小説「旅人の歌ー 信使篇」その13 - 夕暮 | 物語書いてる?

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 一本杉の天辺に留まっていた鴉が一声鳴いた。その奥の森の中から、別の鴉の鳴き声が聞こえて来た。一本杉の鴉は嘴を木の枝に擦りつけて、もう一度鳴いた。その嘴の方向に、一羽の鷹がいた。鷹は悠々と滑空しながら、森の中へと侵入した。既に森の中は静まり返って、小鳥たちは息を潜めている。樟の洞から、ひな鳥が口をのぞかせて鳴き始めた。鷹は鳴き声に反応して、その巣へと向きを変えた。その鷹の頭上から鴉が落下してきた。鴉は羽を折り畳んだまま嘴で鷹の背骨を砕いた。鷹と鴉はそのまま地上へと落下していった。

 

 空から落ちて来た鷹と鴉の死骸を見たまま、侍は暫く沈黙していた。その回りに男達が控えている。やがて侍は話を続けた。

「大師と副使の仲が悪いか…面白いな。それにこの朝鮮からの密書には、仏徒を監視するようにと書いてある。あの国は信長と同じく、仏が嫌いであったか…ふむ、面白い」

「密書は、いかがされますか?」

「うむ。元通り、戻しておけ…いや、この密書を拾ったと言って、副使に会おう。うむ。その方が面白いぞ」

「はっ」

「ところで、その他の人間はどうだ?」

「は。例の踊り子ですが、孤児だそうで、芸人一座の行首に拾われたとの由」

「そもそも、大師は何故芸人を連れて来たのだ?」

「朝鮮通信使の一行を知らしめ、捕虜を連れ戻したいと…」

「ふん、つまらん。だがあの踊り子を消せば、大師がどう出るか。いや面白いの。他には?」

「娘が一人に少年が一人、一行に加わっております」

「娘?どんな娘だ?」

「捕虜の男を探しているようです。何でも南原の陶工とか?」

「陶工…か。ふむ…それを逆手に取るという手もあるな。佐助」ともう一人の男を振り返って、

「その陶工の事を調べて参れ」

「はっ」

「今一人の少年とは?」

「この者も、何か訳ありでして。大師はその者を置き去りにして来たが、自力でついて来たそうです」

「ふむ。その者も人探しか。しかも大師と仲が悪いのか…面白い。才蔵、彼の門衛に今少しその者を調べさせるのだ」

「はっ」

「門衛の前では、まだしばらくはお化粧いをつけてもらうぞ…フフフ」

「はっ」才蔵は表情を変えずに頭を下げた。

「ところで清海」侍は最後に控えていた男に向かって言った。

「お主は、あの男と片をつけるのだ。これ以上邪魔をさせるわけにはいかない」

 頭を下げた男は、持っていた錫杖を地面に突いた。その腕は馬の足かと見間違う位太かった。


 遠くの山並みを指しながら、先導していた侍が島主に向かって説明をした。

「あの山は御神峰で、地元ではかなり崇められているそうです」島主が大師に向かって訳す。

「何という山か?」

「香春岳と…」

「ふむ」大師は手をかざして見た。三つの尖った峰が連なって見える。山というより、巨大な岩石が三つ、巨人の手によって無造作に置かれたように、何か異様な連峰だった。

「あの山の頂にある神社の名を『辛国姫神社』と呼んでいるそうです」

「カラ国とな?」

「はい、何でもいにしえの三韓の故地の名とか…」

「なるほど、このあたりはいにしえより縁があったとみえる」

「いにしえの人々も、こうして同じ道を辿ったのかもしれませぬ」島主は傘を上げて、雲のかかった峰々を見つめた。その雲が、見ている間に広がって来た。前を歩いていた侍が、峠の下を指して話した。

「暫く行くと小倉城下に入るそうです。雲行きが怪しいので、急ぎましょう」

「ところで、此の地では朝鮮から連れ去られた披虜人の話は聞かぬか?」大師は少し眠そうな目をして言った。島主の訳を聞いた侍は、瞳を左右に動かした。一瞬の間をおいて、侍は被虜人の消息について伝えて来た。大師はその侍の顔をじっと見つめた。侍は話しながら、額に汗をかいていた。侍の話の中に、キリシタンに洗礼を受けた披虜人の名があった。ジュリアと呼ばれていて、かなり信仰が篤く、医療の知識も豊富で、人々の命を助けているという。

「そのジュリアという者は、此の地に居るのか?」

「それが、よくわからないのです」侍は申し訳なさそうな表情で言った。大師は訳を聞く前に表情から読み取った。だがその言葉は余計に意味のわからないものとなった。

「所在が分からないということか?」

「元々、我が藩の披虜人ということではなく、捕虜でありながら人を助けるお方と、民の間で伝説のように伝わっているのです。民が隠しているのか?あるいは公儀の目に留まっているか?」

「ふむ」大師は顎髭を撫でた。

 通信使一行は曇天の下小倉城下に入った。大師は行列の後ろにいた芸人たちに楽鼓、舞踊を始めさせた。そして少年を呼んだ。

「お主は列の最後尾について馬に乗るのだ」

「へ?馬に?馬上才を俺にやれと?」

「フフフ。できるか?」

「へ?いやまだ…」

「まあ、まだ無理であろう。その代わりに紙と筆を持って、後ろ前に馬に乗るのだ」

「はい?」

「そうしてな、沿道の人々に、詩を書いて渡すがよい」

「詩を?」

「そうだ。お主の修行の成果を見せてもらおう」

 少年は大師の指示に従って、最後尾に回った。後ろ前に馬に乗り、紙と筆を持ったところではたと動きが止まった。

(詩を…書けるわけが…俺に?)


 小倉城下は既に人だかりで賑わっていた。誰かが「来た」と一言発すると人々は首を伸ばして一行を見ようとした。鐘や鼓笛の音、喇叭という物を吹く音が聞こえて来た。人々の口からどよめきが起こった。黄色の大旗が雲を突くように翩翻と翻っている。その中心に朱書された『清道』という二文字。よく見ると、倭の侍が露払いを務めている。清道旗の次に、馬にまたがった大柄な仏僧が現れる。僧は辺りを睥睨するかのように、その大きなどんぐり眼を動かす。その姿は達磨大師を想像させた。その後ろに輿が続く。赤い正装に身を固め、耳上に羽のついた紗帽を被った両班が座っていた。荷駄の列の後には、鼓笛吹奏が華々しく続く。奏手は皆つばのついた丸い帽子を被り、頭頂部に細い棒と色鮮やかな紐をつけ、頭をグルグルと回しながら踊り歩く。娘たちはチマの裾を風になびかせて軽やかに踊った。後尾では、馬上の踊り子がトンボを切った。そして最後に少年が詩を書いて道行く人に配った。人々は我先にと争ってそれを受け取った。


 煙雨水林何思深

 万古千年森只在

 人生人死移変世

 我亦往還如渡鳥


 猛雪驚雨艱難苦

 飛鳥不限晴天下

 紆余曲折剣呑道

 我只推進通信道


 沿道の人々は熱狂した。制止する侍の間をすり抜けて、花をふりかけ、菓子を渡そうとした。そのさなか、陶姫は手に短冊のような物を握らされた。その者は女の恰好をしていた。意味ありげに目配せして、人混みの中に消えて行った。陶姫はそれを手の中で拡げた。そこには文字が書かれていた。


 我知陶工所在.深更待宿外柳木

 是秘密.汝単独


 陶姫は胸を押さえた。夕暮の中に、陶工の影を見たように思って沿道の人々を見回した。その時沿道から幾人かの男女が現れた。男は髷を頭頂部に結い上げ、女は髪を一つに編み込んで背中に垂らしていた。通信使の一行もこれに気づき、どちらからともなく互いに抱き合って泣いた。

「もう大丈夫。ケンチャナ。ケンチャナ」

「も、戻れるんですね。本当に…故郷に」