鞄産地豊岡との出会い
2:プロローグ~豊岡の鞄職人衆との出会い
今回は、豊岡の職人さんと出会うまでのプロローグが長いです。
ただ、私の商品企画に対する思いが作られる過程なので、暇つぶしがて
らにお読み頂ければ嬉しいです。興味なければ次回【豊岡へ】をお楽しみに。
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『匠乃革トランク』サイト
【プロローグ】
欧州への短い留学から神戸へ戻ったのは、トランクのイメージが強い
「男はつらいよ」の寅さんが亡くなった年(英国で知りました)、
社会的には「民主党」が結成され、阪和銀行が経営破綻と未だバブル後
の経済不安定が続く年の秋でした。
それまで輸入卸業という、「海外で作られた製品を日本の市場へ紹介する」
という、既製品だけしか扱ったことがなかったのですが、無一文で戻って
来たため海外からモノを買い付けるような資本はありません。
当時、先に輸入卸で独立した先輩から「今から輸入卸をするなら1億は
ないと難しい」というような話を聞いておりましたので、貿易業なんて
さらさらやる気もありませんでした。
そこで、フランス滞在中に見つけてきた「ビニール製の花器」を、国内で
生産して販売しよう、という計画を立てました。
勤めていた会社は叔父の会社で、辞める時に「もう、ブランドの代理店
以外の一般婦人衣料の輸入卸は時代に合わない」と言って辞めていたため
同じことをするわけにはいきません。また、10年間勉強をさせてもら
った会社に不利益になるような(お客を取るとか、同じような商材で売上
を奪うとか)事業は考えてもいませんでした。
そこで、それまで興味のあった雑貨のビジネスを始めたわけです。
資金は、国民金融公庫からの借入。震災の二年前、サラリーマン時代に
姉と共同で婦人服小売業の会社を興し、当時もまだ続けていたため、その
信用もあり、初取引で国金の無担保融資を受けることが出来たのでした。
そんな感じで独立を果たし、花器などのインテリア雑貨の企画から始まり
その後、若者向けの服飾雑貨の企画で、作ってくれる工場を探したり、
新規の取引先開拓と慌ただしく時間が過ぎていきました。
独立当初からファッション専門業界紙や雑誌などで、商品が取り上げられ
その勢いもあり、二年目には自宅兼事務所から神戸ファッションマートと
いうファッション業界の会社を集めた事業ビルに、神戸市の家賃補助を受
け事務所を移転しました。
この頃に、取扱い商品がインテリア雑貨からファッション雑貨へと移って
いき、輸入卸時代から好きだったバッグを中心に商品展開をするように
なっていきました。
バッグは同じ神戸市内の工場、帽子などは西宮の工房で生産し、関西圏を
中心にセレクトショップへ卸していました。
また、当時は裏原宿がブームになりはじめた頃で、神戸でも同じような
イメージのトアウエスト地区に人が集まりはじめていました。
そんなときひょんなことから「サングラスショップ」を始めることとなり、
福井県鯖江の眼鏡メーカーから仕入れたサングラスのショップを、
トアウエストにオープンしました。
この時も、鯖江のメーカーへ出向き、生産工程や職人の技術、量産品と
職人手作りのものの違いなどを研究し、やはり自分が扱いたい商品は、
大量生産品ではない「心がこもったもの」だと考えていました。
サングラスを始めたことで、丁度商品を探していた神戸に本社のある
国内最大手のアパレル企業のブランドから、取引の声がかかりました。
このブランドだけで国内に60店舗以上、年間30億程の規模があります。
その後、3年程にわたりサングラス他様々な商品を納めさせて頂くこと
になりますが、この取引がきっかけで私が「革トランク」に絞り込んで
いく一因となります。
このブランドは、SPA型と言って、アパレルメーカーが自社開発した商品
を直接小売りするタイプのブランドでした。
小物までは企画開発が出来ないので、一部雑貨はうちのような企画会社
からブランドネームだけ変えて仕入れ販売をしています。
ブランドは大学生~OL向けの普段着を扱っていましたので、流行に敏感
に反応します。販売情報はレジ端末で本社へ集められ、週単位で商品の
発注が行なわれていました。
輸入卸時代の、一年先のシーズンのサンプルを集めて展示会で注文を取り
半年後に納品して、半年かけて消化していくというような悠長な商売では
ありません。
新商品も、新しい雑誌が出る度、芸能人がテレビで新しい雑貨を持つ度
に「こんな商品ない?」「こんな物作れない?」と連絡が入ります。
工場をけしかけて急いで納品した商品も、売れて追加の注文が続けば
ラッキー。大体は1~2回の納品でお終い。
ただ、売れ筋になったら怒濤の発注、納品が繰り返されます。
全ては店頭から上がってくる販売数と在庫と売上げ予測の数字から判断
されるのです。
なんだかなあ~、くるくる回る歯車になった気分。
壊れたら交換。そんな状態でした。
一時は、そのブランドの基幹店、原宿店の入口入って正面のメインの
棚を全部うちの商品で埋め尽くしたこともありました。
でも、1~2週で店の片隅に追いやられるんです。次に売れる商品を
提示出来なかったら。
そんな取引をしている時に、不良品が大量発生しました。
一つはヒョウ柄のアクリルスカーフ。韓国製でサンプル依頼から翌日
夕方には韓国からサンプル取寄せて商談、即発注で翌週中頃に商品セ
ンターへ納品という過酷なスケジュールでした。
翌週始めに値札などの準備を整え商品到着を待っていると、無事到着
はしたのですが、ヒョウ柄のプリントにフリンジ(端がブラシ状の紐
が出ているところ)が乗り、一部プリントが切れています。
完全なプリントミスです。
数千枚のスカーフで、翌日には出荷しないと週末店頭に間に合いません。
納品出来なければ、ペナルティーで損失補填を言われかねません。
ピンチ。
そこで非常手段です。
プリントの抜けた部分を、一カ所ずつ色を合わせたマジックペンで塗る。
徹夜で作業を終え、無事に納品をしましたが、バレるんじゃないかと
気がきではありません。見た目はほとんど分らないのでしたが。
結局、クレームは一件も発生しませんでしたが、
「こんな商品を扱っていて良いのか?」
「買う方も、流行で次々に買い替えるから気にしてないのか?」
「自分がやっている事、扱っている商品に胸を張れるのか?」
そんな疑問が次々に湧いてきました。何より、喜んで買っていかれた
お客様に申し訳ないという気分でした。
結局、そんな違和感を感じるようなビジネスは止めよう、ともう一件
キラキラの石付き時計でクレームが発生したところで、このアパレル
企業との取引を止める決断をしました。
スミマセン長くなって。革トランクの職人さんとの出会いはどうなった?
とお叱りを受けそうですね。
では、次回に職人さんとの出会いを書きますね。
『匠乃革トランク』サイト
週末はフィリピン旅話〜その2
前回の記事から2週間あきましたが、フィリピン旅話その2です。
子供達から「まこと」が有名になり(理由は12/11の記事参照)、その後も村中で子供達が付いてきます。
そんな賑やかさから開放されたのは、午後の村人との交流会でした。
この交流会で、村の現状を聞くことが出来たのですが、覚えているのは
1)日本の船に魚を持って行かれること(朝の散歩で聞いていたのと同じ話)
2)村へ「日本でメイドとして働かないか?」と日本人が若い娘を捜しにくるが、
ちゃんと仕事させてもらえるのか?
という2点です。
実際はもっとディスカッションしたのかもしれませんが、何ぶん27年程昔の話です。資料もなく覚えておりませんです。
漁船の話は、日本の大手水産会社が政府役人に賄賂を渡し取引しているので、行政にクレーム言っても一切解決にならない、という政府への不満でした。
革命半年前、こんな田舎の村でも、マルコス政権への不満でいっぱいになっていたのでした。
日本人のスカウトの話については、丁度週刊誌などで「ジャパユキさん」という言葉がさかんに取り上げられてた頃で、「日本では一般的にメイドを使う習慣がないので、多分、バーで仕事させられて売春などもさせられる可能性があるから、そのような話には乗らない方が良い」というような助言をしました。
この人生初めてのホームステイは、蚊に刺された大きな痕と、日本人のアジアで行なっている行為へのモヤモヤした感情を残し、再びメトロマニラへのジプニーの旅に戻るのでした。
続きはメトロマニラ、スラム街でのホームステイへ~。
乞うご期待!
子供達から「まこと」が有名になり(理由は12/11の記事参照)、その後も村中で子供達が付いてきます。
そんな賑やかさから開放されたのは、午後の村人との交流会でした。
この交流会で、村の現状を聞くことが出来たのですが、覚えているのは
1)日本の船に魚を持って行かれること(朝の散歩で聞いていたのと同じ話)
2)村へ「日本でメイドとして働かないか?」と日本人が若い娘を捜しにくるが、
ちゃんと仕事させてもらえるのか?
という2点です。
実際はもっとディスカッションしたのかもしれませんが、何ぶん27年程昔の話です。資料もなく覚えておりませんです。
漁船の話は、日本の大手水産会社が政府役人に賄賂を渡し取引しているので、行政にクレーム言っても一切解決にならない、という政府への不満でした。
革命半年前、こんな田舎の村でも、マルコス政権への不満でいっぱいになっていたのでした。
日本人のスカウトの話については、丁度週刊誌などで「ジャパユキさん」という言葉がさかんに取り上げられてた頃で、「日本では一般的にメイドを使う習慣がないので、多分、バーで仕事させられて売春などもさせられる可能性があるから、そのような話には乗らない方が良い」というような助言をしました。
この人生初めてのホームステイは、蚊に刺された大きな痕と、日本人のアジアで行なっている行為へのモヤモヤした感情を残し、再びメトロマニラへのジプニーの旅に戻るのでした。
続きはメトロマニラ、スラム街でのホームステイへ~。
乞うご期待!
Mercedes-Benz 280SL用オーダートランク
Mercedes-Benz 280SL用に、特別に作られたトランクです。
2010年4月初旬にカタログ請求後、早速にお電話を頂き、大阪からご来社下さいました。
その時に乗って来られた Mercedes-Benz 280SL の後部座席にピッタリサイズ
のトランクを、ということで、まずは後部座席のサイズ計測から。
ご存知のように車の座席は真っ直ぐではなくカーブを描いています。
車載時にもふたの開閉をしたいということで、フタ開閉の遊びを計算に入れながらのサイズ取りです。
そこで決まったのが幅800mm-高さ420-厚み250です。
また、車載時にも開閉が出来るよう、フタはパイロットケースタイプ(上画像)の作りで、車の幌を開けた状態で車体に固定したまま鍵が必要とのことで、
バックルに鍵の付いたベルトで固定ということになりました。
フタの開閉に付いては、車載時は上画像の部分が開き、車に積んでいないときは下の画像のように通常のトランクのようにも開きます。下の画像で手前の鍵が3つ付いている面が、上画像のパイロット開閉する部分です。
どちらの向きで使う時にも対応出来るよう、内部の荷物留めベルトも縦横両方向に、それぞれ長さを調節出来るものが作られました。
そしてこれが車体に取付けるためのベルト。
両端を車体にネジ留めします。
ベルトのバックルが錠前になっており、車のトップをオープン状態の時でも荷物が盗まれないようにしてあります。
同型の Mercedes-Benz 280SL の写真です。
車をオープンにして、高原のドライブウエイをひたすら走りたいです。
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