
令和5年(2023年)3月15日㈬
夜明け前の早朝、根岸線の始発に乗り横浜に来ました。
鉄道開業150周年記念ファイナル JR東日本パス を使用する旅から4日後、今回は今春最初の青春18きっぷを使用
*この前週の3月9日㈭〜11日の3日間は、鉄道開業150周年記念ファイナル JR東日本パス を使用した旅 でした。


京都では改札を出ず

これから向かう長岡京は新快速通過駅、後続の普通列車に乗換え
777T 京都1354発 網干行き
223系8両編成

1405着の長岡京で下車

長岡京で下車するのは個人的には初めて、通過する新快速の車窓から眺めるだけ

長岡京駅西口、背後に見えるのは東口に建つ村田製作所本社ビル
駅前にはD51形蒸気機関車の動輪と0系新幹線の車輪が展示されています。
東口には村田製作所本社ビルや三菱ロジスネクスト京都工場などの事業所があります。

実物車両も展示
車掌車のヨ8000形が目立たぬ場所にありました。
車体にも説明板にも表記がないため車番は不明、車体には消えかかった「シ630401」の表記


東口駅前にはこれから向かう勝竜寺跡への道しるべ

駅前から三菱ロジスネクスト京都工場と長岡第九小学校に挟まれた道、「ガラシャ通り」を歩きます。
長岡第九小学校のグラウンドには勝竜寺城公園をPRする横断幕
*勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)
現在の京都府長岡京市勝竜寺に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた近世城郭の原点として評価される。
勝龍寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても知られる。天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝龍寺城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。
天正10年(1582年)、本能寺の変の際に明智光秀方が占拠し拠点とした。変から数日後の山崎の戦いで敗走した光秀は、勝龍寺城に帰城するも、敵である羽柴秀吉軍の追撃を受け城を放棄、勝龍寺城の北門から脱出し、本来の拠点である近江国坂本城へ逃走する途中で死去。翌日に明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城している。
その後の勝龍寺城は羽柴方にあまり重要視されず荒廃し、慶安2年(1649年)に完全に廃城となった。
現在 では本丸および沼田丸趾が1992年(平成4年)に勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓などが建造された。往時の遺構としては、北門に当時の石垣の一部が残る。また当城の北東に位置する神足神社境内に土塁・空堀を復元している。
wikipediaより引用
