映画 『ノモンハン』 『天皇伝説・血のリレー』  渡辺文樹監督 | Wattan Net Life

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 某新聞のイベント案内で、渡辺文樹監督の映画『天皇伝説・血のリレー』と『ノモンハン』が14日、横浜で上映されると知り出かけた。以前、東京都内で二度の上映企画があったにもかかわらず、予定の公共施設は「右翼の妨害」を恐れ、あるいは所轄警察から「自粛」を求められ中止に至っていた。おそらく、その影には、保守系政党がいくらかの謝礼金を握らせて内密に右翼団体や所轄警察署に働きかける妨害工作があったであろうことは、かつて右翼団体に在籍していた私にとって容易に思い当たる構図だ。
軍装男
 実際、この日の上映会場になった横浜開港記念館へ「抗議」という名の嫌がらせ行為に来ていた右翼。その軍装まがいの装束をまとう男性は、「俺たちは思想云々だけじゃ食っていけねんだ。こうやって直接行動でもしなけりゃ金を稼げねえんだ」などと叫んでいた。本人は図らずしも、思わず口から発した言葉から本音を窺い知ることもできる。


 さて、本題の映画だが、確かに渡辺監督が上映前に「低予算の中で製作したので」との前置きどおり、ロケーションや俳優のレベルなどは致し方ない。だから、それらは差し引いて映画の骨格について語ることにする。『ノモンハン』では、当初の期待に反して戦場ロケを関係者らの回想シーンとして描いていた。むしろ、主たる舞台は渡辺監督演じるノモンハン帰りの元連隊長が帰郷したところに視点が置かれている。彼(元連隊長)の息子もまた軍将校として陸大卒の将来を有望されたエリートだった。しかし、父がロシア軍捕虜となった後、自決もしないで帰国する直前に息子は自決する。周囲は、「息子は父のために死んだ」かのように元連隊長を冷遇する。そして、失意のまま帰郷した彼は息子の嫁に会い誠実な印象を受けるが、本家筋からあらぬ噂を耳にする。それは、元連隊長と共にノモンハンで捕虜になったとされる皇族、東久邇宮盛厚との関係だった・・・。
渡辺文樹監督02

 ネタバラシは、ここまでにして、あとは映画を見てのお楽しみということに。

 私個人の感想といえば、『ノモンハン』の戦争歴史認識はかなり偏ったところもあるが、全般的に見て渡辺監督の表現したいことは判るので特にコメントは避けたい。ただし、以下の参考はご覧頂きたい。
ウェキペディア ノモンハン事件
(ブログ)読書日記「考証 ノモンハン事件」

 さてさて、『天皇伝説』である。これはもうストーリー的には「アクションもの」の体を成すものの、その半分は、幕末から現代に至る資料を紐解きながら天皇家にまつわる“血の系譜”をドキュメンタリー風で追っている。なんと明治維新前夜に孝明天皇は岩倉具視らの策謀によって暗殺され、皇太子睦仁も暗殺されたというのだ。それに替わって、南朝を祖のもつという長州郷士出の大室寅之助なる人物を“睦仁の替え玉”に仕立て上げ、後の明治天皇にしてしまったというのだ。驚くべき展開だが、これが事実とすれば「皇室の正当性」がひっくり返る。いや、歴史がひっくり返る。また、さらに驚くのは大正天皇の妻、九条節子皇后は中川宮多嘉王と不倫していて、その間に生まれたのが三笠宮。その節子皇后は、これまた毛利元昭の息子、毛利八郎と不倫して生んだ子が昭和天皇裕仁であるという。そして、裕仁の妻、良子皇后は三笠宮と不倫して生んだ子が平成天皇明仁であり、美智子妃の生んだ子供は実は皇太子徳仁と紀宮清子の二人だけで、秋篠宮文仁は侍従長入江相政と美智子妃との間に生まれた子であるとか。

 付け加えると、自民党総理となった麻生太郎の妹、麻生信子は16歳のときに高松宮寛仁親王から求婚されて「若すぎる」ということで8年後に結婚した。皇族が吉田茂につながる血筋を何としても取り込みたかったと考えてよかろう。そうすると、総理・首相の麻生太郎も親戚筋が皇族になるわけだ。こりゃあ、『天皇伝説・血のリレー』の天皇系譜暴露ネタも次期選挙に影響しないとは言い切れなくなった…かな!?
渡辺文樹監督の映画「天皇伝説」「ノモンハン」の上映妨害について
 それにしてもこの映画、これまでに東京都内の公共施設が会場を貸さなかったのが嘘のようだった。やっぱり本当のところ渡辺監督は、ビラ貼りから始まった一連の上映運動をウヨクが騒ぎ立てると判っていて逆にこれを映画の宣伝の為に利用したのではないだろうか。そんな気がしてしまう。つまりそれ程、一般人の潜在的な関心は広がっているということだ。

 それから最後に一言、渡辺監督の映画はこれまでも一貫した天皇家の血の系譜について問題を突きつける内容が多い。世間には、このことをもって「天皇家に対するプライバシーの侵害だ」などと批判する意見がある。しかし、では逆に考えてみると、天皇家を「神聖にして犯すべからざるもの」として築きあげて来た日本のカースト制度で最も下層とされた被差別部落出身者に対するプライバシーの侵害または組織的排除を行なってきたこの国の社会はどうなのか。そういった疑問を衆目にさらけ出して問いかけているようにさえ思える。本来なら、日頃から「同和問題」を吹聴し、「弱者の立場を利用して企業や自治体から献金を募る」右翼団体構成員こそ活目してこの映画を観るべきであろう。