小説「旅人の歌ー 信使篇」その18 - ジュリア | 物語書いてる?

物語書いてる?

物語に関するあれやこれや。そんなこんなでゆっくりやっていきます。

 漁夫の妻は村に入ると、大きな家に入っていった。少年は軒下から床板を外して家の下に潜り込んだ。  気が付くと尻を踊り子が突いていた。上で声がした。

「来ました。韓人です。村長の言った通り…」

「そうか。何も言わなかったろうね?」

「はい。でも薬に気が付かれてしまいまして…」

「薬?」

「はい、誰が処方したのかと聞かれ…村長、あいつらは、知っていて来たのかと…」

 薄暗い中に踊り子の笑顔が見えた。少年の顔が綻んだ。

「知っている?だったら何故お前のところに行くんだ?洞窟ではなく…」

「あ、そうですね」

「ただ探りを入れて来ただけに違いない。知らん顔していろ」

「でも、このことジュリア様には伝えた方が…」

「余計な事を言って、ジュリア様のお心を乱してはならぬ。万が一戻られたいと言われたらどうする?よいか、知らせてはならぬぞ」

「はい。んじゃ、おら戻りますだ」

 踊り子は少年の尻を突いた。外へ顎を振って出る合図をする。縁側を潜りぬけると、立って大きく伸びをした。空にはうろこ雲が掛かっていた。後ろを振り返ると、洗濯物を手にした女が、口を開けて見ていた。踊り子は片手を上げた。

「ヤア。おねいさん綺麗だね。私といいとこ行かない?」

「あんた、どこから入って来たの?この辺の者じゃないね」

「ああそうそう。用事忘れてた。薬の材料を届けにこれから洞窟へ行くところ」

「洞窟?ああジュリア様のところだね?あんたジュリア様を知っているの?」

「有名人だからね。町なかでも、そりゃもう大騒ぎさ」

「え?有名なの?じゃあお役人が連れ戻しに来るかしら?」

「ああ、なんか急いで知らせた方がいいかもしれない」

「大変、ジュリア様にもしものことがあったら…弟をジュリア様に助けていただいたご恩があるの…今から知らせに行かなくては」

「じゃあ一緒に行こう」そう言って踊り子は少年に片目を瞑って見せた。

 その時、男たちが現れた。

「お前たち、何を探っている?」その声は村長と呼ばれた男のものだった。

「あ。村長さん?」踊り子は笑顔を見せて言った。

「何?お前は何者だ?何故わしを知っている?」

「ああ、お役人様がね…」

「お前だな。浜辺にいたよそ者というのは。お前ら、こいつらを縛り上げて納屋に入れてしまえ」

「村長、話を…聞いて」踊り子は背中に手を括りつけられながら言った。

「病人がいるんだ。死にそうなんだ」

 村長が笑った。

「見え透いた嘘をつくな。こいつにさるぐつわを噛ませろ」

「ホントなんだ…そんっ…ング」

「村長、彼奴らをどうします?」男の一人が納屋に首を振って言った。

「そうだな。ここに置いとくのはまずいか…。仕方ない。洞窟の裏に連れて行け」

「え?ジュリア様に会わせるので?」

「いや、そうではない。裏の断崖から突き落としてしまえ」

「え?あそこは鮫が…」

「あいつらが助かるかどうかは、知った事じゃない」

「でも…もし本当に病人がいたら…」

「わしは、この村とジュリア様を守らねばならん」

「わ、わかりました…」

 納屋の戸が開いた。少年は差し込んで来た光に目を射られた。何度か瞬きする。その目の前に布が迫って来た。

「何をする?」叫んだ時には目隠しをされていた。こめかみが締め付けられる。男たちは黙ったまま二人を納屋から連れ出した。しばらく歩かせられると足の裏に岩のような物の感覚がしはじめた。

「ここは、どこ?」踊り子が声をあげた。

「お前たちが行きたがっていた洞窟の裏だ」

「えっ本当?なあんだ。会わせてくれるの?」

「会わせてやろう。ただし、ジュリア様の崇める、天主様に、それっ」

 踊り子は急に体が軽くなったように感じた。足元には何もなかった。体が…落下している。

「え?何これ?聞いてないよ」自分の叫び声が水音に代わった。顔面が冷たい水で覆われる。耳の中にくぐもった水の音がした。直ぐ近くで、何か大きなものが水に入る音がした。踊り子は足だけでもがいた。麻縄が水を含み、体を締め付ける。水温の冷たさに手が痺れてきた。足先に何かが触った。恐怖が胃の腑を突きあげてきた。後ろに縛られた手のひらに、ざらっとしたものが当たった。手首を縛った縄が急に持ち上げられた。体が急速に引っ張られる。急に明るくなり、耳からくぐもった水温が消えた。口の中に砂が入って、踊り子は唾を吐いた。海鳥の声が聞こえてきた。

(うん?ここは?)

 気が付くと手の縄がほどけている。踊り子は目隠しを取った。陽の光に目がくらんだ。その目に白い物が映ったような気がして、踊り子は横に顔を向けた。そこに居たのは、白い虎だった。虎は少年を引きずっていた。水の来ないところまで引き上げると、全身を震わせて水を辺りに飛ばした。踊り子の目に海水が入って、手で目を擦った。踊り子が次に目を開けると、虎は森の方へ歩いて行った。尻尾がゆらゆらと揺れている。はっと気づいて、踊り子は少年の体に覆いかぶさった。胸の音を聞く。その心臓は、弱々しく音を立てていた。踊り子は少年の口を大きく開けて唇をピッタリとつけた。肺の中の呼気を思い切り少年の体内に吹き込む。何回か繰り返すと、少年の喉が音を立てた。唇を離すと、少年は海水を口から噴出した。踊り子は顔にその水がかかりながら、笑った。

「汚いな」その声に少年の目が開いた。少年は自分の上にいる踊り子を、目を丸くして見つめた。少年の睫毛の長さに、踊り子の心臓が脈打った。踊り子は慌てて立ち上がると、咳払いした。

「ありがとう…俺を、助けてくれたんだね?」

「いや…お主を助けたのは、虎だから」

「虎?」

「それより、洞窟へ行こう。きっとあの崖の反対側だ」そう言って踊り子は断崖を指した。洞窟の中はひんやりとしていた。天井から水滴が落ちて、踊り子の首筋に入った。

「ひゃ…」踊り子は自分の口を手で押さえた。

「誰か…いるのですか?」洞窟の奥で女の声がした。灯りが近づいてくる。白い布を頭から被った人が、暗闇の中から現れた。

「ひゃあ」踊り子はまたも口を塞いだ。

「あなたたち、誰?」澄んだ高い声だった。白い布の中から、卵型の顔が現れた。少年は息を飲み込んだ。

「あなたが、ジュリア?」踊り子は笑顔で聞いた。

「そうです。あなたは?」

「私は、エセン。愛らしく生まれると書いて、愛生」

 後ろで少年がぷっと噴き出した。

「朝鮮から連れ去られた人たちを、連れ戻しに来たの」そう言って、踊り子は片目をつぶった。

 その言葉に、ジュリアの目が大きく開いた。

「そう…ですか」

「それと、急病人が出たの。それであなたに、一緒に来てほしいの」

「急病人?どこに?」

「今私たちが泊まっているところ。ここよりずっと南…」

 ジュリアは少しためらった。

「わかったわ、仕度する」

 踊り子はジュリアの手を取った。

「ありがとう」ジュリアは踊り子の目を見て微笑んだ。

「あなた、澄んだいい瞳をしているわね」

「え?いやあそれほどでもお」踊り子はもじもじしと腰をくねらせた。

 ジュリアと少年は同時に噴き出した。


 陶姫の鼻が、飯の炊ける匂いを捕えて動いた。目を開けたとき、そこに期待していた顔が無かった。

「オッパは?オッパは?」

 そこで目の前の人に気づいた。その顔は微笑んで言った。

「もう、大丈夫。峠を越えたわ」

 踊り子はジュリアに抱きついた。

「ありがとう」ジュリアはうろたえて、そっと身を引いた。

「大丈夫か?」少年の目が、陶姫を覗き込んだ。

(この子、こんなに格好良かったかしら?)

 陶姫はゆっくりと言った。

「なんだか、お腹すいたみたい」

 横にいた行首が笑った。

「腹がすいた?どれだけ心配した事か…」


 陶姫は大師の顔を見ると、布団の上に起き上がって手をついた。

「大師、国書を…私が国書を盗みました」

「え?」横にいた行首は大きな声をあげた。踊り子と少年の目が同時に大師に向けられた。大師は眉間に縦じわを作っている。

「それで…国書を渡したのは、お前を斬った者だな?」

「はい…」陶姫は項垂れたまま、小さな声を出した。

「そうか…その者の死体は…消えていた。背後に居る者について、何か知らないか?」

 陶姫は首を横に振った。

 大師は天井を見上げて、息をついた。そこへ副使が姿を見せた。

「大師、どういうことだ?国書が紛失したというのはまことか?」

 大師は副使に向き直った。

「本当だ」

「何?お主この意味が分かって言っておるのか?この先どうするつもりなのだ?」

「うむ。被虜人刷還の手配がついたら、この地を離れる」

「本国へ戻るというのだな?家康に会わずに」

「…」

 大師は再び天井を睨んだ。その場にいた者はごくりと喉を鳴らした。

 そこに島主が入って来た。

「大師、ジュリアが消えました」

 大師は島主を不審な目で見た。

「消えた?」

「はい。ジュリアはどうやら、連れ去られた模様…」

「お主、今連れ去られたと言ったな」

「はい。私の手の者が、ジュリアを連れていく黒覆面の忍者を見ております」

「黒覆面の…忍者?」思わず踊り子の口が開いた。

「その者…公儀の手の者かと…」島主が続けて言った。

「家康の…許へか?」

「はい」

「何故だ?」

「実は、ジュリアは小西行長の想われ人でした」

「何?小西だと?」副使が興奮して割り込んだ。

「はい、小西は内乱を起こし、家康によって打ち首にされました。その時家康がジュリアを見初め、内室にと所望されたと聞きました」

「家康が、ジュリアを…?」副使の声が裏返った。

「そこで私が手配して、ジュリアを山陰に隠れさせたのです」

「何、島主が?何故お主が?」

「実は…小西とは、悪縁がありまして…」

「何だと?小西とだと?」副使は島主の胸ぐらを掴んだ。

「貴様、馬脚を露呈したな。わが朝を攻めた先陣は小西と貴様だということ、許したわけではないぞ」

「それで、家康がジュリアを攫わせたと?」

 大師は猛り狂った副使の肩を叩いて、静かな口調で島主に聞いた。

「は…はい。あの忍者は家康の手の者で、服部半蔵と申しまする」

(服部…半蔵。)踊り子はその名前を口の中で呟いた。

「そうか…」大師はゆっくりと腰を上げた。

「我らは、家康に会いに行こう」

「だが国書はどうなる?国書なしでは…」副使が大師に向き直った。

「仕方がない…。国書が無くとも、家康に会う」

 大師はそう言って、眉根に力を入れた。

 その時、少年がポツリと言った。

「俺は…正直言って、家康という人間がわからない」

 皆の視線が少年の口元に集まった。

「…自ら国交を求めておいて、一方で戦の準備などと人の神経を逆撫でする。あの西笑という僧は戦勝国とまで言った。他国を侵したことを、全く何とも思わない。今度は刷還に協力するふりして、同胞を隠す。一体家康は…いやこの倭という国は敵なのか味方なのか?」

 大師は少年の頭を撫でた。

「それを確かめるのが、我らの役目なのだ。この先百年、二百年と誠の信を交わせる国なのか?よく確かめねばならん」