ひどい時はCM前とCM明けに別ニュース立ての連続放送がなされていた。
受け取り方によってはマスメディアによるハラスメントだ。
「何度めの“初HR”か」
見たくなきゃ見なければいいんだが。
ていうかね。時事問題とか犯罪絡みだとネガティブでクリティカルなコメントがあるんだけど、ことオオタニサン・リファレンスに関していえば、
「いやいや、まだ本調子ではないかもしれないですよ」
なんて言い回しはタブー的なイエスマンだらけの全肯定な雰囲気。
マスメディアがこれを展開するということは大本営発表をそのまま活版印刷するようなもの。
この辺が二元論的二分法への収斂って感じなのよね。
「多様性」は崇高な神棚に上げたことで実現している。
そして我々に任せるか否かの二分法に持ち込む。
多様性が重要なのであれば答えは二分法ではないはずである。
この手法は某宗教の手法にも似ている。
あまりいうと批判しているように思われるからいわないけど、「某称名仏教系の崇高な経典には何が書かれているから崇高なのか」ということが二元論的な二分法につながると私は見込んでいる。
まあいいか。
全肯定のイエスマン精神に対して、私の中の悪魔はこういうだろう。
「転けろ」「滑ろ」「ポシャれ」
大抵の呪いは副次的に自分の身に降りかかる。
「人を呪えば穴は無限大」
くはばら、くはばら。
ところでこの球場は「私を野球に連れて行って」の雰囲気だよねぇ。