小説「旅人の歌ー 信使篇」その11 - 消息 | 物語書いてる?

物語書いてる?

物語に関するあれやこれや。そんなこんなでゆっくりやっていきます。

 門衛は大きなあくびをした。昨晩の酒が体に残っている。

(いやはやこの地の酒ときたら、何とも強すぎる。それにしても昨晩の女は今ひとつ冷たかったな。だがあの切れ長の目は…中々捨てておけぬ。)

 門衛は昨晩の女を思い出して顔を崩した。

(しかしまあ倭の女というものは、好奇心が強い。大師の人柄なんぞに興味を持ちおってからに…けしからん。副使はどうだとか、何でああ肩書きに弱いのだ?)

 最後の方は口に出して喋っていた。門衛は後ろから肩を叩かれた。

「オッ、朝帰りご苦労さん」門衛はわっと驚いてぬかるみに尻もちをついた。見ると踊り子がニタニタ笑っている。

「おねいちゃんがブツブツと、あんたも夜遊び、好きだねえ。でもなんで大師の事聞かれたんだ?」

「お、お前こそ本当は小娘のくせに朝帰りなんかしおって…あ。オイ」

 踊り子は門衛に向かって突進した。ぶつかりそうになったところで、尻もちをついている門衛の肩を踏み台にして飛んだ。塀の上に手を伸ばす。

「お、高いな」そう言って踊り子は塀の上でクルリと体を回転させ、塀の中に着地した。塀の中から声が聞こえた。

「いつも踏み台ありがとう」

 門衛は、塀に向かって石を投げた。そこに侍が通りかかった。

「怪しい奴」

「あ、いや、これは、儂は通信使の…」門衛の韓語は侍の耳を通り抜け、門衛は襟を掴まれ、ずるずると引きずられていった。

 踊り子は庭に出ていた陶姫を呼び止めた。

「大師、知らない?」

「そう言えば、見なかったわね。何か知らせでも?」

「うん。同胞の噂を聞いたの。陶工だって言ってた」

 陶姫は、はっと胸を抑えた。

「陶工?」

「うん。どうやらキュウシュウにいるらしいって」

「キュウシュウ?町?」

「多分。あれ?国かな?なんかそう遠くないみたい」

「そのキュウシュウに連れて行って」思わず踊り子の手を握った。その手に力が入った。

「痛っ。手を…」踊り子は顔をしかめた。

「あ、ごめん」

「もしかして、陶工を探してるの?」

 陶姫は、コクリと頷いた。

「わかった。じゃあ一緒に探しに行こう。仕度しておいて。私、大師に断って来る」

 大師は対馬の島主と話をしていた。島主は眉をへの字に曲げていた。

「…我らは此処にいると、同胞に知らしめる為だ。故国に戻れと。我らと一緒に」

「ですが、倭との交易を始めなければ…」

「大師」踊り子が声をかけた。島主は頭を下げて退いた。

「大師、同胞の噂を聞いたよ」

 大師は恵比須顔になった。

「詳しく、聞かせてくれ」

 大師は陶工の噂を踊り子から聞いて、軽く頷いた。踊り子は陶姫が陶工を探していると告げ、一緒に探しに行きたいと話した。大師は頷いた。

「そうだな。もし見つからなかったとしても、あまり落ち込むでないぞ。お前も、陶姫もな」

 踊り子は大師の顔を見上げて頷いた。

「それから、少年を連れて行け。ああ見えても、あやつも男だ」


 踊り子は道中でやたらと倭人に話しかけていた。少年が踊り子の袖を引いた。

「隊長、あれ?親分。いつから親分は倭語が話せる様になった

ですか?」

「ハッハッハ。そう簡単に話せるわけないよ。私の言葉は、『なんちゃって倭語』だってば」

 陶姫が珍しく言葉を挟んだ。

「それでも、こんな短い間によく覚えたわね」

「へっへっへ。まあだてに朝帰りしてないからね。コツを掴めば簡単だよ。ああ見えて、意外と倭語ってウリナラの言葉と似てるんだ。例えば…”エ”は”あい”に変えればいいんだ。チェモクは『だいもく(題目)』。テハクは『だいがく(大学)』。ミレは『みらい(未来)』。な?」

「へえ」

「南に行くとよくあるよ。方言だと思えばいいのさ。ハングルで書くと、もっとよくわかるよ。倭語の”エ”を立てるとハングルの”H(え)”になるけど、ハングルの”H(え)”は分解すると”I-(あ)”と”I(い)”になるじゃないか」

「あ、そうだ」

「なんだか…すごく、似てるね」

「そうだね、偶然にしては意味がある」

「”意味のある偶然”か、なかなか学のあること言うじゃないか。次は、”サ”を”し”に替える。数字のサは『し(四)』。パクサは『はくし(博士)』」

「あ、じゃあテサは『たいし(大師)』?」

「そう、よくできた」

「じゃあ…」少年は指の先を見ながら聞いた。

「アボジ。アボジは、何ていうんだ?」

 踊り子の肩が微かに動いた。

「アッパは…」そう言って雲を見た。

 三人の後を、旅姿の女が歩いていた。女は木の切り株に足を乗せて、草鞋の紐を締めなおした。

「ところでさあ、オンニ。オンニが会いに行くのは、どんな人?」踊り子は道端で拾った木の枝を振り回しながら、陶姫に聞いた。

 陶姫は、はるか遠くに見えるキラキラした海を見ながら話した。

「私が花を取ってと頼めば、怪我をしても取って来てくれた…そんな人よ」

 すんなり出て来た言葉に、陶姫は自身で驚いた。聞いていた踊り子は、うっとりと両手を握った。

「胸がこう、キュンとするね」

 その言葉に、陶姫は踊り子の髪を撫でた。

「でもその時はそれが、かけがえのない瞬間だったと、気付かなかった。二度と来ない大切な時間…」

 少年は少し離れて歩いていた。聞くともなしに聞いた陶姫の言葉に、母親の面影を想い出していた。少年の心の中に、母親の言葉が蘇った。

「耳を…ちぎって…あなたの…アボジ」

「会いに…行くのよ」

(俺は、本当に会いたいのだろうか?)

 三人は伊万里の津に入った。

 その日はあまりついてなかった。踊り子は朝からずっと人を呼び止めて、陶工の消息を聞いたが、耳慣れない発音で人々は逃げるように離れていった。人々は知らないとも、知っているとも言わない。踊り子は次第に苛立ってきた。通りすがりの男に声をかける。男は手を顔の前で振り、足早に過ぎ去ってゆく。踊り子はその男の襟を掴んだ。

「人が聞いてんのに、何でそんなに冷たいんだ?」

 男の表情が険しくなった。少年が踊り子の指を離そうとした時には、男は声を放っていた。その声に釣られて、男の仲間が集まって来た。

「小娘のくせに、何だこのやろう」

 男の仲間は侍の奴の恰好をしていた。着物の裾を捲り上げ、尻帯に挟み込んでいる。

「御免なさい」踊り子の前に陶姫が立っていきなり膝を地面につけた。

「あ、いや…そこまでは」男たちは一緒に腰を屈めた。

「こっちも、冷たかった。忙しさに…つい」

「ところで、誰を探しているって?」

 陶姫は、たどたどしい倭語で説明を始めた。

「あ、もしかして…勝手に朝鮮から攫って来てしまった人を探しているので?」奴の声の調子が変わった。陶姫は頷いた。

「それって、もしかしてあんたのいいひと?」年の若い奴が声を潜めて聞いた。陶姫は俯いた。その目から涙がこぼれて、地面に落ちた。

「あ、わかったよ。泣かなくても…その」奴はおろおろした。

「よし、お前ら。ここは一つ、その陶工探しに協力しようじゃないか」

「そうだな。引け目もあるし…俺たちの仲間は多いから大抵のことはわかるってもんだ。大船に乗った気でいな」

「悪かった。御免」踊り子は頭を下げた。

 奴たちは、陽気に笑った。

「もういいよ」

「お前ら怒ったり泣いたり、謝ったりと、忙しい奴等だな」

 踊り子は頭を掻いた。

 踊り子たちが茶店で待っていると、早速奴が通りを駆けて来た。

「おおい、見つかったぞ」

 陶姫は立ち上がった。茶碗が地面に落ちて転がった。

 山道を登っていく陶姫の目に、巨大な芋虫のような登り窯が見えた。懐かしさに目が潤む。足取りが早くなった。

「あ、オイ待てよ」踊り子と少年は大汗をかきながら後を追った。踊り子が集落に辿り着いた時、陶姫は、韓人髷の男と話していた。

「オ、韓人でしょ?アンニョンハセヨ」

 その男は李参平と名乗った。

「それで、いたの?」踊り子は陶姫に聞いた。少年はごくりと喉を鳴らせた。振り返った陶姫は泣いていた。陶姫は静かに首を横に振った。そして踊り子の胸に顔を埋めた。踊り子はゆっくりと両手を陶姫の肩に置いた。少年は李参平と話を続けた。

「我々は、連れ去られた人々を迎えに来ました」

 李参平は、遠くの山並みを眺めながら、その言葉を聞いていた。

「そうか…」

 顔を少年に戻して聞いた。

「故国は、今どういう状況だ?」

「はい、やっと少し落ち着きを取り戻しました。ですが、まだまだ復興は道半ばです」

「そうか…」

「我々と一緒に、故国に還りましょう」

 李参平は黙ってその言葉を聞いた。少年はその目に迷いがあることを感じ取った。

「何か…気がかりなことでも?」

「うむ…そうだな…」李参平は窯を撫でながら、途切れがちに言った。

「帰国のことは…少し考えさせてくれ」

 

 夕暮れの峠の頂上に、人待ち顔の女が一人、佇んでいる。女は流れ者風に髪を結い、切れ長の細い目で峠の下を見るともなく見ている。髪のほつれが風に揺れている。峠の下から、編笠を被った侍が登ってくる。侍は大柄で、見るからに戦国武将の生き残りといった体をしている。ススキの穂を口にくわえ、穂の先を揺らしながら風流歌を口ずさんでいる。女は侍に気づいて、片手を上げた。

「どうだ?当たりはついたか?」

「はい…ですが何せ異国の人間ゆえ、弱点を握るまでは難しいかと…」女は低い声で話した。

「だが少なくとも、人間関係位はわかろう。誰が大師に心酔していて、誰が利害を持っているか。特に、副使…。あるいは女子供。そしてあの踊り子…。あれはちと目障りだな」

「はい…ですが、大師以外の人間を狙っても、意味がないのでは?」

 侍はフフフと笑った。

「これはな、城を落とすのと同じ事よ。人間の集団であれば、必ず好悪の情が湧く。そこに隙が生まれるのだ。よいか、一行のうち主だった者を徹底的に調べるのだ」

「御意」

 侍は低く笑いながら、峠を越えていった。女は侍を見届けて、通信使一行の宿営地へと向かった。