小説「旅人の歌ー 信使篇」その5 - 背の高い娘 | 物語書いてる?

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 少年は宿舎の方を見上げた。

 

 しばらくまともに飯にありつけず、さすがに体が弱ってきていた。塀の回りをウロウロと巡る。と、道端に物入れが落ちているのに気付いた。拾って中を見ると、饅頭が幾つか買えるくらいの金が入っていた。少年の足に力が戻った。少年は走りながら塀の角を曲がった。目の前に人がいて、頭をしたたかにぶつけた。視界が金色の光で覆われた。気が付くと、相手の体の上に乗っていた。口に柔らかい感触がする。唇が重なっていた。目の前に、大きな二つの瞳があった。

 

「ヤア。何すんだ。この変態ヤロウ」

「少年は突き飛ばされて、体が宙を飛んだ。その相手は男の恰好をしていた。立ち上がると、少年の胸ぐらを掴んだ。その拍子に少年の胸元から物入れが落ちた。

「オ、こいつは、私の…。オイ、こいつはどういう事だ?何でお前がこれを持っている?」

 少年は弱々しく声を出した。

「何言ってるか聞こえないよ」

「ひ、拾ったんだ」

「拾った?」踊り子は腕組みして、少年を正面から見据えた。

「お前の顔、見覚えがある。何日も門の前をうろついてただろ。何を探ってんだ?」

 少年は頭を横に振った。

「探ってなんかいない。ただ…俺も」

「俺も…何だ?」

「倭に…行きたいんだ」

 踊り子は眉を上げた。

「ウェ(倭)にウェ?(何故)」踊り子は言ってから自分の言葉が可笑しくなった。

「それは…」少年は踊り子の言葉に気が付かなかった。

「言えない」少年は下を向いた。

「やっぱりお前、怪しいヤツだな」

 

 踊り子は少年の手を引いて、門を潜った。

 門衛が慌てて止めようとする。

「お前、また面倒を持ち込むつもりか?その物乞いは…あっ待て」

 踊り子は門衛に構わず宿舎へと向かった。

「大師、怪しいヤツを捕まえました。大師」

 踊り子の威勢のいい声に、多くの人間が表に出て来た。

「どうしたのだ?」大師がゆっくりと聞いた。

「怪しい奴を捕えました」そう言って踊り子は少年の手を引っ張り、横に立たせた。

 大師は歯を見せた。

「手など握って…随分と親しいようだな」

 踊り子は慌てて手を離した。

「ち、違いますよ。こんな変態ヤロウ」

「変態?」

「…じゃなくって、こいつ外をうろついてたんですよ。また大師の邪魔をする連中が送り込んできたんじゃないかって」

 

「そやつのことは構うな」大師は面倒な顔を見せた。

 少年の頬が紅潮した。

「何故だ?何故俺を除け者にするんだ?俺が倭に行きたい理由は百も承知のくせに」

 その場の人々の口が一斉に開いた。大師と少年に代わる代わる目が集まる。踊り子は行首に首を傾げて見せた。行首も首を横に振った。

「理由が知りたいか?」大師は少年の目を正視した。少年の目が挑む様に大師に向けられた。

「知りたい」

「その理由は…」大師は、ふと踊り子を目に留めた。

「そこの踊り子が教えてくれるだろう」

 

「へっ?」声を出したのは踊り子だった。

「とにかく、お前をこの旅に連れていくわけにはいかん。よいか皆の者。この者を宿舎の敷地に入れるでないぞ」大師は、最後は怒った様な表情になり、奥に引っ込んだ。

 門衛は少年を引きずって門の外に放り出した。その様子を、副使はじっと見ていた。

 少年の目の中に、さっきから大師の顔がちらついて離れなかった。両腕で頭を抱え込む。そのまま塀に背中を預けてしゃがみ込んだ。横に人の気配を感じて、顔を上げる。近くに踊り子の顔があった。少年は驚いて尻もちをついた。

「本当に倭に行きたいんだね」

 

 少年は踊り子と目が合って、また下を向いた。踊り子はふいに、少年に馬乗りにされた光景を思い出し、目を逸らせた。

 

「大師とは、前からの知り合いなのか?」

 少年は答える代わりに、道端に生えている草を毟り取った。

「倭に行きたい理由と、関係があるのか?」

 少年は草を毟り続けた。

 

「言いたくないんだな。わかった。聞かない」

「大師は、何故あんなに俺につらく当たるんだろう?」

 少年が口を開いた。

「心当たりがないのか?てっきり気まずい関係なのかと思った」

「無い。旅に誘ってくれると思った」

「何故だ?」

「それは、俺がこの国の何処にも、居場所が無いと知っているから…」

 踊り子はプッと吹き出した。大笑いしながら少年の肩を叩く。

「大袈裟なことを言うな。それで格好つけたつもりか?」

 少年の耳が赤くなった。

「まるで自分が、名の知れた大盗賊みたいに言うじゃないか」

 少年は唇を尖らせた。

「ヒッヒッヒッ。何て顔だ。ところでお前、食い物に困っているのか?」

 言われて少年は腹を抑えた。さっきから腹が何度も鳴っていた。

「わかった。一団に加えてもらえるように、何か考えてみるよ。そんな暗そうな顔すんなって。何とかなるよ」この時、踊り子の頭の中に、一人の料理係の顔が浮かんだ。

 

「オンニィー(お姉さん)」急に甘ったるい声が聞こえ、厨房にいた料理係は野菜を切る代わりに指の皮を切ってしまった。

「痛っ」

 するとその指を踊り子が口に含めた。料理係は思わず手を引っ込めた。

「よしとくれ。気持ち悪い。男だか女だかわからない恰好して」

「オンニィー。ひどいな。女だよ。稽古するのに動きやすいからこの恰好してるだけさ」

「わかったよ。で、何か用かい?」

「よくぞ聞いてくれました。ここ辞めたいって言ってたよね。倭まで行くのは嫌だって」

「ああ、行きたくないのさ」

「じゃあさ。オンニから口入れして欲しいヤツ…子がいるんだ。オンニから紹介してもらえば、料理長もうんと言うだろ?」

「まあいいけどさ。大丈夫なんだろうね?」

「オンニ、ケンチャナ。大丈夫だって。じゃ連れて来るよ」踊り子は満面の笑みで厨房を出て行った。

 

「随分と背の高い娘だね。それに色も真黒だ」

 チマチョゴリ姿の少年を、料理係は訝しそうに見た。少年の耳元に顔を近づける。

「あんた、ホントに女かい?」

 少年は俯いて、消え入りそうな声で答えた。

「はい」

 それを聞いていた踊り子の顔が一瞬崩れそうになった。腹の筋肉を必死に締めて。踊り子は堪えた。笑いの衝動がすっと消えた。

「オ、オンニ。年頃の娘になんてこと言うんだ」

「わかったよ。あたしにとっては渡りに船だ。うまく言っとくよ」

 踊り子と少年の目が合った。少年はまた俯いてチマの裾をいじった。踊り子は我慢できなくなって、厨房を飛び出した。踊り子は走りながら思いっきり笑った。