フラジャイル~こわれもの(3)
うちの家は袋小路の真ん中へんにある。全部で六軒だ。
自治会とか町内会の単位でいうと、ちょうど組とか班にあたるだろう。
うちの左隣りは黒山さんち。
老夫婦は三年前、大阪に転勤した一人息子の元へ引っ越してしまい、それ以来、空き家になっている。
右隣りの関口さんちも空き家同然の状態だ。
二年前、一人暮らしだったおじさんが有料老人ホームに入所してしまい、それ以降は月に一、二回、息子さん夫婦が小学四年生のやんちゃそうな女の子をつれて掃除にやってくるくらいだ。
ちなみにその女の子の名前はエミちゃんという。
その子の名前を知ったのは、ぼくが庭の盆栽に水をやっていたとき、縄跳びをして遊んでいたその子と目が合ったのがきっかけだ。
余談だが、盆栽はぼくの趣味ではない。親父のだ。
親父が旅行などで不在のときに、ぼくがかわりに水やりをすることになっている。
左斜め向かいの弓田さんちは新婚家庭だ。
元の持ち主は田舎に家を購入して移り住み、この家を弓田さん夫婦に貸している。
新婚とはいってもすでに一年以上は経っているのだが、他の家にあまり変化がないのでいつまでも新婚夫婦に見えてしまう。
実はあまりおおっぴらにはいえないが、その美人の若奥さんに、ぼくはひそかに想いを寄せている。
休日の朝、夫婦そろって出かける際に顔を合わせたりすると、ぼくは赤面してしまってまともに彼女の顔もみられない。
昨夜はご主人とベッドの中でどんな風に過ごしたのだろうかなどとつい想像してしまい、恥ずかしさと嫉妬の入り混じった複雑な心境になってしまうのだ。
彼女の名前は真知子さんという。
弓田真知子。
なぜぼくが名前を知っているかというと、表札に夫婦の名前が表示されているからだ。
自ら情報開示しているのだからぼくがここで公表しても、個人情報保護法に抵触することはないだろう。
右斜め向かいの武藤さんちは四人家族だ。夫婦と子どもがふたり。
中学生と小学生の姉妹だ。
しかし彼らの声を聞くことも顔を見ることもほとんどない。
ほんとに住んでいるのだろうかと思うくらいいつもひっそりしている。
そもそも親の代から近所づきあいがほとんどない。
この袋小路で一番うるさくてやっかいなのがお向かいの大川さん。
ご主人は十年ほど前、大手都市銀行を定年退職し、それ以来ずっと家にいて酒ばかり飲んでいる様子だ。
三人の子どもはそれぞれ独立して、現在は老夫婦だけが住んでいる。
ご主人の怒鳴り声と、それにいい返すおばさんの金切り声が、いつも家の外まで聞こえてくる。
怒鳴りあいの最後は決まっておばさんの独壇場となる。
ご主人が尻に敷かれているのが傍目にも分かる。
いつも喧嘩ばかりしているが、いったい幸せなんだろうかと、他人のことながら気にかかる。
フラジャイル~こわれもの(2)
気味悪くなってきたので、ぼくはそいつを床におろした。
床に足がつくかつかないうちに、そいつはすぐに歩き出した。
まるでケガのことなど忘れたかのようだ。
尻尾をピンと立ててくねくねとお尻を左右にふり、数歩進んでは立ち止まってふり向く。
まるでぼくを誘っているかのようだ。
ネコのくせになんて悩ましい後ろ姿なんだ。
ぼくは一瞬、頭がクラッとした。
玄関ドアの手前でそいつがふり返ったとき、横顔が、別れたライラそっくりなのにぼくは驚いてしまった。
思わず、アッと声を上げたくらいだ。
ぼくはあわててそいつの後を追いかけた。
ただのネコじゃない、きっとライラにつながっているのだ。
玄関から飛び出すなり、ぼくは「ライラ!」と叫んだ。
しかしどこを見てもそいつの姿はなかった。
ぼくはすぐに自分のそそっかしさに気がついて赤面した。
あいつはライラなんかじゃない。ただの三毛猫にすぎないのだ。
もしも近所の誰かに、ライラなんて女の名前を叫んでいるのをきかれたら物笑いの種になってしまう。
兵庫さんちの息子さん、昼間から血相を変えて女の名前を叫んでたわよ、とうとう変になったみたいね、とか、近所のうわさになってしまう。
ぼくはとっさに「タマ」と叫んだ。
できるだけ大きな声で「タマ! タマ! タマ!」と三回叫んだ。
なぜタマと叫んだのか、理由も根拠もなかったが、三毛猫だから名前はきっとタマにちがいないと思い込んだのだ。
三回くらいしつこく叫んでおけば、近所の誰かの耳にもタマという名前が焼きつき、最初に叫んだライラという名前の記憶が薄まり、そのうち忘れてくれるだろうと思った。
ぼくは落ち着いて考えた。
この近所で、叫び声をきかれてまずい人といえば、お向かいの大川さんちのおばさんの顔が最初に思い浮かぶ。
おじさんもきいていたかもしれない。
他にも誰かいたかもしれない。
フラジャイル~こわれもの(1)
年末からお正月にかけては寒さもゆるみ、この時期にしては暖かい日が続いた。
そんなとき、ぼくにとって一大事件が起きた。
一月四日のお昼下がり。
庭先の日だまりにキャンピングチェアを持ち出してボーッとしていたぼくの足首に、何かが触れたのだ。
ぐにゃっと柔らかくて生温かい感触に驚いたぼくは、サッカーボールのようにそれを蹴飛ばしていた。
コンマ二、三秒くらいだと思う。
ギャッという叫び声がきこえた。
三毛猫が一匹、ブロック塀の下に両手両足を広げて仰向けに転がっていた。
白い眉間に真っ赤な血が一筋、流れていた。
ぼくが蹴飛ばしたのはネコだったのだ。
実はぼくはネコが好きじゃない。
すました顔をして何を考えているのかよくわからない。
こっちへおいでといっても、斜めにちらっと見るだけで素知らぬ顔で通りすぎてしまうかと思えば、気まぐれにニャオと鳴いてすり寄ってくることもある。
しかしちょっと気をゆるすと、突然爪を立ててひっかかれたりすることもある。
一言でいうと、扱いにくいのだ。
しかし、ぼくのせいでこうなったのだから仕方がない。
ほおっておくわけにはいかない。
失神して身動きしないネコをだき抱えて家の中に入り、電話台の引き出しから大きなサイズのバンドエイドを取り出し、傷口をおおうように貼り付けてやった。
長い毛がじゃまだったが、まあ、ないよりはましといえるだろう。
出血が止まるとそいつは閉じていた両目を薄く開いてニヤリと笑った。小声でニャオと鳴いた。
猫なで声とはよくいったもんだ。
ネコの嫌いなぼくでも心が動く。
「おまえはどこのネコなんだ」ときくと、そいつは顎をしゃくって隣家の方を指した。
なんだ、このネコ、ことばがわかるのか。
しかし隣家は、家人がたまに掃除にやってくるくらいでこの二年間、ほぼ空き家だ。
だからこいつはそこの飼いネコであるはずがない。
もしかするとひとがいないのを幸いに、勝手に住み着いてしまったのかもしれない。
だが野良ネコにしては毛並みがよすぎるし、首には一センチくらいの銀の鈴がついている。
ぼくはその鈴を人差し指でチョンと弾いてみたが、錆び付いていて音はしなかった。
はて、鳴らない鈴は、いったい鈴といえるだろうかとぼくはクビを傾げたが、そいつは右手をあげて左右に振った。
いや、正確にいうと右手ではなくて右前足なのだが。
それがまるで人差し指をつき立てて「ノー、ノー」といっているようなのだ。
何てヘンなやつなんだろう。
ひとの心も読めるのだろうか。