
令和5年(2023年)2月15日㈬
「令和5年2月の旅」は香川県に来ました。高松から
ことでん・JRくるり~んきっぷ 2000円
使用し、丸亀、琴平を訪れました。
高松琴平電鉄の琴電琴平駅から上り琴平線に乗車
*ことでん・JRくるりーんきっぷ
JR四国線(志度~高松~琴平間)とことでん全線が1日乗り降り自由のきっぷ。
発売額 2000円
発売期間 通年
利用期間 通年
有効期間 1日間
発売箇所 JR四国の駅のみどりの窓口、みどりの券売機プラス、ワープ支店および四国内の主な旅行会社、ことでん高松築港駅、瓦町駅、長尾駅、栗林公園駅、琴電琴平駅、琴電志度駅 高松駅、坂出駅及び丸亀駅の指定席券売機
利用条件 JR四国は、フリー区間(志度~高松~琴平間)の快速・普通列車の普通車自由席が乗り降り自由。 高松琴平電気鉄道は、電車全線が乗り降り自由です。 ※バスには乗車不可。
JR線で普通列車の普通車指定席またはグリーン車を利用の場合は、座席指定券、グリーン券が必要、JRで特急列車を利用の場合は、特急券等が必要

改札を抜けると1面2線のホームの両方には電車が停車中
次の発車は右に停車中の
上り琴平線
琴電琴平1612発 高松築港行き
1100形、旧京王5000系の1103-1104号編成
左に停車中の電車は
右に停車中は、旧京急700形の1200形、1203Fの四国計測工業ラッピング車

ホームの先へ


隣に停車中の1200形の前には元京急1000形(先代)の1080形、1083F2両編成が連結
1083+1084の京急時代の車番は1019+1020、昭和35(1960)年製、ことでんには平成2(1990 ) 年移籍、車齢63年

元京急車の異形式併結、京急沿線にて生まれ育った私には平日朝の12両編成通勤快特を思い出させます。
20世紀後半、3扉の1000形と700形が併結して走る光景を通学途中に毎朝見ていました。

乗車するのは旧京王車
琴電琴平から ことでん に乗車するのは11年ぶり
EX高尾の「全国鉄道完乗ルール」、既乗、路線でも前回乗車から10年以上経過しなら「乗り直す」
今回は10年以上乗っていない高松琴平電鉄の「乗り直し」です。
*2012年10月、高松琴平電鉄全線に乗車、このときは1083−1084編成にも乗っていました。

乗車した車両は高松方先頭車の1104、車内の製造名盤を見ると
昭和44(1969)年 東急車輌製
1104の京王時代の車番はデハ5072、琴電には平成9(1997)年に入線

1632着の滝宮で下車、この駅で下車するのは初めて

駅員氏に ことでん・JRくるりーんきっぷ を提示して改札を出ます。
大正15(1925)年築の駅舎、横の丸型ポストといい組み合わせです。
*滝宮駅
香川県綾歌郡綾川町滝宮にある、高松琴平電気鉄道琴平線の駅である。
相対式ホーム2面2線の地上駅。IruCa取り扱い窓口がある。綾川町役場の最寄駅である。琴平線の高松市外の途中駅においては唯一の有人駅である(昼間は無人駅になる)。途中下車指定駅。 当駅の駅舎は、1926年(大正15年)にことでんの前身・琴平電鉄が栗林公園 - 当駅間で開業した当時より使用され続けているもので、近代化産業遺産に認定されている。設計にあたっては関西の大手私鉄の駅が参考にされており、現在まで大きな改築はされていないが塗装は他の駅と同様のパステル調に塗られている。
wikipediaより引用

滝宮駅から滝宮八幡宮は徒歩5分

夕暮れの境内には誰もおらず静かでした。
*滝宮天満宮
香川県綾歌郡綾川町にある神社(天満宮)。
天満宮の祭神である菅原道真は886年(仁和2年)から890年(寛平2年)の間、讃岐守として讃岐国に赴任している。当天満宮が鎮座している場所は、かつて讃岐国国司の官舎(有岡屋形)が存在した場所といわれている。 毎年8月25日に行われる滝宮の念仏踊は、重要無形民俗文化財に指定されている。また、香川県で最も有名な学問の神様として多くの参拝者を集める。
886年(仁和2年) - 菅原道真が讃岐守として讃岐国に赴任する。讃岐国国府(現・坂出市府中)に近い瀧宮の有岡屋形と、讃岐国一宮の田村神社に近い坂田郷(現・高松市上天神)の橋詰屋形の2箇所の官舎に住んでいたという。 888年(仁和4年) - 讃岐国が大旱魃に見舞われる。菅原道真は住民を救う為に、7日間断食をし、祈雨の願文を捧げて祈祷したという(滝宮の念仏踊の始まり)。 890年(寛平2年) - 菅原道真が任を解かれ、帰京する。 903年(延喜3年) - 菅原道真が大宰府で没する。 948年(天暦2年) - 菅原道真を偲び、瀧宮の有岡屋形に、現在の滝宮天満宮を創建する。 1648年(慶安元年) - 高松藩藩主松平頼重が滝宮の念仏踊の保護を決める。 1741年(元文6年) - 社殿を修復する。 1822年(文政5年) - 境内、建物類を全面的に増改築する。 1873年(明治6年) - 讃州竹槍騒動(西讃の住民暴動)が発生する。滝宮天満宮に隣接していた龍燈院が滝宮村役場に使用されていたため、この騒動で放火される。滝宮八幡宮はその類焼で全焼。 1888年(明治21年) - 再建される
wikipediaより引用


ことでんの長尾線、志度線に乗るのは翌日に