鬼哭
南原城に、倭軍が続々と集結してきた。
全羅兵千人に明軍三千人を加えた総勢四千人の守備軍に対し、倭軍はその十五倍の六万という大軍をつぎ込んた。城から見たところ、倭軍の全容を見渡せなかった。四方から攻め寄せた倭軍は銃弾を吹雪のように浴びせた。楼上は穴だらけになり、指揮官も次々と倒れて行った。初日にはすでに兵の半分を失っていた。倭軍は一旦攻撃をやめ、開城を促したが、城から出て行く兵はいなかった。兵の目は爛々と輝き、全員が全滅を覚悟していた。
倭将は湿原に目を凝らしていた。風が渡る度に、葦の群れがそよいでいく。
「殿、あの城の北門は、少し手こずりそうですな」副将は前方を見て言った。
「おぬし、いかにも小西が言いそうな物言いをするではないか」
「それは、悪口ですな」
倭将は肩を揺らして笑った。
「あの男を連れて参れ」
副将が連れてきた陶弟子を見て、倭将は頬当て越しに睨んだ。
「お前、今から城内に入り、糧秣に火をつけて参れ」
訳官がそれを伝えると、陶弟子の顔色が変わった。全身が震える。頭の中で声がした。
(どうせお前は、評価されないのだ。)
(あいつがいる限り。お前はうだつがあがらないのだ。)
(あいつは、今あの中にいる。)
その時訳官が言った。
「お前の将来は、約束される」
陶弟子は、首を縦に振った。
背後に気配がして、陶弟子は思わず振り向いた。鼠が、こそこそと逃げて行く。陶弟子は舌打ちをした。
(門番は顔見知りだった。だから開けてくれたんだ。)さっきからその言葉ばかり、頭の中を巡っていた。
(上手くいったのだ。何を躊躇っているのだ?)陶弟子はまた目の前の藁の束に向き直った。懐から油を取り出して藁にかけようとして、その手が止まった。
何かが、後ろにいる。首筋が総毛だった。ゆっくりと、振り返る。そこには全身火達磨の人が立っていた。陶弟子はのけぞった。
その人の形をしたものは、両手を陶弟子に向けてあげた。一歩、近づいた。輪郭の焔が揺れた。
陶弟子は目を瞑って手で振り払った。
(お前は、幻だ。消えろ。俺の前からいなくなれ。)
目を開けると、そこには誰もいなかった。陶弟子は、急にこの場から逃げ出したくなった。石を打って、火花を散らす。火は簡単についた。
(お前は、幻だ。消えろ。消えろ。)ブツブツと呟きながら、陶弟子は燃え上がる火をじっと見ていた。
しらじらと夜が明けていた。陶工は倭兵の前に姿を現した。倭兵たちは陶工の体を縄で縛り、城内へと連れて行った。
きな臭い匂いに、陶工は気がついた。北側の湿原のあるあたりから、どす黒い煙が上がっている。近づくにつれ、惨状が明らかになっていった。倭兵たちが屈んで、死体に何かしている。陶工の眼にそれは焼き付いた。倭人は、死体の鼻を削いでいるのだ。胃の中から熱いものが逆流してきた。倒れている男は、その服、その背格好を一目見るだけで、誰だかわかった。耳元で声が蘇った。
「おい、お前に直々に作ってくれだってよ。聞いたか?」
倭兵を振り切って、その死体の許へ走り寄った。
「兄貴。あにき」後ろ手に縛られた体で、歯を使って体を仰向けにしようとしたが、涙が視界を遮った。倭兵が近づいてきて、無造作に陶工を引っ立てた。
少し歩いたところで、兄弟子の妻と子の遺体が目に入ってきた。母親は子を守るように抱きかかえたまま、こと切れていた。顔を見て陶工は目を背けた。母子とも、顔の中心にあるべきものがなく、ぽっかりと二つの穴が開いていた。
どこかで獣の唸り声がした。それが言葉になるまで、陶工は自分の声だと気付かなかった。
「鬼め、鬼めおにめええ」
倭兵たちは笑いながら、話をして歩いてゆく。陶工の全身から、見えない蒸気がふつふつと沸きあがっていった。
(兄貴があそこに倒れていたのは、妻子を逃がすためだったのか・・・)
村人たちは窯場の前に集められていた。角のついた兜をかぶった倭将が、兵たちに何事か指示してゆく。倭兵たちは器具のように、その指示に頷いた。
固唾をのんで見守っていた陶工達数人の男の前で、けが人や病人、老人、子供たちが引きずりだされてきた。一列に並ばされ、板にくくりつけられる。その向こうに、鳥銃を持った兵たちが現れた。陶工の頭の中で防火鐘が鳴り響いた。その中に、師匠と父がいた。
「やめろやめろやめろおおお」
乾いた音が一斉に鳴った。硝煙の臭いがあたりにたちこめる。陶工の見ている前で、師匠の体から血しぶきが立った。その顔から生気が徐々に失われていった。父の頭が半分吹っ飛んだ。
陶工は叫んだ。大方の者はその言葉を聞き取れなかった。陶工自身も、自分が最早人間の言葉をしゃべれているとは思えなくなっていた。