こんばんは
脳梗塞で倒れた知人のお見舞いの翌日。
二日酔いもなく?!
朝から活動開始です。(前回記事にたくさんのコメントをありがとうございました。)
泊まったホテルは青森駅から徒歩15分。静かな早朝のアーケードを駅に向かって歩きます。
今日は函館へ行く日。
同行の友人には申し訳ないけど、折角の北海道なのに時間の都合で函館、それも観光は五稜郭だけという…
新青森駅にて
初の北海道新幹線に乗車です。
今や一日2往復しか走っていない「はやて」に乗車しました。
気怠い空の津軽平野。
新幹線秘境駅の奥津軽いまべつ駅
青函トンネルに入ります。
暫くして止まっていたグーグルマップが復活。
長い海底トンネルを抜けて北海道に上陸しました。
木古内駅に到着。
薄日の中に函館山が見えて来ました。
新函館北斗駅に到着。
僕らがこれから乗る「はこだてライナー」
撮っているところを撮られています💦
ポケットのハンカチはご愛嬌?!
はこだてライナーに先行する特急北斗号。
乗りたかったけど撮るだけ💦
五稜郭駅へ到着。
そして時間が限られているので、サッとタクシーに乗り込んで五稜郭タワーを目指します。
エレベーターで一気に駆け昇ると…
洋式要塞の五稜郭が姿を現しました。
この城を拠点に、徳川幕府軍(脱走軍ともいう)が蝦夷共和国を設立。短い期間でしたが、確かにこの日本に共和国が存在していました。
二股口の戦いのジオラマ。
指揮を執るのは箱館陸軍奉行並の土方歳三。
「弾丸は一日千発。撃って撃って撃ちまくれ!」と兵を鼓舞。
反面、各陣地を酒樽を持って回り「一人1杯だけだぞ(笑)」と、緊張する兵を和ませたそう。
幕府軍で唯一の勝ち大将だった彼の部隊も、他部隊の防衛線が瓦解し、止む無く五稜郭へ帰陣…
一本木関門にて、土方歳三突撃のシーン。
自ら少数の部隊を率いて必死の突撃という人も多いですが、僕はそうは思いません。
「死ぬ気なんざぁサラサラ無かった。弁天台場の仲間を助けに行くってぇのは、あったりめぇじゃねぇか。」と彼の声が聴こえて来るのです。
事実、弁天台場には、池田屋事件以前からの隊士である、島田魁や尾関雅次郎ほかたくさんの新撰組隊士が守備隊として立て籠もっていたのでした。
兎にも角にも、彼が幕府軍参謀で唯一の戦死者となったのは事実ですが。(正確には宮古湾海戦で戦士した、回天艦長甲賀源吾も?)
ひと回りした後にエレベーターを降り、五稜郭内の箱館奉行所へ…の前に、すぐ横にある最上寺へ。
「誠」の旗がはためいています。
この御朱印が一つのお目当てでもありました。
いよいよ城内へ
水飲みも五角形(笑)
城内に鎮座する大砲
手前が幕府軍のブラッケリー砲、奥が新政府軍の艦載クルップ砲。
これは何に見えます?
観光客も来ないひっそりとした場所にある土饅頭です。
これは、土方隊長と隻腕の剣客伊庭八郎が埋葬された土饅頭との一説があります。
軽く手を合わせ奉行所へ行きます。
欲しかった御城印と五稜郭の御城印帳を購入🍀
和綴じですね。念願だったので嬉しい😊
内部を見学します。
一通り見学できたので満足〜
お昼をラッキーピエロで食べたかったけど、混んでいたので五稜郭タワー内で済ませ、早くも青森への帰路へつきます。
帰りは…
船旅がしたくて青函フェリーに乗りました。
乗客定員190人の小さな船だけど、1,700円で青森に渡れるお得な航路でもあります。
気圧の谷が通過する頃なので、海峡は荒れるかな…
船酔いはしないけど、東京湾フェリーよりも小さな船なので、少々心配…
黒煙を吹き上げいざ出港。
函館山
また来るね。
船内設備です。
2階のロビー。設備は飲み物とカップ麺の自販機だけ。売店等はありませんでした。
3階の展望ロビー。
僕が寛いだ座敷室。
左側に寝ているご夫婦がいたので半端な写真💦
こちらもみんな寝ていますね😏
湾内は穏やかだったけど…
津軽海峡に差し掛かる頃から揺れ始めました。
船酔い知らずの僕は、小腹が空いたのでカップ麺を頂きました😊
とっぷりと日が暮れた海上は、いつしか雨となりました。
青森港が近付いて来たので下船の準備です。
雨の青森港に無事に到着。
この日の夜も青森の街に繰り出して、ふるさとの味を楽しみました。
美味しいお料理と美味しいお酒、雨の青森の長い夜が過ぎていきました。
今日は遥々行った函館なのに、五稜郭しか観なかった酔狂な旅に付き合ってくれた友人には感謝です🍀
今夜もお立ち寄り、ありがとうございました。
最終日に続きます。
Ps.先週の11月3日は皇女和宮降嫁行列の警護役を仰せつかり、桶川宿に遠征してきました。
和宮様の警護のため、股立を取って草鞋履き。
長旅のため? 少々やつれた出で立ちですね(苦笑)