小説「旅人の歌ー 信使篇」その20 - 牛窓 | 物語書いてる?

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 一行は城下から離れ、海沿いの道を向かった。奇怪な形をした岩のような島が点々と見える。どんよりとした分厚い雲の中で、雷鳴が聞こえる。

「痛たた」

 後ろを振り向いた踊り子は門衛に声をかけた。

「どうした?下痢でも起こした?」

 門衛は腹を抱えて呻いた。

「もう一歩も歩けません」

 輿に乗っていた副使は顔をしかめた。

「だから食後の饅頭はやめておけと言ったんだ」

 踊り子が先頭の大師に向かって叫んだ。

「大師、門衛が下痢だって」その大きな声に対馬の侍たちまでがクスクスと笑った。

 先頭を歩いていた行首が前方に集落を見つけた。

「あ、あそこで休みましょう」

 大師も笑いながら言った。

「そうだな。少し休ませてもらおうか」

 村の入り口に大勢の子供たちがいた。その中から杖を突いた老人が出てきた。島主が前に出て言った。

「我々は朝鮮通信使。幕府の客人である。ここでしばし休ませてもらいたい」

 老人は恵比須顔で手を拱いた。

「どうぞどうぞ。遠くからお疲れでしょう。私は村長です。公儀からのお達しは聞いておりまする。まあ、まずこちらへ」

 村の入り口には立札があった。

「蘇民将来子孫也。疫病退散」

 大師は横目でその立札を見て尋ねた。

「ご老人、これは何かね?」

 島主が訳す。

「はあ、これは昔、外つ国より来られた神が言い置いたものです。これを見れば、病魔が避けて通ります」

「病魔が?それはよい。門衛、お主の体にも貼るか?」

 腹を抱えて脂汗を流していた門衛は、目を白黒させた。

「蘇民将来…子孫…」陶姫は口の中で呟いた。ポツリと村長に聞く。

「その神様は、男の神様?」

 村長の目が大きく開いた。

「そうじゃ。とても荒ぶる神じゃが…どうしてそれを?」

「その神…」

「あ、思い出した」踊り子が叫んだ。

「ジュリアを探しに行った時、聞かれたんだ」

「何て?」行首が聞いた。

「蘇民将来子孫か豈かって。真っ白なひげじいさんに」

「真っ白なひげじいさん?」

「そう、神社があって、名前を『韓神新羅神社』って…」

「カラ…?新羅…?ウリナラ(我が国)のことじゃないか」

「そう、な?本当だよな?」踊り子は少年に首を向けた。

 少年は黙って頷いた。

「ささ、こちらでおくつろぎくだされ」

 一行は村長とその隣人の家に分かれて休んだ。蒸かし芋が出される。踊り子と陶姫は顔を見合わせて喜んだ。その時、庭に子供たちが入って来た。芸人の一人がふと興に乗ってチャンゴを叩いてみせた。子供たちは面白がって踊り始める。芸人の男達は子供に帽子を被せる。娘たちは手を取って踊ってみせた。瞬く間に子供たちは踊りを覚えた。娘たちと一緒にくるくると回り、男たちの鼓笛に合わせて飛び跳ねた。誰からともなく拍手が起こった。

 子供のひとりが大師の前に立って手を差し出した。その手に紙が握られている。大師は穏やかな顔でその紙を受け取り、子供に韓の菓子をあげて頭を撫でた。大師はその紙を開いた。

「国書。裏神社」

 大師は小用をたすふりをしてその場を離れた。村長の家の裏に、その神社があった。

『疫神社』と額に見えた。

「来たな」社の後ろから清海が現れた。首の回りに太い数珠をかけ、黒い袈裟は垢で煤けている。清海は錫杖を大地に突き立てた。

 大師は杖で地面に文字を書いた。


 国書何処


 清海は胸から国書を取り出すと、無造作に放り出した。大師が腰を屈めて拾い上げたところを、頭めがけて錫杖を振り降ろす。鉄どうしのぶつかり合う音がした。大師は両手で錫杖を持ち、清海の錫杖を受け止めている。大師の右足が土にめり込んだ。清海の顔に笑みが表れた。反対に大師の顔が赤らむ。錫杖がギリギリと音を立てた。

「大師、水くさいよ」

 清海が振り返ると、そこに踊り子、少年、行首、対馬の侍たちがいた。

「お前はもう逃げられん」対馬島主が前に出て言った。

「逃げる?そんなことはしない」

 言うなり清海は錫杖で傍に居た対馬侍の頭を勝ち割った。

「うわ」叫んだのは踊り子だった。

「つ、強い…」行首も口を開けた。

 清海はそばにあった松の木の根に錫杖を叩きつけた。松の木は根元から折れ、一行に倒れてくる。避けそこなった侍が下敷きになった。残りの侍は腰を抜かした。

「逃げろ」大師が叫んだ。

「え?逃げるの?」

「適うやつはいない」

「で、でもたった一人なのに…」

「これ以上、誰も死なせられない」大師は島主に言った。

「対馬、侍を退かせろ」

「何を言う?こちらが対峙している間に、大師こそ逃げろ」

「わかった。無用な抵抗はするな」その間に錫杖が落ちてきた。錫杖は地鳴りを起こした。怪物の足音のようだった。一行は急に戦意を失った。人間でないものを相手にしているような恐怖に、胃の中から突き上げられた。一行は走った。目の前に川がある。後ろを振り返ると、清海が錫杖を振り回しながら迫って来た。その時草叢から縄が飛んで清海の足に巻き付いた。清海は勢い余って倒れた。その体にクナイが飛んだ。清海は辛うじて躱した。クナイの飛んで来た茂みから、黒覆面の男が立ち上がった。その時回りの草叢から煙が立ち昇った。

「清海、大丈夫か?火の外に出ろ」

 回りから柿色の服に全身を包んだ数人の男達が出てきた。

「半蔵、観念しろ。お前は火に囲まれたのだ」

 火は川風に煽られ、瞬く間に広がった。煙の中で咳をする音がした。踊り子は咄嗟に川に入った。陸に上がって火の中に入ろうとする。その体を背後から抱き留められた。振り返ると少年が空を指した。その瞬間雷鳴が轟き、豪雨が降って来た。視界から急に色が失われ、真っ暗ななかに閃光が見えた。雨の音で人の声がかき消される。大師は一行を近くに集めた。

「皆無事か?」

 踊り子、少年、行首、島主、対馬の侍たち…死んだ二人を除いて、皆無事だった。

「半蔵がいたぞ」島主が口を開いた。

「半蔵は、俺たちをあの入道から救ってくれた」行首が頷く。

「半蔵は敵なのか?味方なのか?」少年が誰にともなく聞いた。踊り子は首を横に振った。

「皆ご苦労だった。おかげで国書は戻った」

 大師の言葉に、島主は大きく目を見張った。