昼食]:『らぁめん トリカヂイッパイ』 → 正傳寺 (7.5km) → ゴール:磐船神社 (10km) → 岩窟