
4月15日、シンガポールにコワーキングスペース、Coworking Suite SQEA@Orchard(コワーキングスウィート・スクエア・アットオーチャード)をオープンいたしました。 「コワーキング」は比較的新しい働き方のコンセプトとして、日本では認知が広がってきていますが、シンガポー ルではまだ一般的ではありません。
私が今回、「コワーキング」をやりたかった理由はいくつかあります。まず、日本では長らく「組織」が「個人」より先に来る文化でした。それは今でも変わっていないかもしれませんが、シンガポールのような海外に来ると、会社の垣根を越えた交流というのは当たり前になってしまいます。日本ではなかなか会えないような大企業の幹部やアーティストであっても、気軽に席を囲めてしまう、海 外におけるそんな現象に新鮮さを覚えたからです。
「コワーキング」という単語をインターネットで調べると、デザイナーやIT企業家などのイメージで扱われているケースも多いようですが、私たちの描いているものは、よりco-workという語源に近い「共同で働く」という概念であり、業種も様々になります。今まで事業として日本企業の海外進出をサポートしてきましたが、海外に出て来るということはそもそも日本で優秀な実績を持った会社であることが多く、各々の得意分野を組み合わせると世界にも通用するようなアイディアや技術を持っていることが多いのです。それを有機的に組み合わせることによってビジネス の可能性は大きく広がるのではないか、そう考えています。私たちのシンガポールにおけるネットワークと、日本人・企業が本来持っている経営リソースをマッチさせれば、よりスムーズに進出が進むと考えています。
もう1つの理由は、経済の先行き不透明な世の中になって、ワーカーは将来への不安を強く持つようになっています。会社においては組織として働くことを余儀なくされますが、自分自身の将来を考えた時に、会社の枠をはずれても生きていく実力を身に付けたい、というニーズが高まっています。そして「会社の一員としての自分」と「個人事業家としての自分」の両立を模索した時に、会社の枠組みを越えた交流、というのは止めることのできない大きな潮流だと感じているからです。
これらの要素を組み合わせ、かつ海外で心細い環境であることを考えると、コワーキングスペースをやるべきと私は考えるに至りました。スムーズなシンガポールの拠点作りに、ぜひお役立てください。
会社でもコミュニティでも、そして家族でも、リーダーの行動がどれくらい納得性を持って組織に受け入れられているかは、とても重要です。
例えばリーダーが誰かをえこひいきする、収入がないのにお金ばかり使う、言ったことに行動が伴わない、といった批判を受ける状態だと、組織の中での納得性は著しく低下します。不満は高まり、そもそも誰がこの組織を作ったのか、組織が存続できる理由、リーダーのリーダーたる苦労などはすべて置き去りにされ、一事が万事で不平不満に繋がります。
逆にリーダーが非常に合理的な行動を取っている時は、組織の結束は強まります。大抵の問題は些細なこととしてスムーズに処理され、人々の関心は未来の可能性に向きます。リーダーの判断に対して組織の信頼がある状態です。
そこに更に、構成員一人ひとりの懐具合やモチベーション等の要因が加わり、社会のコンセンサスを形成しています。
さて今回そのような話を取り上げた理由は、なぜシンガポールが魅力的な国なのかを論じる時に「強いリーダーシップのもとで超合理的な統治が行われている」ことが、一番人の心をとらえるからです。私がさまざまな日本人とシンガポールの魅力について語った経験上、多くの方がこの点に感心します。
日本人は特に、合理的な判断を苦手としています。うまくいっている時の非合理的な判断は美談となり得ますが、厳しい状況での非合理的な判断は反発を招きます。今、日本国内で抱えている問題の多くは、合理的な判断が出来ないことが理由となっているのではないでしょうか。政治しかり、企業しかり、家族しかりです。
その点シンガポール政府は、時に冷酷なまでに合理性を求めます。リーシェンロン首相自ら「外国人労働者はシンガポールにとって調整弁にすぎない」と述べるなど、シンガポールの発展のためにあらゆるものを利用する、という考え方があります。政府のクリーンさ、透明性、効率性などを追求する一方、犯罪者には厳しい罰則を課すなど、国民が納得できる仕組みを作り上げることに余念がありません。そして実際に国民の支持も高いのです。
国も企業も、調子の良い時もあれば悪い時もあります。シンガポールは今調子が良いから何でも優れて見えるのだ、という点も無くはありません。しかし、この不確実な時代の中で、「自分や会社の未来をどこに託したら良いか」と考えれば、合理的な判断をおこなっているリーダーのもとで活動することはとても重要です。何か将来に困難が訪れたとしても、このリーダーなら乗り切るだろうという安心感があるからです。
さてこのコラムを読まれている方も、多くは組織のリーダーでいらっしゃるかと思います。組織を常に右肩上がりで率いることは、誰しもなかなか難しいでしょう。しかしリーダーとして常に合理的な判断を下すことは出来ます。多くの小国がシンガポールのようになりたい、と思ってもなれない理由は、この徹底した国家運営にあります。景気の良い国や資源に恵まれた国はたくさんありますが、シンガポールほど合理的かつ徹底した国家はできないのです。
国も企業も、動かしているのは「人」。シンガポールの揺るぎなき合理性は、私たちの組織運営にも多いに参考になるのではないでしょうか。
例えばリーダーが誰かをえこひいきする、収入がないのにお金ばかり使う、言ったことに行動が伴わない、といった批判を受ける状態だと、組織の中での納得性は著しく低下します。不満は高まり、そもそも誰がこの組織を作ったのか、組織が存続できる理由、リーダーのリーダーたる苦労などはすべて置き去りにされ、一事が万事で不平不満に繋がります。
逆にリーダーが非常に合理的な行動を取っている時は、組織の結束は強まります。大抵の問題は些細なこととしてスムーズに処理され、人々の関心は未来の可能性に向きます。リーダーの判断に対して組織の信頼がある状態です。
そこに更に、構成員一人ひとりの懐具合やモチベーション等の要因が加わり、社会のコンセンサスを形成しています。
さて今回そのような話を取り上げた理由は、なぜシンガポールが魅力的な国なのかを論じる時に「強いリーダーシップのもとで超合理的な統治が行われている」ことが、一番人の心をとらえるからです。私がさまざまな日本人とシンガポールの魅力について語った経験上、多くの方がこの点に感心します。
日本人は特に、合理的な判断を苦手としています。うまくいっている時の非合理的な判断は美談となり得ますが、厳しい状況での非合理的な判断は反発を招きます。今、日本国内で抱えている問題の多くは、合理的な判断が出来ないことが理由となっているのではないでしょうか。政治しかり、企業しかり、家族しかりです。
その点シンガポール政府は、時に冷酷なまでに合理性を求めます。リーシェンロン首相自ら「外国人労働者はシンガポールにとって調整弁にすぎない」と述べるなど、シンガポールの発展のためにあらゆるものを利用する、という考え方があります。政府のクリーンさ、透明性、効率性などを追求する一方、犯罪者には厳しい罰則を課すなど、国民が納得できる仕組みを作り上げることに余念がありません。そして実際に国民の支持も高いのです。
国も企業も、調子の良い時もあれば悪い時もあります。シンガポールは今調子が良いから何でも優れて見えるのだ、という点も無くはありません。しかし、この不確実な時代の中で、「自分や会社の未来をどこに託したら良いか」と考えれば、合理的な判断をおこなっているリーダーのもとで活動することはとても重要です。何か将来に困難が訪れたとしても、このリーダーなら乗り切るだろうという安心感があるからです。
さてこのコラムを読まれている方も、多くは組織のリーダーでいらっしゃるかと思います。組織を常に右肩上がりで率いることは、誰しもなかなか難しいでしょう。しかしリーダーとして常に合理的な判断を下すことは出来ます。多くの小国がシンガポールのようになりたい、と思ってもなれない理由は、この徹底した国家運営にあります。景気の良い国や資源に恵まれた国はたくさんありますが、シンガポールほど合理的かつ徹底した国家はできないのです。
国も企業も、動かしているのは「人」。シンガポールの揺るぎなき合理性は、私たちの組織運営にも多いに参考になるのではないでしょうか。
前回のコラム--仕事が「デキる」ってどういうことだろう?@シンガポール--からの続きです
昨日は空気を読もうとしてしまう日本企業での働き方に対し、シンガポールの企業ではオープンなディスカッションが好まれる傾向であることを書きました。
例を挙げましょう。「会社のロゴを新しくする、何色の文字にするか」というテーマで会議があったとします。
1. 日本的な「空気を読む」会議の場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の忌憚なき意見を聞きたい」
A「青ですか、なかなかいいと思います」
B「うちの事業内容からすれば青系は無難ですね」
C「特に問題は感じません」
社長「よし、皆の意見を聞いて私も確信した。青で行こうか」
→つまり、会議とは「確認の場」であり上意下達という雰囲気です
2. シンガポール的な「意見をはっきり言う」会議の場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の意見を聞きたい」
A「青はちょっとセンスないのでは?なんで青なんですか?」
社長「青はこの業界の定番の色だからだ。ロゴにセンスなんか関係ないだろう?」
B「特に何でもいいです」
社長「意見ない人間はやる気ないのか。もっと仕事しろ」
C「青は暗い雰囲気だから赤がいいのでは?情熱的だし私は赤が好きだし」
社長「うーん、赤も悪くないけどねえ」
→皆、言いたい放題。しかしなんとなく話は進んでいきます
もしこの社員達が逆だったらどうなるでしょう?
1. 日本的な「空気を読む」会議にシンガポール人「意見を言う」社員が出た場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の忌憚なき意見を聞きたい」
A「青はちょっとセンスないのでは?なんで青なんですか?」
社長「君、言葉を慎みたまえ。青には理由があるのだ」
B「特に何でもいいです」
C「青は暗い雰囲気だから赤がいいのでは?私は赤が好きだし」
社長「君たち、真面目にやる気があるのか!?」
…となるでしょう。次回から会議は開かれないかもしれません
2. シンガポール的な「意見をはっきり言う」会議に日本的「空気を読む」社員が出た場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の忌憚なき意見を聞きたい」
A「青ですか、なかなかいいと思います」
B「うちの事業内容からすれば青系は無難ですね」
C「特に問題は感じません」
社長「おい、同じ意見しかないのか?アイディアが欲しいのに仕事が進まないじゃないか…」
…と思うかもしれません。まあ背景がないので実際は本音だと誤解するでしょう
以前コラムで書いたように、シンガポールの会社で円滑に仕事を進めるには声が大きくないといけません。言われた方はそれに従うか、自分の意見を主張して認めさせなければいけません。
私の知っている限り、シンガポールの会社の文化は、上下関係は希薄、横のつながりも希薄、個人プレイ重視、です。
良い、悪いの問題ではありません。文化の違いです。
若い人がのし上がっていくには、シンガポールの会社は風通しの良い文化と言えるでしょう。
しかし弱肉強食の社会で仕事ができないと、風当たりも容赦ありません。
日本のような横並び意識のない、かつ多民族な社会で「仕事がデキる」と思われるには、
自分の主張を認めさせ結果を残す、というタフさが必要ですね
本来、仕事が「デキる」条件とは、会社の売上を上げるとか煩雑な仕事を効率化するなどの明確な結果を伴うものですが、それ以前に自分の意見を形にしないといけません。そのプロセスが日本とシンガポールは違うため、仕事がデキる条件も全く違うものとなります。国境をまたいで仕事する場合は、文化への変化・対応が求められるのです
昨日は空気を読もうとしてしまう日本企業での働き方に対し、シンガポールの企業ではオープンなディスカッションが好まれる傾向であることを書きました。
例を挙げましょう。「会社のロゴを新しくする、何色の文字にするか」というテーマで会議があったとします。
1. 日本的な「空気を読む」会議の場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の忌憚なき意見を聞きたい」
A「青ですか、なかなかいいと思います」
B「うちの事業内容からすれば青系は無難ですね」
C「特に問題は感じません」
社長「よし、皆の意見を聞いて私も確信した。青で行こうか」
→つまり、会議とは「確認の場」であり上意下達という雰囲気です
2. シンガポール的な「意見をはっきり言う」会議の場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の意見を聞きたい」
A「青はちょっとセンスないのでは?なんで青なんですか?」
社長「青はこの業界の定番の色だからだ。ロゴにセンスなんか関係ないだろう?」
B「特に何でもいいです」
社長「意見ない人間はやる気ないのか。もっと仕事しろ」
C「青は暗い雰囲気だから赤がいいのでは?情熱的だし私は赤が好きだし」
社長「うーん、赤も悪くないけどねえ」
→皆、言いたい放題。しかしなんとなく話は進んでいきます
もしこの社員達が逆だったらどうなるでしょう?
1. 日本的な「空気を読む」会議にシンガポール人「意見を言う」社員が出た場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の忌憚なき意見を聞きたい」
A「青はちょっとセンスないのでは?なんで青なんですか?」
社長「君、言葉を慎みたまえ。青には理由があるのだ」
B「特に何でもいいです」
C「青は暗い雰囲気だから赤がいいのでは?私は赤が好きだし」
社長「君たち、真面目にやる気があるのか!?」
…となるでしょう。次回から会議は開かれないかもしれません
2. シンガポール的な「意見をはっきり言う」会議に日本的「空気を読む」社員が出た場合
社長「今度うちのロゴを変えようと思う。こんな感じで私は青色のロゴがいいかなと思うのだが、皆の忌憚なき意見を聞きたい」
A「青ですか、なかなかいいと思います」
B「うちの事業内容からすれば青系は無難ですね」
C「特に問題は感じません」
社長「おい、同じ意見しかないのか?アイディアが欲しいのに仕事が進まないじゃないか…」
…と思うかもしれません。まあ背景がないので実際は本音だと誤解するでしょう
以前コラムで書いたように、シンガポールの会社で円滑に仕事を進めるには声が大きくないといけません。言われた方はそれに従うか、自分の意見を主張して認めさせなければいけません。
私の知っている限り、シンガポールの会社の文化は、上下関係は希薄、横のつながりも希薄、個人プレイ重視、です。
良い、悪いの問題ではありません。文化の違いです。
若い人がのし上がっていくには、シンガポールの会社は風通しの良い文化と言えるでしょう。
しかし弱肉強食の社会で仕事ができないと、風当たりも容赦ありません。
日本のような横並び意識のない、かつ多民族な社会で「仕事がデキる」と思われるには、
自分の主張を認めさせ結果を残す、というタフさが必要ですね

本来、仕事が「デキる」条件とは、会社の売上を上げるとか煩雑な仕事を効率化するなどの明確な結果を伴うものですが、それ以前に自分の意見を形にしないといけません。そのプロセスが日本とシンガポールは違うため、仕事がデキる条件も全く違うものとなります。国境をまたいで仕事する場合は、文化への変化・対応が求められるのです