小説「旅人の歌ー 儒者篇」その11 - 檄文 | 物語書いてる?

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 儒者たちは空き家となっていた民家に軟禁された。その儒者の消息を聞きつけて、近在の韓人達が訪ねて来た。
「私は東莱の金偊鼎(キㇺ・ウジョン)と申す」
「晋州の姜士俊(カン・サジュン)です」
「京畿の申徳驥(シン・ドッキ)と申す。会えてうれしい」
 皆何れも士大夫だった。事情も儒者と似ていて、偶然生き残ったにすぎなかった。彼らの他にも、かなりの数の韓人達が連れてこられていた。その多くは栄養失調や病気で衰弱していた。
「このままでは、いかん」金偊鼎が白湯を飲みながら太い声を出した。
「早晩、我ら同胞の多くが、このまま命を失ってゆくだろう」姜士俊も冷静な声で言った。
「だが、どうすればよいのだ?」申徳驥は憂鬱そうな声を響かせた。
「まずは、何とかして船を工面せねばならん」義父が発言した。兄も頷いた。
「先輩。その通りですが、方法が見つからないのです」
「船の工面は後で思案するとして」儒者が口を開いた。
「私は、倭の地にいる韓人の数の多さに気づかされました。この数を活かして、衆を頼んで一斉に決起するというのはいかがでしょうか?」
「決起?乱を起こすというのか?」
 儒者はかぶりを振った。
「それには武器も必要になるし、何より我らはそのような訓練を受けておりません」
「では、何をすると?」偊鼎が儒者の顔を覗き込むようにして聞いた。
「幸い、ここにお集まりの方々は、各地の名族の方々。我々が倭の各地少なくとも日本西部の地に散らばった韓人に檄を飛ばすのです」
「檄を?その内容は何と?」晋州の名士・姜士俊が落ち着いた声で聞いた。
「来る期日を待って、一斉に逃亡しよう、と」
 ごくり、と一同の鳴らす喉の音が聞こえた。
 文面は儒者が考えることとなり、各自はさらに血判に名を連ねる士大夫を探しに散らばった。

 

『俘虜に告ぐ檄』
 私は死にそびれたつまらぬ人間である。だがここに、多くの人々を知る。その人々とは、家族と別れ、親しい者を亡くし、他国をさまよう流離の民である。
 しかし我らは元は文明の民であったはずである。等しく孔孟の懐に抱かれ、人として一番大事なことを学んできた。その結果我が王朝は二百年の春秋を楽しみ、平和を謳歌してきた。だが平和の夢は無残にも打ち砕かれた。家は焼かれ、抵抗できぬ老人、赤子、さらには大切な人を目の前で殺され、見目麗しき子女は鎖に繋がれる。その遺体は槍の穂先で踊るに至る。
 人倫の禍、骨肉への情、およそ血の流れる人間として、この痛みに耐えられる者がいるのか?
 これは、人倫に対する挑戦である。受けて立たずして、生きる事に何の意味があるのか?
 怒号は天に満ち、哀号は地を這う。水狐は死んでもその首を巣穴に向ける。渡鳥は故郷に向かって巣をかける。
 天に向かい拳を振り上げ、地に拳を打ち付ける時は来た。人衆の力を集め、同時に事を起こし、賊魁の肝を冷やさん。短慮に死せず、必ず生きて還るのだ。

 

血判
 東莱 金偊鼎
 晋州 姜士俊
 晋州 鄭連守
 京畿 申徳驥
 霊光 洪己
 霊光 姜渙
 霊光 姜沆

 

 檄文は各地へ送られた。戦の初期に捕えられていた韓人達は、下働きのかたわら、その檄文を同胞に回した。反応も次々と還って来た。京畿の申継李、咸陽の朴汝楫、泰安出身の金時習、務安の徐京春、礼山の林大興、梁山出身の白受絵など、士大夫からは次々と返書が来た。檄文は文字を読めない者たちの耳にも届いた。儒者の放った檄文は、無気力に生きていた韓人達の心に灯をつけた。
 儒者は毎朝川まで水を汲みに行き、途中の葦原で韓人達と会っていた。一斉に逃走すれば、それだけ倭兵の眼も分散される。帰り道、儒者は自信を持った。民家に戻って来た時、倭兵が門を囲んでいるのに気が付いた。倭兵たちは儒者を見ると駆け寄って取り囲んだ。そこに義父と兄が、倭兵に小突かれて出て来た。
「よし、行くぞ」
 儒者はハッとなってたどたどしい倭語を使った。
「どこ行くカ?」
 倭兵の一人が口髭を捻った。
「殿さまのお城だ。まずは城の牢に入れよとのお達しだ」