多様性重視を偽り、二元論的二分法に収束する方法しか検討し得ないこの国の民主主義は、明日が何の日であるかほぼ考えもせんだろう。
意外に深刻かもしれない「富裕と貧困」の格差社会。
この二元論的二分法は、受け取り様によっては戦争よりも過酷だ。
88年前のこの国もこのことに関しれは今と変わらない状況だったと思う。
何となく思うんだけどね。中国とかアメリカと戦争するのに戦時国債を起こすくらいなら、国民にばら撒けばよかったのにさ。
そういうことをしないで、国益たる軍の中に反抗する勢力と生み出す。国民に寄り添っていないからだと思わないか?
中国やアメリカとの開戦は「国体の護持」みたいなことをいってはいるが、「陛下のために」は「国のため」→「国益のため」。
国益を苦しめている政府が果たして正しいか。
金と武器の使い道を間違っていないか?
終戦のエンペラーの中で、「日本人は信じるものがあればそれのために狂戦士や悪魔にもなる」という日本人から発された言葉がある。
動く前に冷静になってもう一度考えてみよう。クールに。
かの青年将校たちが存命なら、君側の奸とは彼らのことなんだろうなぁ。
この場合君主は誰か。
建前では「国民の総意」ということになると考えます。
でも現代の風潮を鑑みますに、「国民の総意」という言葉は意味を失い、「八百万の神」が「一億二千万くらいの神」に増幅している。そのように思えるところです。
右っぽいログですが、「個と全」という観点からいうと私に左右はなく、自分の理解していないものはすべて得体の知れないバケモノです。
by MOAChans