「伝える」とは、自分の考えや誰かに言われたことを、
一方的に他方へ受け渡すこと。
主体は「自分」です。
一方向のコミュニケーションのため、
極端に言えば、相手がそれをちゃんと
受け取ったかどうかは関係ありません。
LINEやメールでのやり取りも伝える行為ですが、
「伝わった」と錯覚してしまう人がもの凄く多いです。
「伝わる」とは、自分の伝えたい事がきちんと
相手に通じている状態のこと。
主体は「相手」です。
双方向のコミュニケーションが取れていて、
相手も自分の考えに賛成かどうかは別にして、
こちらの意図は通じている状態です。
Webライティングでも、
「伝える」ではなく「伝わる」ことが大切です。
情報を発信しても読んでもらえなければ意味がありません。
こんなエピソードがあります。
ドナルド・キーン氏による太宰治「斜陽」の翻訳の話です。
キーン氏は、作中に出てくる「白足袋」を
「white gloves(白い手袋)」と訳しました。
日本人以外には意味不明の部分を、
英語文化圏のものとして意訳したということで
名訳ということになっています。
作品の中で「白足袋」が出てくるのは3か所。
《村の先生は、もうだいぶおとし寄りのようで、
そうして仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)
を着け、白足袋をはいておられた》
《お昼すこし前に、下の村の先生がまた
見えられた。こんどはお袴は着けて
いなかったが、白足袋は、やはりはいておられた》
《あくる日、村の名医が、また白足袋を
はいてお見えになり》
作者の意図は、
「村医者が、敗戦後の没落貴族である夫人を
往診する際、礼を尽くそうと白足袋を履いた」
ということです。
それを英語圏の読者に伝えようとしたら、
「White Socks」では伝わらない。
キーン氏は西洋式の正装である「白手袋」に
変えたといわれています。
白足袋を「White Socks」に変える語学力があっても、
文化や歴史・背景など、白足袋がどんな意味を表すのか
認識しないと意味がありません。
その上で、英語圏で対応するものは白手袋だろうと
判断する力がないと、
伝わるものも伝わらなくなってしまう、ということです。
キーン氏の逸話は、「伝わる」ための工程を分かりやすく
示してくれた一例です。
もちろん、小説「斜陽」の場合は文脈があるので、
白足袋がどんな意味を表すのか
ある程度分かるとは思います。
しかし、単純な翻訳では、
何かを「伝える」ことは出来るけど、
その何かが「伝わる」ためには
知識や経験が必要だということがわかります。
身の周りのものを手にとって、「伝える」ではなく
「伝わる」ためにどう訳すのか、考えてみることも
Webライティングに必要だと思います。
ちなみに、「White Socks」には
「キザな野郎」という隠れた意味もあったそうです。
次回第39回検定は11月26日、今年最後になります!
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