小説「旅人の歌ー 信使篇」その4 - 倭の書 | 物語書いてる?

物語書いてる?

物語に関するあれやこれや。そんなこんなでゆっくりやっていきます。

 その日は、朝堂の空気がずしりと重かった。倭から来た一通の書状が、重臣たちの頭を悩ませた。そもそも、その書を開く所から反対の声が上がった。
 「先の倭乱を忘れたか。その書状は見ずして破るのが当然ではないか」倭軍に散々痛い目にあった武官が発言した。
 「だが、倭に拉致された民の事を考えると、まずは誰が、何を言ってきたのかわからん事には…」

 朝鮮国王である宣祖はその場で書状の開封を命じた。
  その書は源姓の者から来ていた。先の逆賊は…確か平姓だったはず。その者は死んだと聞いた。そして、その書状は再び交流を求めていた。先の戦は、平秀吉が勝手に興したもの。自分は全く関わっていない。願わくは向後「通和」を乞う。その書は簡潔に結ばれていた。
 「ここは、よくよく見極めねばならない」宣祖から疎まれながらも、最後までつき従った領議政が口を開いた。
 「そもそも今の脅威は一に北方にある。オランケに対するに我が武力は十分ではない。とくに鳥銃の不足は明白な事実である」一同は話の矛先が見えず、目を瞬かせた。
 「ならば、倭より鳥銃を買い付け、軍備を整えることこそ肝要となろう」
  何人かが思わず頷いた。
 「次に、荒廃した国を回復せねばならない。すなわち、倭に拉致された人を取り戻し、失われた秩序を取り戻し、国の復興に努める」

  朝堂に居並ぶ面々は、領議政の次の言葉を待った。
 「とはいえ、この書をこのまま信ずるわけにもいかぬ。ここは、倭賊の真の意図を探る、探賊使を遣し、さらに人質となった我が国の民を刷還する。こちらから積極的に動くがよいかと存ずる」領議政は言葉を切り、居並ぶ人々を見た。最後に宣祖に奏上した。
 「どうかご賢察のほどを、殿下」
  宣祖は、無言で頷いた。
 (そうと決まれば…次は誰が行くか、だが。)
  人々の心の中に、苦い思いが湧きあがった。屈辱感が重りのように口を閉ざす。
 「殿下」列の奥から、野太い声が挙がった。人々が声をした方を向いた。声を発したのは、僧形の人であった。
 「及ばずながら、刷還使の役、拙僧に仰せつけのほどを、奏上申し上げまする」
  ざわめきが起きた。安堵感が重い空気を追い払ってゆく。宣祖の愁眉が開かれた。おお、大師であったか。よくぞ申した。そこに、声が挙がった。
 「殿下」先ほどの武官であった。
 「探賊使となれば、我が国の武威を示さねばなりませぬ。僧籍に身を置く者に、果たしてその大役が務まりましょうや」


  宣祖が下問した。

「ならば、誰が適任と申すか?」

 武官が上申した。

「領議政どのが適任かと思いまする。そもそも、倭の侵入はなしと一蹴し、こたびの乱を許したのも、領議政ではござりませぬか?」 

 人々は、領議政の顔色をうかがった。その顔には翳が差していた。何人かの武官が、賛同の意を発した。宣祖は瞑目した。

 

 堂内に沈黙が流れた。 

 次に宣祖が目を開いたとき、その瞳に強い光が宿っていた。宣祖は静かに口を開いた。
「領議政が、副使の言を取り上げ、倭の侵入は無いと断じたのは事実である。避難の最中は、何度も領議政の職を解いた。にも拘らず、最後まで朕につき従っていたのは、ここに居るものでは領議政ただ一人である」

 宣祖の視線が人々に注がれた。人々は下を向いて息を殺した。
「したがって朕は領議政を復活させた。皆もこの朕の言を胸に深く刻むように。次に、探賊使の件である。皆も周知のごとく、ここにいる大師は倭賊の陣中に単身赴き、狂虎の如き敵将に誼を通じ、一歩も引かず、その『鉾』を『止』めた。これを『武』と言わずして何と言わんや」 

 宣祖は、武官に両眼を据えた。
「翻って我が武官輩はこの戦で何をしたか?そち達武官は、負け続け、逃げ続け、朕が出撃を要請した時でも、拒み続けた。そちは、この点を如何に思う?」 

 武官の額から汗が噴き出した。

「朕は、そちに汚名をそそぐ機会を与えよう」 

 武官は、思わず面を上げた。

「刷還副使として、大師を助け、必ず拉致された人民を刷還せよ」
 一同が、思わず面を上げた。それは、性格が変わったのではないかと思うほどの勅語であった。


 刷還使一行の泊まる宿舎は、荷車や人だかりでごったがえしていた。砂埃でくすんだ顔をした遊芸人の一行が、その門前に辿り着いた。

「ここだよ、きっと。表札に、『刷還使』と書いてある」小さな藁帽子を被り、芸人風のズボンをはいた踊り子が、後ろを振り返って言った。

「おい、字も読めない癖にまたいい加減なことを。あ、こら待て。勝手に先に入るな」一団の長らしき人物が言いかけた時、門の内側で大声が挙がった。

「おい、ここは子供の来る所ではない」 

門衛が、踊り子の襟をつかんで、引きずり出してきた。

「何だ。お前らは」

「へえ、旅回りの芸人でさ。私は行首をしてます、チョン・ヘス…」

「そんなことを聞いているのではない。なぜおまえらが此処にいる。邪魔ではないか」

「へえ、大師から、ここに来るようにと」 「大師だと?出鱈目ぬかすな」

「本当でございま…あっ」行首は門衛に思いっきり腰を蹴られて転がった。

「やあ。何すんだい」後ろから声が挙がると同時に門衛の後頭部にずしんと痛みが走った。後ろを振り返ると、藁帽子の踊り子が棒切れを振り回している。捕まえようとする門衛の腕を掻い潜り、脇腹にぴしり、背中にぴしりと散々に打ちのめす。この騒動に、離れた所にいた門衛たちが駆けつけてきた。

「何を騒いでおる」宿舎の中から大声が聞こえてきた。 

 大師が宿舎から出てきてみると、一人の踊り子を三人の門衛が抑え、拳で殴っているところだった。

「やめんか」大師は杖を投げて踊り子を殴ろうとした門衛を止めた。 

 そこへ、副使が現れた。

「この騒動は、一体どうした事だ?門衛、なぜそこの遊芸人を敷地に入れる?早くつまみださんか」 

 大師が前に出て、言った。

「わしが、招いた。この者たちを、旅につれていくつもりでおる」 

 副使の表情が変わった。

(一介の僧ごときが、何を偉そうに…)

「正使になったからといって、あまり増慢しないでもらいたい。何を勝手なたわごとを申されるかと思えば、この賤しい遊び人どもを、崇高な刷還の任務に連れていくだと?」

 大師は黙って頷いた。

「気でも狂われたか?いや、本気で任務を全うするつもりがおありか?」副使は大師に詰め寄った。しかし大師はその場をするりと抜け、倒れていた踊り子を抱き起こそうとした。踊り子は活きのよい魚のように跳ねあがった。大師の腕を振りほどくと、そばにいた行首の陰に隠れた。 

大師は少し微笑むと、座長と目を交わし、無言のまま、背中で一行を誘った。 

副使は口を開けたまま一行を見送ると、頭を振って口の中で呟いた。

(これは、大師を告発する機会かもしれぬ。少なくとも、監視は必要かもしれぬな。)

 副使の口辺が緩んだ。彼はその足で、宮殿へ向かった。

夜の静寂の間から、何かのきしむ音が聞こえてきた。重そうな音がゆっくりと門の方へと遠ざかってゆく。踊り子は目が覚めた。
(あれは、荷車の音か?やけに重そうだ。こんな夜更けに、どこに行こうというんだろう?)
  息苦しく、寝付けない夜だった。踊り子は寝るのをあきらめて、そっと外に出てみた。
  満月が煌々と辺りを照らしていた。その中を、数台の荷車が、人夫達に押されてゆく。踊り子は物陰に隠れながら、その後をつけていった。するとその目の前を、同じように尾行して行く影に気が付いた。その影が月明かりに出た時、踊り子の口元が緩んだ。
(昼間喧嘩した門番だ。)
  その人影は、明らかに慣れてない様子で、オドオドとした足取りで、荷車の後をつけていった。
  荷車を押す人夫達は、裏通りを選んだ。狭い曲がり角を、荷車を巧みに動かして進んでゆく。とある大きな家の門の前で立ち止まった。門構えからすると商人のようだ。人夫は小石を拾って門に向かって投げた。それを三度繰り返すと、門が鈍い音を立てて開いた。荷車はその中に入っていった。最後に門の中から人の首だけが出て、辺りを確認した。月明りに顔が見えそうになった門番は、慌てて物陰に隠れた。退屈な時間が過ぎた。踊り子は、あくびをかみ殺した。なんとなく前の物陰にいる男に付き合う形になったが、戻ろうかと腰をあげかけた時、また鈍い音がして、門が開いた。人夫達が荷車を引いて出てきた。車のきしむ音が門に入る前と違っている。少しだけ軽く聞こえた。荷車はそのまま宿舎へと戻った。すると門の中から、大師が出てきて、人夫達に言葉をかけた。
「ご苦労だった」
  大師は荷車の中身を確認すると、軽く頷いて人夫達を招き入れ、門を閉じた。内側から閂を掛ける音がした。
「しまった」
  その声は踊り子のものではなかった。門衛の男だ。踊り子は思わず微笑んだ。
  男は宿舎の塀を、グルグルと回った。どこかよじ登れるところを探しているのだ。踊り子は肩を竦めると、こっそりその後をついていった。
  その男は何周も回った挙句、やっと少し崩れかけて低くなっているところを探し当てた。その男が塀に手を掛けたところで、踊り子は男の背中に向かって猛然と走っていった。その男が気づかない内に、地面を蹴って男の背中を駆け上がった。
「ありがとよ」
  男は何が起きたのかわからなかった。踊り子は男の背を利用して難なく敷地内に降り立った。男は焦って、片足を塀にかけたが、そこから上体を塀の上に引き起こす力がなかった。片足が塀の内側に現れたところで、踊り子は思い切り叫んだ。
「盗賊だ。みんな、早く起きろ」
  門衛は足ごと中に引きずり落とされた。自分の同僚たちが取り囲むようにして門衛を見ていた。その輪の中に、金副使がいた。
「貴様、ここでいったい何をしているのだ」
  門衛はしどろもどろに説明した。荷車の後をつけて、見知らぬ家まで行った事。しばらくして、その荷車が家から出てきたこと。荷車の後をつけて宿営に戻ると、大師が門を開けて待っていたこと。
  副使は男を連れて、荷車のある倉庫へ向かった。その騒ぎに、大師も宿舎から出てきた。
「何があった?」大師は静かな声で聞いた。
  副使が一歩前に出て言った。
「この中に、盗賊がいる」
  大師は半眼を開けた。そのまま黙って副使の顔を見た。副使は、皆の目が自分に注がれるのを待って、おもむろに言葉を繰り返した。
「この中に、盗賊がいるのだ」
  皆は、おもわず大師の顔色を窺った。
  大師は、両の眉根を上げて、顔に三本の横皺を作った。
  副使は、大師が何かを言うだろうと思った。そこがねらい目だった。だが、いつまで待っても大師からは口を開く様子がない。無言の圧力に負けて、副使は自分から切り出した。
「今晩、この宿営を抜け出した者がいる」
「あっ、そいつ知ってるよ。それがこの門番だ」
  後ろからふいに声を浴びせられ、副使はうろたえた。振り返ると、昼間の踊り子だった。
  副使は舌打ちした。門衛は、無様に転がったままだった。その姿は塀から落ちたことを物語っている。
「いや、そうではなくて」副使は、自分が罠にはまったような感覚に陥った。これではまるで自分が門衛の弁護をしているようなものだ。
「今晩、荷車の荷を外に持ち出した者がいるのだ」
  副使は無意識に顎鬚を触った。
  大師が、口を開いた。
「それは、確かか?」
  副使は、鷹揚に頷いた。
「では、確認せねばならんの」
  一行は倉庫の前に来た。見ると、錠が下りていた。副使はまた自ら口を開いた。
「こんな物は、後からいくらでも錠をおろせる。何をしている?早く中の荷をみせろ」
  中から荷車が引き出されてきた。
「この荷には、銃が入っていた」  部下に目配せして、荷の蓋を開けさせる。
  すると、中には、黒光りする銃が、おがくずに包まれて見えた。副使の目が開かれた。またも、沈黙が続いた。今度は注目が、本当に副使に集まった。副使の額に青い筋が浮かび上がった。
  大師は一言、言った。
「さあ、これで疑いは晴れたであろう。じき、夜も明けよう。もうひと眠りするかの」
  そして、スタスタと寝所に向かって歩いて行った。副使は門衛の顔を睨みつけると、乱暴な足取りで寝所に戻っていった。