小説「旅人の歌ー 陶工篇」その6 漂着 | 物語書いてる?

物語書いてる?

物語に関するあれやこれや。そんなこんなでゆっくりやっていきます。

     漂着    

顔の上を、何かが引っ掻きながら、移動して行った。

目蓋の上を通過する。陶工は手を動かす事も面倒だった。

それが目蓋を通りすぎるのを待って、ゆっくりと眼を開ける。その眼に、強烈な陽光が射し込んだ。

 まだ、生きている。

 腕で光を遮りながら、頭の中に浮かんだ言葉を反芻した。喉が焼けつくように痛んだ。
 唇に、水滴が落ちた。喉が自然に鳴る。甘い液体が、喉を伝わって体内に吸収されていった。手を退けると、人の顔が覗き込んでいた。
 若い娘の顔だった。黒い瞳が大きく見開いている。手に持った葉から水滴が滴り落ちて、陶工の唇を濡らした。陶工は、不意に起き上がって娘の手から葉をもぎ取ると、貪るように飲んだ。いっぺんに飲んだせいで、陶工は咳き込んだ。その背中を、娘の手がゆっくりと撫でた。
 陶工は落ち着くと、娘の顔を凝視した。
 娘は海女のように見えた。白い薄物を着ただけで、脚は腿まで露出している。上半身も胸より上は裸だった。陶工がじっと娘を見ていると、娘が少し後ずさった。陶工は口を開きかけて、諦めた。

 

 首をゆっくりと巡らし、人影を探す。砂浜に埋まった船の縁が見えた。その縁にかかった人の腕が見えた。
 陶工は麻痺した様に重い体を引きずって、その腕の方に進んだ。船の縁に手を掛け、起き上がる。船の向こうに人が倒れていた。
「オイ、起きろ」その体を揺さぶると、水の入った袋の様に揺れた。体にはすでに生気がなかった。その時少し離れた処で、砂山の様に見えたものが動いた。
「オイ」陶工は声を出した。
 その砂山は、獣のような声を出した。陶工が近づこうとすると、海女が後ろから手を引いた。砂山が立ち上がる。それは陶工が、船から落とした倭兵だった。倭兵は手に小刀を持っていた。倭兵が地面を蹴って飛んだ。海女が石を投げた。それは倭兵の眼にあたり、血が迸った。海女は陶工の手を取って、砂地を走った。陶工は足を縺れさせてつんのめった。その足首を倭兵の指がつかむ。倭兵は陶工の体にまたがった。その眼はぎらぎらと輝いている。小刀が陶工の鼻先に迫った。倭兵が突然のけぞった。その背中に海女が磯ノミを突き立てていた。倭兵はのたうち回った。その隙に海女は陶工を引き起こして走った。
 海女は、漁の間寝泊まりする筵小屋に、陶工を連れ込んだ。陶工は息をついた。急に体がだるくなり、陶工はそのまま崩れ落ちた。

 

 闇の中に、仄かな香りが漂った。
 片隅に、黄金の砂の粒のようなものが見えた。その粒は、何か違和感があった。物質というよりは、黒い壁紙に空いた黄金の穴のように見える。それが、見ているうちに広がっていった。中に、小さな祠が見えた。目の遠近感がおかしくなったのかと思うほど、その祠は小さかった。
 家の扉が開き、中から人が出てきた。古代のゆったりとした衣装に身を包み、頭には宝冠を戴いた女性だった。
「宮主・・・」陶工の目が細くなった。
久しぶりだの。息災であったか?
 漆黒の瞳が輝いた。
「何故だ?」固く握った陶工のこぶしが震えた。
「何故、こんな連中の肩を持つ?」
 宮主の瞳の色が、さらに深くなった。
「何故、我が国を壊した蛮族の地に来させた?」
「何故我々を苦しめるのだ?我々が何をした?」
「我々が一度でも倭に害を与えたことがあるか?何か恨みでも買ったのか?」
「これで人と言えるのか?赤子の鼻までも漁る鬼ではないか」
「そっちがその気なら、黙ってはやられんぞ」
「我が地を荒らした罪、何が何でも償って貰うぞ」
「それでもこの地に根を張れと言うなら・・・この地でこの恨を晴らしてやる」
 陶工の言葉は、闇の中に飲まれていった。発した言葉が、陶工をさらに縛り、陶工の体を更に硬くした。
 宮主の瞳から、光が消えた。
この地の子孫が、恨の呪縛から逃れられず、更に破滅へと突き進むのも、定命とあればいたし方ないが。
だが、忘れるな。お前の子孫には、お前の出自が何処にあり、その地が破壊ではなく文明をもたらしたのだということを、世々伝えねばならん。
「な、何を?ふざけるな。この地を代々呪ってやると言っているのだぞ」
 宮主の瞳に、光が戻った。
それだけ元気ならば、いつかは信を通じる事も、できるようになるだろう。
 宮主の回りが、闇に飲み込まれていった。最後に瞳の光が、黄金の粒のように残った。
 その微かな粒が消えた時、陶工の脳裏に、兄弟子の赤子の死体が甦った。
 陶工の奥歯が、音を立てた。

意識の奥底から、乾いた破裂音が聞こえてきた。前を見ると、倭兵が鳥銃を構えている。硝煙があたりに立ち込めた。弾丸が、ゆっくりと陶工に向かって突き進んでくる。それは陶工の腹をぶち抜いた。血の飛沫があたりに飛び散った。弾丸は回転しながら陶工の内臓を抉り、骨に達して止まった。口から血が噴き出た。これは師匠の血だ。師匠の体だ。痛い。痛い。陶工の意識はのたうち回った。そして意識が戻った。
 食べ物の匂いに鼻が動いた。何かの煮える音がする。唇に、匙の当たる感触があった。口を開くと、温かいものが流れ込んできた。
 目を開くと、大きな黒い瞳が二つ、陶工の顔を覗き込んでいた。陶工の口から、少女の名前が洩れた。瞳が輝いた。そこで、その瞳が少女のものでないことに気が付いた。海女は胸を抑えた。
 海女は陶工の額にあった手拭いを取って、盥の水で絞った。再び額に置かれた手拭いが、ひんやりと冷たく、心地よかった。陶工の体に力が戻ってきた。
 陶工は、自分を指して名前を言った。
「ノ?」陶工は海女を指した。
 海女は自分の口を指し、口がきけないことを手で示した。
 陶工は口を開きかけ、諦めて辺りを見回した。割れた器、猟師網、磯ノミ、桶といったものが雑然と散らばっている。海女は少し俯いた。
 陶工は起き上がり、割れた器を手に取って見た。指で弾いて、音を聞く。陶工は眉をひそめた。

小屋の外で女たちの声がした。陶工が出てみると、陶工を助けてくれた海女が、他の女たちに髪の毛を掴まれていた。女たちは海女を突き倒した。

「何をするんだ」陶工の言葉は、その剣幕で女たちに伝わった。女たちは一歩後ずさった。
 女たちが陶工を指して、口々に罵っているようだった。手振りからすると、出て行けと言っているらしい。陶工は海女を助け起こした。
「大丈夫か?」海女は意味が分かったらしく、軽く頷いた。そして女たちに跪いて許しを請うた。一人の女が、海女の頭に砂を投げつけた。
「やめろ。やるなら俺にやれ」陶工は自分を指して叫んだ。そこに男たちが現れて、陶工を取り囲んだ。その中から杖を突いた老婆が出て来た。
「ワザワイ、サレ」老婆は陶工を指してそういった。そして海女を指して、「ケガレ、サレ」と言った。 老婆は男たちに指示して、海女小屋と村を綱で区切らせた。そして村の住民を見回していった。
「穢れの結界を作った。何人もこの者どもに構うこと許さぬ。この者どもが村に入っても、決して声を掛けるでない。よいな」
「姉ちゃん」若い男が叫んだ。
「婆様、姉ちゃんは悪い事してません。ただ病人の看病をしただけで」海女の弟は、老婆の袂に縋り付いた。
「姉ちゃんを村八分にしないでください」
 老婆はギロリと弟をにらんだ。
「この海女は、もうお前の姉ではない。よいか、二度と口をきいてはならぬぞ」老婆はそう言って、去っていった。
 村人たちは、泣きじゃくる海女の弟を引きずって行った。 海女は、弟を目で見送ると、振り返って陶工に微笑んだ。その髪はグシャグシャで、目尻には雫が宿っていた。   

夕餉の最中に、陶工は箸を止め、海女をじっと見つめた。海女の手が止まり、俯いた。
 陶工は膳を脇に除け、海女の手を取った。海女の胸が激しく波打った。瞳が何度も瞬く。陶工は口を開きかけ、海女から手を離した。そのまま外に出た。
 満月が煌々と辺りを照らしていた。その光を避けて、暗闇の中で何かが動いた。風もないのに草叢が騒いだ。と、反対側から黒い影が躍り出てきた。影は二つに分かれ、陶工の左右の肩を抑えた。陶工はそのまま額を土に擦りつけられた。
「こいつ、倭人じゃないぞ」それは、韓語だった。
「ま、待て」陶工は口に砂を含みながらかろうじて言った。
「ア」人影が陶工を離した。
 月光の中で見た男達に、陶工は思わず肩を叩いた。
「ブン蜂」「兄貴」ブン蜂の顔が涙と鼻水でグシャグシャになった。
 医生と職人も居た。三人とも奇跡的に板を見つけて、水難を逃れていた。
 小屋に戻った男たちに、海女は飯を給仕した。
「この女は?」医生が陶工に向き直って聞いた。
「俺を、助けてくれた。このあたりの海女らしい」陶工は小屋の中の網や道具を示した。
「信用できるのか?」
「この女は、俺を助けたせいで、村から除け者になった。それに、口がきけないのだ」
「本当か?それなら好都合だ」久しぶりに飯にありついた職人が、腹を摩りながら頷いた。
「そ、それにしても、いい女だな。師匠の娘が大きくなったら、あんな感じになるんじゃないか?」ブン蜂が陶工の顔を覗き込んだ。
 陶工は箸を置き、小屋の隅を見上げた。
「これから、どうするか」職人が呟いた。
「ウン。この小屋にずっと居るのは・・・」医生は小屋の中を見回した。
「おいらが家を建てよう」職人が勢い込んで言った。
「ア、お前大工だったな」
「オウ、任せとき」職人は腕を見せた。
「先ずは、食い物をなんとかしないと・・・」ブン蜂が心配そうな顔をした。
「ならば、自分は山草を探しに行こう。食い物の足しになるだろう」医生が目に光を宿して言った。
「じゃじゃあ、俺は魚でも取るか。あの海女にくっついて」ブン蜂はにやりと笑った。
「俺は、生き延びて、攫ってきた倭の奴らを見返してやる」
 陶工の体の中で、熱い溶岩のようなものが、どろどろと昇ってきた。