大感激されたオーダートランク
中型の中折れ(蛇腹)タイプの革トランクです。
大感激されたので、私のコメントより頂いたメールを紹介します。
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門田殿
蛇腹式トランク完成待ちのTです。
>明日には届くと思いますので(雪の影響は無いと思います)荷物届きましたら
>仕様書(一緒に入れてあります)と照らし合わせの上、ご検品下さい。
水曜日に届きました。
検品しました。仕様書どおりです。
かなり凄いだろうと想像していましたが、実物は予想以上に凄かったです。
今まで見たこともない美しさと圧倒的な存在感で、見ていてため息が出ます。
私も革製品は色々と見てきましたし、それなりのものを所有していますが、
匠乃さんのトランクはレベルが違いすぎて比較になりません。
革製品はこういうものだと認識していた自分が恥ずかしいです。
動作も確認していましたが、今まで所有していた鞄とは次元が違います。
1.全体
まったく隙のない完璧といえる完成度です。
何時まででも見続けてしまいます。
3.革
しっとりした艶に硬いところは硬く、柔らかいところは柔らかい。
完成時にこれほどの美しさは、始めて見ました。
2.製法
直線と曲線が組み合わされた上を寸分たがわぬ正確さで縫われています。
なぜ、これほど美しいのか私の理解できる範囲にありません。
3.ベルト
しなやかでしっかしした感触です。ベルトを通すだけで楽しくなります。
4.内ポケット
マイバック :使うたびに使い難さにイライラしていました。
匠乃トランク:始めて使うのに自然な使い心地に驚きました。
大ポケットと小ポケットでポケットの硬さを変えてある気遣いが凄
いです。
信じられない使い心地の良さです。
5.握手
10年間使い続けている鞄よりも持ちやすいです。手にぴったりと吸い付くようで
す。
握手が倒れにくいように調整していただくように依頼しましたが、
絶妙はキツさとなっていました。素晴らしいです。ありがとうございました。
6.着脱式中敷
しなやかさと硬度とクッション性がこれ以上はないと思えるバランスで構築されています。
「すばらしい」の一言です。
それにしても美しいです。機能も使いやすいです。
これはニューヨーク近代美術館の永久保存品に追加するべきだと思います。
今回、仕事とプライベートの両方に使え、
高級感がありながら、使いやすく丈夫で修理可能な鞄を探して
匠乃さんのトランクに行き着きました。
実際、額が額なのでかなり迷いましたが、購入して良かったです。
これからは「旅行は全てこの鞄を使う。」と、ここに宣言します。
他の購入者さんの感想を見て大げさだと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
私も言わずにはいられません。
「この鞄、一生使わせていただきます。」
購入して数日ですが、既にりっぱな「相棒」となりました。
魂の入っている製品を所有するのは初めてです。
ワンオフで魂が入っている以上、この鞄に命名する必要があります。
この鞄の名前は「黒姫」としました。
この度は、すばらしい鞄をありがとうございました。
大切に、でも存分に使っていきたいと思います。
追伸:
鞄から、良い香りがします。
鞄を触ると、なぜだか気持ち良いです。
東京都 M.T
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黒ヌメ革に白のステッチで、引き締まった表情の蛇腹トランクです。
サイズ(内寸)
横 :475mm(455)
高さ:345mm(330)
幅 :190mm(170)+40mm
本体:牛ヌメ革ブラック
内装:ベージュ色ナイロン生地
パーツ:真鍮/亜鉛メッキ金色金具
把手/金芯中
内部:内装仕様皮革は素上げヌメ革
荷物固定ベルト(本体へ固定)
フタ内部ポケットへ焼印革タグ縫付け
フタ内部ポケット大1+小ポケット2
本体内5面に内部クッション
付属:中仕切(内装共生地、ベルト通し付、
クッション入れる)
ネームホルダー
ショルダーストラップ用Dリング(革フラップ
で隠す)
直線のステッチはミシン掛け、角部分などは手縫いで仕上げられます。
もっとたくさんの革トランクを紹介しているカタログはコチラ
なぜ革トランク屋になったのか?ってはなし
「80歳現役~祖父の革トランク」の続きです。
今日は、サラリーマン辞めてから豊岡の革トランク工場に出会うまでを書きます。
なので、革トランクが出てきませんが、ヨロシク。
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2:プロローグ~豊岡の鞄職人衆との出会い
【プロローグ】
欧州への短い留学から神戸へ戻ったのは、トランクのイメージが強い
「男はつらいよ」の寅さんが亡くなった年(英国で知りました)、
社会的には「民主党」が結成され、阪和銀行が経営破綻と未だバブル後
の経済不安定が続く年の秋でした。
それまで輸入卸業という、「海外で作られた製品を日本の市場へ紹介する」
という、既製品だけしか扱ったことがなかったのですが、無一文で戻って
来たため海外からモノを買い付けるような資本はありません。
当時、先に輸入卸で独立した先輩から「今から輸入卸をするなら1億は
ないと難しい」というような話を聞いておりましたので、貿易業なんて
さらさらやる気もありませんでした。
そこで、フランス滞在中に見つけてきた「ビニール製の花器」を、国内で
生産して販売しよう、という計画を立てました。
勤めていた会社は叔父の会社で、辞める時に「もう、ブランドの代理店
以外の一般婦人衣料の輸入卸は時代に合わない」と言って辞めていたため
同じことをするわけにはいきません。また、10年間勉強をさせてもら
った会社に不利益になるような(お客を取るとか、同じような商材で売上
を奪うとか)事業は考えてもいませんでした。
そこで、それまで興味のあった雑貨のビジネスを始めたわけです。
資金は、国民金融公庫からの借入。震災の二年前、サラリーマン時代に
姉と共同で婦人服小売業の会社を興し、当時もまだ続けていたため、その
信用もあり、初取引で国金の無担保融資を受けることが出来たのでした。
そんな感じで独立を果たし、花器などのインテリア雑貨の企画から始まり
その後、若者向けの服飾雑貨の企画で、作ってくれる工場を探したり、
新規の取引先開拓と慌ただしく時間が過ぎていきました。
独立当初からファッション専門業界紙や雑誌などで、商品が取り上げられ
その勢いもあり、二年目には自宅兼事務所から神戸ファッションマートと
いうファッション業界の会社を集めた事業ビルに、神戸市の家賃補助を受
け事務所を移転しました。
この頃に、取扱い商品がインテリア雑貨からファッション雑貨へと移って
いき、輸入卸時代から好きだったバッグを中心に商品展開をするように
なっていきました。
バッグは同じ神戸市内の工場、帽子などは西宮の工房で生産し、関西圏を
中心にセレクトショップへ卸していました。
また、当時は裏原宿がブームになりはじめた頃で、神戸でも同じような
イメージのトアウエスト地区に人が集まりはじめていました。
そんなときひょんなことから「サングラスショップ」を始めることとなり、
福井県鯖江の眼鏡メーカーから仕入れたサングラスのショップを、
トアウエストにオープンしました。
この時も、鯖江のメーカーへ出向き、生産工程や職人の技術、量産品と
職人手作りのものの違いなどを研究し、やはり自分が扱いたい商品は、
大量生産品ではない「心がこもったもの」だと考えていました。
サングラスを始めたことで、丁度商品を探していた神戸に本社のある
国内最大手のアパレル企業のブランドから、取引の声がかかりました。
このブランドだけで国内に60店舗以上、年間30億程の規模があります。
その後、3年程にわたりサングラス他様々な商品を納めさせて頂くこと
になりますが、この取引がきっかけで私が「革トランク」に絞り込んで
いく一因となります。
このブランドは、SPA型と言って、アパレルメーカーが自社開発した商品
を直接小売りするタイプのブランドでした。
小物までは企画開発が出来ないので、一部雑貨はうちのような企画会社
からブランドネームだけ変えて仕入れ販売をしています。
ブランドは大学生~OL向けの普段着を扱っていましたので、流行に敏感
に反応します。販売情報はレジ端末で本社へ集められ、週単位で商品の
発注が行なわれていました。
輸入卸時代の、一年先のシーズンのサンプルを集めて展示会で注文を取り
半年後に納品して、半年かけて消化していくというような悠長な商売では
ありません。
新商品も、新しい雑誌が出る度、芸能人がテレビで新しい雑貨を持つ度
に「こんな商品ない?」「こんな物作れない?」と連絡が入ります。
工場をけしかけて急いで納品した商品も、売れて追加の注文が続けば
ラッキー。大体は1~2回の納品でお終い。
ただ、売れ筋になったら怒濤の発注、納品が繰り返されます。
全ては店頭から上がってくる販売数と在庫と売上げ予測の数字から判断
されるのです。
なんだかなあ~、くるくる回る歯車になった気分。
壊れたら交換。そんな状態でした。
一時は、そのブランドの基幹店、原宿店の入口入って正面のメインの
棚を全部うちの商品で埋め尽くしたこともありました。
でも、1~2週で店の片隅に追いやられるんです。次に売れる商品を
提示出来なかったら。
そんな取引をしている時に、不良品が大量発生しました。
一つはヒョウ柄のアクリルスカーフ。韓国製でサンプル依頼から翌日
夕方には韓国からサンプル取寄せて商談、即発注で翌週中頃に商品セ
ンターへ納品という過酷なスケジュールでした。
翌週始めに値札などの準備を整え商品到着を待っていると、無事到着
はしたのですが、ヒョウ柄のプリントにフリンジ(端がブラシ状の紐
が出ているところ)が乗り、一部プリントが切れています。
完全なプリントミスです。
数千枚のスカーフで、翌日には出荷しないと週末店頭に間に合いません。
納品出来なければ、ペナルティーで損失補填を言われかねません。
ピンチ。
そこで非常手段です。
プリントの抜けた部分を、一カ所ずつ色を合わせたマジックペンで塗る。
徹夜で作業を終え、無事に納品をしましたが、バレるんじゃないかと
気がきではありません。見た目はほとんど分らないのでしたが。
結局、クレームは一件も発生しませんでしたが、
「こんな商品を扱っていて良いのか?」
「買う方も、流行で次々に買い替えるから気にしてないのか?」
「自分がやっている事、扱っている商品に胸を張れるのか?」
そんな疑問が次々に湧いてきました。何より、喜んで買っていかれた
お客様に申し訳ないという気分でした。
結局、そんな違和感を感じるようなビジネスは止めよう、ともう一件
キラキラの石付き時計でクレームが発生したところで、このアパレル
企業との取引を止める決断をしました。
スミマセン長くなって。革トランクの職人さんとの出会いはどうなった?
とお叱りを受けそうですね。
では、また続きを書きますね。
今日は、サラリーマン辞めてから豊岡の革トランク工場に出会うまでを書きます。
なので、革トランクが出てきませんが、ヨロシク。
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2:プロローグ~豊岡の鞄職人衆との出会い
【プロローグ】
欧州への短い留学から神戸へ戻ったのは、トランクのイメージが強い
「男はつらいよ」の寅さんが亡くなった年(英国で知りました)、
社会的には「民主党」が結成され、阪和銀行が経営破綻と未だバブル後
の経済不安定が続く年の秋でした。
それまで輸入卸業という、「海外で作られた製品を日本の市場へ紹介する」
という、既製品だけしか扱ったことがなかったのですが、無一文で戻って
来たため海外からモノを買い付けるような資本はありません。
当時、先に輸入卸で独立した先輩から「今から輸入卸をするなら1億は
ないと難しい」というような話を聞いておりましたので、貿易業なんて
さらさらやる気もありませんでした。
そこで、フランス滞在中に見つけてきた「ビニール製の花器」を、国内で
生産して販売しよう、という計画を立てました。
勤めていた会社は叔父の会社で、辞める時に「もう、ブランドの代理店
以外の一般婦人衣料の輸入卸は時代に合わない」と言って辞めていたため
同じことをするわけにはいきません。また、10年間勉強をさせてもら
った会社に不利益になるような(お客を取るとか、同じような商材で売上
を奪うとか)事業は考えてもいませんでした。
そこで、それまで興味のあった雑貨のビジネスを始めたわけです。
資金は、国民金融公庫からの借入。震災の二年前、サラリーマン時代に
姉と共同で婦人服小売業の会社を興し、当時もまだ続けていたため、その
信用もあり、初取引で国金の無担保融資を受けることが出来たのでした。
そんな感じで独立を果たし、花器などのインテリア雑貨の企画から始まり
その後、若者向けの服飾雑貨の企画で、作ってくれる工場を探したり、
新規の取引先開拓と慌ただしく時間が過ぎていきました。
独立当初からファッション専門業界紙や雑誌などで、商品が取り上げられ
その勢いもあり、二年目には自宅兼事務所から神戸ファッションマートと
いうファッション業界の会社を集めた事業ビルに、神戸市の家賃補助を受
け事務所を移転しました。
この頃に、取扱い商品がインテリア雑貨からファッション雑貨へと移って
いき、輸入卸時代から好きだったバッグを中心に商品展開をするように
なっていきました。
バッグは同じ神戸市内の工場、帽子などは西宮の工房で生産し、関西圏を
中心にセレクトショップへ卸していました。
また、当時は裏原宿がブームになりはじめた頃で、神戸でも同じような
イメージのトアウエスト地区に人が集まりはじめていました。
そんなときひょんなことから「サングラスショップ」を始めることとなり、
福井県鯖江の眼鏡メーカーから仕入れたサングラスのショップを、
トアウエストにオープンしました。
この時も、鯖江のメーカーへ出向き、生産工程や職人の技術、量産品と
職人手作りのものの違いなどを研究し、やはり自分が扱いたい商品は、
大量生産品ではない「心がこもったもの」だと考えていました。
サングラスを始めたことで、丁度商品を探していた神戸に本社のある
国内最大手のアパレル企業のブランドから、取引の声がかかりました。
このブランドだけで国内に60店舗以上、年間30億程の規模があります。
その後、3年程にわたりサングラス他様々な商品を納めさせて頂くこと
になりますが、この取引がきっかけで私が「革トランク」に絞り込んで
いく一因となります。
このブランドは、SPA型と言って、アパレルメーカーが自社開発した商品
を直接小売りするタイプのブランドでした。
小物までは企画開発が出来ないので、一部雑貨はうちのような企画会社
からブランドネームだけ変えて仕入れ販売をしています。
ブランドは大学生~OL向けの普段着を扱っていましたので、流行に敏感
に反応します。販売情報はレジ端末で本社へ集められ、週単位で商品の
発注が行なわれていました。
輸入卸時代の、一年先のシーズンのサンプルを集めて展示会で注文を取り
半年後に納品して、半年かけて消化していくというような悠長な商売では
ありません。
新商品も、新しい雑誌が出る度、芸能人がテレビで新しい雑貨を持つ度
に「こんな商品ない?」「こんな物作れない?」と連絡が入ります。
工場をけしかけて急いで納品した商品も、売れて追加の注文が続けば
ラッキー。大体は1~2回の納品でお終い。
ただ、売れ筋になったら怒濤の発注、納品が繰り返されます。
全ては店頭から上がってくる販売数と在庫と売上げ予測の数字から判断
されるのです。
なんだかなあ~、くるくる回る歯車になった気分。
壊れたら交換。そんな状態でした。
一時は、そのブランドの基幹店、原宿店の入口入って正面のメインの
棚を全部うちの商品で埋め尽くしたこともありました。
でも、1~2週で店の片隅に追いやられるんです。次に売れる商品を
提示出来なかったら。
そんな取引をしている時に、不良品が大量発生しました。
一つはヒョウ柄のアクリルスカーフ。韓国製でサンプル依頼から翌日
夕方には韓国からサンプル取寄せて商談、即発注で翌週中頃に商品セ
ンターへ納品という過酷なスケジュールでした。
翌週始めに値札などの準備を整え商品到着を待っていると、無事到着
はしたのですが、ヒョウ柄のプリントにフリンジ(端がブラシ状の紐
が出ているところ)が乗り、一部プリントが切れています。
完全なプリントミスです。
数千枚のスカーフで、翌日には出荷しないと週末店頭に間に合いません。
納品出来なければ、ペナルティーで損失補填を言われかねません。
ピンチ。
そこで非常手段です。
プリントの抜けた部分を、一カ所ずつ色を合わせたマジックペンで塗る。
徹夜で作業を終え、無事に納品をしましたが、バレるんじゃないかと
気がきではありません。見た目はほとんど分らないのでしたが。
結局、クレームは一件も発生しませんでしたが、
「こんな商品を扱っていて良いのか?」
「買う方も、流行で次々に買い替えるから気にしてないのか?」
「自分がやっている事、扱っている商品に胸を張れるのか?」
そんな疑問が次々に湧いてきました。何より、喜んで買っていかれた
お客様に申し訳ないという気分でした。
結局、そんな違和感を感じるようなビジネスは止めよう、ともう一件
キラキラの石付き時計でクレームが発生したところで、このアパレル
企業との取引を止める決断をしました。
スミマセン長くなって。革トランクの職人さんとの出会いはどうなった?
とお叱りを受けそうですね。
では、また続きを書きますね。
軽量、膨らむ!?タワー型トランク
本日ご紹介は、横浜からおいで下さいました方のご依頼で、「今使っているドイツのアタッシュケースが、非常に使いやすいので同じ物を作って欲しい」とのことでした。
ドイツの物は、既に日本では販売されてなく、輸入元ももう同じメーカーを扱っていないということで、長年慣れ親しんできて、会う人毎に「良い鞄ですね」と言われていたので、「ぜひ同じ様に作って欲しい」と依頼されました。
お使いの鞄は、ほとんど寿命に近いくらいボロボロで、なお現役なのでお預かりするわけに行きません。
入念にサイズ取りし、写真を撮り、内装のポケットなどのデザインとサイズを測りました。
このケースの最大の特徴は、裏表面(大きな面積の部分)が柔らかくて膨らむ事。つまり、少々中身のかさが大きくてもフタが閉まるのです。
木枠鞄の最大の欠点とも言える「中身が少しでも大きかったら、フタが閉まらない」という部分が見事に克服されております。
という事で、職人さんと充分に話合い、裏表面の板を強度を保持出来る範囲で穴を開ける事に。
これにより、だいぶんと重量も軽くなっています。
ポケットのある側は、ポケットの強度もありそんなに膨らみませんが、反対面は数センチ膨らみます。
これは作成途中に横から見た画像。そこが広いタワー型です。
いかがでしょうか?
納得の仕上がりで、もしかするとドイツ製をはるかに凌ぐ品質で完成したかもしれません。
もっとたくさんのトランクケースのカタログはコチラにあります。





