拙宅の小さな庭も「石楠花」が白とピンクに染まり、木々の緑はそれぞれの色を競うように深まり、コロナにも負けず例年通りに爛漫の春を迎えております。

 しかし今年の憲法記念日は、国の存在とは、国民の安全とは、平和とは、戦争とは、防衛とは、命とは、人権とはなど様々な文言が錯綜し、改めてそれらの基盤であり指針ともなる「憲法」と、その果たす役割について考えております。

 

 それもこれも、ロシアのウクライナ侵攻とプーチンの攻撃的戦術核使用や無差別空爆など常軌を逸した侵略やそれを倣う北朝鮮金正恩の核ミサイル先制攻撃の談話、更に習近平の台湾侵攻や新疆ウイグル自治区・チベットの漢民族同化策など、日本を取り巻く隣国の独裁的覇権行動が顕著となってきた事に起因しておりのす。

 

 今の世界は、第二次世界大戦前夜の様相となっており、その国の舵取りや考えが一歩誤れば世界は未曾有の大混乱が予想され、日本としても「対岸の火事を見る」状況では、否応なくその渦に巻き込まれる可能性が高い。

 

 現憲法は昭和22年に制定され75年、憲法9条で戦争の放棄をが記されており、これまではアメリカとの安全保障条約によって日本の安全と国民の安心は担保されてきていたが、世界の警察官を自負していたそのアメリカも信頼に欠けるところであり、昨今の国際情勢はそれを見事に具現化しており、憲法に明記されている文言と国際情勢が整合されておりません。

 

 誰でもが戦争は反対です、しかし戦争抑止力としての防衛力は必要不可欠であり、

今自民党や維新などが中心となって「反撃能力」のフレーズで議論がされておりますが、緊急事態要綱や自衛隊の位置づけ運用など憲法で規制されている条文をしっかり精査する時であります。

 

 まして、プーチン、習近平しかり、自分の身の保全や名誉の為に憲法をいとも簡単に改正しているのですから。

 これまでの、観念的な平和論では日本の安全や安心は守られず、日本の持つ知識と先端技術を防衛産業に生かし、相手国に躊躇させる防衛能力を高めるべきと考えております。