自分の人生を振り返ってみると、
人生に大きな影響を及ぼす
ターニングポイントとも言うべき出来事がある事に気付きます。

私の場合、「赤い鳥」に入ったことは
私の運命を左右する大きな出来事となりました。

その理由のひとつとして
私の生涯の大切な友人でもある
さだまさしさんとの出会いが挙げられます。

彼との出会いも、
彼が「グレープ」として「赤い鳥」が所属する事務所に入ってきたことに
端を発するからです。

「赤い鳥」解散後、
私は「ハミング・バード」という名前のグループを結成し
コロンビアからアルバムも出したのですが、
時代がまだ私の音楽を受け入れなかった
(ようするに売れなかった)ため、
所属事務所のアーティストたちをサポートするバンドを結成し、
キーボーディスト兼アレンジャーとして仕事をしました。

その後「グレープ」が解散することになり、
そのための最後の全国コンサートの時に
バックバンドとして同行しました。

その事が縁となり、
さださんから自分が再デビューする時に
一緒にやらないかという申し出があったのです。

実は、最初さださんは、
私とグループを結成したいと言ってきました。

私は、いくらか直感で先を見通す力があるので、
ソロでやることを勧めました。

「もし、グループを結成すると
またいつか解散コンサートをすることになるよ。
それは、辛いことでしょ。」

というような事も話したと思います。

彼ほどの才能のある人間は、
グループの中では納まりきれないのが私には良く見えました。

「その代わり、
自分はプロデューサー兼アレンジャーとして、
あなたを支えて行きたい。」

という事を伝えました。

その時からその関係が30年経った今までずっと続いているのです。

これは、凄いことだと思いませんか?

こんなに幸せな関係が長きに渡って続くということは、
簡単なことではないと思っています。
音楽だけでなく心の部分でも
深いつながりのあるさださんとの出会いは、
私にとって、正に運命的出会いだと思っています。

前世があるとすれば、
その時にもきっと深い関わりを持っていたのだろうと思えてくるのです。




さださんと吉田正美さんと共に 
横浜アリーナの楽屋にて 
2006/5/23