小説「旅人の歌ー 信使篇」その19 - 波及 | 物語書いてる?

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 通信使一行は安芸を出立した。海沿いの道は平坦で歩きやすかった。陽射しも温かく、雨も少ない。秋の海は穏やかでキラキラと眩しかった。遠くの水平線上で時折鯨の潮噴きが見えた。

 踊り子は歩きながら眠くなって来た。大欠伸をしたところを行首に見られる。

「お前な、少しは女らしい慎みを持ちなさい」

「へ?つつしみ?それなあに?」

「この…からかいやがって」行首は踊り子を追いかけだした。すると沿道から声がかかった。

「あの…すみません。ここに名前を書いてください」

 踊り子が振り返ってみると、そこに若い男たちが団扇と筆を差し出していた。男たちは少し照れながら、眩しそうに踊り子を見る。踊り子はにっこり笑って筆を取った。

「名前はなんていうの?」

「はい…末吉です」

「スエキチさんへ、愛の戦士、エセンよりっと。これでいい?」

 末吉はぼおっとなった。

「あ、愛の戦士?」

「フフ。私の名前は、『愛』に『生まれる』と書いてエセン。だから愛の戦士」

 そばで聞いていた行首が目に手をやって顎を上げた。

(あーあ、赤子の時おくるみに書いてあった、両親から貰った大事な名前を…。)

 男たちは興奮して団扇を差し出した。

「ぼ僕…あなたの馬上姿を見て、一発で虜になりました」

「僕もあなたに憧れて、ここまで追いかけてきたんです」

「僕にもここに…その…書いてください」

「オイ、俺が先だ」

「ハイハーイ順番ね。あなた名前は?」

 忽ち踊り子の回りに人だかりができた。

「オ俺には、絵を書いてくれ」

「え?絵?ええー?なんちゃって」

 おどけた踊り子を見て、男たちはいっせいに叫んだ。

「可愛いーい」

 行首は舌打ちした。

「お前な、あまり調子に乗るなよ」

「あそうだ。絵ならあの子が描けるよ」踊り子はそう言って陶姫を指さした。

「オンニ。陶器の絵付けだと思って、描いてあげてよ」

「何陶器?じゃあ俺は、この徳利に描いてくれ」

 男たちは陶姫の回りにも集まった。陶姫はどぎまぎした。

「こ、こちらもお美しい…」

「あ、俺はこの徳利に詩を書いてくれ」

「詩?詩は、私は…あ、あの列の最後にいる男の子。あの子が書けるわ」

 男が後ろに顔を向けると、そこには既に黄色い声が響いていた。

「わー手が触れちゃった」

「可愛くない?」

「何か…神秘的な顔よね」

 行首が声を大きくした。

「オイ、アイドゥル。置いて行くぞ」

 それを聞いた倭の娘が言った。

「ねえねえ、この子たち『アイドゥル』って言うのかな?」

「ああ芸名ってこと?」

「うん。あのオジサンが呼んでた」

「『アイドゥル団』か、いいね。これからそう呼ぼう」

「じゃあ私たちは『アイドゥル追っかけ隊』ね」

「いいね。決まり」

「私、『アイドゥル追っかけ隊』第一号ね」

「わあずるーい。私が一号」

 沿道で一行を見ていた人たちの何人かは、松の根に腰かけ、絵を描き始めた。それを見ていた見物人が言った。

「うまいねえ。あんた絵師かい?」

「フフン。まあ…絵師っていうより飾り職人ってとこかな。通信使の絵柄を、刀のつばにつけてみようかと思ってね」

 徳利に詩を書いてもらった者は、それを持って造り酒屋に入った。奉公人を集めて言った。

「お前たち、今日から手習いをしなさい。そして徳利にこの詩を書いて売るのだ」

 その徳利は評判を呼び、予想外に売れ始めた。


 通信使の絵柄をつけた刀も流行り始めた。警護の侍たちは借金をしてでもその唾を買い求めた。その話は海道の各藩に伝わった。若い侍たちはそれを身に着けることで、新しい平和な世の始まりを嗅ぎ取った。

 通信使一行が岡山城下に着くころには、沿道に急ごしらえの筵小屋が並んでいた。踊り子はその小屋を覗いてみた。

「あれ、これは?」

 踊り子はその人形を手に取ってみた。両班の帽子を被る者、喇叭や鼓笛を鳴らす者、花のようにチマを広げた娘たち。そして馬上に立っている踊り子の姿まで、忠実に再現されている。

「倭人って、器用だねえ」

 踊り子は不意に突き飛ばされた。娘たちが先を争ってなだれ込んでくる。

「これ見て、そっくり」

 それは少年が馬上で詩を書いている人形だった。

(あいつ、モテるなあ。)

 踊り子はなんだかとても嬉しくなった。並んでいる人形たちを、うっとりと見つめた。

(なんか、いいなあ。いつまでも、こうして笑顔で、楽しくしていたいなあ。)


 三好清海入道は、その大きな図体を小さく丸め込み、正座をしたまま手をついていた。さして暑くもないのに、額から汗が噴き出している。自分の体重に圧されて、足の感覚が無くなっていた。

「あやつの居場所は、まだわからんのか?」

「…面目もございませぬ」

 幸村は先ほどから同じ動作を繰り返していた。四五歩あるいて踵を返し、檻の中の獣のように戻る。

「良いか。このままでは、あやつに我が軍団をかき回される。またあやつがいる限り、通信使一行を止める事もできぬ。いつももう少しのところであやつに邪魔をされる。時に…佐助」ともう一人、脇で控えていた男に声をかけた。

「お主は同郷であったな。消息は分からぬか?」

「は、伊賀者は、主が異なれば同郷であっても心を許しませぬ故…」

「そうか、しかし才蔵は服部一族ではなかったか?その才蔵の命を、あやつ自ら絶つとは…」

「故にあやつは、真の伊賀者と言えまする」

「うぬ…頭ではわかるが、小面憎し、半蔵」

「殿、この佐助に案がございます」

「申してみよ」

「先ずは清海に、あの大師を狙わせてはどうかと?」

「どのようにだ?」

「大師に使いを出すのです。国書を渡すと言って誘き出す。必ず一人で来るようにと念を押して…」

「国書か、それも悪くないな。よし清海。お前にこの国書を授けよう。行って参れ」

「ははっ。この清海必ずや…」清海は立ち上がって、そのままごろっと転んだ。足が麻痺していた。清海は錫杖を使って立ち上がると、足を引き摺りながら去っていった。

「さて佐助」

「はっ」

「才蔵から引き継いだ件は、どうなった?」

「は、わかりましてございます」

「何?」

 佐助は少年の父親の名を告げた。幸村の目が大きくなった。

「それは…まことの事か?」

「はい」

「なんと…実に面白い」