調べれば調べるほど、BESSへの疑念は深まるばかりでした。

BESS富士には繰り返し対応を依頼していましたが、

「自分たちは間違っていない」
「自分たちに責任は無いので、動く必要はない」

と何も変わらない回答に終始しました。

一向に進展のない状況にしびれを切らした私は、遂に担当営業に語気を強めて対応を迫りましたが、それも暖簾に腕押しです。

私が調べてBESSに過失があると思われる内容を伝えても、明確な反論の根拠も示さず「自分たちは間違っていない」の一点張りでした。

話になりません。


BESS富士としては、素人のユーザーが契約や法令を持ち出して来ても、それで訴えられる訳でもないし、やり過ごしてしまえば良いということなのかもしれません。

工事も進んでしまっていて、全費用の7割は支払い済みの状態です。

契約解除してその費用を返してもらうのは容易ではないし、引き渡しが遅れて困るのも、結局はユーザーです。

最終的に、ユーザーが泣き寝入りするしかない、ということなのだと思います。

問題発生からここまで、主体的に問題解決に当たろうとせず、苦情元への説明も、現状把握すらもしようとしない一連の対応にも、そういう意図が透けて見えるように思えます。


結局、何を言ってもBESS富士は市の対応を待つだけで何もしてくれません。

私は、今回の問題に対するBESS富士の見解と今後の対応案を書面でまとめるように依頼しました。

話をしても、のらりくらりと時間を使われるだけなので、はっきりさせようと思ったのです。


後日、BESS富士から提出された見解は言葉にできないほど酷いものでした。

要約すると、

「排水の放流は道路側溝でも、河川でもどちらでも構わない」
「自分たちは正当な手続きを踏んで進めているので、何も問題はない」
「住民の反対は申請時には不明な部分なので、市か県から説明してもらうしかない」

です。


道路側溝でも、河川でもどちらでも構わない?

道路側溝への放流を決めたのはBESSでしょ?

それを言うなら、契約する前に言って欲しい。

事前調査で問題なしとし、道路側溝への放流一択で提示されたから、こちらは契約したのです。

「道路側溝に放流すれば、農業用水へ流れます」
「河川への放流は、物理的にも技術的にも不可能なので、県に特例を取り付ける必要があります」

と言われたら、こちらの返答は

「じゃあ、やめます」

に決まっています。


自分たちは正当な手続きを踏んで進めている?
住民の反対は申請時には不明?

住民の反対が後々になって発生したのは、BESS富士が行政の定めた技術基準に満たない調査しかしていないからです。

基準を満たしていない手続きが正当とは言えないし、基準を満たしていたら住民の反対も判明していました。

まさに今回の様な問題が起きないよう、『藤枝市開発許可技術的指導基準』では
「排水施設の管理者及び水利権者に関する事項」

の事前調査と、

「接続することとなる水路又は河川の管理者、利水権者等と協議すること」

を排水計画において開発者に対して求めているのではないでしょうか。



BESS富士の見解は、全くもって説得力がありません。


そして、BESS富士の今後の対応は

「道路側溝への放流を認めている市が悪いのであって、自分たちは悪くない」
「住民の感情が入ってくるので、県か市が介入してくれないと解決できない」

として、

「市か県から住民に説明してもらう」か「県に特例をもらって河川への放流で排水工事をやりなおす」

のどちらかだということでした。

そして、排水工事の費用は市に相談しろ、です。

最初から感じていたことですが、完全に他人事です。


道路側溝への放流を市が許可したことが悪いのは否定しません。

ですが、それで「だからBESS富士は悪くない」ということにはならないのです。

BESS富士は行政が定めている技術基準である「藤枝市開発許可技術的指導基準」を満たしていません。

つまり、藤枝市に過失があるとしても、BESS富士にも過失があるのです。

BESS富士の主張は、責任転嫁による言い逃れでしかありません。

「藤枝市が悪い」というのであれば、それはBESS富士から藤枝市に対応を求めるべきだと思います。

施主はBESS富士に申請業務も含めて業務を委託しており、その業務遂行においてBESS富士に過失があるのですから、当然のことです。

それを「自分たちは悪くないから、あとは市に対応を求めろ」とは、あまりに暴論過ぎると思います。

 

子供の言い訳の様なBESS富士の言い分は、私の訴えに対して反論にすらなっていません。


私は担当営業に抗議の電話を入れましたが、逆切れで返されるだけでした。


私はここに至り、BESS富士を相手に話をしても状況は何も変わらないと悟りました。

残された時間は、刻々と削られていきます。

私は、別の動き方を検討する必要に迫られました。

 

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