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シンガポール~熱帯先進国から見る世界

シンガポールで進出支援・会社設立・資産管理をお手伝いする代表者ブログ
常夏のシンガポールから、つれづれなるままにコラムをお届けしています

昨日、シンガポールの新聞
The Straits Times(ストレーツタイムス)に日本からの
企業進出の特集記事があり、私のコメントが掲載されました
(赤線部分です)


$シンガポール~熱帯先進国から見る世界


記事全体の内容は、日本から様々な企業がシンガポール
に進出しているという内容です

私のコメントの中身は、「2010年後半から、日本を出たいと
いう起業家の動きが顕著になり、シンガポールを訪れる人
が増えました。震災後は特にその傾向が強まっています。
また特に女性であってもシンガポールで独立し、事業を
開始するという方も多くなっています」


またコワーキングスペースの経営を通じて、日本の起業家
がすぐに事業をスタートできる環境を作っています

という内容です

手前味噌ですが、日本からの進出が現地で話題になっています
ご参考までに
ニコニコ
Newsweek日本版の「息切れ クールジャパン」特集
を読みました

クールジャパンという単語が叫ばれるようになって久しい
ですが、はたして日本は今、Coolなのでしょうか?

日本の文化は世界に誇るべき素晴らしいものです、
それは疑いようがありません。
国家を挙げて日本文化を海外に売り出そうとしており、
シンガポールはその主戦場の1つです。
ただ、国家として成果を上げていると言えるのでしょうか
疑問が湧きます。

私の知っているアニメ制作会社は、世界中に拠点を作り
国際的なアニメを日本クオリティで制作しています。
しかし財政の内情は火の車です。
シンガポールのAKBショップも人気があるとは言い難い。
縮小方向のようです。
少なくともシンガポールでは韓国のアイドルグループの
方が人気でしょう。

ジブリのアニメが世界的に大ヒットしたのはもう10年前。
日本のマンガやアニメ、カワイイといった分野は一定の
ファンが存在しますが、世代交代も進み、一時の勢いは
なくなってきています。
ゲーム産業については完全に置いて行かれました。
私自身は日本の”萌え”的な価値観や、ゆるい文化を
今後発信していきたいと考えており、日本の小説家や
アニメ会社とも連携していますが、国家を挙げての
クールジャパンという取り組みには懐疑的です。

昔はゲーム大好きだった私の立場から言わせてもらうと、
そもそもゲームにしてもアニメにしても、一部の
そればかりを愛している「マニア」の世界であった間は、
独創的な世界が生まれてきた訳ですが、大企業化し、
産業化し、さらに国策などと言い始めれば、
インディーズ的な良い作品は生まれてきません。
現状の「クールジャパン」プロジェクトも、
*大手広告代理店への偏った投資に終始し、本当に実力の
あるコンテンツを育てているのかという批判もあります。

※海外で評価の高い現代美術家の村上隆は、2012年に
自身とクールジャパンとの関係性を全面否定し、
「クールジャパン」の語も広告会社のキャッチコピー
であり、外国では誰も言っていないと批判した。
(Wikipediaより)


またNewsweekにはテレビ界で海外からの「パクリ」が
日本で横行しているという指摘があります。
AKBなど歌手として実力が疑問視されているアーティスト
を、国家が後押しして世界に広められるのかという
指摘もあります。コンテンツ産業として日本が世界で
台頭していくためには、日本で売れたものを収益源開拓の
ために外に出すという発想から、
再度、世界で通用するコンテンツをしっかり育て、
デビューさせていくというサイクルに変える必要が
あるのかもしれません。

本来、日本の文化を海外に広めるという観点から
ビジネスチャンスを模索するのは、私たち海外在住邦人の
得意分野でもあります。
ただ、「ビジネスになるのか?収益になるのか?」という
視点で見てしまうと、「クールジャパン」というキーワードは
海外で日々生きるためにビジネスと格闘している私たちに
とっては、相当に心もとない。

また記事にもありましたが、そもそも自分たちのものを
「クール」と呼んでしまうセンスも恥ずかしいものがあります

このままでは、「世界に日本ブームがきっとクール」
と言いながら、クールジャパンプロジェクトは終わってしまう
かもしれないですね。何とかしたいものです。

参考:
海外に広がるJ-POP、ブームは定着するか
クール・ジャパン なぜ韓流に出遅れたのか?

弊社WCC Solution PTE LTDでは、日本文化を海外に積極的に
広める新事業を、間もなく開始する予定です

$シンガポール~熱帯先進国から見る世界
写真はシンガポールを走るクールジャパン・広告バス
(AKB)
さて、前回は挑戦することの重要性に触れましたが、
個人が起業するにしても、企業が新規事業を始めるに
しても、今まで守っていた人が突然攻めに出るのは
簡単ではありません。

企業の新規事業進出や個人の起業に長く携わってきた
身として私が言えるのは、新しい分野に出ていって
意味のあるパターンは、大きく分けて次の2つに
なるかと思います。

1.時代の潮流に乗っている分野に進む(ブームに乗る)
2.今までやってきたことを生かせる分野を選ぶ


これはどちらが正解という訳ではなく、好みや方針で
決めていくものです。

まず考えなければいけないのは、自分が何者であるかを
知るということです。

思えば、自分が何をしたいのか、そして何ができるのかを
突き詰めて考える機会は、日常の中ではありません。
多くの人がそうであるように、学校を卒業して何となく
就職し、割り当てられた部署で上から与えられた業務を
やっているだけでは、
あるいは過去の成功パターンに沿って日々予定を埋めて
忙しくしているだけでは、
自分に何ができるのかを真に知ることはできません。

もともと日本の教育制度は、社会に出た後のことを
真剣に考える機会が不足しています。資格を必要と
するような専門性の高い仕事を除くと、自分に何が
適職であるかを知ることは簡単ではありません。
ですからまずは自分をしっかり分析し、得意・不得意
分野の棚卸しをします。企業であってもそれは同じで、
自社の現状とキャパシティを正しく知るということは、
新しい分野に踏み出す上で一番大事なことです。

少し脱線しますが、私がお手伝いさせて頂いている
日本の優秀な経営者の多くは、決して高学歴では
ありません。しかし若い頃に自分が何をなすべきかを
真剣に考えて実行し、その結果得意分野を作られた方が
多いのです。決められた人生のエスカレーターに乗らず
(あるいは乗れず)、真剣に自分と向き合った人が、
結果的に成功しているのではないかと考えています。

さて、次に大事なのはモチベーションです
新しいことを成し遂げようという強い意志がどれだけ
あるか。モチベーションこそが新しい分野を開拓し、
行動に移す源泉となります。
モチベーションは新しい分野に進んだ後もずっと
付き合っていく、大事なパートナーですから
その井戸を枯らさないように掘っておかないといけません

ここでよく間違えてしまうのは、まず自分を知った上で、
次にモチベーションと持ってくるべきところを、
新しいことをしたいというモチベーションを優先して、
自分を知るという作業を後回し(あるいは置き去り)に
してしまうことです。
これは傍から見ると無謀な賭けにしか見えません。
そして結局完遂できないので、まわりの人間を振り回して
終わってしまうことが多いのです。

新しいことに挑戦する際には、必ず自己分析を
先に行うことです。

自分自身を知り、モチベーションを確認し、そして
どのような分野に出ていくべきかが固まれば、
後は実行するのみとなります。


宋文洲さんがコラムで面白いことを書かれています。
それは「うまく負ける」ことの重要性です。
http://www.soubunshu.com/article/276465530.html
そもそもこの文章を書こうと思ったきっかけは
宋さんのコラムを読んだことでした。

シンガポールでは、お金をかけてオープンした飲食店が
わずか2,3か月でなくなることも珍しくありません。
日本的な感覚では、コストをかけた店を2か月程度で
閉めてしまっては、負債のみ残ってしまいますし、
また世間的・社内的にもダメージが大きいので
よっぽどのことがないと困難です。
しかし華僑の国であるシンガポールではたびたび
起きることです。

挑戦を良しとする人は、その分、撤退も躊躇なく
おこなうことができます。
日本ではどうでしょうか。
一度始めたことは途中であきらめてはいけない。
そして失敗するとまわりから非難され、資金も減って
しまって誰も助けてくれない。
そんな悲壮感漂う挑戦ストーリーが多い気がします。
それは前回書いたような、長年の気質から生まれる
感情でしょう。

失敗を想定しない挑戦はただのギャンブルです
新しい可能性に心を入れ込みながらも、頭の片隅には
失敗を想定した準備を怠らない。
それが、私がシンガポールで学んだ挑戦の方法です。
かくいう私も偉そうなことは言えず、いろいろと痛い目に
合ってきましたが、常に最悪のケースを想定することに
よってなんとか乗り越えることができました。

挑戦とは常に失敗を伴うもの。
その時に「うまく負ける」ことを知っていれば、
ダメージは最小限に抑えることができます。
日本人が挑戦を苦手とするのも、その負け方を
よく知らないからではないでしょうか

気張らずにうまく負けましょう。
その先にはより大きなチャンスが待っていると思います
にひひ
世の中、他人の評価というものはあてになりません。
これは私が人生アップダウンする中で学んだ経験則です。
人は誰でも、現在の状況からしか他人を判断できません。
今成功している人(または企業)を見ると、昔から天才で
あったかのように賞賛し、逆に今何かに失敗してどん底
にいる人に対しては、「だからこの人はダメなんだ」と
容赦ないバッシングをおこないます。
自分という人間そのものは変わらなくても、まわりの
人間の態度というのは状況によって、クルクルと
変わるものなのです。

中でも日本人はこの影響が強いと感じます。
「新しいことに挑戦しよう」というお題目は、
常に総論賛成各論反対、いざ自分の周りの人間が
新しいことに挑戦しようとすると、リスクを唱え、
失敗すると叩いてしまう傾向があります。
これは冷たい人間がいるということより、社会的な事象
としてとらえることができます。
少なくともシンガポールではあまり感じられません。

また、私が昔、日本で転職活動をしていた時、
「なぜ前の会社を辞めたのですか」という質問に対し、
必ず前向きな返答をするように期待されていました。
「会社や仕事は好きだったのですが、もっと社会に
貢献できる仕事をしたいと思いました」といった風に。
しかし転職したことのある人はわかりますが、何の
不満なく転職をするというシチュエーションはむしろ
おかしいのです。一事が万事、聞こえの良い言葉で
他人からマイナスの印象を受けることを避け、社会の
中で無難に過ごしていくことを求められている。
まあ、もともと会社を辞めるということ自体が
「我慢が足りない」と思われてしまう日本の文化では、
転職する時点ですでにマイナスに思われるのかも
しれませんが。

こういった「挑戦を良しとしない社会」の源泉は
どこにあるのか、ということを考えると、
以前も書いたことがあるのですが「農耕民族」と
「狩猟民族」の違いに行きつくような気がしてなりません。
他人の挑戦を否定するためには、前提として「自分達の
安定」がないといけません。狩猟民族的な発想からすると、
誰かがリスクを取って獲物を狩りに行かなければ、
自分たちの安定はありえません。つまりリスクを取って
成果を手にした者が一番偉く、リスクを取ったものの
成果を得られなかった者はその勇気のみ称賛され、
何もしなかった者は誰からも相手にされなくなるでしょう。
反対に農耕民族的な発想で考えると、結果の安定を
ある程度期待した上で、作物を共同作業で育て、
ひとりひとりが自分の与えられた役割をこなし、
リスクは分担し、収穫後に平等に分け与えられることが
前提となります。和を乱す者は社会の敵となり、チームと
して行動することが求められるということになります。

もう少し掘り下げて考えると、1946年に刊行された
ルース・ベネディクトの著作「菊と刀」では、
西洋は神の存在に根差した自律的な「罪の文化」である
のに対し、日本は周囲からの評価を気にする
「恥の文化」であるといった考察が見られます。
第二次大戦後の経済成長を行う前から、日本人は
「他人からどう思われるか」を規範に行動を決めており、
それが経済成長の原動力にもなったことは想像に難く
ありません。過去の長い歴史の中で、生活様式だけでなく
さまざまな理由で日本にのみ根付いた価値観があります。
こういった日本的な良さが時として長所となり、
短所にもなりうるということですから、経済問題のみを
切り出して「日本人はこうあるべき」という議論は
あまり意味を持たないでしょう。

さて多くの日本人が、高度成長期のようにただじっとして
いても自らの安定が保証されないと気づきつつある今、
日本的な価値観にパラダイムシフトが起きていることは
確実です。集団でなく個々人が何をできるのか?という
視点で書かれた書籍や活動が支持を集めるのを見ても、
すでに変化は始まっています。
私たちが議論の対象にする「日本人像」も数年後には
様変わりしてくると思われます。周りの空気を読んで、
無難に生きていけばよい時代は終わってしまいました。

挑戦しなければ生き抜けない社会が、既に始まって
いるのです

~続きます
昨日、東京出張から戻ってきました飛行機

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