心は心を動かす | ライムグリーンの風

ライムグリーンの風

73年式のマッハⅢで綴るツーリング絵日記。
他にKSR-ⅡとGPZ900Rに乗ってます。
車はNBロードスター。
時々飲み鉄の旅や歴史探訪も。
古墳が好きです。

こんばんは
先日の10月21日のことです。
脳梗塞で倒れた知人のお見舞いに青森に行ってきました。(ちょっと文章が長くなります)

東京駅にて
はやぶさ203号新青森行き


朝食は、勿論のチキン弁当ね。

中身はこんな感じです。


知人とはマッハの前オーナーです。僕のマッハは彼が1973年5月に新車で購入したもの。
「大切にしてくれるなら…」と、9回目にして限定解除試験に合格した(その日の合格者は29人中僕1人という難関試験でした)僕に譲ってくれたのでした。譲ってほしいとお願いしてから2年が経っていました。
 
 
僕が大学を卒業し、青森を離れてからは、年賀状のやり取りと、僕が川越のサツマイモを送れば彼からは青森のリンゴが届き、その都度電話で近況報告をする、といった具合のお付き合いでした。
 
しかし、去年の秋にサツマイモを送ったのに受取人が留守ということで返送されて来ました。
嫌な予感がして、電話ししても留守電になり、日が経つうちに「現在使われておりません」のメッセージが…(彼は独り身でした)
連絡する術がなく、どうしたものかと…心配していることを年賀状に添えて出しました。
 
そして6月のある日、成年後見人(以下Aさんとします)と名乗る人から電話が来て、彼の病気を知ることとなりました。
Aさんは僕の年賀状を見て、深い付き合いだったことを悟り、リンゴとサツマイモの送り状から、僕に連絡をしてきてくれたのでした。
彼は倒れているのを発見されたとき、脳梗塞とコロナを併発していて、治療が遅れたこともあって、過去の記憶が全部無くなってしまい、自分がバイク屋だったことも忘れてしまっているとのことでした。
 
そんな中で、今回の面会となったのですが、コロナの影響もあって、施設は原則面会禁止だったものをAさんの並ならぬ尽力と施設側の理解で、15分だけ許されることになりました。
僕が面会した日は、僕が会いに行ける日とAさんの仕事上の都合、そして施設側の許可する「この日のこの時間」が奇跡的にも偶然一致して実現したものでした。
但し、先にも書いた通り、記憶が全て無くなっており、九分九厘僕のことは覚えていない残念な面会になるだろうことは覚悟してほしいと、Aさんから言われていましたが…、熱意があればなんとかなるのでは…との淡い期待も持っていたのは事実です。病気で脳の記憶する部分がダメージを受けたのにね…
 
様々な気持ちが渦巻く中、八戸駅に降り立ち十和田市に向かいました。

出迎えてくれたAさんと共に施設に行き、久し振りに彼と会うことが出来ました。バイク雑誌社からマッハの取材を受けた際に掲載された、彼とのツーショット写真の載った本と、大伸ばししたマッハの写真をお土産に持って。
 
最初に会った彼は、ぼんやりした顔で、僕は勿論Aさんにも不自由な言葉で「お宅さん誰」と言っていました。
何度も「僕は〇〇です。埼玉からきました」と言ってもわかってもらえず…
ぼんやりと虚ろな表情の彼を見てやっぱり駄目か…と思いつつ、持ってきた本とマッハの写真を見せ、「このバイクはわかりますか? この写真は僕と貴方です」と言ったとき、突然奇跡が起きたのです!
 
突然彼の目の色が変わったというか輝きましてね。
「これは自分のマッハだ。大切にしていたけれども、東京(昔から東京と埼玉を混同していました)の人に譲った」と…!
そしてマッハを指差して、ブレーキの効きを良くするためにディスクプレートに穴を空けたこと、タンクを凹ませてしまったことまでも話し出し…
「その東京の人は、毎年サツマイモを送ってくれるので、お返しにリンゴを送った」と言い出して、なんと僕のことも思い出してくれたのです!
目に涙を浮かべて「遠いところ、よく来てくれた」と、最後は笑顔を見せてくれたのです。
 
僕も感動で泣けて来ましてね。気が付けば周りの介護のスタッフさんもみんな涙を拭いていました。みんな無表情の彼しか知らなかったらしく。
そして笑顔の彼とのツーショットを撮ってくれて面会を終えたのですが、施設側のご配慮で30分も経過していました。
 
Aさんに十和田市から青森市に送って頂いた車内で、「彼が、あそこまで反応してくれるとは思っていなかったので、人の力の大きさ、気持ちの大切さを学ばせてもらいました。会ってもらえて本当に良かったです。心が心を動かしたのですね! まだまだ問題は山積ですが、頑張ろうと勇気ももらいました。」と言って頂きました。
雨の中、感動の余韻に浸る車内となりました。
 
その後、十和田湖を観光していた友人と合流する前に、三内丸山遺跡に行きました。
 
 
 
 
高床式住居
 
竪穴式住居
 
昔の人のお墓。古墳期よりもずっと遡ります。
 
帰りのバス時間もあって40分の短い滞在でした。
 
その後は青森駅に戻りましたが、友人はまだ来ず…
どうもバスが八甲田山で雪道に難儀しているとのこと。少し遅れるかな…とのことだったので、メモリアルシップの青函連絡船八甲田丸へ行きました。
 
 
 
国鉄マークが格好良い。
 
操舵室
 
 
自由席グリーン座席。
 
指定席グリーン座席🍀
連絡船最終日に乗ったのがこの座席でした。
 
 
今見ても格好良いキハ82型特急車。
 
 
 
「なんでキミがここにいるの?!」と言いたくなったDD16型ディーゼル機関車。
 
エンジンルーム
 
現役時代の八甲田丸を少々載せますね。
昭和63年冬の青森にて。
 
 
 
吹雪の船出

八甲田丸で購入した御船印。
御船印は今回が第一号です。

その後、友人と無事合流し、ホテルへチェックイン。

エントランスに飾られたねぶたの数々。

その後は夜の街へ🍶
まずはお通し。
結構豪華です。

ホタテの卵煮?

やきとりと青森の地酒「田酒」。
何杯でもいけちゃう美味しさ。って、あとが怖いけど。
そんなかんだで夜が更けていきました。

長々とした記事に、お付き合いありがとうございました。

でも、2日目に続きます😊