令和5年(2023年)3月15日㈬

夜明け前の早朝、根岸線の始発に乗り横浜に来ました。

鉄道開業150周年記念ファイナル JR東日本パス を使用する旅から4日後、今回は今春最初の青春18きっぷを使用

*この前週の3月9日㈭〜11日の3日間は、鉄道開業150周年記念ファイナル JR東日本パス を使用した旅 でした。


当ブログではまいどおなじみ?東海道本線乗り継ぎ

721M   横浜454発 熱海行き

E233系10連+E231系5連の15両編成
車内が見た夜明けの海、根府川(600発)
終点の熱海616着

下り伊東線 5625M 529発 伊豆急下田行き

の伊豆急8000系は東急在籍時を思い出させるような無塗装車

伊東線及び伊豆急は昨年5月に乗車、今回は乗りません。


伊豆急下田方の3両はTB7編成 先頭はクハ8007

伊東方の3両はTB4編成 最後部はクモハ8254

熱海から先の東海道本線はJR東海

425M   熱海649発 浜松行き

211系3連+313系3連の6両編成

終点の浜松917着

2313F   浜松943発 新快速 大垣行き

313系6両編成 

浜松〜高塚、浜松工場で解体される211系が留置中

終点の大垣1147着

223F   大垣1212発 米原行き

313系4両編成

車内から見た停車中の関ヶ原(1225発)

終点の米原1246着
この先の東海道本線はJR西日本

3467M   米原1250発 姫路行き 223系12両編成
1343着の京都で下車、到着した5番線の昇降式ホームドアは昨年10月より使用開始

京都では改札を出ず

これから向かう長岡京は新快速通過駅、後続の普通列車に乗換え

777T   京都1354発 網干行き

223系8両編成
1405着の長岡京で下車

長岡京で下車するのは個人的には初めて、通過する新快速の車窓から眺めるだけ
長岡京駅西口、背後に見えるのは東口に建つ村田製作所本社ビル

こちらは長岡京駅東口

駅前にはD51形蒸気機関車の動輪と0系新幹線の車輪が展示されています。

東口には村田製作所本社ビルや三菱ロジスネクスト京都工場などの事業所があります。
実物車両も展示

車掌車のヨ8000形が目立たぬ場所にありました。

車体にも説明板にも表記がないため車番は不明、車体には消えかかった「シ630401」の表記


東口駅前にはこれから向かう勝竜寺跡への道しるべ

駅前から三菱ロジスネクスト京都工場と長岡第九小学校に挟まれた道、「ガラシャ通り」を歩きます。

長岡第九小学校のグラウンドには勝竜寺城公園をPRする横断幕

*勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)

現在の京都府長岡京市勝竜寺に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた近世城郭の原点として評価される。
勝龍寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても知られる。天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝龍寺城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。

天正10年(1582年)、本能寺の変の際に明智光秀方が占拠し拠点とした。変から数日後の山崎の戦いで敗走した光秀は、勝龍寺城に帰城するも、敵である羽柴秀吉軍の追撃を受け城を放棄、勝龍寺城の北門から脱出し、本来の拠点である近江国坂本城へ逃走する途中で死去。翌日に明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城している。
その後の勝龍寺城は羽柴方にあまり重要視されず荒廃し、慶安2年(1649年)に完全に廃城となった。

現在 では本丸および沼田丸趾が1992年(平成4年)に勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓などが建造された。往時の遺構としては、北門に当時の石垣の一部が残る。また当城の北東に位置する神足神社境内に土塁・空堀を復元している。 

wikipediaより引用
駅から歩くこと400m、神足神社に到着

神社に隣接して勝竜寺の土塁・空堀跡があります。









神足神社を参拝



社務所は閉ざされていました。御朱印の受付は長岡天満宮とのこと
勝竜寺城公園は神足神社から300m