今回のボランティア・ファシリテータ講座に行くまで、
「グリーフサポート」と
いうのがどんなスタンスで行われるのか
よく知らなかった。
なんとなく想像していたのは、来た人の話を聞いたり
グループでセラピーを行うようなものだったのですが、
実際は参加者が自分の気持ちをより素直に感じるためのサポートとか
環境作りをするというものだった。

いや、もちろん、来た人の話は聞くのだけど、
聞き方が普段自分がしているような感じではなかった。
ファシリテーターは、参加者が大人でも子どもでも、
とにかく参加者の話を一切ジャッジせず聞く。行動もジャッジせず受けとめる。
サポートプログラム中はその姿勢を徹底するよう、教わった。

ジャッジ、というと悪い時にばっさりNOと言う、というイメージもあるのですが、
「悪い」、「ダメ」だけでなく「良い」というジャッジもしない。

例えば参加者の子どもが絵を描いたとして、
普段なら身近にいる子どもが絵を描き終わると
「○○描いたんだねー」「良いね」「すごいね」「かっこいいの描けたね!」等、
何気無く、褒めるようなポジティブな感想の声をかけがち。
(大人は子どもと接するときに、距離を縮めようとして
 無意識にそういう声掛けをしがちですよね。)

でも、それをしない。例えば
ファシリテータ「何の絵を描いたの?」
こども「○○描いた」
ファシリテータ「○○を描いたんだね」と、
相手の言葉を反復するリフレクションを徹底させる。

会話の時も、基本は全てリフレクション。
最初「相手の言葉を聞いたそのまま返します」と言われ、
それってどんな意味あるのかな・・・と思っていたのですが、
実際にロールプレイで交互に練習してみた時に、その良さが感じられました。

例えば
参加者役「最近だるくて、ずっと寝ていたいんです。」
ファシリテータ役「ずっと寝ていたいと思っているんですね。」
参加者役「何もかも面倒で、起きたくないんです」
ファシリテータ役「何もかも面倒で、起きたくないんですね」
と、一切のジャッジをされず、自分が何を言っても言ったままの言葉が
相手から返ってくる。
自分の今の状態をそのまま認められた様な気がして、
今の自分に対して「これで良いんだな」と、気持ちが楽になった。
また、自分の状態を反芻して、その理由とか、
今の状態を更に深く掘り下げる手助けをしてもらった気持ちになった。

普段の会話では、自分の意向が会話の相手の意向に少なからず左右されるものだけど、
相手の意向が一切入らない相槌を聞いていると、
気持ちがどんどん静かになって自分のことに気持ちがフォーカスしてくるのでした。

でもこれ、「きちんと聞いてもらっている」というのが感じられないと
逆効果な気もしたので、100%相手の言っていることに
耳を傾けるよう気をつけよう、と思いました。

あとこれ、日常的な友人との会話でやると話が全然進まなくなる。
(試してみてください)
この手法は、会話を進めるためのものではなく、自分の考えを確認したり、
より深めるためのものなのだと思います。

何でこういう風にするのか、
学んだことは(3)に続きます。

久しぶりのブログです~。すっかり夏ですね!←

5月末に自宅の引越をして、
6、7月は引越荷物の荷解き、
1学期まで通う事に決めた息子の幼稚園へ
片道1時間ずつかけて送迎、
それと並行して新しい幼稚園探し、
とあっという間に過ぎました(言い訳)
息子は療育を前と変わらずだいたい週1ペースで受けています。
それについてはまた書きます(、きっと)

7月20、26、27日にグリーフサポートせたがやの
ボランティア・ファシリテータ養成講座に参加してきました。

グリーフサポートせたがやはNPO法人です。

「哀しみに寄り添い「ともに生きる」コミュニティ作りを目指して、
グリーフ(大切な人やものを喪失したときの心身の反応)を抱える人を
サポートする活動を世田谷区で行っています。」
(グリーフサポートせたがやさんのFBより)

この講座、開催されることが分かってすぐに「受けたい!」と思い
申し込んだものの、いざ講座の日程が近づくと
迷ったり動揺したりして、気持ち的には正直
前日までちゃんと行けるか分からない状態だった。

私は2004年に親戚4人を犯罪で亡くしてから
自分なりに試行錯誤して、迷走して、
スピリチュアル方面から学んだりもして、
なんとなく自分の気持ちの整理を、
外堀からするみたいな感じで生活してきました。

でも死別に関するグリーフやグリーフケアについて、
直接学んだり接したりすることはありませんでした。
グリーフに関する自助グループなども
あるというのは調べて知っていたけど
講座や集まりに行く勇気が無く日々過ごしていた。

(◆)グリーフについてがっつり学んだり、
自助グループに参加したりしたら
大事な人を亡くしたことが本当になってしまう気がして・・・
って本当の事なんだけど、本当だと認めたくない気持ち。

それに、当時のことをを文字にしたり人に話したりしたら
改めて自分の受けた衝撃や感情を確認しないといけない。
それっていかにもしんどそう。辛そうだからしたくない。というので、
ずっとそういうことや場所を避けてきた感じ。

一言で言うと「現実逃避」なのだけど、
現実逃避し続けていたくてあんまり向きあってこなかった。(◆)
でも、今年に入ってから心の準備が出来てきたと感じるようになり、
3月末にベグライテンさんの講座に行って
グリーフサポートせたがやの活動を知り、
ボランティア・ファシリテータの養成講座を是非受けてみたいと思い、
申し込んだ。

けど・・・申し込んだ後も思考は(◆から次の◆)へループ。。
ぐるぐるして前日までぐるぐるし続けてました。
でも今は、本当に受けて良かったなーと思ってます。

講座で教わった事や感じたことは(2)へ続く!
先日「もうおなかの中に入りたくない、(食べられる時に)痛いから」
と言っていた息子。
赤ちゃんは食べられておなかの中に入るのではないと分かって
安心したようだったが、その後また別の疑問→推測が生じたらしい。

最近息子はちょくちょく
「●●(息子の名前)の頭の中に赤ちゃん入ってるの」
とか「犬さんの頭の中に赤ちゃん入ってるの」
と、「頭の中に赤ちゃんがいる」という主旨の
謎めいた発言をしていて、私の頭には疑問符がいっぱい。
でも数日前何故そんなことを言っているか分かった。


同じアパートに住んでいる数ヶ月前に
3人目のお子さんを出産された方を見て、息子が言ったのだ。



「あのねー、○○くん(その方のご長男)のお母さん、
頭から赤ちゃん出てきたの」



・・・な、なるほど!!
そういうことね。おなかの中に入っていた赤ちゃんは
だんだん上にあがってきて頭(のどこか)から出てくると思ったらしいのだ。

赤ちゃんの入り方はなんとなくわかった、
しかし今度はどう出てくるかが気になっていたらしい。

うーむ、面白いなー。想像力。

とりあえず頭から赤ちゃんがでてくるのは明らかに違うので、
「いや、下から、足の間から出てくるんだよー」
と言っておいた。

息子は「足の間!?」と言っていたけど取り合えず納得した風だった。

これは「赤ちゃんはコウノトリが運んで来てくれました」とか
「キャベツ畑からきました」とか
言って済ませたい気持ちが分かってくる・・・

でも今までちょっとずつ説明しているワードに
「コウノトリ」も「キャベツ」も出てきてないし、
もう聞かれたらその時理解できそうな範囲で答えて、
小学生くらいになったらどどんと説明しよう、と思った。