フラジャイル~こわれもの(6)
関口さんちのインターフォンを押した。
確かにチャイムの音が家の中から聞こえてくる。
二回とも反応がないということは留守ということだ。
留守宅に入っていくのは少し気が引けたが、ネコの行方を知りたいという好奇心の方が勝った。
玄関ドアのノブにおそるおそる手をかけて右にゆっくり回すと、スーッとドアが開いた。
年末に息子さん一家は鍵をかけずに帰ってしまったのか。
もっともこの路地は行き止まりの袋小路なので、空き巣ねらいなどは入りにくい構造になってはいるが、それにしても不用心なことだ。
ぼくは後ろ手で玄関ドアを閉めた。
雨戸はすべて閉まっていたので家の中はうす暗かった。
そのとき、廊下の突き当たりにきらりと小さく光るものが二つみえた。
あのネコにちがいない。
「タマ、タマ。よしよし、こっちへおいで」
しかしぼくが近づこうとすると、その二つの光はスーッと消えてしまった。
ぼくは後を追って廊下の奥まで行き、半開きになっていた左側のドアから部屋に入った。
ビーズの暖簾に頭がからまってジャラジャラと大きな音がした。
どうやらその部屋はキッチンのようだ。
だがネコらしいものはいなかった。
そこで反転して部屋を出て、向かい側のドアを開いた。
暗闇の中に空間の広がりが感じられた。
おそらくリビングだろう。
ぼくは一歩入った。
そして二歩、三歩と進んだとき、ふわっとした柔らかいものを踏んだ。
あわてて足の力を抜こうとしてバランスを失ったぼくは横向きに倒れ込んだ。
ガツンという衝撃を側頭部に感じるのと同時に、ぼくは気を失っていた。
フラジャイル~こわれもの(5)
ぼくが大学を出て就職した商社は、幕末と明治維新の混乱期に、創業者が官軍側について武器、弾薬を調達して大儲けしたのがルーツだ。
明治政府の御用商人として成長を続け、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、相次ぐ戦争で莫大な利益を手にした。
大東亜戦争、いわゆる太平洋戦争では軍部と癒着して支那大陸、朝鮮半島に進出し、権益をがっちりと手にした。
一九四五年の敗戦では、大陸に投資していた資産のほとんどを直前に国内に持ち帰ることに成功し、その後はアメリカ進駐軍にも金とコネを使って巧妙に入り込み、体力を温存した。
一九五〇年に起きた朝鮮戦争では特需の恩恵にあずかり、一気に事業規模を拡大して、今や日本を代表する大企業となった。
世間じゃあ一流商社といわれているし、社員のほとんどが自分はエリートだと信じて疑わないのだが、実際にやっていることといえば二流以下の方が多いくらいだ。
入社した際にぼくが配属されたのは食品部門だった。
情報産業部門でばりばりやりたかったのだが、ぼくの意思ではどうにもならない。
しかし、なんでこのぼくがシナチクの輸入なんかやらなけりゃならないんだ。
そりゃあラーメンからミサイルまで扱うのが商社かもしれないが、なんでぼくがシナチクの製造業者と、一円単位の値引きの交渉をしなければならないんだ。
しばらくがまんしていれば他の部門に転属させてもらえるだろうと思っていたが、横へ移動するという道はないらしいということがわかった。
つまり定年までずっとこの部門にいなくてはならないということだ。
こんなぼくの仕事に比べると、大学のゼミでいっしょだった近藤はロシアの航空技術をアフリカの某国に、中山はフランスの戦闘機を南米の某国に、出世頭の鬼頭はイギリスの半導体技術をアジアの某国に、それぞれ仲介貿易してかなりの利益を上げている。
あいつらは花形ビジネスのど真ん中にいるんだ。
ぼくに与えられた仕事はあまりにもレベルが低すぎる。
交渉相手もガリガリの拝金主義者ばかりで、ビジネスでなければ絶対に付き合いたくないような連中だ。
それに、シナチクやキクラゲの売り買い程度で、どこまで出世できるというのだ。
上司もうだつのあがらない人物ばかりだ。
このまま定年までいたとしても、せいぜい課長あたりがいいところだろう。
下手すると部下がひとりもいない窓際の課長で終わる可能性も十分にある。
こんな会社に一生のほとんどを捧げてしまうのはどうかと思った。
ぼくにふさわしい仕事はもっとほかにあるはずだ。
ぼくはもうこのままの自分であり続けることに飽き飽きしていた。
ちょうどそんな時期にライラの事件が起きたのだ。
そのとき、大川さんちの玄関ドアがバタンと閉まる音がきこえた。
ぼくはほっと一息ついた。
じゃま者はいなくなった。
フラジャイル~こわれもの(4)
ぼくは路地全体を見回してからもう一度「タマ!」と叫んで、右隣の関口さんちへ歩いていった。
あのネコが顎をしゃくって指した家だ。
門の前に立ってインターフォンを押すと、家の中でチャイムの鳴る音が聞こえてきた。
しかし応答はない。
当然だ。
大晦日に、息子さん夫婦とエミちゃんが朝からずっと大掃除をしていたが、その日の夕方、三人がそろって帰って行くのをぼくは窓越しに目撃しているのだから。
そのとき「あら、賢治さん。おめでとうございます」と背後からきこえた声に、ぼくは驚いてふり向いた。
大川さんちのおばさんが真後ろにつっ立っていた。
「あっ、お、おめでとうございます」とぼくはあわてて答えた。
動揺する必要などかったのだが、子どもが自分の秘密を見つけられたときのような気持ちになってしまったのだ。
おばさんはぼくの頭の先からつま先まで素早くチェックした。
空き家の前で立ちすくむ二十八歳の男は、たとえ隣の人間でも怪しくみえたにちがいない。
「それはそうと、ご両親は今年もハワイなのかしら?」
ハワイじゃない。西表島だ。
その島に別荘を購入したのは、親父がかなりの金額の退職金を手にした二年前のことで、それ以来、二年続けてお正月はそこで過ごしている。
一月中旬には、泡盛のお土産をもって大川さんちへ新年の挨拶に行ってるのだから、ハワイではなくて西表島だということは知っているはずなのだが。
「あちらは冬でも暖かくていいわねえ。芸能人にもたくさん会えるんでしょ」
ぼくはあいまいにうなずいた。
おばさんの思い違いを訂正するために説明するのが面倒だった。
時間を無駄にしたくなかった。
ライラを、いや、あのネコを早く探さないとどこかへ行ってしまう。
「ところで、賢治さんはどうしてついて行かないの?」
ぼくの自由だろ。二十八歳にもなって、親の旅行に一緒についていくなんて気持ち悪いじゃないか。
「ふふふ。年頃だものね。ご両親とは別行動で、どなたか素敵な女性といっしょに新年を過ごすというのも、なんとなく納得できるじゃない!」と、おばさんはぼくの肩をたたいてニコニコしたが、あんたがうかれてどうするんだ。
これはおばさんのいつもの手なのだ。
ひとを油断させて探りを入れてくる。
「ところで、そろそろ仕事はじめじゃなかったかしら?」
このおばさん、どうもいやなことをきいてくる。
夏過ぎに会社をやめたのはぼくのきわめて個人的な事情だ。
じっくりと考える時間がほしかったからだ。
しかし、いくら近所に住んでいるからといって、赤の他人であるおばさんに、そんな詳しい話をする必要などないだろ。
理由を説明するというのは、たいていの場合、どこか言い訳めいてしまう。
言い訳をするときは後ろめたい気持ちになる。
心の奥のほうで、許して欲しいという意識が動きだすのだ。
だからぼくは言い訳が嫌いだ。
そういうときは極力、沈黙して嵐が通り過ぎるのを待つことにしている。
「長期休暇でもとってるの?」
おばさんの目が輝いている。
好奇心の塊になっている。
お願いだから、ひとの生活にいちいち干渉しないでほしい。
ぼくはあいまいにうなずくことでこの場を切り抜けようとした。
「ふーん。賢治さん、ずっとおウチにいるみたいだから、どうしたのかなって、主人ともときどき話してるのよ」
夫婦の茶飲み話のネタになってたのだ。
ずいぶんとひまなひとたちだ。
もっとほかに関心事はないのか。
たとえば凶悪な犯罪が最近増えているとか、大手デベロッパーが建設したマンションに欠陥があったとか、詐欺や毒入り輸入食品、官僚の不正行為、政治家の利権あさりなど、テレビをつければネタは山ほどある。
ぼくが黙ったままだったので、「それじゃ」と、おばさんはあきれたような顔をして家に戻っていった。