小説「旅人の歌ー 信使篇」その10 - 馬上才 | 物語書いてる?

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 目の前に黒々とした陸地が見えて来た。少年はその大きな陸地に挑む様に身を乗り出して船べりに寄った。その地からは陽炎に似た半透明の気が立ち昇って来た。それは顔のない巨人のように、少年に向かって両腕を拡げた。少年は耳の位置を探した。その気は次第に薄れ、朝靄の中に溶けていった。

 

(倭に行って、何をするのか?)

(問い糺したいことが、いっぱいあるんだ。)

(何故攻めてきたんだ。)

(何故人を殺したいんだ。)

(何故赤子の鼻までもっていくのだ。)

(そうまでして、なにがしたいのだ。親父?)

(この世に生まれた意味を、親父に問いただしてやる。)

(俺という存在を、俺はしぶとく生きてきたということを、いやというほど教えてやる。)

(親父、お前が犯した女の生んだ子は、この俺だ。)

(わかっているのか。お前が犯した罪を。)

(存分に、罪を償わせてやる。)

(お前の犯した罪が、どのように俺の母親を苦しめ、殺したか。この恨みをお前に味あわせてやる。)

(俺は生まれながらの罪人だったということを、お前にわからせてやる。)

(罪人は俺ではない。お前だ。それをわからせてやるのだ。)


 少年は、荒れた海を見つめた。その眼は暗く光っていた。

 ふと波間に浮かぶ白い頭を見た。それは浜に上陸し、体を震わせて水をはじいた。大型獣らしく、のっそりと浜の奥へ消えていった。少年は回りを振り返ったが、その獣に目を向けていた者はいなかった。安堵ともつかぬ溜息が出た。

(まさか、あの海を渡って来たというのか?)

 

 陸に着いた一行を、唐津藩士たちが迎えに来ていた。範氏は一行を宿へと案内した。

「ところで、対馬藩の諸兄はここまででよい。後は我々が国境まで付き添う。遠路ご苦労であった」

 これを聞いた対馬島主は唐津藩士に言った。

「いや、我らは伏見まで、信使一行にお伴つかまつる」

「これは異な事を言う。他国者が何ゆえ我が藩の中で警護をするというのだ?我が藩に人はいないとでも言うつもりか?」

「我らは彼の国と特別な関係ゆえ、今後も何かと交誼の便を図る。我らに構わずとよい」

「いや、さようなことは聞いておらぬ。貴殿らをここから先に通すこと相成らぬ」

「ねえねえ」その時踊り子が二人の侍の間に割り込んだ。踊り子はその場にしゃがみ込んで頬杖をついた。溜息をついて侍を見上げる。

「もう、腹減ってんだよね。おたくらにとって大事な『信使様』を、一体いつまで待たしておくつもり?」

 島主はその韓語を咄嗟に訳した。

「信使殿がご立腹との事にござる。…これこのように、我らは役に立ち申す」

 唐津藩士は苦い顔をして、黙って一行を先導した。

 

 信使一行は、先頭に『清道』と書いた幟を立てて、城下に入って来た。町ゆく人々は目を見張らせた。途端に人垣ができ、一行の道の両側は、人で溢れた。

 宿に着いた大師は一行を庭に並ばせて、話を始めた。

「これより道中は、幟を立て、清道の文字に恥じぬよう、堂々と賊の巣窟まで道を進める。我々の任は、一に探賊であり、二に連れてこられた我が民の刷還である。そこでな」大師は芸人一座に向かって言った。

「お主たちは一行の後ろに着き、鐘鼓を打ち鳴らしながら、舞踊を踊ってもらいたい。特に…」と踊り子を指して、

「お主は体が機敏であるゆえ馬に乗って芸を見せるのだ。今日よりその練習をせい」

「えっ?馬だって?」踊り子は口をあんぐりと開けた。横から行首が心配そうに口を挟んだ。

「大師、それはいくらなんでも危ないです。馬から落ちて首の骨を折りはしないかと…」

「面白そうじゃないか。やってみるよ」踊り子はその場でトンボをきった。

「そうか。…次に少年」

 少年の両肩が急に持ち上がった。

「お主も踊り子に踊りを習うのだ」

「へ?踊り?俺が?」

「そうだ。ここまで来たからには、役に立ってもらおう」

「大師、ちょっと待ってくれ」口を挟んだのは副使だった。

「大師は、清道旗を前に出し、堂々と道を進むと言ったな?それが何故後ろで卑しい芸を見せるのだ。矛盾しておろう」

 大師はにっこりと笑った。

「さもなん。だから事の順序を正すために、芸人たちは後ろに回す」

「いや儂が言っているのはそうではない。そもそも何故芸人が必要なのだ?必要なのは武具であろう。賊はいつ我らを襲わぬとも限らぬではないか」

 大師は行首に目で合図した。行首は一座の者に、荷駄を引いて来させた。

「武具は、置いて来た」

「な、何?」

「これからは、此処にある物が、我らの盾となる」

 行首は荷駄の覆いを外した。そこに現れたのは、夥しい書画だった。墨に硯、白紙も用意されている。副使と門衛は顔を見合わせた。

「何か、勘違いしている様だが…」大師は静かに言った。

「我々の総勢五十七人にて、百万の軍勢を相手にするつもりは皆目無い。」

「また、道や地勢を調べるなどの無駄な事もやめさせる」

「オイ、賊を探るのが使命だろう?」副使の声が裏返った。

 大師は頷いた。

「その通りだ。賊の『心』を探るのが、儂の使命だ」

 大師は芸人の一団に向き直った。

「心を探るには、まずこちらに気を向けさせる」

「そこでお主らの出番だ。良いか?群衆の賞賛を集めよ」

「拍手の数が、己の評価となると知れ。」

 

 少年が部屋で荷解きをしていると、踊り子が顔を覗かせた。

「オイ、居るか?。オ、お前汚ねえなあ。少しは洗えよ」と言って、少年の袖をつまんだ。

「さっそく、敵情視察に行くぞ。お前、新入りなんだから、少しは気を遣えよ。今日からその心根を叩きなおすために、私の子分にしてやろう。ありがたく思えよ。ウン。では出かけるぞ」

 踊り子は色々な人の癖を少しずつ取り混ぜながら腕を組んだ。

「どこへ行くんだ?」少年は目を白黒させながら聞いた。

「まずは、馬を借りに行かなきゃならん。そうだな。対馬の馬がおとなしそうだな。対馬の連中に借りよう」

 

 踊り子と少年は、自分たちの泊まっている宿舎に忍び足で近づいて行った。

「なあ」少年が聞いた。

「しっ」踊り子が唇に手を当てる。

「何で俺たち、ここまでやらなきゃならないんだ?」

 踊り子は振り返って、腰に手を当てた。

「お前、わかってないな。いいか。ここは敵地だ。我らは敵情視察をしている。如何に自分の宿といえど、対馬を偵察するのだから、当たり前だ。それに私のことは、隊長と呼びなさい」

 少年は首を振った。二人の後ろから、声がかかった。

「お前ら、こんなとこで何やってるんだ?」

 二人はそうっと振り返った。その声は行首だった。

「なあんだ、行首。脅かしっこなしヨ」踊り子は行首の肩を叩いた。

「お前らなあ。こんな宿の前の往来で腰をかがめてたら、それだけで十分目立ってんだよ。早く馬を借りに行くぞ」行首は踊り子の髪の毛をクシャクシャにした。

「オ、行首も馬を駆りに行こうとしてたの?」ボサボサの頭のまま、踊り子は行首について行った。少年も黙ってついて行った。

「馬に乗って踊る?」応対した侍は怪訝そうな顔をした。

「馬の上に乗って曲芸を披露するんでさ。こんな風に」行首はその場でトンボを切って見せた。侍は口を開けた。

「それを、馬の上で?」

「ま、ちょっと危険ですがね。真似しちゃだめですヨ。行首の鼻の頭に汗が噴き出した。

「しかし、馬は荷駄を運ぶのに必要で、それに主人が何と言うか…」

「それじゃあこうしよう」横から踊り子が割り込んできた。

「馬を借りて、殿さまの前で披露しよう。それで手を叩いて喜んでくれたら、道中も借りるってことでどうだい?」

「分かり申した。主人に伝えましょう」

 侍はその足で主人の柳川に伝えた。柳川は応諾し、唐津藩の許可も得て、三日後に行われることとなった。踊り子は練習に馬を借りる事が出来た。後をついて来た少年は、踊り子の袖を引いた。

「親分」

「親分じゃあない。隊長だ。あれっ?親分と言うのも悪くないな。よし、親分でいこう。何だ?」

「大丈夫なのか?あんな申し出して」

「ま、やってみよう」そう言って踊り子はヒョイと馬に飛び乗った。馬は驚いて前足を上げていなないた。踊り子は咄嗟に両腿で馬の脇腹を締めた。馬はおとなしくなった。踊り子は馬上でトンボを切った。立ち上がって片足を挙げ、手で支える。

「ま、こんなもんかな?」

 次に踊り子は馬をゆっくりと歩かせた。その上で立ち上がる。

「うわあ、こりゃ高い」

 思い切ってその場でトンボを切った。少し前に着地するようにして、難なくコツを掴む。片足立ちになったところで、馬が急に駆け出した。踊り子は後ろに放り出された。気が付くと、踊り子は少年の腕の中に抱きかかえられていた。踊り子は少年を突き放した。少年は尻もちをついた。

「何すんだ?」少年は口を開いた。

 踊り子は気まずくなって、少年を無視して稽古に励んだ。いつまでもそこにいる少年にいたたまれなくなって、踊り子は少年に馬の手綱を渡した。

「ホラ、お前もやれよ」

 少年はおっかなびっくり馬に乗った。

 

 その日は朝から雲ひとつなく晴れ渡った。陽射しも暑く、まるで夏が戻って来たようだった。唐津城下はひとで溢れ返っていた。沿道を埋め尽くした人々は、何が始まるのか

、実はあまりわかっていなかった。いくつかの言葉が飛び交った。

「何でも唐人踊りの一行だとか?」

「ほお、面白そうだね」

「いや、唐津藩肝入りと聞いたぞ」

「ああそうか。唐津藩の唐人踊りか」

「いや、わざわざ朝鮮から大使が来たと聞いたぞ」

「大使、誰それ?何する人?」

「待てよ。それじゃ唐人踊りはどこ行ったんだ?」

「よくわからんが、これだけ人が集まったんだ。何かやるだろ」

 その時、耳慣れない鐘と太鼓の音が聞こえて来た。人々が音のする方へ目を凝らすと、つば広の帽子に白い衣装をした鼓手が、胸に太鼓を抱えて両手でばちを叩いている。その拍子に合わせて、男が巧みに銅色の鐘を掻き鳴らす。男は首を上下に振りながら、足も軽やかに踊り始める。その帽子の先には細い鞭がついていて、男が頭を振る毎に軽やかに宙を舞う。すると宿の門から踊り子たちが現れた。横一列に踊りながら道の中央に進み出る。一瞬踊り子たちは静止した。すると音の調べが急に激しくなった。真ん中にいた踊り子はクルクルと回り始めた。チマの裾が空気を孕んで花弁のように広がり、その両手は天に向かって突き出され、めしべのように見えた。一拍置いて、他の踊り子たちもそろってクルクルと回り出した。踊りながら中心の花を囲み、踊り子たち全体で大きな一つの花になったかのように見える。往来から拍手が起こった。幼子が楽しそうに踊りを真似る。見ていた娘たちも、着物に突っかけという姿で真似始めた。踊り子たちはチマをフワリと広げて会釈した。踊りながら左右に分かれて退場する。観衆は次の演者を見ようと目を皿のようにして探した。ひとりの男がふと上を見上げて叫んだ。

「おっ上だ」観衆の目が一斉に上に注がれた。いつの間にか屋根と屋根の間に綱が張られている。その縄を男がゆっくりと渡って来た。ヨロヨロと天秤の様に両手を広げる。その手の先には白い扇子が鳥の羽のように広がっている。不安そうな顔で、一歩歩くごとによろめく。見ている観衆はそのたびにどよめいた。人々の手の平に汗が流れた。男はへっぴり腰でなんとか綱を渡り終える。観衆が安堵の溜息をつくと、突如楽調が早くなった。男は先ほどの表情と打って変わって陽気な顔になった。綱の上で思い切り飛び上がり、股を開いて綱の上に座る。綱は大きくしなり、反動で男を宙へと投げあげる。その間にもう一人の男が出てきて、飛び上がった男の下を渡っていった。観客は何が起きたかわからず、口をポカンと開けた。次の瞬間にはどよめき、雷のような拍手が響き渡った。その様子を街道の外れから見ていた踊り子が少年に振り返った。

「さあ次は、私の番だ。一丁やったろうか」

 少年はにっこり笑って、踊り子の手のひらに手を合わせるように叩いた。

「思い切り、やって来い」

「よし」踊り子はひらりと馬に乗った。その反動で馬が駆け出した。

「あ、オイ」少年は慌てて止めようとしたが、間に合わなかった。踊り子は手綱を取ろうとしたが、目の前にあるのは尻尾だった。踊り子を逆さまの向きに乗せたまま、馬は道を駆け抜けた。観衆は近づいてくる馬蹄の響きに顔を向けた。一人の芸人が(いやまだ子供だ)馬に後ろ向きに乗っている。その恰好は人々の笑いを誘った。

 それを見ていた行首は慌てた。馬は人の多いのに驚き、ぴたりと止まった。踊り子は馬上でクルリとトンボを切った。宙で身を捻って鞍の上に立った。そこで大きな拍手が湧いた。踊り子はさらに片足を上げた。人々の喉から感嘆の声が漏れた。

「まるで、鶴が翼を広げて、片足で立ったようじゃ」腰をかがめた老人が、うっとりとして言った。観衆の声を聴いた踊り子はにっこりと笑うと、その状態のまま、馬をゆっくりと走らせた。片足が鞍の上で滑った。踊り子は咄嗟に鞍の突起に掴まった。上半身が馬の右手に下がり、地面が顔すれすれに迫った。手でしっかり鞍を掴み、両足は揃えて空を指した。観衆の拍手が一段と大きくなる。踊り子はクルリと体を回転させ、鞍の上に腰を落ち着けた。

(オ、この技いいかも?)

 踊り子は馬を返し、宿の前で馬を止めた。同時に馬上でトンボをい切り、そのまま地面に両手を拡げて着地した。

「いいぞ。いいぞ」

「あっぱれ」

(褒めてるってことかな?)

 芸人の一団が踊り子に駆け寄った。行首は近づくなり踊り子の額を指で弾いた。

「この、ハラハラさせやがって。何度もどうなるかと思ったぞ」

 踊り子は舌を出した。

「ヤッチマッタ。と思った」

 そばにいた大師も大声で笑った。

 唐津藩主が踊り子の目の前に現れた。

「その方、あっぱれ…お、女子だったのか。いや驚いた。大した度胸だ」

 傍にいた訳官から聞いて、踊り子は頭を撫でた。

「褒美を取らそう。願いがあるなら申してみよ」

 その言葉を訳官から聞き終わった後も、踊り子は額に指を当てて考えた。

「あ、そうだ。私たちは、連れ去られた人々を連れ戻しに来た。これをやったのも、その人たちに伝わるように、人の目を引くため。だからこのことを、国中に広めてもらいたい」

 訳官の翻訳する声に耳を寄せながら、藩主はじっと前を見ていた。

「分かった。辻辻に韓語で張り紙をしよう。またこの事、徳川どのに伝えよう」

 その時、沿道で泣き崩れた婦人がいた。踊り子の胸が高鳴った。踊り子は韓語で呼びかけた。

「ケンチャナ。もう大丈夫。今まで、大変だったでしょう」踊り子は婦人の肩を抱いた。その後ろから小さな手が伸びて、夫人の着物を引っ張った。

「母ちゃん」踊り子はハッとして、その子を見つめた。婦人は子供を抱いて、いつまでも泣き続けた。