小説「旅人の歌ー 信使篇」その6 - 鬼火 | 物語書いてる?

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「ヤア、いい天気だな。また今日も暑くなりそうだ」


 踊り子は手をかざして、遠くの山並みを見た。
「そうだな。まだまだ暑い日が続きそうだ。南にある倭へ行ったら、もっと暑いんじゃあないか?」
 行首が相槌を打つ。
「さあ、それじゃ出発しようか」
 大師が馬上にあがる。一行は宿舎の前で列を整えた。
「よし、じゃあ景気よく喇叭でも鳴らすかい」
 行首の指示で、楽隊の吹奏が始まった。道行く人々は何事かと振り返る。
「ハハハ、アジョシ(オジサン)。驚かせたね」
 踊り子は道行く人々に愛想を振りまいた。
 荷駄の列が続く。副使は輿の上から、その荷駄を振り返って首を捻った。
(本当に武器が入っていたのだろうか…?)
「ナウリ(旦那)、いよいよですね。何か興奮しますな」
 門衛が楽しそうに輿の横を歩いて行く。
「オイ、これから行くところは、『倭』であることを、忘れるな」


 列の中ほどでは、少年が慣れないチマ姿で、足を外側に向けて歩いていた。
「女のくせに、もう少し上品に歩けないのかい?」
「あ…」少年は下を向いた。
(オモニ、俺はアボジを探しに行く。見ていてくれ。)

 

 一行は南原に差し掛かった。荒涼とした土地に、炭化した家の跡が残っていた。崩れかかった柱、屋根の燃え落ちた居間、灰に埋もれた竈が、風にさらされている。風で飛ばされた灰の跡からは、骨が現れた。金副使はふと今晩の宿が気になった。既に夕暮れである。この先泊まれる地があったかどうか?

「お前、ちょっと大師に聞いて来い。今日は何処に泊まるのかと?」副使は門衛に向かって言った。前方の大師を顎で指す。門衛は頷いて大師に聞きに行った。

「ここに?」副使はそう言って口を開けた。あたりを見回す。

「特に、宿らしきものはないが?」

「はあ。あ、大師が止まった」

 大師は手を挙げて皆の歩みを止めた。

「今日は、ここに泊まろう。皆風の防げる場所を探して、各自寝るところを確保するように」

 副使の顎が下がった。

「大師、何を言っているのだ。酒も食事も、雨風を凌げるところすらないではないか」

 大師は早速崩れかけた壁に荷を降ろした。

「なに、意外とこの様に寝れるところはある。石に枕し、草に臥する。詩人の境地になったと思えば、風雅なものでござろう」

 

 その時、風が音を運んできた。動物の鳴き声とも、風自身の吹きすさぶ音とも取れた。それは長く、尾を引くように続いた。

「皆、今晩は火を絶やすでないぞ。さもなくば倭に荒らされたこの地の怨念が、人に取りつくやも知れぬでのう」そう言って大師は笑った。人々はソワソワと辺りを見回した。

 

 料理係は早速煮炊きの仕度を始めた。少年は民家の跡で、灰を払って竈を掃除した。横で見ていた料理係のひとりが話しかけてきた。

「ねえ、あんた。どこの出身?」

 少年は頬の筋肉を動かして、口の両端を上げようと努力した。かろうじて笑顔の形になった。

「それにしても、随分体つきがごついけど、どこかの奴婢だったの?。相当苦労したみたいだね。顔なんか日に焼けて真っ黒」

 少年は微かに頷いた。

「そう、大変だったんだね。でもここは、もっと大変だよ。何せあの『倭』に行かなきゃならないんだから」

 料理係の言葉に、少年の唇が引き締まった。

「ま、考えても仕方ない。なるようになれさ。大師がいらっしゃるから」

 少年の頭に、『倭』という言葉が響き渡った。その一字から逃れる為だけに、これまで息を潜めるようにして生きて来た。それが生き残る術だった。嘘をつき、人々から逃げ、住むところを変え、雨を避ける場所もなく、ひたすら彷徨い続けた。寒い冬に人々に追われ、何度か凍死しかけた。雪を掘って母親の冷たい体を温めた。あの時は、母親は死の淵から戻ってきてくれたが…。少年の耳に、母の最期の言葉が蘇った。

「父親は、右の耳に噛み…ちぎられて…」

 母親の苦しそうな顔が、少年の心に焼き付いていた。その部分は、火傷をした上顎のように、いつまでも痛かった。

「わしが…噛みちぎって…それが、目印…」

 不意に目の前に料理係の顔が映った。

「ちょっと聞いてるの?」

「え、あ、はい」

「だからホントに見たんだってば」

「えっ、何を?」

 料理係の目が細くなった。ホラ、やっぱり聞いてない。嘘だと思っているんだろう?もういいよ」料理係は横を向いた。

「え。いや。御免なさい。何を見たって?」

「だからあ、鬼火のようなのが、あの奥から見えたのよ。それと、さっき皿を割るような音も」

「皿を割る音?」

「きっと私たちみたいな料理係が、ここで倭人に殺され、それで化けて…」

 少年は身を震わせた。

(ここは、『倭』に襲われたのか…。)

「まさかあ」外から声が聞こえた。踊り子がひょいっと顔を覗かせた。

「アジュマ、それじゃそのうち、破れた障子の陰からとんがった耳が見えるようになるよ」

 料理係の耳が赤くなった。

「ちょっと、私はまだあんたに『おばさん』扱いされる年じゃないんだよ。失礼だね。人の話を信じないつもり?」

「ううん。皿が割れた音聞いただけで、よくそこまで想像するな、と思っただけ」

「だって音が異常に大きくて…。何か思い切りぶつけたような音だったのよ。何か恨みでも持っているような…。それで私はっとして…」

「ふうん」踊り子は腕組みして考え込んだ。

(調べてみるか…。)

 

「オイ、新入り」

 呼ばれた少年は、自分の顔を指さして、首を傾げた。

「『新入り』と言ったらお前しかいないだろ?今晩は寝ずにこのあたりを調べるぞ」

 

 夜の静寂をついて、鳥が啼いている。何を知らせているのか、一定の間隔を空けて、規則正しく繰り返している。その暗闇の中を、二人の人影が廃墟の奥へと進んで行った。垣根だけ残っている屋敷跡を覗く。中に進もうとした踊り子の袖を、少年が引っ張った。振り返った踊り子に、首を横に振る。踊り子は笑顔を見せて、少年の肩に手を置いた。

(これじゃ、どっちが男だかわかんないな。服装も反対だし…。)

 踊り子はさらに前に進もうとして、ふと後ろの気配に振り返った。少年が戻ろうとしている。

「オイ」踊り子は少年の襟をつかんだ。その時、前方を何かが横切った。振り返った二人の視界には、何も入らなかった。気が付くと、鳥の声が止んでいる。二人は、その姿勢のまま凍り付いた。

 壁の裏手で、何かの割れる音がした。二人は思わず顔を見合わせた。今度は踊り子が首を横に振った。少年に先に行けと言っているのだ。少年は首をすくめて、開き直ったかのように音を立てて歩き出した。踊り子は慌ててその後をついて行った。裏手に回ったところで、急に視界が開けた。少年が止まり、踊り子はその背中に鼻を擦りつけた。

 

 そこにひとりの娘が立っていた。壺を両手で頭の上に持ち上げて、下の大石に叩きつけようとしていた。娘は苦し気な表情のまま、少年を見た。

 娘の体から力が抜けていった。娘の手から壺が滑り落ち、石に当たって半分に割れた。娘はその場にしゃがみ込んだ。

(この白じゃあないの。こんなの白と言えない。ウリナラの白じゃないわ。ダメダメ。これじゃあ、あの人に会わす顔が無い。)

「あんた誰?ここで何してるの?」踊り子が少年の後ろから出て、腰に手を当てた。

 娘は顔を上げて、少年と踊り子を見た。

「見たね」

 二人の背筋に悪寒が走った。娘の表情は、何かに取り突かれたかのように見えた。

「そこに、誰かいるのか?」壁の婿から声がした。それは大師の声だった。

 少年は踊り子の手を取って駆け出した。大師が裏に回ってみると、娘がしゃがみ込んで、陶器の破片を拾っていた。

「今誰か、此処にいたか?」娘の肩越しに声をかけた。

 振り返った娘の目は虚ろだった。

「はい。今二人の男女が…」

「二人の男女が?」

「はい、男装の女と、女装の男が」

「ふむ…そろそろ皆に紹介するか」大師は足元の土を見て、耳を掻いた。

「ところで、壺の方はどうだね?」

「はい、未だ…」

「そうか」大師は近づいて、娘の肩を軽く叩いた。

「実は…思い出せないのです。彼の求めていた色が、どんな色だったのか…」

「ふむ…そうか。ならば自分の色を出せばよい」
「自分の色?」
「そうだ」
「…わかりました」

 

 金副使は扇子をパチパチと開閉した。そこへ門衛が戻って来た。
「何と言っていた?今日もこのまま出発しないのか?」
「はあ、まだだそうです」
「どういうことだ?」
「それが…何でも鬼神が出るとかで、その霊を慰めるのだそうで…」
「なに鬼神だあ?」
 副使は鼻を鳴らして立ち上がった。大師の所へ向かう。
「大師、どういうことですかな?鬼神を慰めると聞きましたが…」
 大師は岩の上に石を積み上げ、数珠を鳴らして目を瞑っていた。
「オウ、金副使。ちょうどいいところに来た。この地は異様に霊感が強い。無念な思いをした魂魄が宙を彷徨っているようだ。一緒に祈祷してくれぬか」
「何をたわごとを言っておられる。我らは祈祷集団ではない。倭に渡らねばならぬのですぞ」
「ほう、そうであった」大師はツルリと頭を撫でた。
 副使は首を横に振った。
「だが、此の地の鬼神は…噂をすれば虎が来たようだ」
「虎が来る?何を…」その言葉は途中で途切れた。
 視界の隅に何かが横切った。副使はゆっくり頭を回す。廃墟の向こうから、人の影が近づいてきた。人々が集まって来た。
 その影は妙齢の娘であった。切れ長の瞳がゆっくりと瞬きする。黒髪が顔にかかった。風が吹いて、その髪が一斉に靡いた。女は薄く笑った。
「ヒ、ヒエー」門衛は真っ先に逃げ出した。
「陶姫、どうだ?完成したか?」大師が親し気に聞いた。
「はい、やっと…やっと完成しました」
 そう言って娘は壺を差し出した。
 その壺は乳白色と白の中間のような色だった。皆は息を飲んだ。
「倭王への土産じゃ。これで出発できるな」
 集まってきた人々の前で、大師は娘を紹介した。
「朝鮮で一番名の売れた、此処南原陶工の生き残りだ。この娘も連れて行く。皆の衆、よろしく頼むぞ」
 陶姫は静かに頭を下げた。
「よろしくお願いします」