小説「旅人の歌ー 信使篇」その3 - 村の噂 | 物語書いてる?

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 倭人の血を引いた子の噂は、その日のうちに村中に広まった。
 最近、どこの子だかわからない子を見かけるようになった。そう言えば、この間の夜、森の中からこっちを見ている子供がいた。眼は赤く光り、青白い顔して、ぼろぼろの服を着ていた。思わず驚いて声をあげると、森の奥に逃げて行った。あれが倭人の子?さあ、そうだと怖いね。村にわざわいを持ってきたって。わざわいって?さあ、何かよくわからないけど、疫病神のようなもんだろ。日照りとか、水害とか、蝗の大量発生とか?
 
 村の長老たちは、さっそくお祓いをしようと相談になった。それには、村はずれの巫女にやってもらえばよい。こうして、村の長老たちがこぞって巫堂にやってきた。少年は何喰わぬ顔でその面々を出迎えた。
 だが母親は、身をもじもじと小刻みに動かしていた。まるでその日だけは正気に戻っだようだった。巫堂に座り、紙銭を焼く段になっても、蝋燭に火をともすのにてこずった。宙に目が泳いだ。どこからか風が吹きこみ、焼いた紙銭が巫女の手を離れて宙を舞った。人々は何か異様な事が起きたように思った。紙銭の火が天井からつるした色とりどりの布に燃え移った。瞬く間に家じゅうに火が燃え広がった。人々は慌ててそのあたりにある物を掴んで火を消しにかかった。火が収まったころには、家の中は煤だらけになっていた。
 長老たちは、今起きた事の意味を考えながら、巫女の家をでた。やはり、あの噂は本当で、もう既にこの村に、倭人の子がいるのだ。
 長老たちは、倭人狩りを行うことに決めた。だが実行することにしてから、倭人がどんな格好をしているのか、よくわかっていないことに気がついた。噂の許をたどってみても、最後は煙のように消えていた。
 
 そんな折、村に旅の僧が立ち寄った。僧は各地を回って、倭乱によって犠牲となった魂を鎮めていた。
 僧は村はずれの巫女の家で笠を取った。
「お頼み申す」
 その声を聞くと、少年の心に妙な胸騒ぎが湧きおこった。
「何か御用でしょうか?」外に出てみると、僧はその穏やかな声に似合わず、いかつい顔をしていた。深山の奇岩のようなごつごつとした顔だ。
「ここに、巫女がおると聞いて来たのだが、留守であったかな?」
「はい、今出かけております」
 僧は庭の壇に腰かけた。
「巫母どのが帰ってこられるまで、ここで待たせてもらってもよいかな?」
 少年は無言で頷いてから、いつ戻ってくるかわからなかった事に気がついた。
「いいけど、お坊さん。何時に戻ってくるか、わからないよ」
「そうか」僧は短い髪をざらりと撫で上げてから、少年に笑いかけた。
「水を一杯、所望できぬか」
 少年は甕から水を汲むと、柄杓を僧に渡した。
「お坊さんは、色々なところを回っているの?」
「ありがとう」僧は柄杓の水を、喉を鳴らして飲んだ。
「そうじゃ。色々なところを回っている。時に、もしや南村にいた事があるかね?」
 少年は無表情を装って首を横に振った。
「なぜ?」
「いや、それならよい」僧はふと、まなざしを遠くの雲に向けた。入道雲がぽっかりと浮かんでいる。
「ひと雨、来そうじゃな」
 少年は、村に出かけた母親の事が気になった。その時、僧が独り言のようにぼそりと言った。
「ここも、そろそろ潮時かもしらん。母親を連れて、どこぞへ引っ越したほうがよいかもしれぬ」
 少年は思わず僧の顔を見た。僧はゆっくりと腰を上げた。
「水、馳走になった。美味かった。さて、巫女はまた縁が合えば会えるであろう」
 そう言って、僧は家を出て言った。少年の心に何かが引っ掛かり、僧を追った。
「お坊さん、また会えるかな?」
 僧は振り返った。
「また会えるとも。お前さんが希望を失わん限り、また会える。それまで息災でな」
 そして坂道を下って行った。
 少年は、夜になって帰ってきた母親を見て、目頭を上げた。母親の髪はぐしゃぐしゃに乱れ、首筋には手の跡がついていた。母親の目は小動物のように細かく動いている。唇が切れていた。
「もう、ばれたんだね?」
 だが、いつも危機になると正常に戻る母親の意識は、今回は戻らなかった。
 その時、外で物音がした。
 少年は、いつものように村人が食べ物を置いて行ってくれたのだと思い玄関口に回ってみた。
 玄関に、嘴から舌を出した鴉の死骸が吊り下がっていた。驚いて横手に回ってみると、あたり一面、血だらけの鴉の死骸が、足の踏み場もない程散乱していた。
 闇の中に、松明がともった。それは瞬く間にかすを増やし、気がつくと家の周囲を取り囲んでいた。
「よくも騙してくれたね」
 闇の中から、力のこもった声が響いて来た。
「今まで、さんざん陰で嘲笑ってたんだね」
「倭人と交わったから、倭に殺された人間の恨みなんてなんともないんだね」
「だから平気で商売にしてきたんだ」
「その汚い倭人の子を、こちらに渡せ」
「この村に何の恨みがあって、禍の種をまき散らそうというのだ」
「そちらがそのつもりなら、こちらも黙っておとなしくするつもりはない」
「おとなしく倭の子を渡せ」
「倭の子を差し出せ」
「その倭の子だ」
「倭の子を殺せ」
「倭を根絶やしにしろ」
「倭を殺せ」
 家の中に煙の匂いが立ち込めた。松明が一斉に宙を飛んで、藁ぶきの屋根に火が燃え移った。
 少年は顔を布で覆いながら、母親を探した。既に煙であたりは全く見えない。母親は巫堂に倒れていた。少年は母親の体を起こそうとするが、意識のない体は重く、動かすことができない。
 すると、白煙の中から大きな男が現れた。昼間の旅の僧だった。僧は母親を背負うと、入口に向かって突進した。炎が柱を包んでいた。家全体が異様な角度に曲がっている。
 天井から梁が落下して母親の背中に当たった。母親の服に火が燃え移った。僧は母親を背負ったまま、入口の扉を突き破った。少年はそのあとに続いた。
 外は冷え冷えとしていた。少年が振り返ってみると、きしむような音を立てて家が崩れた。少年は慌てて飛びのいた。
 周りには誰もいなかった。少年は地面に横たわる母親の許にしゃがみこんだ。背中の服は焼け焦げていた。母親がうめき声を上げた。
「オンマァ」少年の声が裏返った。
 母親は目を開けると、少年の顔に焦点を合わせようとしたが、定まらなかった。
「お前、お前の…父親…」
「オンマ、しゃべらなくていい」
 少年の袖が強い力で引っ張られた。母親の指が掴んでいた。
「…には、父親が…父親は、右の耳が噛み…ちぎられて…」
「わしが、噛みちぎって…それが…目印…」
 母親の動きが止まった。
「オンマ?」少年の声がかすれた。
 少年の脳天に、木槌で殴られたような衝撃が走った。
 少年は、白目を剥いた母親の顔から目を離すことができなかった。横から手が伸びてきて、母親の目を閉じた。僧は手を合わせて念仏を唱えた。
「ところで、これからどうする?」墓土を盛って全てが終わると、旅の僧は少年に聞いた。
 少年はうなだれたまま、言葉を発することができずにいた。
「わしの知り合いの寺で、働き手がいなくて困っている住職がいる。お前がよければ、そこを紹介するが…」
「…」
「それとも、いっそ得度でも受けてはどうかな。僧になれば、今生の縁からは解き放たれ、お前の背負った荷を、降ろすことができよう」
「…」少年は鼻水をすすった。
「悪いことは言わん。そうするがお前のためだ」
「お坊さん」
 少年の目から、涙が流れ始めた。
「オンマは、僕のせいで殺された」
 僧は、何か言いかけて、その言葉を飲み込んだ。
「旅のお坊さん」
「うむ」
「僕が生き延びようとしたことが、オンマの命を奪ったんだ」
「なぜ、そんな風に思うのだ?」
 少年は涙を手の甲で拭った。僧を睨むようにして見る。
「何故なら、僕は”倭”の児だからさ」
 少年の両の目頭から、大粒の涙があふれて頬を伝った。それは光る珠となって次から次へと流れた。
「さっき聞いててただろ。みんな”倭”を憎んでる。この国では、”倭”は生きていちゃいけないんだ」
 僧は、ゆっくりと少年の顔を見た。
「確かに、今は倭が憎まれている。だがそれは、人々の心の中に巣食っている『虫』のせいじゃ」
 少年は、いやいやをするように首を振った。
「この国には、もう僕の生きる場所がないんだ。虫だって?そんな物知らない。でもどうして僕が、こんな目に会わなきゃいけないんだ。どうしてオンマは、殺されなきゃいけなかったんだ。どうして…」
 僧は、ゆっくりとうなずいて、少年の頭を撫でた。しかしその眼は、少年の心を見定めようとするかのように険しかった。
「このような俗世の縁を捨てるために、仏の道というものがあるのだ。どうだ。一切の未練を断ち、得度せぬか?」
 その時、遠くで雷が鳴った。
 僧は曇天を見上げて、何か予兆のようなものに顔を撫でられた気がした。
 視線を戻して少年を見ると、もう、そこには先ほどまでの子供の顔は無かった。
「坊さん、僕は、アッパに会ってみたいんだ」
 僧は大事な瞬間を逃したことに気がついた。ほんの一瞬前に戻りたかった。僧は思わず唇を噛んだ。
 僧が口を開こうとした刹那、大音声が鳴り響いた。耳の鼓膜が痺れた。森の中の木が雷に打たれて裂けた。
 大雨が降ってきた。
 僧が気付いた時には、少年の姿は、白い雨の中に消えていた。
(人の言うことを聞こうとしない。まるで…獣のような奴だ。)