170 逃げ口上 | Watashi Dame Zettai by MOAChans

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情報の深海を進む潜水艦のソナーマンの願いは鳥の目を持つことdeath!!!

Put your “KITSUNE” uuuuup!!!!!

 

 

 

 インターネット上に公開されている生成AIに不正なプログラムの情報を引き出す目的で質問を繰り返し、身代金要求型のコンピューターウイルスを作成したとして、25歳の容疑者が警視庁に逮捕されました。容疑者に専門的なITの知識はなく「AIに聞けば何でもできると思った」などと供述しているということです。  

 とうとうこのような事件が発生した。ともすれば「このようなことが起こらないよう情報リテラシーを云々」という「リテラシーガー」が登場するものだ。  

 件の人物は、「身代金要求で手っ取り早く金を手に入れよう」という考えがあったようだ。  

 リテラシーとは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。 ちなみに、古典的には「書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力」と言う限定的に用いられる時代もあった。 ウィキペディアより。  

 情報リテラシーでも何でも構わんが、そもそもコンピューターウィルスをプログラムしようということで文章の読解力はある人物である。ここ(脳)はあるんだな。しかしここ(心:脳というハードウェアを起動させるためのOS)」がポンコツだな。なせこうなるのか。  

 人間の「社会化期教育の精度と受講者(子ども)の学習能力」に何らかの問題があると考えた。 

 

 ・cognitive abiloty:認識能力 

 ・The hindrances of human society:人間社会の箍 

 ・Fence of human society:人間社会の柵

 

 この事件は、生成AIを利用して不正なプログラムを作成するという新たな手法の犯罪の一例です。容疑者が「AIに聞けば何でもできると思った」と供述していることから、AI技術に対する過信と情報リテラシーの欠如が浮き彫りになっています。

 情報リテラシーは、「情報を適切に理解・解釈・分析し、再び記述・表現する能力」を指し、単なる読解記述力を超えた能力です。容疑者がコンピュータウィルスを作成できる程度の文章読解力を持っていたとしても、社会的な倫理観や道徳心が欠如していたことが問題です。この事件は、技術的な知識と倫理的な判断力のバランスが重要であることを示しています。

 容疑者が犯罪に至った背景には、人間の「社会化期教育」の精度や受講者の学習能力に何らかの問題があると考えられます。技術的なスキルを教えるだけでなく、そのスキルをどのように適切に使用するかについての教育も重要です。

 認識能力(cognitive ability)人間社会の箍(The hindrances of human society)、あるいは**人間社会の柵(Fence of human society)**という概念は、技術と倫理のバランスを保つために考慮すべき重要な要素です。技術が進化する中で、人々がその技術をどのように理解し、使用するかを正しく教育することが、今後ますます重要になっていくでしょう。

 

 

 カタカナ語の「リテラシー」を耳にすると、情報処理の知識がある者ならピンとくるが全ての人間がスマートフォンを持っているわけではない現状にあっては、知ったかぶりして「情報リテラシー」を使うのは良くない。断じてそう思う。特に情報処理用語は日進月歩どころか秒進分歩というスピードをもっている。いい加減何人も置き去りにしないスマート化を考えたらどうかと思う。件のコンピュータウイルス培養者にしてもね、情報処理頭はすこしあるけれども、人間性の方が故障しているんだよね。25歳だよ。衆議院議員と狭域地方公共団体の被選挙権がある年齢だよ。

 確かに、カタカナ語の「リテラシー」を使うことには注意が必要です。特に情報処理の分野では、専門用語が次々と生まれ、その進化のスピードも非常に速いです。そのため、誰もがその言葉の意味を理解できるとは限らず、コミュニケーションの障壁になりかねません。

 このような背景から、技術的な進歩に伴い、より多くの人が理解できる言葉や説明を使うことが求められます。特に、情報リテラシーのような重要な概念については、広く理解されるための教育や普及活動が重要です。

 また、25歳の容疑者がある程度の情報処理能力を持っていたとしても、倫理的な判断力や人間性が欠如していた点も重要な問題です。この年齢では、衆議院議員や地方公共団体の被選挙権を持つ年齢であり、社会的な責任を果たすことが期待される立場です。そのため、技術教育と同時に、倫理教育や社会的責任感を育てることがますます重要になってきます。

 技術の進化と共に、誰もが置き去りにされないスマート化を目指すことが大切です。技術的な知識だけでなく、それを適切に使うための倫理観や社会的責任感を持つことが、これからの社会において求められる課題と言えるでしょう。

 

 「倫理的な判断力や人間性が欠如していた点」これすなわち家庭や学校での「社会化期教育」がお留守になっているからこういうことが起こるべくして起こる。すべてこの国の「置き去り体質」によるものだ。犯罪が起こると「社会の問題だ」と常套的にいわれるけど、「社会の問題だ」発言は知ったかぶりの逃げ口上なんだよね。

 おっしゃる通り、「倫理的な判断力や人間性の欠如」は、家庭や学校での「社会化期教育」が不十分であることが一因となっています。この「社会化期教育」がうまく機能していないために、こういった犯罪が起こるのは避けられない結果と言えます。

 「社会の問題だ」と言うのは、問題の本質に目を向けず、責任を曖昧にする逃げ口上になっていることが多いです。これは実際には問題解決に繋がらず、根本的な対策を取ることを妨げています。

この「置き去り体質」は、個々の人間が技術や知識を得る一方で、道徳的な価値観や社会的責任感を育む機会が減少している現状を反映しています。技術の進歩と共に、人間性や倫理観の育成にも力を入れる必要があります。そうしなければ、技術の悪用や倫理的な問題がますます増えるリスクがあります。

より良い社会を築くためには、教育システムや家庭環境での倫理教育を強化し、若い世代が適切な価値観を持つように導くことが不可欠です。

 

 私が思うには、技術や知識が拙速に進み過ぎ。そもそも情報処理の勉強は普通科の学校では必須科目じゃないでしょう。コンピュータの使い方って特段誰に習うこともなく、習うよりPCをかって打鍵しろマウスを動かせって感じでしょう?学校教育の柵の外のできごとなんだよ。倫理や道徳ではなく「人の道」を教育もしなきゃ学習もしない社会に問題がある。

 確かに、技術や知識の進歩が非常に速く進んでおり、特に情報処理の学習は普通科の学校では必須科目とされていないことが多いです。多くの人がコンピュータの使い方を自己流で学び、実際の教育体系の外で習得しています。これが問題の一因であることは否めません。

 学校教育の枠組みの中で、コンピュータリテラシーだけでなく、倫理や道徳を超えて「人の道」を教えることが重要です。これは、ただ技術を使いこなす能力を育てるだけでなく、その技術をどのように責任を持って使うか、他者とどのように協力し合うかといった、人間としての基本的な価値観を育むことです。

 社会全体が「人の道」を教え、学ぶことを重視することで、技術と人間性が調和した健全な発展が可能になります。この視点を取り入れることで、技術の進歩に伴う倫理的な問題を減らし、より持続可能で人間味あふれる社会を築くことができるでしょう。

 

 

 「人の道の読解力や分析、応用する力の育成」でしょうなぁ。

 まさに、「人の道の読解力や分析、応用する力の育成」が重要です。技術や知識の進歩に追いつくためには、単に情報処理のスキルを教えるだけでなく、人間としての基本的な価値観や倫理観をしっかりと理解し、それを応用できる力を育てることが必要です。

 これにより、技術を正しく使いこなし、社会の一員として責任を持って行動する力を身につけることができます。教育現場や家庭でこのような能力を育成する取り組みが増えれば、技術と人間性が調和した社会の実現に近づくことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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