陶工の村
「それじゃ、お願いします」
その若い婦人は陶工に微笑むと、落ち着いた仕草でチマの裾を少し上げ、お付きの侍女と共に優雅に山道を戻って行った。横で聞いていた兄弟子が、陶工を肘でつついた。「おい、『それじゃお願いします』だってよ。お前に直々に作ってくれとの仰せだ。ちゃんと聞いてたのか?」
陶工は、照れたように薄く笑った。
「すすっすげえなすげえな。大したもんだ。これでオヤジさんも、喜ぶな」横から陶工仲間のブン蜂も肩をつつく。
「でもお前、できるのか?県監のお嬢さんからの頼みとあっては、相当な物を焼かないと、失敗は許されんぞ」兄弟子が真顔になった。
「そうだよな。お前確か、悩んでたよな。白が上手く出せないとか。やっやばいンじゃあ...」ブン蜂は手を広げて、大声を出した。
陶工の顔に緊張の色が差した。
「お前、耳元で大声あげるな。赤ん坊が泣くだろ」兄弟子は横にいた女をあごで指して言った。女は乳飲み子を抱いている。
ブン蜂は舌を出した。
「だからお前はブンブン煩いって言われるんだ」
乳飲み子を抱いた女が口をはさんだ。
「ケンチャナ。ケンチャナ。この甲斐性なし共と違って、あんたの腕はいいんだ。自信持ちなって」
陶工は、そう言われて薄く笑い、すやすや寝ている赤子の鼻をそっと撫でた。
赤子はもぞもぞと顔を動かした。
「オイ」陶工はいきなり背後から肩をつかまれた。振り返ると、自分より後から入った陶弟子が、鼻の穴を広げている。
「お前、師匠を差し置いて、勝手に注文を受けたそうだな」その口調は、兄弟子に対する態度ではなかった。
「師匠を差し置いたつもりはない」陶工は眉を顰めて行った。
「では師匠に聞いてみるか。師匠はいつからお前に注文を任せる様になったというのだ?」
「聞いてみればよい」陶工はそれ以上、陶弟子に説明をしなかった。
「盗人ふてぶてしいとは、このことだ」陶弟子は、頭を振ると、師匠の家に向かって歩いて行った。
陶工は家に帰ると、床に着いていた父親の枕元に座った。
「アボジ、アボジ」
父親はうっすらと目を開けた。
「アボジ、俺、陶器の注文をもらいました」
父親は起き上がろうとして、激しい咳をした。陶工はその背をさすった。
「お前、その注文、兄弟子に譲りなさい」
「えっ?あの、県監のアガシが、直接俺にって...」
「いいから、兄弟子に譲りなさい」
陶工は沈黙した。頭の中に、アガシの声が広がった。「それじゃ、きっと良いものを仕上げてね。あなたの腕を見込んで、任せるわ」
(どうしようか・・・。)
陶工の目が泳ぎ、棚の上の薬に留まった。
「師匠、何故あいつに注文を取らせるので?」陶弟子は語気を荒げて師匠に詰め寄った。
師匠は、中庭で座禅していた。
「何を、苛立っておるのだ?」師匠はうっすらと目を開けた。
「奴が、先ほど県監のお嬢様から、陶器の注文を取っていましたんで」
「ほ、それは、助かる。県監とは、あまり関わりたくない」
「師匠、それでも、仕事は仕事でしょう?」
「なに、その、県監からの仕事は、奴に任せればよい。その方が気が楽じゃ」師匠はほほほと笑った。
「あいつを依怙贔屓するので?」陶弟子は目をつり上げた。
「まあ、そんなところだ」師匠は薄くなった頭を撫でた。
陶弟子は、一瞬絶句した。
「師匠、少しは俺の方も向いてください。腕はあいつより俺の方があるんだ。何故あいつばかり贔屓するんです?」
「実は、県監の家は、あいつの遠い親戚なのだ」
「へ?」
「あいつの家は、元は両班なのだ。だからお前は気にするな」
陶弟子は黙って師匠の家を辞した。もう空はすっかり暗くなっている。陶弟子は星を見上げながら、誰にともなく呟いた。
「祖先の功を頼りに、いい気になりやがって。今に見てろよ」
馬上の倭将が手を上げ、馬を止めた。将兵たちは次々に声をあげ、全軍が動きを止めた。
倭将は振り返って副将を見た。
「摂津は行ったか?」
「はっ。そろそろ見えなくなります」
倭将は、辺りの山々を見まわした。
「南原まで、あとどのくらいかのう」
「は。多分、二日程かと」
「そうか」
「殿、急がねば、手柄を摂津守にとられまするぞ」
倭将は副将を見ず、辺りの山々を見ていた。目には怪しい光が宿り、口元は微かに笑みを浮かべている。
「ふむ、それもよかろう」
「は?」
倭将は口の中で何かを言ったが、副将の耳には届かなかった。
「それよりも、この地は製陶が盛んと聞いた」
「あ。それは?」
倭将の目には、太閤の茶室で見た白磁の碗が焼き付いていた。
「四方に物見を出し、陶工の村がないか、探らせよ」
(これからは、物、金で戦をする時代だと?猿めが、ようほざいたわ。)
陶工の家の表で、咳払いの声がした。
陶工が表に出てみると、体の大きな男が3人、薄笑いを見せて立っていた。
「ア」
「お前、注文が入ったそうじゃないか」
「なあ、急に羽振りが良くなったって?」
「これじゃ、薬代に用立てた金、返せるってことだよな。ええ?」
陶工は下を向き、力なくうなずいた。
(アボジ、ごめんヨ)
その噂は急速に広まった。県監のお嬢さんと、まだ半人前の陶工との、身分違いの恋―。
お嬢さんは、あの険しい山道を通っているそうな。陶工を指名して、なんでも父親への誕生日の贈り物を作らせているとか。陶工も陶工だよな。辞退もしないで平然と請け負ったとか。何か勘違いしてるんじゃないの?元が両班の家だからって、鼻にかけているんじゃあないのか?
近所のおばさん達がしているその噂を、少女は爪を噛みながらそっと聞いていた。なぜその噂が気になるのか、自分でもよくわからないが、まるで悪臭を嗅いだかのように気分が悪くなった。母屋に向かう途中で、陶工とパッタリ会った。
「あ、お早うございます。お嬢さ・・・」
少女と同じ目線になるように屈んだ陶工の横を、少女は鼻を鳴らして通り過ぎた。
そのまま母屋へ戻っていく。陶工はまだ少女を見ているだろうか。気になって振り返ると、もうそこに陶工の姿はなかった。
「フン、全く失礼なやつ」
道端にあった木のかけらを蹴ろうとして、躓いてから、木の根だったことに気がついた。足の爪先から、痛みが伝わって来る。少女は木の根に呪いの言葉をかけた。
陶工は、乾いた白い土の感触を確かめた。あの乳白色を出すには、粘りがありすぎるとダメだ。陶工は師匠の作った壺を思い浮かべた。これまで自分の作ってきたものは、師匠のものと比べると、どれも暗く、くすんでいた。あのやさしい色合い。あれを出すためには、土から吟味しないと・・・。
陶工は、土を嘗めてみた。酸味の加減が大事なのだ。師匠の言葉が蘇った。陶工は首をかしげ、暫くその土を見ていたが、ため息をついてその土を払いのけた。立ち上がると、山の中のガレ場に向かって歩き出した。
陶工が土を掘り出し、窯場に戻ってみると、少女は待ちかねたように、陶工に用事を言いつけた。
崖に咲いていた紫のユリを見つけてきて。紫の花?そうよ。確か花弁は黄色で、奥の方が赤くなっていたわ。
そんなユリ、見かけませんでしたが?あたしは見たの。早く行かないと、花が落ちたらどうするの?
陶工は頷くと、その足で『紫のユリ』を探しに行った。少女の思案に相違して、その『ユリ』は本当にあった。陶工は花を取ろうとして崖から転落し、足をくじいたが、それでもその花を持って帰ってきた。少女は怒った顔でその花を受け取った。
陶工はやっとろくろを回し始めた。すでに時間はそうとう過ぎており、陶工は寝る間を惜しんで作業を続けた。何度も焼き、出てきたものを見ては、首を横に振ってたたき壊す。あせればあせるほど、師匠の色からは遠ざかっていく。睡眠不足が祟って、窯の前でウトウトする。陶工の壺は夢の中で出来上がっていた。我に返って窯から出してみると、夢の中で見たあの色が、陶工の焼き物に宿っていた。陶工は壺を持って師匠の部屋の扉を叩いた。師匠は起きていた。その壺を見ると、静かに頷いた。
「お前に、この窯場を任せる日が来たようだ」
異変が起きた事がわかったのは、約束の日の朝だった。兄弟子が顔を洗いに中庭に出て、何気なく倉庫を見た後、顔に水をかけた。そこで違和感に気付き、もう一度倉庫を見た。倉庫の扉についていた鍵が壊されていた。兄弟子は大声を上げながら、倉庫に近づいて行った。ブン蜂たちも大声に驚いて集まってきた。
倉庫の扉をあけると、納品する木箱はそこにあった。兄弟子はほっと息をついて、それでも鍵が壊されていたことを思い出し、木箱の蓋をとった。中には壺と同じ大きさの石があった。周りに近づいてきた人も、無言で木箱を覗き込んだ。
誰かが咽喉を鳴らす音が聞えた。皆一斉に、そこに来ていた陶工の顔を見た。陶工はすっと前に出ると、黙ってその丸い石を撫でた。
弟子たちが口々に役所への届け出を申し出たが、師匠はまず家の中を探させた。だがその壺は出てこなかった。
陶工はその石の入った木箱を持って、県監の家へ向かった。人々が探している間の事で、誰もそれを止める事が出来なかった。県監の家に現れた陶工を見ると、娘が小走りに出てきた。陶工は木箱を卓の上に置くと、地面に額を擦りつけた。
娘は慌ててその手を取った。陶工は静かにその手を引くと、箱の蓋を取った。箱の中を覗き込んだ娘は口に手を当て、喉の奥で短い悲鳴を上げた。周りに来ていた使用人たちは箱の中が石だとわかると、陶工の体を蹴りだした。誰かが縄を持ってきて、陶工を縛り上げ、納屋まで引きずっていき、その中に陶工を放り込んだ。
陶工は夜になって窯場に返ってきた。真っ先に出迎えた師匠は、陶工の体を抱きかかえるようにして母屋に連れて行った。少女は口をへの字に結び、涙を流しながら陶工の傷口に薬を塗った。
翌朝、少女は一人で山道を歩いて行った。手にはあの壺を持っていた。県監のお嬢さんにこの壺を渡して、謝ろう。そして陶工をお婿さんに迎えてもらうよう、頼もう。歩きながら、自然に涙が出てきた。
あれっ、変だ私。涙なんか出すところじゃないのに。
倭軍の陣地に、物見が一人の男を連れて戻ってきた。
男は、下を向いたまま目を合わせようとしなかった。倭将は馬鞭で男の顎を上げると、連れてきた訳官に、陶工の所在を尋ねさせた。男の額から汗が滴り、目に入った。男は目を瞑った。すると、横にいた侍が男の足を槍で小突いた。男は地面に這いつくばると、手をすり合わせて倭将を見上げた。
訳官がまた尋ねた。男は汗を滴らせながら、最近県監の家で陶器の注文があり、ある男が師を差し置いて請け負った話をした。
倭将は男の目をじっと見ると、粒銀の入った袋を渡し、道案内をさせるように命じた。
村では、騒ぎが湧きおこっていた。倭の軍隊が、突如押し寄せてきたというのだ。いくらなんでもそれは嘘だろう。誰もが最初そう思った。なんで急に?宣戦布告もなしに?そもそも、我々が何か倭から恨みでも買ったのか?最近は音沙汰なかったが、昔から交流してきた仲ではないか。なんで今突然・・・?
ところが、南岸の村が襲われ、倭の軍勢が大軍だということが知れ渡ると、人々は顔色を失った。聞きましたか?村人たちは村長の家に押しかけた。村長は家の前で両手を挙げた。
「まあ、皆の者。ここに座りなさい」
人々は、聞きなれた村長の言葉に、少し心を落ち着かせると、その場にぺたりと座りこんだ。
「一番足の速い奴は誰だったかな?」その声に、何人かが陶工の名を口にした。
「お前、先に南原城へ行き、我らが避難する旨、県監に伝えなさい」陶工は、黙って立つと、山の向こうにある役所に向かって、坂道を駆け上がっていった。
村長は陶工の姿を眼で追っていたが、気が付いたように振り返って言った。
「さあ、我らも仕度しよう。南原城へ避難するのだ」
峠の上から小さく集落の屋根が見えた。先頭の倭将が馬上で手を挙げた。「止まれ」
「いいか、今一度申しつけるぞ。この村の男という男は、全て生け捕りにせよ。怪我をさせてはならん。特に手を傷つけてはならん。この・・・」武将は漁網を持ちあげた。
「網にて全て絡めよ」
「さらに」顔から涌き出る汗を、首を振って飛び散らせた。
「健康な女もできるだけ殺すな。ただし、病人、年寄り、幼児は全て殺せ。陶工から、この地の未練を断ち切るのだ。死体からは、耳と鼻を削ぎ、持参した油紙にくるめよ。太閤の恩賞に与かるのだ。最後に、村は全て焼き尽くせ」伝達を終えたとき、倭将の頭の中で、何かが音を立ててはずれた。黒い面貌の下で、口が三日月のように裂けて行った。
峠の道を、白地に十字紋の旗が、続々と登ってきた。少女には、それが旅芸人の旗差し物のように見えた。これまで見た事もない程、多くの旗。胸が騒ぎ、鼻の穴が膨らんだ。
今日は、何がこれから起きるのだろう?
少女は音のする方へ、歩いて行った。