人生の転機

前回は、日野原先生が、よど号の事件に遭遇し、その後の人生観が変わったことを書きました。実は、私にも過去そのような出来事があったので、今回はそれについて書きます。

それは、ボストンに留学して2年半ほど経った頃のことです。

バークリー音大での勉強を終え、ハリウッドでオーケストレーションを勉強することを決め、それならば、車で東から西まで大陸横断をしてみようと思いました。

小さなワゴン車に乗って西に向かい3日目のことです。路面がやや凍り付いていてそこに雨が降って来たのにもかかわらず、私は無謀にも100キロ近くのスピードで走っていました。

突然、スリップしたかと思うとハンドルのコントロールが効かなくなり、道路わきの林のほうにそれて、おもいっきり木に激突し、車は回転して逆さになり、頭のほうから地面に叩きつけられるようにして止まりました。

その瞬間私は、亀が甲羅に入るかのように、首を瞬間的に縮めたのは覚えていますが、頭を軽くこつんとぶつけた程度の衝撃があっただけで体は無事でした。

私は、すぐさま隣に座っていた家内に声をかけると家内は何事もなかったように「大丈夫よ。」と応えました。何と、家内はその事故が起きる寸前まで居眠りをしていたのです。

その時他に同乗していたのは、犬1匹、猫3匹でした。犬は、本来は、家財道具を積んだ車の後部のスペースにいたのですが、なぜか事故にあう前に立ち寄ったドライブインで降りた後、助手席の家内の足元の狭いスペースにいたので助かりました。

もし、いつものように後部座席にいたら、家財につぶされて亡くなっていたかもしれませんでした。

猫については、ケージに入れた状態で後部座席にいるため、その時点では、確認できませんでした。

とにかく、車から出なければと思うのですが、逆さになっている上に、ドアが潰れてしまっている為、ドアが開かないのです。そこで、窓のガラスが割れた隙間から這い出ることにしました。映画などで、ぶつかった車が爆発するシーンを見ていたので、一刻も早く出なければと思ったのです。

車の中では怪我ひとつしていなかったのですが、這い出る時にガラスで首の後ろや手首をを切り、背中じゅうにガラスの細かい破片がささりました。

何とかはい出でると、そこには、もう見ず知らずのトラックの運転手の方が来て下さっていて、私と一緒になって、家内のほうのへこんだドアを開けてくださったのです。家内は、どこにも傷一つなく無事でした、猫たちもケージに入っていたのでみな無事でした。私だけが、怪我をしたものの、みな無事で良かったと心から神様に感謝しました。

雨が降っている中、遠くには二人のシスターが車から降りて傘もささずに私たちのほうを心配そうに見つめています。まるで私たちのためにお祈りをしてくださっているようでした。(この時の光景は、私は生涯忘れることが出来ません。)

そうこうしていると、どなたが呼んでくださったのか救急車がかけつけて、私の傷の応急処置をしてくださり、その後そのまま病院に連れて行かれました。病院では、とてもやさしいナースの方が、私の背中にささっている細かいガラスの破片をていねいに取って下さいました。自分では、なにひとつしていないのに、すべて回りの方がやってくださり、まるで夢を見ているかのように筋書き通り進行して行く感覚でした。

病院での治療が終わると、車が収容されているモーテルに連れていかれました。そこに収容されたぺしゃんこにつぶれた車を見て、自分や家内たちの命が助かったことを改めて不思議に感じたものです。

夜になり、家内と共にいったいこれからどうしたものかとしょんぼりしていると、突然ドアの呼び鈴が鳴りました。

誰だろうと思ってドアを開けると、3人の明るい女性たちが満面の笑みを浮かべて「ハーイ!」と言いながらたくさんのお料理とデザートを持って入ってきたのです。聞いてみると、私を治療してくださったナースの方の教会のお友達で、私たちを励ますためにわざわざ来てくださったというのです。

お料理もパーティーが出来るほどたくさん持ってきてくださったのです。

これには、ほんとうに驚かされました。涙が出るほど感動と感謝で胸がいっぱいになりました。

アメリカという国で外国人である見ず知らずの私たちに対してこれほどまでに親切にしてくださるとは。自分が逆の立場だったらどうか?など本当に考えさせられました。

とにかく、自分以外の誰にも傷つけることなく済んだことに感謝し、無謀な運転をした横着さを恥じ、私たちにこれほどまでに親切にしてくださった方々に深く深く感謝しました。

私は、今回の事故は全て自分の学びのために起きたことだろうと感じていました。私だけが自分で自分を傷つけ、その結果、他人の優しさをこれでもかと言うほどに体験させられたことからも感じます。私は、この時ほど私を見守る神のような存在を意識したことはありません。起きた出来事は、とても辛い出来事でしたが、その存在の慈愛をいたるところに感じました。

ロスに行ってさらに勉学に励もうと思っていた自分にしてみると幸先が悪いとても悲しい出来事でしたが、今振り返ってみると今の自分にとって言葉では言い尽くせないほどの学びがありました。

このとき以降私は、ほとんど怒るということがなくなりました。

怒りは、何かを傷つけるエネルギーとして作用していきます。事故からそれを悟りました。(これについての説明は、長くなるので今回はやめます。)

新たな命を授かり、命の大切さを思い、生きている限りそれまで以上に他のために役立つ生き方をしたいと心から思いました。

人は、助け合いながら生きていくものです。年をとれば、あるいは病気になれば、誰もが人の助けを必要とするようになります。世界中の人々が自分の弱さを知り、人に喜ばれることに幸せを感じ、心優しく助け合って生きて行きたいものです。

今回は、少し長くなりました。明日のブログは、お休みしますね。