令和5年(2023年)3月11日㈯


鉄道開業150周年記念ファイナル JR東日本パスを使用する旅の3日目、最終日は吉田から弥彦線に乗り弥彦に来ました。

駅から0.8kmの彌彦神社を参拝下後、再び弥彦駅へ

コチラの記事の続きです。

彌彦神社一の鳥居前の門前町にはこのような案内板

史跡 親鸞聖人清水

矢印に向かって進むと
上屋に覆われた井戸がありました。背後には竹藪

彌彦神社の参拝者は多かったが、このときにこちらを訪れる人は見かけませんでした。

案内板には

 浄土真宗の開祖親鸞上人が越後国配流中、弥彦神社に参拝して、当家に宿泊し家人の水に苦しむを憐み所持の杖で家の裏の地をついたら此の清水が湧き出たと伝えられる。尚、同上人参拝の折、次の歌を詠んで神助を祈ったという。

願はくは都の空に墨染の 袖吹き返せ椎の下風

弥彦村教育委員会 

との文とあります。 

*親鸞(1173 −1263 )

鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。親鸞聖人と称され、浄土真宗の宗祖とされる。

法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。

親鸞は「承元の法難」により承元元(1207)年に越後へ流罪、4年後のに建暦元年(1211)年に斜面されるもされるも越後に留まり布教活動を行なった。その越後滞在時に親鸞は弥彦神社を参拝、この地の庄屋宅に宿泊したと伝わる、そのときに親鸞が掘り当てたとされる井戸である。
清水と伝わる井戸です。

弥彦駅に向かう途上で見た弥彦山の遠景
弥彦村の「参宮通り」に建つ

登録有形文化財 旧鈴木家住宅

築200年を超える建物、現在は喫茶店とのことですが営業していないような様子です。
案内板には

明治11年(1878)年 明治天皇北陸御巡幸に際し、岩倉具視右大臣が宿泊 

明治15(1882 )年  同宅の醤油倉で現私立明訓高等学校の前身である弥彦明訓校が発足 

明治17(1884年)年  出雲大社管長 千家尊福氏が宿泊 

明治45(1912)年  弥彦大火発生。類焼をまぬがれ、その後現在の地に移築
弥彦駅に到着、再び弥彦線に乗車
267M   弥彦1149発 東三条行き

弥彦線は弥彦が起点、東三条が終点、よって弥彦始発が「下り」となります。
 
*JR東日本 弥彦線

弥彦〜東三条 17.4km(東三条〜越後長沢 7.9kmは1985年廃止)


 弥彦山の東麓から燕市の吉田地区と燕地区を経由して、三条市中心部に至る路線で、普通列車のみが運行されている。 全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「新潟近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の新潟エリアに含まれている。 弥彦駅 - 燕三条駅間の架線には吉田駅周辺を除き、JRの路線としては数少ない低コストの直接吊架式が採用されている。これは電化当時、国鉄が慢性的な赤字に陥っていたため、同じく1984年(昭和59年)に電化された越後線共々、コストダウンを求められていたことによるものである。残る燕三条駅 - 東三条駅間の大部分はシンプルカテナリー式で吊架されているが、最高速度は全線にわたって85 km/hに制限されている。  弥彦線は1985年3月31日まで、国鉄全路線で唯一、起終点両方の駅で他路線との接続がない路線であった。私鉄ではこういう形態の路線は決して珍しくないが、日本全国に鉄道網を広げていた国鉄では特殊なケースであった。同年4月1日に東三条駅 - 越後長沢駅間が廃止されたことで弥彦線はこのケースから外れた。
定期列車は、各駅に停車する普通列車のみである。 吉田駅を中心とした運行体制で、全線を直通運転する列車と、吉田駅発着の列車とでダイヤが編成されている。運行本数は弥彦駅 - 吉田駅間12往復、吉田駅 - 東三条駅間14往復、昼間以降の運行間隔は弥彦駅 - 吉田駅間がおおむね2時間毎、吉田駅 - 東三条駅間がおおむね1 - 2時間毎で、朝の通勤通学時間帯には30 - 60分間隔での運行が実施される。また越後線との直通運転は柏崎駅 - 東三条駅間の下り1本、東三条駅 - 出雲崎駅(土曜・休日・学休日は寺泊駅)間の上り1本で実施している。このほか、沿線の学校の行事や定期考査に合わせて時刻表に掲載されない臨時列車が設定されることがある。 1988年から全線においてワンマン運転が実施されている。2両編成の列車はワンマン運転となっており、無人駅の矢作駅・西燕駅・ 燕駅・燕三条駅の4駅の発着時には、ドア扱いは進行方向側の先頭車両でのみ実施される。弥彦駅 - 吉田駅間は臨時列車や繁忙期を除くすべての定期列車がワンマン運転である。吉田駅 - 東三条駅間は三条・燕の都市圏輸送力を確保するため、4両もしくは6両編成で運行され車掌が乗務する列車も多い。 吉田駅での越後線および東三条駅での信越本線との乗り継ぎは、下り方面、上り方面ともおおむね20分以内の乗り継ぎ時間が確保されているが、燕三条駅での上越新幹線との乗り継ぎは列車により大きなばらつきがある。

運用車両はE129系、2022年まではE127系電車 -115系も運用されていた。

wikipediaより引用
車両は

E129系A3編成2連

発車前にクロスシート窓側席は埋まるほどの乗客

矢作〜吉田

右から越後線が合流

1158着の吉田で下車

267Mは吉田で33分の長い停車、吉田からは列車番号を変えて

235M   吉田1231発 東三条行き

となります。

今回は越後線と弥彦線をセットで「乗り鉄」

弥彦線・弥彦〜東三条 17.4 km、ここまで弥彦〜吉田 4.9kmに乗りました。残る区間、吉田〜東三条 12.5kmは後ほど乗ることにして 越後線・吉田〜柏崎 49.8kmに先に乗ります。 

越後線・吉田〜柏崎は1日9往復、効率よく全線乗車するには本数の少ない区間を優先するプランを練りました。 

越後線の発車時間まで改札の外へ、この日二回目の吉田での乗換え

駅を跨ぐ陸橋から見た吉田駅、左奥に見えるのは先ほど乗った弥彦線のE129系

駅前、ほとんど人が歩いていません。

昭和の頃は賑わったのであろうか?

1日9往復の区間 越後線・吉田〜柏崎

138M   吉田1232発 柏崎行き 

138Mの次の柏崎行きは1544発の148M、3時間2分後  

その前は839発の134M、3時間53分前

*越後線・吉田〜柏崎は5年ぶりの乗車 

2018年5月 越後線を全線乗車