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シンガポール~熱帯先進国から見る世界

シンガポールで進出支援・会社設立・資産管理をお手伝いする代表者ブログ
常夏のシンガポールから、つれづれなるままにコラムをお届けしています

シンガポールは日本と違い、ワンルームの様な間取りの部屋はありません。
日本的に言うと3LDKとか4LDKとかそういった間取りが主流です。
しかし家賃は激高いです。
従いまして1つの家、というか日本的に言うと1つの部屋(ユニットと呼ぶ)に複数人が暮らすのは当たり前です。
これをシェアと呼んでいます。

日本でもシェアハウスと言うのが最近流行のようですが、それとは少し意味が違うかと思います。
こちらで家を借りようとすると、コンドミニアムであれば家賃が日本円で30万円、40万円は下りませんので、
コストを下げるためにシェアは日本よりも一般的です。

こちらのユニットではトイレ・シャワーの設備が最低2つはついてます。
マスタールームと呼ばれるメインの部屋は専用のシャワールームがあり、コモンルームと呼ばれるその他の部屋に住んでいる人用にもう1つシャワールームがあります。
マスタールームはその分家賃が高い。マスタールームはオーナーが住んで残りの部屋を貸すパターンも多いです。
借りる方は非常に古臭い言い方をすれば、風呂・トイレ共同ということですガーン
そういう環境なので単身者が中心です。カップルまではまだしも子供がいるとシェアはなかなか厳しいです。
ちなみにユニット全体の間取りは大きいので日本で考えるよりプライバシーは保たれます。


こちらは代表的な間取り。真ん中のbedroom2とbedroom3に住む人はシャワーとトイレをbath2で共同で使う。

来たばかりの日本人はなかなかこのシェアに慣れません。
私のまわりもシェアをしている人はあまりいません。
駐在員は会社の費用で1ユニットを借りきってくれるのでシェアはしません。
家族持ちや経営者もまずシェアをしません。
大きな声では言えませんが「シェアでなんて住むの嫌」という人も多いでしょう。
(貧乏くさいと思いますからね)

しかし私はシェアで住むのが嫌いではありません。
シェアで住む魅力とはなんでしょうか?

魅力1.コストが削減できる
まずはなんといってもこれです。コンドミニアムであれば1人暮らしでも3000ドル、日本円で25万円を払うのは容易ではありません。代わりに、シェアであればプールや事務付のコンドミニアムに住めます。

魅力2.誰かが家を管理してくれる
国際的なビジネスに携わっていると、出張が多い人がたくさんいます。
1人で住んでいると、不在の時に泥棒が入っても火事になっても、何の情報もわからないままになる可能性があります。誰かがいるということは、連絡がなければ何も起きていないという何よりの安心があります。

魅力3.急病の時に安心&寂しくない
万が一急に病気になった時、1人では誰にも発見されませんが、誰かがいると気づいてくれる可能性がありますね。異国の地で病気になって気づいてもらえず、後でひっそりと発見されるなんていうのは想像するだに恐ろしい事態です。話したい時に話す相手がいて、しかもコンクリートの部屋にこもれば意外と他の部屋の音は聞こえません。
都会暮らしにはメリットですね。

魅力4.ハングリーな原点を忘れない
これは皆に当てはまることではありませんが、金持ちの集まる国、シンガポールに住んでいると、ふとすると自分が分不相応にリッチな人間になったように錯覚することがあります。
しかし一方で、いろいろな国からチャンスを求めたくさんの若者が来ています。自分も元々チャンスを求めてこの国に来て、おそらく(少なくとも日本人としては)誰よりもハングリーだった訳です。
今も「攻め」側から「守り」側にまわるほど成功した訳でもない。
未来に向けて挑戦しているいろいろな国の人に負けたくない思いがあります。
シェアでいると常に異文化に触れ、勘違いする要素が減ります。つまり情熱が保たれますメラメラ(たぶん)。

と言うことで、あまり語られない「シェアの魅力」ですが、
参考になりましたでしょうか。

もちろん「シェアのデメリット」もたくさんあります。
オーナーや同居者との相性、は大事ですね。プライベートを充実させたい人にも向かないと思います。

※写真は私が住んでいるコンドミニアムのプール

とある、シンガポール人の話

彼女は夫婦で会社を経営しています。
昨年、シンガポールで約15坪のオフィスを購入しました
それまでは自社オフィス用として、長らく家賃を
払っていましたが、家賃がもったいないと考えて
買うことにしたそうです。

日本円で約8000万円、30年ローン。
月々の支払いが約25万円。
それでも家賃とあまり変わらないため、購入を決断したそうです。

しばらくすると、彼女は愚痴をこぼすようになりました。
「オフィスを買ったのは良かったが、これから毎月
ローンをずっと払い続けないといけない。
仕事が無くなったら、もしものことがあったら、
どうしよう。最近は不安で夜も眠れない…。
元々夫が買いたいと言ったから買ったのに」

私はいかにも日本人らしくアドバイスしました。
「人生はリスクは少ない方が良いよ。しかも家でなく
オフィスなんて、需要が限られる可能性がある。
いざという時に住むこともできない。
最近、シンガポールの不動産価格はピークを越えたと言われている。売れるうちに売った方が賢明では?」

彼女は暗い顔で
「そうかなあ、もし困ったらおたくの会社で雇ってね…」
私「いやいや、貴方は給与高すぎるから、笑」

そんな会話をしていました。

1か月後…
私「どう?オフィスは売りに出したの?」
「うん、今、1人買ってもいいという客がいるの。
とても迷っている。売るべきかな?売らないべきかな?」
私「それはわからないけど、日本人に聞いたら、
皆売るべきって言うよ、笑」

そしてその2週間後…
私「オフィスはけっきょく売れた?」
「ああ、売るのはやめた!あれから3人も買いたいという
人が現れて、よく考えたら売ってもローン返済があるから
手元に2000万円しか残らないし、また家賃を払い続ける
のなんてバカらしいわ。hahaha...」

変わるの早っ!えっと思いました。
しかし、こういったことの積み重ねが
シンガポールの現状であり
長らく不景気に慣らされてきた日本人との違いかなと
思った出来事でした。
最近シンガポール人とのビジネスをおこなう上で、
大変気になる、日本との商習慣の違いがあります。

それは人と
・会うのが先か、会うメリットを判断するのが先か
という点です。

日本でも見知らぬ人からアポを要請されれば
「貴方と会う意味はなんですか?」と聞くことはありますが
通常、紹介があったりビジネス上のつきあいがあれば
初対面でも会うものです。

「まず会って互いを知り、意見が合致したら先に
 進めましょう」
という暗黙の了解です。

しかしながらシンガポールでは逆です。
例えば
「東京で○○を探しているのだが誰か知らないか?」
私「その件を知っている人がいて紹介できるよ」
「ではまずその人と○○に関する情報をすべてください」

うーむ、会わずしてすべての情報を知りたいとは・・
そもそも知人は知人であって、社内の人間ではないですから
全ての情報を知るにはいろいろ聞かなければいけません
こちらもかなり面倒です。

私「先方もどの程度興味あるかわからないと情報を
  わざわざくれないよ」
「しかし、よくわからずに会って時間を無駄にしたら
 互いの損ではないか」

彼らは「ビジネスにもならないのにわざわざ会って、
向こうの時間を無駄にしたら申し訳ない」
と真剣に考えているので、上記のような会話になります。

日本的には、

・売込む側が先にメリットを提示して、買う側がそれを
吟味して合意すれば会う

という習慣であり、また知らない人に不必要な情報を
渡すのは機密保持の点でも問題があるため
売り込みでもないのに「先に情報を渡せ」と言われるのは
気分を害します。

その感覚は、こちらでは半分は正解で半分は不正解と
言えます。

需要と供給のバランスで、困っている方、
立場が弱い方がいろいろな努力をしないといけないのは
万国共通です。

しかしながら常に「お金を出す方が強い、売る側は弱い」
という感覚でシンガポールでビジネスをすると
頻繁につまづきます。

商習慣というのは体に染みついているので、このような
ことは経験しないとわからないものです。

少し違う話ですが、シンガポールに来た日本人が、
「シンガポールのサービスは悪い」と
愚痴を言っていることがありますが、根本的には
「お金を出す方が強い」という意識がありすぎると
ストレスがたまることになります。

日本は顧客サービスレベルは世界一と言われ、
「お客様は神様です」という言葉もありますが
国が違えば意識も変わります。
あまり自分の価値観にとらわれないようにしないと
疲れてしまいます。

何事も、過ぎたるは猶及ばざるがごとし

ということかもしれませんね。

こういった違いに気づくのも、おもしろいですニコニコ

最近、今更ながらスティーブ・ジョブズ(Steven Paul "Steve" Jobs)の本を読み漁っています。アップルの時価総額が一昨年に世界最高となりました。世の中には物を作ったり、石油を輸出したり、土地を所有したりしている企業は数多ありますが、その中で”Apple”という、言うなれば「企画」の会社が世界一になったというのが衝撃的でした。もちろん株式の評価額ですから、時価総額1位イコール世界最高の企業とは簡単には言えませんが、主に”頭から出てくるアイディア”を売りにした企業が世界一になるというのは今の時勢を象徴していると感じます。

私が生まれて初めて、いわゆる「パソコン」を親に買ってもらったのは1986年でした。小学生でありながら毎日のようにデパートのパソコン売場に入り浸って、やっと買ってもらったのです。当時はパソコンと言えばNEC、富士通、シャープというラインナップの中で、NECのパソコンを選択しました。アップルのマッキントッシュはまだ日本ではマイナーな存在で高価でした。特にファミコンが隆盛を迎える中で「ゲーム」をパソコンで遊ぶという目的では、マッキントッシュを買うという選択肢は皆無でした。パソコン自体が「マイコン」と呼ばれた新しい商品で、今のように誰でも持つ自体が来るとは夢にも思われていなかった時代です。
その後、メーカーごとに互換性のないマニアックなパソコンを作り続けていた中で、マイクロソフトがMS-DOS、そしてWindowsでこの世界の主導権を握り、ジョブズそしてアップルの復活という歴史を経る訳ですが、当時の私はそんな社会の未来について考えるほど大人でもなく、技術の進歩をただ「ユーザーとして」傍観していたのでした。

そしてiPod、iPhone、iPad・・と社会を変える存在となりAppleは2012年時価総額1位になった訳です。その間、約25年。私は子供のころからパソコンに慣れ親しんでいた癖に、全くそういった時代の流れを予測しても、関与してもいなかったのです。なんと盲目だったのでしょうか。もしタイムマシンで当時に戻れるなら、その道を極めるように自分を説得することでしょう。
このように、チャンスの芽は日常に転がっているものの、多くの人はその目に気づかないか、気づいても行動しないものです。過去については仕方がない、では未来についてはどうだろう?25年と言わず、向こう5年、10年でも大化けする分野はあるはずです。それはなんなのだろう、と考えてしまいます。

スティーブ・ジョブズも、ビルゲイツも、孫正義も、コンピューターが好きで、テクノロジーにわくわくして仕事をしていたに違いありません。彼らはお金や地位や名誉を、自分の大きな目的を達成するために使うことこそあれ、それ自体を目的にしてきたとは到底思えません。
Apple自体は「ジョブズ」のアイディアや行動に支えられた会社ですから、ひとりの人間の存在が、名だたる「実業」を営む会社を押しのけて1位になったというのは、それだけ世界が「Appleの登場で人々の生活が大きく変わった」と認めたことに他なりません。

うーん、これはすごいことです。ジョブズは皇族でも金持ちでも、資産家でもありませんでした。ジョブズは気性が激しかったり、冷たい人間だなどと言われることもありますが、もしジョブズがいなければ、私達がウォズアニックのことを知ることも、ジョン・スカリーがペプシのマーケティングをやっていた事なども知らずに一生を過ごしていたでしょうから、マイナスより大きなプラスを周囲に与えたことは疑いがありません。批判や誘惑をものともせず自分の道を突き進めるモチベーションは、金や名誉という物ではとうてい補えないでしょう。

1人の人間が世の中にどこまで影響を与えることが出来るのか、これは私達1人1人に平等に与えられた、壮大なロマンです。お金がない、家族がいる、時間がない、心配だ、いろいろな理由で私たちは自分の可能性に賭けることから容易に降りてしまう。
しかし、あきらめなければいけない理由はどこにもありません。今から真剣に取り組めば、道は違えど将来スティーブ・ジョブズになれるきっかけはあるはずです。

すべて当たり前のことですけど、皆さんのまわりはどうですか。前向きな話であふれていますか?私の周りは、そんな青臭い未来について語り合える相手は年と共にグッと減ってしまいました。だから最近、自分で自分をモチベートしています。

たとえどんなハードルがあっても最高の未来を作れるでしょう。そう、ジョブズならね…。