2018年08月23日(木)、山陽電車さんが実施してる『さくらとおでかけスタンプラリー』を集めた。開催期間は2018年08月15日(水)から10月08日(月・祝)まで。スタンプを集める場所は山陽電車の駅5つ。西から山陽姫路駅・飾磨駅・山陽垂水駅・板宿駅・西代駅で、5つ集めたら、ゴールの西台駅で完走おめでとうのスタンプでミッションコンプリートとなる。

 

 実はJRの定期券を持ってますので、まずはJR『新長田駅』からスタート。ちょっと気になることがあったので、大正筋商店街へ寄り道。『はりぼてサマー2018』というイベントを開催中とのことだったので、見に行ったのですが・・・。この日は、台風が近畿地方を中心に接近中。

 

当然のことながら、台風に備えて巨大ハリボテは撤去されていた。それでも、小物のハリボテが少し残っていた

 

スポンジ・ボブ

 

カードキャプターさくら『木之本桜

旧シリーズのコスチュームですね

 

 残念ながら、台風の被害でアーケードが壊れ、『はりぼてサマー2018』は、予定期間満了を待たず、展示終了となった。またの復活、お待ちしてます。

 

 

 気を取り直して、JR『新長田駅』まで戻り、徒歩で山陽電車『西代駅』へ向かう。両駅の距離は、徒歩10分程度。

 

山陽電車『西代駅』に到着

 

地下にある改札外コンコース

 

 改札横で駅員さんから、さくらとおでかけ1dayチケットを1,200円で購入。このチケットは、スタンプラリーの開催期間中売られていて、スタンプラリーに最適。開催期間の任意の一日間、山陽電車全線乗り放題+須磨浦山上遊園ロープウェイ&カーレーター往復乗車可能。

 

 

改札内・フォトパネル

さくらちゃん

 

改札内・スタンプ台

改札口正面

 

スタンプ

スタンプのふちがインクで汚れている場合があるので、注意すべし。押した後は、インクがにじまないよう、ティッシュを敷いた方がよい

 

 

姫路方面行き、普通電車にのって、

山陽電車『板宿駅』に到着。

 

改札内・フォトパネル&スタンプ台

李小狼(り・しゃおらん)

 

 

改札外・ローソン+フレンズ山陽板宿ちか店

『山陽電車&カードキャプターさくら』オリジナルグッズ絶賛発売中

 

 

姫路方面行き、普通電車にのって、

山陽電車『須磨浦海浜公園駅』に到着。スタンプはありませんので、寄り道です。

 

改札を出てすぐ横、須磨浦山上遊園ロープウェイのりば

 

観光リフトは運休だが、ロープウェイは動いていた

 

ロープウェイ乗り場入口横にある、須磨浦ロープウェイ売店

『山陽電車&カードキャプターさくら』オリジナルグッズ絶賛発売中

 

須磨浦遊園事務所の方にさくらとおでかけ1dayチケットを提示すると

Bコースチケットをゲット。ロープウェイ(往復)+カーレーター(往復)+回転展望閣

(入場料)のセット。普通に買えば、これだけで1,200円

 

乗員3名をのせて、上りロープウェイ出発

ロープウェイは15分ごとに出発。音声ガイドあり。乗り合わせたカップルさんには悪いことをした

 

窓から神戸方面を望む

 

 

ロープウェイをおり、続いてカーレーターに乗車

乗り心地の悪さで有名

 

2017年02月18日に放送されたNHK『ブラタモリ』で、あのタモリさんも乗車

貼り紙がいたるところに貼られ、めっちゃアピールしている

 

スタート・ゴール地点の振動が一番大きく、後ろから・下から座席を蹴りまくられているような衝撃が走る

ある意味、絶叫マシーン・・・

 

カーレーターをおりたところにスタンプ台

須磨浦ロープウェイ・須磨浦カーレーター・須磨浦回転展望閣・須磨浦観光リフトのスタンプが揃っていて、一瞬でコンプリートした

 

須磨浦回転展望閣

1Fにて須磨浦山上の水族館を開催中。自分の描いたお魚さんが、デジタルな水の中を泳ぐらしい。普通の水族館なら入っていたかもしれないが、おっさん一人で入る度胸はない

 

2F

レトロゲームが楽しめるゲームセンター。台風接近でロープウェイが動かなくなるかもと脅されたので、遊んでいる余裕はない(まあ、歩いて下りても、15分ぐらいでしょうが、せっかくのタダ券なので)

 

眺めのよい屋上は入れず

 

 

というわけで、ほどなくロープウェイで下山

今度は、乗客1名の貸し切り。ロープウェイの窓がずいぶん開いており、台風からの強風が吹きこみ、T.M.レボリューション状態・・・

 

景色も最高でテンションが上がった

 

ロープウェイから山陽電車も見える

 

 

ロープウェイをおり、

姫路方面行き、普通電車にのって、

山陽電車『山陽垂水駅』に到着。

 

改札内・コンコース

 

上りホーム階段横に、スタンプ台&フォトパネル

 

大道寺知世

 

 

姫路方面行き、普通電車にのって、

山陽電車『山陽明石駅』に到着。直通特急に乗り換え、

山陽電車『飾磨駅』に到着。

 

改札内・改札横にフォトパネル&スタンプ台

 

詩之本秋穂

 

 

姫路方面行き、直通特急にのって、

山陽電車『山陽姫路駅』に到着。

その直通特急が、『さくらとおでかけ山陽電車号』。

姫路にて5~8分ほど停車するので、撮影チャンス

 

改札外・定期券発売所横にスタンプ台

 

登りエスカーレーター上がった横にフォトパネル

ケロちゃん

 

そして

姫路山陽百貨店6F(本館と西館の間くらいにあるイベントスペース)

『山陽電車&カードキャプターさくら』オリジナルグッズ絶賛発売中

 

販売スペース横にフォトパネル×2

さくらちゃん&李小狼

 

 

後日、再び山陽電車『西代駅』に行き、

 

改札外コンコース・ゴールポイント

大きなケロちゃん・スッピーぬいぐるみが目印

 

ゴールポイントでスタンプをゲット

これにてコンプリート!!

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』13日目~14日目のまとめ。

 

【13日目】 2018年08月02日(木)放送 

 

旅の内容:●大阪・三津寺[絵写経]菅原道真公をおもてなし■大都会のビルでダイビング?!★大都会で気軽に修行

 

スタートは大阪府大阪市北区・國分寺。ゴールは大阪府大阪市中央区心斎橋・三津寺。約10キロのコース。

 

午前8:00、大阪府大阪市北区・國分寺の門前からオープニング。ロケ日の予想最高気温は37℃で、またまた1日酷暑。

 國分寺は、奈良時代に長柄寺から名を改めた。摂津国八十八所巡礼第9番札所。そしてゴールの修行場は、摂津国八十八所巡礼第2番札所の三津寺。今回は、くっすんのお膝もとで、大都会を行く。

 國分寺で旅の安全を祈願して出発。

 

 天満橋筋を南へ歩く。

午前8:20、気温30℃だが、コンクリートジャングルの都会では、アスファルトの照り返しなど、体に厳しい。

 そんなワケで、スタッフさんから『空調機能付きジャンパー』が2人に配られる。ジャンパーには4つの小さなファンが付いており、バッテリーをUSBで接続すると、中を循環する空気で、体感温度を下げる。早速装備して作動させると、ダウンジャケットの如くモコモコ膨らむ。

 

 昨今のハイテクグッズに感心していると、『空調機能付きジャンパー(高級品)』を着たおにいさんがちょうど通りかかる。地球温暖化・異常気象と叫ばれるこのご時世、建築業で作業するときに暑いし、熱中症対策に着ているとのこと。建築・工事現場では、空調機能付きジャンパーは流行っていて、めっちゃ売れてるみたい。

 

 ジャンパーの力で格段に涼しく感じるとおもいきや、如何せんファンで送る空気があったかいので、汗は止まらないし、やっぱり暑い。

 

午前9:10、スタートから2キロ、提灯で飾られている、桜宮橋を渡る。ロケ日の7月25日(水)は、天神祭の本宮。天神祭は大阪天満宮の例祭で、菅原道真公の御霊をお迎えする。御神輿で町の中を練り歩く陸渡御(りくとぎょ)、船で大川を渡る船渡御(ふなとぎょ)などが行われる。951年に始まったとされ、日本三大祭の1つ、大阪三大夏祭りの1つに数えられる。

 

 天神祭のそもそもの目的は、道真公に民衆の生活を見てもらって、更なる繁栄を祈願する。西日本最大級の花火も、道真公に見てもらうための花火で、そのおこぼれを市民が頂戴している。・・・という感じの解説が終わったところで、ジャンパーを脱いでいいか、みんなに確認する河田アナ。本日は割りと吹いている、自然の風を感じたいのだが、ジャンパーが邪魔しているのだ。

 

午前9:30、2人はジャンパーを脱いで、いつもの半袖・ジャージ姿にもどって、大阪市内を南へ歩く。

 

午前9:50、大阪市都島区から中央区へ入る。

スタートから3.5キロ、大阪城公園を通り、大阪城がお目見え。くっすんは「何度見ても、心が落ち着く。」とコメント。

 

 大阪城は1583年に、豊臣秀吉によって築城を開始した。1615年に、大阪夏の陣で落城した。江戸時代に、2代目天守が建てられたものの、ほどなく落雷で焼失した。

 現在の3代目天守は1931年(昭和6年)に、大阪市民の寄付により再建された。寄付されたお金は、現在の価値で約750億円にのぼる。

 

 公園内で「くっすん。倒れるなよ。」声援をもらったので、

午前10:20、木陰の石のベンチで休憩。

 

 公園内でジョギングしている、小学4年生の男の子とお母さんに出会う。野球するための体力づくりをしている。

 夏休みの宿題について聞いてみると、まだまだできてない。宿題をこつこつやるタイプか、ためちゃうタイプかうかがうと、(親に)やらされるタイプとのこと。

 

 公園内で、満員御礼のロードトレイン(汽車)が目の前を通る。2016年夏から運行され、有料で森ノ宮駅~豊国神社間を走っている。

 

 玉造筋を南へ歩き、

午前11:10、JR森ノ宮駅の前を通る。

 

 くっすんおすすめだが1回も行ったことがないという、巷で有名な中華料理店を目指していると、1階の大きな窓の向こうが水槽になっているビルを発見する。そのビルはダイビングスクール(&ショップ)で、くっすんがアポなし取材の許可を得る。

 

 ショップのデスクに座っていて偶然居合わせた、創始者の会長さんにお話しをうかがう。『ダイビングショップマリン』は昭和35年創業。スクーバダイビングを日本で一番初めに習って、教えるにはプールが必要と思い、昭和52年にJR森ノ宮駅の隣りにダイビング用の小さなプールを設置した。

 会長さんは今まで50か国を潜ってきた超ベテランで、85歳になっても現役バリバリ。

 

 建物の外から見えていたプールを案内してもらう。外からは分からなかったが、全長12.5メートルある1つのプールで、最深部は8メートルあり、浅いところは足がつく。先生と生徒さんが、ちらほら練習中。

 こちらでは、本格的なライセンス取得コースがあるが、初心者用の体験ダイビングコースも用意されている。

 

 河田アナが会長さんに何歳まで潜り続けるのかうかがうと、「もう5年ぐらいいけるでしょう。」と超お元気。「知らない海、全部景色が違いますもん。」と何歳になっても新鮮にダイビングを感じ、陸の上を歩くより水の中を泳いでる方が楽、と河童さながら。

 

スタートから6キロ、午前11:50、件の中華料理店・純華楼にて昼食。河田アナは『四川焼きそば』+『餃子』を、くっすんは『マーボー豆腐定食』を食べる。マーボー豆腐は、本格的な辛さで山椒のパンチも効いている。野菜たっぷりの四川焼きそばも、後から辛さがやってくる。辛さでスタミナをつけ、後半戦に備える。

 

午後1:20、長堀通を西へ歩く。河田アナの手元の室温計は、38℃を示す。「38℃あったときって、うなされてますからねぇ。」と言うくっすんは、気温を体温に置き換えるクセがある。

 

スタートから8キロ、日陰を求めて『空堀ど~り商店街』を通る。すると、待ち伏せしていたおとうさんに出合う。おとうさんの元には、空堀界隈の情報がさっと入ってくるとのこと。スパイのようだと感心している2人は、いつの間にか娘さんにスマホで撮られていたので、これまたスパイだと感心する。

 

 出会って20秒、冷房の効いたおとうさん宅に招き入れられる。皮張りのソファーに座ると、「おかん、ハイボール持ってくるわ。」とほろ酔いおとうさん。気持ちだけ有り難く受け取る。

 実は、おとうさんはちちんぷいぷいのコーナーの1つ・『昨夜のシンデレラ』に、2015年に出演していて、その様子をスマホで見せてもらう。2回目のぷいぷい出演に大喜びで、前回のときは大阪城へラジオ体操しに行ったら、ちやほやされた。

 

 大阪流のフレンドリーなおもてなしを受け、最後は、2人とスタッフ一同に汗ふきのウェットティッシュも配られた。

 

 商店街を西へ、谷町筋を越えて、御堂筋沿いにある修行場を目指す。心斎橋商店街を超え、御堂筋を南へ進む。

 

スタートから10キロ、修行場の三津寺に到着。744年に行基によって創建された。創建当時の地形は今とは大きく異なり、お寺のすぐ近くまで海だった。船着き場のことを津といい、奈良時代にあった難波御津(みつ)という船着き場が、名前の由来とされる。

 

 副住職に案内され、本堂の中に入る。繁華街にある三津寺には、仕事帰りの人や女性が多く訪れる。月2回開かれる絵写経の会では、日々の疲れを癒すために参加し、その後ミナミ界隈で女子会を行うといった、都会的なスタイルのお寺。

 

 今回の修行は、写経と写仏を合わせた絵写経。絵写経の用紙は大小合わせて13種類あり、好きな仏様を選べる。筆ペンを使い、中央に仏様を描き、その周りにお経を書く。写仏では、仏様に考えを集中させるため、色のついた筆で自由に彩色できる。

 

 副住職から、何のために修行しているか問われる。くっすんはつらい修行を我慢するすることで強くなるため。というのは表向きで、本心は売れたいがため。それを聞いて「もうあの、煩悩丸出しですね。」と笑う副住職。

 

 本堂に用意された、長机の前のパイプ椅子に座って、修行開始。河田アナには三津寺の御本尊・十一面観世音菩薩(秘仏)の用紙を、くっすんには写経の文字数が多めの不動明王の用紙を、副住職が選んでくれた。

 絵写経の最中は、願い事を思いながら行う。かいている間に願い事が変わることもあるので、一番最後に心の中に残った願いを添える。

 

 まずは、一筆一筆丁寧に写経を行う。昔の修行僧は自分の意思の強さを示すため、一筆三礼一字三礼といって、1つ書くごとに3度礼拝する心構えで写経した。くっすんの高速な書きっぷりを見て、「なんかマジックで書いてるみたいに速いな。」と河田アナの意見。ご住職も、「筆がのってるなぁ~。」と同意見。

 なぜ写経・写仏を行うのか心の中で自問自答し、自分自身と向き合い、そして自分を見つめ直すのが絵写経の意義である。

 

修行開始から25分、くっすんはボリューム満点の写経の大半を書き上げる。河田アナが速さに驚嘆していると、「ああ、アカン。スピードあげてる自分がいました。」と自己分析するくっすん。

 

 平安時代に、流行していた疫病を治めるため、嵯峨天皇は写経を行い、その表紙に檀林皇后が仏様を描いたのが、写仏の始まりともいわれる。

 2人とも写経を終え、写仏にとりかかる。色のついた筆などを使って、自由に描く。細かい線に苦労しながらも、集中してなぞっていく。

 

 河田アナは、1時間43分かかって完成させる。集中していたのか、自分では30分ぐらいに感じた。河田アナは着色をシンプルに、観音様が左手に持った水瓶に生けてある蓮華に赤を、光背に黄色を塗っただけにとどめる。

 河田アナから遅れること5分、くっすんも完成。不動明王をド派手に、たくさんの色を用いて塗りあげた。明王の後ろの炎は、たくさんの感情、邪念・怒り・悲しみなどを燃やして、その結果青色になった明王・・・というくっすんのイメージ。

 

 絵写経では、絵のうまい・へたより、自分の心と向き合えたか、心の変化に気づくことが大事。河田アナは家族やみんなの健康を願ってかき、くっすんは最初の売れたいという願いが、世界平和に変わった。その変化は、自分が売れたい→家族のため→子どもの平和→世界平和という経緯をたどった。河田アナが「すげースケールアップしたね、なんかね。」とビックリする。

 

 最後に副住職のまとめ。写仏体験を日常に持って帰って、そこで感じたことを日常の中でどれだけ継続してもっていくことができるか。それまで含めて修行。だが人間は、すぐに忘れてしまいがちなので、三津寺のようなアクセスの良い場所で、気軽に修行体験することで、忘れないようにすることが大事。

 

 かいた絵写経は持ち帰ることもできるが、お寺に奉納すると、毎年7月の終わりに開催される、『灯籠ナイトイン三津寺』の灯籠に使われる。2人の絵写経も、灯籠になった。

 

 おしまいに13か所目の御朱印、三津寺の御朱印をいただき、13日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:大阪府大阪市北区・國分寺 → 桜宮橋 (2km) → 大阪城公園 (3.5km) → 『ダイビングショップマリン』 → 昼食:純華楼 (6km)  空堀ど~り商店街』(8km) → ゴール:三津寺 (10km) 

 

 

 

【14日目】 2018年08月09日(木)放送 

 

旅の内容:●京都府 狸谷山不動院[火渡り]新選組発祥の地で河田大興奮■井伊直弼と女スパイの数奇な愛?!★火渡りでゼロから始めよう

 

スタートは京都府京都市東山区・法観寺。ゴールは京都府京都市左京区・狸谷山不動院。約9キロのコース。

 

午前9:00、京都府京都市東山区・法観寺境内にある、八坂の塔の前からオープニング。

 京都のシンボルであるこの五重塔は、飛鳥時代に聖徳太子が建立したとされる。過去に何度も焼失し、現在の建物は、1440年に足利義教によって再建された。

 

 本日の修行内容は、狸谷山不動院での火渡り。火の上を歩き、穢れを焼き払って身を清める。毎年7月28日に開催され、普通に一般の方も参加する。くっすんは毎週修行で邪念を払っているが、なかなか取れないという。河田アナの意見は、いったん修行で悪いモノを空にしても、次のロケまでの一週間で再びくっ付くのではないか。なので、この一週間分をしっかり払いたい。

 

 ここ最近は1日を通してカンカン照りのロケばかりだったが、今回曇りスタートで台風12号の接近に伴い、荒れる見込み。しかし少々の雨でも、火渡りは行われる。

 

スタートから1.5キロ、川の方から吹く風に涼を感じ、

午前10:05、京都市東山区から左京区に入り、平安神宮の前を通る。

 

スタートから3キロ、金戒光明寺に到着。1175年に、法然上人が念仏道場として創建した。そして、新選組発祥の地とされ、河田アナが歴史のロマンをビンビンに感じる。

 

 通常非公開の新選組ゆかりの場所へ、執事の橋本さんに案内してもらう。襖は金色のまばゆい『謁見の間』で、浪士組(後の新選組)が京都守護職の松平容保に謁見した部屋、を復元した(昭和9年)。

 

 謁見の間の前で、歴史のロマン?は河田アナを熱くさせ、例によって怒涛の解説が始まる。

謁見に至る経緯ーーーもともとその会津の、その藩主だった松平容保という偉いお殿様が、京都の治安を守りなさい・治めなさいと言われて、「分かりました。」とその役を買ってでて、会津からここまでやってくることになりました。だけでも「自分のその兵隊だけでは(心もとない)。」というので、一般からも「一緒に来てくれ。」と要するに「守ってくれ。」という人たちを募集するワケです。そこで手を挙げたのが、当時多摩の片田舎の道場主だった近藤勇。その壬生浪士組にいた、その芹沢鴨というこれがまた、ものすごい猛者でして。そのグループと一味といっしょになって、浪士組を会津藩のお預かりにしてもらおうというので、ここに謁見に来たんですよ。

 

 近藤勇土方歳三らは謁見後、浪士組から新選組に名を改めた。

 2人は廊下から畳敷きの謁見の間へあがらせてもらい、どんな感じの謁見だったかをうかがう。お偉い容保さんは、2段高い上座の座布団に座り、どんと構える。その前の1段高い上段の間に、お取次ぎの者たちがいる。謁見者は最初、容保から一番離れた畳の端に座り、「近う寄れ。」と1回言われるごとに畳1枚分だけ近づくことを許される。容保が顔をよく見たいと思った者ほど、近づくことを許されたという。

 

 勇らは、容保とすごくお近づきになれたであろうなと、そして人物を認められたこその新選組の活躍があったのだと、感慨に浸る河田アナ。そして、一般人は滅多に足を踏み入ることができない場所に入れたので、畳に手をすりすりして大満足するのだった。

 

 お寺を後にしても興奮冷めず、新選組の話しを続けなかがら歩くこと20分、

スタートから4キロ、午前11:15、お昼ご飯を食べる店を早めに探しにかかる。 

 

 京都大学のそばで、京都大学文学部4回生の女性にオススメの店を聞くと、老舗の食堂『ハイライト』と、最近できたカレー屋さん『ラジュ』を教えてもらう。

 

 せっかくなので、彼女にあれこれインタビューする。東京の方のコンサルティング会社に就職が内定していて、早く働きたくてうずいずしている。いつになるか分からないけど、人が各々、可能性を最大限に発揮できる社会を作りたいとのことで、感心して拍手する2人。 

 くっすんは「僕の可能性も伸ばしてほしい。」とコメントし、河田アナに「あの可能性がほとんどない人はどうしたらいいんですか?」と酷く言われる。くっすんには可能性だらけだが、具体的にどうしたらいいかはアドバイスできないので、とりあえず河田アナについていくことにした。

 

スタートから5キロ、午前11:45、『インド料理RAJU 百万遍店』にて昼食。河田アナ・くっすんともに『Bランチ』を食べる。大きなナンが付いてコスパがいいので、京大生さんが通うのもうなずける。

 

午後0:50、外に出ると台風は何処へやら、晴れて気温37℃。

 

スタートから5.5キロ、修行や修験者に関わりのある和菓子屋さん『阿闍梨餅本舗 満月』を取材する。1856年に創業したお店で、店先にて名物の阿闍梨餅について常務取締役の中嶋さんに話しをうかがう。

 

 2人は、とりあえず阿闍梨餅を試食させてもらう。丹波大納言小豆を使用し、もちもちとした食感がたまらない。お餅に卵を配合しているのが特徴である。

 名前の由来は、千日回峰行をおこなう阿闍梨からきている。阿闍梨とは、弟子たちに教えを伝授する高僧のことで、なるには7年間のうち約1000日を歩く過酷な修行をする。

 

 大正時代に2代目の嶋田政吉が、阿闍梨の被る笠を見て思いついたとのこと。阿闍梨はヒノキ製の独特な形の細長な網代笠を被っていて、一般人が笠を下から見上げたときに阿闍梨餅のようなフォルムに見える。

 本物の阿闍梨さんがお店を訪れ、阿闍梨餅を召し上がったお墨付き

 

午後1:50、京都市左京区を北へ歩き、

スタートから6.5キロ、ベンチに座って、水分補給しつつ休憩。そこで、夏休みに何処か旅行に行くのか、河田アナがくっすんに聞くと、行く予定はないという。くっすん家の長女も中学生になり、パパといっしょに海水浴なぞ行くのは、恥かしいお年頃なのかなと、寂しげなくっすん。娘がパパと一定の距離を置きだすという、あるあるを語ったり聞いたりで、哀愁漂うパパ2人。

 

スタートから8キロ、金福寺に到着。864年に創建され、幕末の女スパイ・村山たか女が晩年を過ごしたお寺。たか女は、井伊直弼の愛人でもあった。

 

 たか女について、ご住職の息子の小関さんに、詳しいお話しをうかがう。たか女は彦根藩の屋敷・『埋木の舎(うもれぎのや)』で直弼と出会い、過ごすうちに、愛人関係になったといわれる。

 直弼がたか女に贈った和歌が残っていて、埋木の舎で過ごした2人の日々を想像させる。旦緩々(しゃくかんかん)『しばしと云ひて 芝の戸の もろともに いざ語らはん 埋火のもと』。

 

 美人と評判のたか女に首ったけであった直弼は、その後彦根藩をつぐことになったので、2人は別れた。だがしかし、たか女の直弼への思いは変わらず、今度は直弼の部下・長野主膳の愛人となり、スパイとして活躍した。

 

 その諜報活動の内容は、宮中に出入りし、反幕府勢力に加担している公家の動向を探って、主膳に情報を渡し、主膳から上司の直弼へ伝えられた。そんな変わった形の愛も、桜田門外の変で直弼が暗殺されることで終わってしまう。

 たか女も、スパイだとばれて捕まった。ただし、女だということで罪を減じられ、京都の三条大橋の橋脚に縛りつけられ、3日間の生きさらしの刑に処せられた。

 

 その後は、ここ金福寺で尼僧となって過ごし、68歳まで生きた。

 

 金福寺を後にすると、修行場まで残り1キロ。どんどん山道を登る。山道を登ること15分、狸谷山不動院の参道に着く。本殿まで、250段の階段を登る。「修行の前に修行ですね。」とくっすんのぼやき。

 

スタートから約7時間

スタートから9キロ、午後4:10、修行場の狸谷山不動院に到着。1718年に修行僧・木食正禅朋厚によって創建された真言宗のお寺。発見した洞窟に不動明王の石仏を祀り、修行場とした。

 

 修行のお世話をしていただく修験者の河野さんに、まずはお話しをうかがう。

 火渡りは修験道の秘法の1つで、熱い中を歩いて身を清める。狸谷山不動院の火渡りの歴史は古いが、いつ頃始まったかは分からない。ただ、江戸時代の終わり頃には、一般の人には非公開で行われていたらしい。

 

火渡り祭り開始1時間前、火渡りの参加者たちにインタビューする。

 1番乗りで並んでいるご夫婦は、10年間かかさず参加しているとのこと。世の中で起こる災害などの祈願も兼ねて、自身の幸福を願いにきている。

 若いカップルは、デート中にたまたま看板を見つけて、初めて火渡りに参加するとのこと。

 

 2人は、特別にレンタルしてもらった修行着に着替える。

午後5:30、火渡り祭り開催。まずは、本堂で護摩を焚いて、不動明王に火渡りの成功を祈願する。そして、本堂から火渡りの行われる広場へ移動する。2人は今回特別に、修験者の方々が座る席に座らせてもらう。

 

 椅子に座った2人は、河野さんにさらに詳しいお話しをうかがう。

 崩した護摩壇で作った火床を、約5メートル歩く。最初に河野さんが先陣を切って渡り、次々に行者さんが渡り、その後一般参加者が渡る。一般参加者の一番最初に、我らが河田アナ・くっすんが渡る。

 

 くっすんが、「(火渡りの)途中で熱いと思ったら、横にパッて逸れてもいいんですか?」と逃げ道を探す。河野さんは、修験者としての厳しさで腹をくくらせる。

ーーー大人の人間だったらね、やると決めたらね、スイッチを入れてください、自分で。だから、普段は冗談言っててもいいんですけど、やっぱりこの道場の中に入って、「さあいざこれからやるぞ。」ときにはピシッとスイッチを入れて。そうしないと逆にあの、火傷したり怪我したりする。なにかそこに、心の隙間があって、魔が入ってきますから。

 逃げ道はない・・・。

 

午後6:10、修験者による火渡り前の儀式が始まる。

・三十人の修験者たちが列を作り、ホラ貝を吹いて邪気を祓う。

・弓を四方に放ち結界を作る、法弓の儀。広場に張った結界で、払った邪気が戻ってこないようにする。

・斧で木を切る動きをすることで、山の神に護摩を焚く木を使用する許可を得る。

・家内安全・無病息災を願う祈願文を読み上げる。

 

 いよいよ巨大な護摩壇に点火。大きな炎が上がり、モクモクと煙も昇る。護摩壇の火は不動明王の化身であり、火を渡ることで明王と一体となり、悪と煩悩を焼き払うことができる。

 

 長い木の棒を使い、護摩壇を崩して火床を作る。

午後7:30、火床が完成する。2人は、ハンパない緊張感で臨む。火床を歩く直前には、足の裏から塩で清める。河野さんを皮切りに、30人の修験者たちが厳かに渡ってゆく。直接歩く部分は火が消えているが、それでも余熱でかなり熱い。

 

 一般の部トップバッターの2人がゆく。

 まずは河田アナ。修験者の読経が続く中、勇気を出して火床を渡る。時間にして10秒ぐらいだが、修行で得るの経験値は莫大

 続いてくっすん。体が震えて見えるぐらい緊張していたが、腹を括っていたので火床に入る勇気ある一歩を踏み出し、すんなり渡りきる。終わった後は、張りつめていた緊張が一気にとけ、安堵の表情。1週間の煩悩は、空にできただろう・・・。

 

 修行を終えての感想。河田アナは、自分を信じていくしかない、こんなに気持ちを振り絞って何かに臨むことは、日常生活でなかなかないと思った。

 くっすんは、怖さを乗りきるには考えないことと思い至り、とにかく強く火床を踏んだ。そうしたら、思ったより熱くなかった(熱さを感じなかった)。

 

 最後に、河野さんの総括。だから、変なこと考える余裕なかったでしょ。そういう気持ちが大事なものであって、そこが一番底辺になるわけです。そっから何を積み重ねていくかによって、出来上がるものが違ってくる。その根底を成すものが火渡り。その先は無限大にいろんな可能性が見えてくる。

 

 おしまいに14か所目の御朱印、狸谷山不動院(狸谷山寺)の御朱印をいただき、14日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府京都市東山区・法観寺 (八坂の塔) → 平安神宮前 → 金戒光明寺 (3km) → 京都大学前 (4km) → 昼食:『インド料理RAJU 百万遍店』 (5km)  阿闍梨餅本舗 満月』(5.5km) → 金福寺 (8km) → ゴール:狸谷山不動院 (9km) 

MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第16章『日本 修行場めぐり』11日目~12日目のまとめ。

 

【11日目】 2018年07月19日(木)放送 

 

旅の内容:●京都・東林院[精進料理]地獄の暑さでバテバテ■納豆は修行僧のご馳走?!★全てに感謝を込めていただきます

 

スタートは京都府京都市北区・上賀茂神社。ゴールは京都府京都市右京区・東林院。約7キロのコース。

 

午前8:00、京都府京都市北区・上賀茂神社の鳥居の前からオープニング。ロケ日の予想最高気温は36℃と夏真っ盛り

 今回の修行は、精進料理。料理を食べることだけでなく、作ることも修行となる。今日のランチは、自分たちで作った精進料理なので、昼頃には修行場に着いて作り始めたい。

 

午前8:10、すでに気温は28℃で、日差しが強い。

 まずは歩きながら、河田アナの賀茂なすに関するトリビアから。代表的な京野菜・賀茂なすは、上賀茂神社界隈で作られ、今回の精進料理でも使われる。毎年3月に上賀茂神社で行われる『賀茂なす豊作祈願祭』では、賀茂なすの苗をお祓いする。

 賀茂なすの起源は分かってないが、1684年に書かれた書物・『雍州府志(ようしゅうふし)』に、丸くて大きい茄子が栽培されていたと記されている。

 

 本殿の入口で手を合わせ、旅の安全を祈願し出発。

 

 朝から、出会う方々に温かい声援をもらう。小さな男の子に、「おにいちゃん、気いつけて、いってらっしゃい。」と見送られる。

 しかし、まだ8:30前なのに、2人は暑さにたじたじ。日中にかけての気温上昇に心し、なるべく日陰のある住宅街を通る。

 

 散髪屋『RAGTIME』の前を通ると、入口の横に、ヘッドホンをしたチンパンジーのポスターが貼ってあり、目の部分は立体になっていて、まばたきをするギミックになっている。面白いなあと感心する2人。河田アナは、そのチンパンジーのポスターの横に貼ってある、猫のポスターも、まばたきするようにすればいいのにっと提案する。

 

スタートから1.5キロ、新人演歌歌手(息子さん)の敏腕マネージャー(お母さん)がいつの間にか現れる。前にぷいぷいの『学校に行こッ!』に出演したことがある、息子さんが、先ほど昔偉一行に出会ったと聞いて、駆けつけたお母さん。

 息子さんは高校3年生のときデビューした、プロの演歌歌手・えたにまさしさんで、現在大学1年生。代表曲の『セブンティーン・ブギ』は、ブギウギ・ブギウギのフレーズが耳に残る。『セブンティーン・ブギ』のポスターとCDで、息子さんを猛プッシュ。さらには、デビュー1周年記念パーティーまでちゃっかり宣伝するお母さん。いずれは紅白歌合戦に出てほしいとのこと。

 全く隙のない、お母さんの宣伝に、しゃべりのプロ・河田アナも圧倒された。

 

午前9:30、スタートから2.5キロ、大徳寺の前を通って、

そのすぐそばにある『大徳寺納豆 本家 礒田』を取材する。お店の中に入ると、18代目が御登場。さっそく、看板商品の大徳寺納豆を試食させてもらう。見た目は、真っ黒なお味噌の塊にみえる。くっすんはお酒のおつまみとかに、河田アナは味噌のような風味だとコメント。一般的な納豆の味とは違い、味噌や醤油などの、醸造品の部類。

 

 大徳寺納豆は、唐から日本に伝わった納豆を、一休禅師が室町時代に大徳寺につたえたといわれる。大豆・大麦・塩などを原料とし、肉・魚が食べられない修行僧にとって、貴重なタンパク源となった。

 常温で1年・2年、ともすれば10年の保存がきく。冷蔵庫のない時代、とても重宝された。

 

 大徳寺納豆の作り方は、大豆を炊いて、ハッタイ粉を混ぜて室で保存する。このとき、室にすみつく麹菌が付着する。5日間程度発酵させた後、塩水と混ぜてモロミ状にする。

 

 モロミ状になったものを、大きな桶に入れて、天日干しする。天日干し中の納豆を見学させてもらう。天日干しするにつれて、水分が抜けて固くなる。完成には2か月間ほど、毎日納豆をかき混ぜなければならない。

 大徳寺納豆は、毎年5月末から8月にかけて1年分を作る。18代目曰く、「僕が小さいころからずっとそうですけど、家族旅行は行ったことがないです。」と、代々、は大徳寺納豆に付きっきり。

 

 天日干しは天気に左右されるし、室も温度管理できないので、人間がその時の感覚で調整する。昔ながらのアナログな製造方法を今もおこなっているのは、いろいろなやり方を試した結果、全部失敗して、結局親の作り方が一番うまくできるから。

 

午前10:40、京都市北区から上京区へ入る。

 

 お散歩中の2歳の女の子と、お休みのお父さんに出会う。帽子の似合うお嬢さんで、トマトとお父さんが好きとのこと。

 

スタートから4キロ、本隆寺に到着。1488年に創建され、1658年に建て直された本堂が、現在修復中(2023年完成予定)。その本堂の横にあるのが、夜泣止松(三代目)。この松の葉を、赤ちゃんの枕の下に置いて寝ると、夜泣きをしないといわれる。

 

夜泣止松

 1532年に、本隆寺5代目住職日諦(にったい)上人の元へ、見ず知らずの女性が現れ、赤ちゃんを育ててほしいと頼んで、姿を消した。日諦上人はその子を育てることに決めたが、夜になるとやたら泣くので困った。そこで、赤子を背負って、夜泣止松(初代)の周りをお経を唱えながらグルグル歩くと、ぴたりと泣き止んだ。

 その後、夜泣きをしていた子は健やかに育ち、日脩(にっしゅう)という名の、立派なお坊さんになったとさ。めでたし、めでたし。

 

 夜泣止松の前で、本隆寺の塔頭寺院・玉樹院のご住職に、日脩のエピソードをうかがう。

 あるとき、明(中国)から天皇陛下に書物が届いた。宮中の人たちは誰も読めなかったので、日脩が呼ばれ、見事これを解読したという。そんな優秀な日脩は、本隆寺7代目住職を務めた。

 

 ご住職に許可をもらい、2人は夜泣止松の葉を少しだけ引き抜いて、もらう。

 

午前11:50、気温35℃を超える猛暑で、へとへと。こまめに休憩を取りながら南西へ歩く。

 

スタートから5.5キロ、灼熱の京都で朦朧とする2人。地元の奥様方に温かい声援をもらいながら、暑い暑いと何度も言いつつ、歩く。

 

午後0:10、お昼どきだが、昼ご飯は修行場に着いてから、自分たちで料理を作ってそれを食べるので、まだまだありつけない。すでに、腹ペコなくっすん。

 お料理の話しを話題にする2人。くっすんは料理は得意中の得意で、レトルトでないカレーなどを作る。最近料理を作るようになった河田アナは、キッチンぷいぷいのコーナーで習った『パンデポット』というシャレオツな料理を作った。

 

スタートから7キロ、妙心寺に到着。境内に入り、

午後0:30、妙心寺の塔頭寺院の1つ、修行場の東林院に到着。お世話になるご住職に、「この暑い地獄の中で、よう来られましたね。」と出迎えられる。

 

 2人は作務衣に着替えて、早速修行開始。

 その前に精進料理についてお勉強。精進料理を作ること・食べることは、座禅と同じく大切な禅の修行である。鎌倉時代に中国から伝わったといわれ、修行道場では厳しく教えられる。

 精進料理にお肉・お魚を使わないのは、生き物をむやみに殺してはならない”不殺生戒(ふせっしょうかい)”の考えによる。人間は、他のたくさんの命の犠牲があって、便利な生活をさせてもらっている。それに気づき、感謝し、活かすことが修行の目的になる。

 

 東林院では、週に2回、精進料理教室を開いている。料理教室では基本3品を作る(献立は毎月変わる)。

 

 2人は、ゴマ豆腐・ごぼうの白煮・賀茂なすの揚げびたしの3品に挑戦する。ごますりだけは得意と豪語するくっすんは、すり鉢にすりこぎで、ひたすらゴマをすって、ゴマ豆腐を作る。プロデューサーにゴマをすることでなんとか生きてきたらしい・・・。くっすんのすり方を見て、ごますりに30分以上かかるとご住職。

 

 河田アナは、『ごぼうの白煮』と『賀茂なすの揚げびたし』を作る。ごぼうを水洗いする際、洗い桶に水を貯めて洗う。流し洗いは、ありがたく頂戴している、水がもったいない。

 

 河田アナがごぼうを切る様子を見て、手が止まっていたくっすんに、「真面目にするする。」とご住職の喝が入る。ひたすら料理のことだけ考えて作ることに集中することは、まさに仏道修行の基本。

 ゴマの粒が割れ、中から油が出てくる。油でゴマがすり鉢にベタベタくっつく様子が、相手に媚びているように見えることから、『ごますり』の語源になったとされる。そんな豆知識を披露しつつ、ご住職は手慣れたゴマすりをみせる。

 

作り初めて20分。生まれて初めて?、野菜(賀茂なす)の皮むきをする河田アナ、手つきが危ない。ナスの皮は捨てずに、お味噌汁の具にする。

 

 まだまだ、ごますり中のくっすん。ごますりを人生のテーマとまで言い張り、孤軍奮闘。

 

ごまをすること30分、くっすんが疲れて、愚痴をこぼす。そこで、河田アナもごますりに参戦し、2人で仲良くごますり。自分のことは棚に上げて、「河田さん、ごますり下手やなぁ。」とくっすん。

 2人はごますりすりで、汗だらだら

 

ごまをすること40分、ご住職がO.K.を出し、ごますりは終了。

 

 ペースト状になったゴマに水を加えて溶き、裏ごしする。裏ごししたゴマに葛粉を溶かし、10分ほど鍋で混ぜながら火にかける。後は、型に流し入れ、水につけて30分ほど冷せば完成。

 残る2品も仕上げ、お寺が用意したお味噌汁などと合わせて、

作りはじめて2時間30分、料理完了。

 

午後3:10、東林院の畳の間にて昼食。河田アナ・くっすんともに『お手製精進料理+アルファ』を食べる。取材した大徳寺納豆も入っている、充実の豪華メニュー。修行道場の食事は、普通は一汁一菜の質素なメニューだが、体験教室なので贅沢め。

 

 ただし修行道場では、物音を一切たてないで食べるというルールに従う。食べることに集中するとともに、物を大切にする心を養う。

 

 時間をかけて丹精込めて作ったゴマ豆腐は、もちもちの食感で、ゴマの風味が絶妙。びっしょり汗かいて作ったがんばりに比例して、うまし。加茂なすの揚げびたしも絶品だが、くっすんが切ったミョウガと大葉がやけに主張していると河田アナ。繋がっている不格好な大葉も、「食感があってよろしい。」と優しいご住職。

 

 ひとつひとつの料理に考えさせながら、感謝の気持ちを忘れず、余すところなく頂く。

 ご住職に(精進)料理に関するありがたいお言葉も頂く。「できれば日本の気候風土、春夏秋冬にできる素朴な材料をつかってですね。時季・時、それから場所、そんなものを全て活かすように工夫すること・・・。」と。昔の人が当たり前のように実践していたことを今一度考えることで、命の尊さや食の安全に気づく。

 

 腹満たされ、心満たされた2人は、食器を洗い後片付けをして、感謝の気持ちで無事修行を終了。

 

 最後に11か所目の御朱印、東林院の御朱印をいただき、11日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:京都府京都市北区・上賀茂神社 → 大徳寺の前 (2.5km) → 『大徳寺納豆 本家 礒田』 → 本隆寺 (4km) →ゴール [兼昼食]:妙心寺[東林院] (7km) 

 

 

 

【12日目】 2018年07月26日(木)放送 

 

旅の内容:●大阪府 犬鳴山七宝瀧寺[山岳修行]▲水分補給にナス?!■枕を担いで練り歩く奇祭?!★みんなでとびだせ?!

 

スタートは大阪府京泉佐野市・JR日根野駅。ゴールは大阪府京泉佐野市・犬鳴山七宝瀧寺。約9キロのコース。

 

午前8:00、大阪府京泉佐野市・JR日根野駅東出口の前からオープニング。ロケ日の予想最高気温は35℃で、やっぱり朝から暑い。

 今回の修行は山岳修行。犬鳴山の標高440メートル地点で、『西の覗き』と呼ばれる恐怖に打ち克つ修行を行う。くっすんは、「いや、僕が恐怖心に勝ったら、仕事無くなりますよ・・・。僕はヘタレが職業になってるじゃないですか、今や。」と、自らヘタレを売りにしている。

 

スタートしてからすぐ、自宅の玄関前で、木にとまっているセミを見ている男の子と、お母さん(と妹?)に出会う。近くの木のちょっと手の届かない位置に、セミを発見したくっすん。くっすんに肩車された河田アナが見事捕獲し、「捕ったぞー。」とはしゃぐ。

 捕まえたセミを男の子に見せてあげると、かわいいとのこと。せっかくだから、河田アナがセミを手渡しして、セミ初体験で喜んでもらう。

 

スタートから0.5キロ、いつも見てるというおとうさんと、奥さんに出会う。ご夫婦は犬鳴山に登ったことがあり、登るのは大変か聞いてみると、大したことはないという。さらに、おとうさんは「楽勝や。」と続け、しまいには「あっこよう登らんかったら、行くとこないわ。」とまで言い張る。

 

南東へ歩くこと5分、

午前8:50、スタートから1キロ、水ナス農家の奥農園を取材する。3代目園主の奥和晃さんに、旬の水ナスが成っている、ビニールハウスの中を案内してもらう。

 

 水ナスは名前のとおり、水分含有量が非常に多い。3代目が試しに水ナスを握ってつぶすと、水分がドバドバ溢れだして流れ出す。味も、梨やリンゴのようにフルーツっぽい甘みがある。

 皮が柔らかくアクが少ないので、生でも食にべられる。獲れたての水ナスを試食させてもらう。丸のままかぶりつくと、ジューシーで甘い。昔は水ナスを田んぼの畔に植えて、農作業中の水分補給に食べていた。

 

 水ナスは江戸時代の初期から栽培が始まったといわれ、泉佐野市が発祥地という説もある。水ナスの育生には大量の水が必要になるが、泉佐野市にはため池が多いので栽培に適している。

 皮がやわらかいため、葉っぱがすれた程度でも傷が付いて価値が下がる。そのため、葉っぱをとるたくなるが、とりすぎると今度は光合成ができず栄養がいかないので価値が下がる。両方のバランスを見て、葉っぱをとっていくことに気をつかっているとのこと。

 

 最近は水ナスもだいぶ知名度が上がってきたが、まだまだ取り扱ってないお店も多いので、美味しさをもっと多くの人に知ってもらいたい。

 

午前9:20、スタートから2.5キロ、枕にゆかりのある、日根神社に到着。奈良時代以前に創建されたと伝わり、夫婦の神様『鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)』・『玉依毘売命(タマヨリヒメノミコト)』を祀る。夫婦の間に4人の子どもが産まれたことから、子授け・安産にご利益がある。

 こちらの神社には、まくら祭りがあると聞き、「枕投げとか。」とくっすん。

 

 まくら祭りについて、宮司さんにお話しをうかがう。

 毎年5月4日・5日に行われれる例祭で、飾り枕をたくさん用いる。一般的な枕と違い、華やかな生地で作った筒状の枕は、両端の丸い部分を派手に飾りつける。毎年、地域の氏子さんの女性が手作りして奉納する。

 

 まくら祭りでは、飾り枕をたくさん連ねてつけた、高さのあるノボリと神輿を担ぎ、日根神社から隣町にある御旅所まで、10キロほどを練り歩く。このような枕の祭りは、他所でやっているところは、聞いたことないと宮司さん。

 

 昔、村の娘が子宝を祈願し枕を奉納したのが、祭りの起源とされる。子宝を祈願する祭りは前からあって、江戸時代にまくらを使う祭りのスタイルになった。

 子宝に恵まれない村人が、飾り枕のご利益を信じるがあまり、盗んで自分の家に持って帰ったということもあったそう。

 

スタートから3キロ、とにかく暑い。

スタートから5キロ、日陰のないところをずっと歩き、サウナの中を歩いているようだとくっすん。

 

スタートから6キロ、自宅前にてホーズで植木に水をあげている、床屋さんを営むおかあさんに出会う。日根野駅から歩いてきたことを告げると、「ご苦労。」とねぎらってもらう。

 お会いできたのも何かの縁、「ちょっと顔洗っていけへん?」と勧めてくれる。くっすんは、頭からホーズで結構強めの勢いの水をかけられ、洗髪してもらう。

 河田アナも強引に洗髪してもらい、2人はまさに砂漠にオアシスのリフレッシュ。「私もイタズラさせてもらって、ありがとう。」と、おかあさんからお礼のお言葉もいただく。

 

スタートから8キロ、『カフェテラス 空』にて昼食。下は小川の流れるテラス席で、涼を感じながらいただく。

 河田アナ・くっすんともに『犬鳴ポーク生姜焼きセット』を食べる。泉州地域のブランド豚・犬鳴ポークの生姜焼きは、脂がのっているがしつこくないと河田アナ。

 

午後1:50、犬鳴山の入口に到着。犬鳴山は、661年に修験道の開祖・役行者が開いた修行場で、日本最古の霊場とされる。

 

スタートから約6時間30分、

スタートから9キロ、午後2:35、山の中腹にある修行場・犬鳴山七宝瀧寺に到着。七宝瀧寺の名前は、平安時代に淳和天皇が山の中にあ7つの滝を、金・銀などの七宝に見立てて名付けたといわれる。

 

 犬鳴山で修行を行っている修験者の方々に、修行の世話をしていただく。今回の修行は3つの難関が各所に待ち構えていて、メインイベントの『西の覗き』に向かってだんだん盛り上がっていく。七宝瀧寺本堂から1キロの道のり。

 

 元々は女人禁制の修行場であったが、昭和初期から女性も修行できるようになった。今回は、男の修験者・川勝さんの他に、4人の女性行者さんにお手伝いしてもらう。

 七宝瀧寺では月一回、山岳修行と滝行を合わせて体験できる、修験道修行一日体験を開催している。参加者の半分は女性。

 

 最終目的地までの1キロは、初めての人には大変とのこと。それを聞いて、「優しくしてくださいね。」とお願いするくっすん。逆に「はい、厳しくいくようにしますんで。」と川勝さんに返される。

 

 現世と修行場を分ける鳥居の前で、邪気・悪心を祓うため川勝さんが九字を切る。

午後3:10、鳥居を抜けて、修行開始。

  足場の悪い道を、ロープにつかまりながら進む。

 

修行開始から15分、1つ目の行場・地獄岩に到着。高さ約10メートルあり、クサリにつかまりながら登ってゆく。河田アナが先に登り、後に続くくっすん。「(クサリが)切れますよ。」とおっかなびっくりのくっすんだったが、意外にすんなり登る。

 

 引き続き、あっちこちに張ってあるロープにつかまりながら、険しい道のりを進む。途中、川勝さんがほら貝を吹きながら登る。ほら貝は邪気を祓うため、また修験者同士が連絡し合うために用いる。見た目以上に大きな音が出ることから、大げさなことを言う”法螺吹き”の語源ともいわれる。

 

修行開始から1時間、2つ目の行場・『蟻の戸渡り』に到着。その昔、蟻が一列になって進むように、修験者が一列となり壁を這って進んだことが名前の由来とされる。

 2人は、自分の手だけを頼りにタイガーロープをつたって、断崖絶壁の足場を進む。くっすんは、「河田さん、気をつけてくださいよ。落ちたら、もう死にますよ。」と注意を促す。昔偉らしからぬ?まるで冒険映画のワンシーン。

 

 最初は横方向に移動し、ちょっとした安全地帯でほっと一息。次にロープや岩に掴まりながら、縦方向に登っていく。だいぶ登って、体の向きを反転すると、登ってきた山のかなり高い位置にいることが分かる。山々の織りなす緑のパノラマ絶景を見て、「これが本来の日本の夏やなって気がしない?」と感慨にひたる河田アナ。

 

修行開始から1時間30分、3つ目の行場にして最後の難関・『西の覗き』に到着。この修行の意義は、崖から身を乗り出して恐怖心に打ち克つことで、精神を鍛えることにある。いわゆる”捨身の行”で、死を覚悟して崖から体を乗り出すことにより、仏の世界を覗く。

 

 行者の体を支えるのは、両肩に回した綱のみ。その綱は後ろで1本に束ねられ、川勝さんが操り、4人のか弱い女性行者さんに、綱と足を持ってもらう。

 

 まずは河田アナから挑戦。ほとんど上半身は、崖から飛び出している。高いところをあまり怖がらない河田アナも、落ちたら死んでしまうスリルで、声が上ずる。そして、川勝さんから次々に問いかけられ、本心をさらけ出す河田アナ。

 家族を大切にするか?ーーー大切にします。 仕事を一生懸命するか?ーーー仕事を一生懸命します。 親孝行するか?ーーー親孝行いたします。 また戻ってきて修行するか?ーーー修行します。

 まさに這う這うの体で、なんとか無事崖から引きあげられた。

 

 続いてくっすんの挑戦。と思ったら姿が見えない。なんと、すぐ近くの木の後ろに身を隠していた。河田アナの地獄な光景を見て、一層怖気づいたのだが、女性行者さんの「倍になるよ。」という言葉に、観念して投降する。

 いよいよ崖から身を乗り出すという直前、泣きそうな死にそうな声と顔になる。上半身が少し飛びだすと、恐くてそれ以上前に出れないくっすん。女性行者さんが無理やり突きだす。

 そして、川勝さんから次々に問いかけられ、本心?をさらけ出すくっすん。

 勉強一生懸命するか?ーーーはい。 仕事を一生懸命するか?ーーーはい。 また戻ってきて修行するか?ーーー。 また戻ってきて修行するか?ーーー嫌や。 はよーーーはい。・・・はいはいはい。

 なんとか無事?崖から引きあげられたくっすん。まだ修行が足りないかなという行者さんたちの会話を聞いて、もう十分だと2度とはやりたくない御様子。終わった後も、生々しく恐怖がよみがえり、「鬼や。」とスパルタな女性行者さんに言う。しかし、感謝の気持ちは忘れない。

 

 『西の覗き』を越えるとすぐ、

午後5:05、犬鳴山の山頂に到着。

 修行を終えての感想。くっすんは人を信用することが本当に難しいと思った。『西の覗き』で人に命を任せて、もし崖から落ちたらと悪い想像ばかりしていたけれど、引っぱって上にあがったとき、ちゃんと皆さんに支えられていたんだと分かった。だからもっともっと人を信用して生きていこうと。

 河田アナは修行全体を通して、命が危険にさらされる非日常的体験で、普通に生活していたは感じることができない感覚がいろいろあった。

 

 お世話になった修験者さんたちに感謝を述べ、30分かけて来た道を戻る。最後に12か所目の御朱印、犬鳴山七宝瀧寺の御朱印をいただき、12日目の旅を無事終えた。

 

■簡易チャート

スタート:大阪府京泉佐野市・JR日根野駅 → 奥農園 (1km) → 日根神社 (2.5km) → 『カフェテラス 空』 (8km) →ゴール:犬鳴山七宝瀧寺 (9km) → 地獄岩 → 『蟻の戸渡り』→ 『西の覗き』→ 犬鳴山の山頂