4月14日㈮

「令和5年4月の旅」3日目の朝は熊本から。

熊本市の中心街にある

エクストールイン熊本銀座通

を8時すぎにチェックアウト。


この日の天気予報では昼前から☔、空は曇り空

「銀座通り」を歩き

熊本市電が行き交う辛島町へ

熊本市電辛島町停留所の前には  

令和元(2019)年9月開業、複合商業施設   SAKURA MACHI Kumamotoと熊本桜町バスターミナル

*2021年7月、熊本桜町バスターミナルから産交バスが運行する

快速バス「たかもり号」 高森中央行き

に乗車

SAKURA MACHI Kumamotoの近くにある花畑公園、

名称から「頭の中がお花畑」を連想するのは私だけでしょうか?

花畑公園のある場所は、もともと加藤清正が熊本城を築いたときに城外に広大な御殿を設けた場所で、庭には種々の花木や草花が植えられていたため花畑御殿と呼ばれていたそうです。 推定樹齢600〜700年といわれる旧代継宮跡の大クスノキの迫力ある姿は必見です。 所在地 熊本市中央区花畑町6 駐車場 なし



熊本市指定天然記念物 旧代継宮オオクスノキ

推定樹齢600〜700年といわれる大クスノキ
花畑公園は加藤清正が熊本城を築いたときに城外に広大な御殿を設けた場所で、庭には種々の花木や草花が植えられていました。

クスノキの横には九重石塔


花畑公園の先からは昨年11月にも訪れた熊本城天守閣が見えます。


今回は城内(有料エリア)には入らず熊本城の周囲を歩きます。

御幸橋の側にある加藤清正像

御幸橋から坪井川沿いの遊歩道、「長堀通り」を歩きます。

対岸には重要文化財の熊本城長堀


平成28年熊本地震(2016年)では長塀の一部が倒壊、倒壊した馬具櫓の跡

馬具櫓は平成26(2014)年に復元完成、2年後の熊本地震で倒壊しました。
熊本城・市役所前〜通町筋 にて市電の撮影を試みるも、クルマが被さりうまく撮れません。


熊本城稲荷神社の前に来ました。

御朱印の受付は9時から、まだ開始前でした。

熊本城稲荷神社の道路を挟んだ向かいにある高橋公園へ

左には横井小楠を巡る維新群像、右には谷干城像

横井小楠を巡る維新群像

熊本出身の横井小楠と彼の親交のあった人物の銅像

左から、坂本龍馬、勝海舟、横井小楠(中央)、松平春嶽、細川護久


谷干城像


案内板によると

谷干城は天保8年(1837年)土佐藩士の家に生まれ.明治6(1873 )年から暫く熊本鎮台司令長官となりました。一度辞職しますが、明治9年に再び熊本鎮台司令長官となり、西南戦争では52日間にわたる薩摩軍との籠城戦に耐えて政府軍を勝利に導きました。この銅像は、昭和12年(1937年)に彫刻家朝倉文夫によって制作され、第二次世界大戦中に失われたものを、昭和44年(1969年)に再現したものです。明治100年を記念して再建したものです。

高橋公園内にはギリシャ神殿のような建物が

この建築物を記した碑文がありました。

高橋公園四門(アズマヤ)

本公園は、第7代熊本市長として大正の三大事業(歩兵第23連隊の移転、市電の開通、上水道の新設)をなしとげ、近代都市熊本のまちづくりの基礎を築かれた本市の名誉市民故高橋守雄先生の功績を称え昭和初年に開設された公園です。 故高橋守雄先生は、町村合併等により行政規模が拡大したのに伴い、大正12年12月手取本町の現市庁舎がある場所に庁舎を建設されました。以来その庁舎は約56年間にわたり本市のシンボルとして市民の皆様に利用され親しまれてまいりました。その間昭和20年7月1日の熊本大空襲による戦火や昭和28年6月26日の熊本大水害等の歴史的変遷に耐えた貴重な建物であります。昭和56年の新庁舎建設によりこの建物は解体されましたが、この貴重な建物を後世に残す為、ギリシャ神殿の様式を取り入れた往時の面影を残す玄関プロムナード部分を保存してまいりました。 この市庁舎玄関プロムナードを平成3年の飽託4町との大合併を記念して、熊本城一帯で開催されました「火の国フェスタ熊本 ‘93」にあたり、当時の第25代・第26代熊本市長田尻靖幹氏の手により熊本城周辺環境整備事業の一環として故高橋守雄先生ゆかりの当公園に平成5年9月四阿として復元されたものです。
高橋公園内四門には髙橋公園の由来を記した説明文と

第7代熊本市長 高橋守雄氏の胸像